祭りの準備3
三人称視点継続中です。
「ジョイス、少し良いか?」
食堂から出たところで、男は弟子に声をかけた。
他の者たちがそれぞれの持ち場に向かうのを見送りながら、二人で裏の屋敷に回る小道を並んで歩く。
留守を頼むと指揮権を渡した後だ。本当はさっさと行かせてやった方が良い。分かっているのだろうが男は無言でいて。やがて、村長宅である村一番の大きな屋敷の前に来れば、立ち止まる。それに合わせて青年も足を止めた。
「……ジョイス、いざという時は若いのを連れて逃げろ」
「師匠?」
「年寄りはおいていけ。……俺らも、皆そうやって生かしてもらった。ここに居る連中は、誰一人おいていかれても文句は言わん」
「……師匠」
「戦場において命の重さは、同じではない」
青年が経験していない戦乱期の厳しかった現実を、この村に住む大人たちは皆その目で見、実際に耐え凌ぎ、生き抜いてきた。それこそ、残せば確実に死なせてしまうと分かった上で、親や友人を残して逃げねばならなかった。そういう場面を越えて、生き延びた。残した者に想いを託されて、どんなに苦しくとも生きることを課せられた。
「その場においてではなく、その先において一番多くの者が生き延びる選択をしろ。どんなに辛かろうが、悲しかろうが、迷わずに選べ。一度選んだら覆すな」
男は、青年の左肩を掴む。
出逢った頃はまだほんの子どもだった、息子のような存在。そばかすのある顔は、今は亡き古い友人を彷彿とさせた。
青年は、左肩に置かれた大きな手に己の右手を重ねる。
「……分かった。選んだら覆さない」
しっかりとした声で青年は言った。
ともするとその眼光だけで怯みたくなるような男の視線を真直ぐ受け止めた上で、青年は微笑む。
「ただ、今、聞いたからね。その先において一番多くが生き残る道を選べ、って。俺はそれを選ぶよ。それが師匠の選択とは違ったとしても」
「……」
笑んだまま青年は、師と呼ぶ男の手に重ねた己の手に力を入れる。
「師匠……いや、父さん。俺はまだまだ甘いかもしれないけれど、それでもこの手で守るって決めた相手がいる。あなたがいつもやってみせていたように、俺も彼女を守るためならなんだってするよ。だから、信じて。間違えないから」
「……ここで、お前は俺を父さんと呼ぶのか」
「本当の父さんはとっくの昔に星になっちゃってるからね。俺にとっての生き方の見本は師匠の背中だからさ」
母さんに訊いても「父さんはカッコよかった」しか返ってこないしさ、なんて青年は肩を竦めてみせる。
青年は己の肩にあった師の手を掴むと肩から下ろさせて、己の両手で握る。
「俺の嫁はね、いろんなものを抱えながら、それでもみんな穏やかに笑っているこの村が好きだって言うんだ。俺はそれを守りたい。そのためには誰一人欠けたらダメなんだ」
にっと、青年はいたずらっ子のように笑った。
「その誰一人の中には、もちろんおばちゃんも、父さんみたいに思ってる師匠も含まれるんだよ。だから師匠も死ぬ気で足掻いて生きていてくれなきゃ困る」
頷いた男に手を返しながら、青年は頷いた。
目の高さは今も男の方が上になるが、もう青年は男が守らねばならない対象ではなくなっていた。あの戦乱期を乗り越えた者たちに鍛えられ、体も心も立派な一人前の大人になった。頼もしく、力強い、安心して背中を預けられる一人の仲間になった。
もう出逢った頃の小さな少年ではなかった。
「あぁ、わかった。……ジョイス。……大きく、なったな」
「もうずっと前に背は伸びなくなったけどね」
しみじみかけられた言葉に、青年は敢えて茶化して返す。その言葉に男は苦笑した。
話はそれぐらいだ、と、男は青年の合わせた手から己の手を出して、一度ぽんとその背を叩いてから屋敷の入り口の三段ほどの階段を上る。
「……師匠、王城ってことは、これから話してたやつ、行くんだろ?」
「あぁ」
その様子を見送るようにその場で佇んでいた青年は、扉に手を掛けた男を呼び止めた。
なんだ? という風に扉の前で男が振り返る。
「こっちは俺らがなんとかする。だから、安心して行って来て」
「……あぁ。わかった。ありがとう」
両手を腰におき胸を張って言う弟子を、三段分高い場所から見下ろして男は頷く。
それでおしまいだと思った男がもう一度扉に手を掛けたところで、青年は明るい声で続けた。
「んで。寝てるおばちゃんの代わりに言っとく」
何? と男が振り返ったところに、青年は茶目っ気たっぷりに手振りも付けて口真似をした。
「……ちゃんと帰っておいで。ごはん用意して待ってるからね」
「……っ!」
ちょっと眉根を寄せ、しかめっ面を作るようにして言う愛情たっぷりの言葉。
何度も何度も自分が言われたり人が言われたりしているのを見て聞いてきた青年だから出来る、そっくりな食堂店主の真似に男は思わず吹き出す。さっきまでの険しい表情を和らげ、声を出して笑った。
「ジョイス、それ、グレンダの前でやったら脛蹴られるぞ」
「だぁね、ま、蹴ってくるぐらい元気になってもらないとみんな調子出ないよ」
青年も、そばかすいっぱいの顔を、くしゃっとさせて笑った。
やっと師匠と弟子二人のやり取りを書くことが出来ました。
このシーンはかなり初期から最終話で書こうと思ってたシーンでした。




