願い16
この時期は、晴れて気持ちの良い風が吹く日の方が多いけど、雨が降る日もたまにある。
秋の雨は冷たいが、しっとりと静かで一日を長くしてくれる。
部屋を暖めて他愛のない会話をしながら過ごす時間は、一緒にいる人との距離を縮めてくれるし、晴れている日だとつい後回しになりがちな細々した作業もたくさん捗る。私はこの時期の雨降りは結構好きだった。
「グレンダさん、あとは入れたのなんだっけ?」
「ん? 見せて」
カウンターで、エマがノートにレシピを書いている。
私は火にかけている鍋の近くに丸椅子と毛糸の入った籠を持ってきて、鍋番をしながら編み物だ。
料理に関係ないものを厨房に持ち込むかはちょっと迷ったりもしたのだけど、ジャムを煮るのは時間がかかる。出来たら他のことも並行してやりたい。やり始めた編み物も少しずつでも進めたい。きちんと注意し、面倒でも鍋を弄る時は毎度手を洗えば良かろうと結論を出し、今日は一日こんな感じだ。出来上がった帽子に多少甘い匂いが付くのは許してもらおう。
エマが持ってきたノートを覗き込む。
どれを書いているのかと思えば、さっき作っていた人参サラダのレシピだ。今夜の夕食に出す予定の一品。
「人参にレーズンに蜂蜜、あぁ、塩が抜けているね。あと搾るのは柑橘類なら何でもいいってメモ付けておくといいよ」
「あ、お塩! 人参千切りした後にお塩まぶしてた!」
「それをやらないと人参がしゃっきりし過ぎていて、柔らかくならないからねぇ」
そうだ、思い出した、とエマが頷いてまたカウンターに戻っていく。
「後で分からなくならないように丁寧に書く!」と宣言しているだけあって、さっき見せてもらった部分もとても綺麗な字で書いてあった。しかも色鉛筆で上手に料理や材料の絵も描いてある。子供が作っている拙さはあるけれど、それでもレシピのノートは、まるで絵本みたいな仕上がりになっていた。
カウンターの向こう側ではリチェがトゥーレと仲良く文字の勉強をしている。来年の春からは二人とも学校に通うからね。絵本を見ながら文字の練習を頑張っているみたいだけど……途中から単なるお絵かきになっちゃっているのは、まぁしかたないのだろうね。
「かけたー、みてー!」
「ぼくもかけた!」
リチェが落書きしていた紙を頭の上に掲げて見せてくれた。横でトゥーレも同じ姿勢。
リチェのは……なんだろう、花、かな、紙いっぱいに色とりどりの丸い何かが並んでいる。トゥーレの方は真面目に字の練習をしていたらしい、たどたどしい筆跡で「とぅーれ」と少年の名前がいくつか並んでいた。どちらも愛おしいね。
「うんうん、上手にかけたね。もうちょっとしたらおやつにするから、それまでもっと書いてごらん」
「おやつー!」
「うん、わかった!」
「はーい!」
リチェたちに混ざってエマまで返事している。
エマが手順をノートに書いていくのも眺めてから、私は一度編んでいるものを置いて立ち上がる。ほんの少し眩暈を感じて首を横に振った。何度か瞬きをしてから、鍋の様子を確認する。
ことことと弱火で煮詰めるのでどうしても時間がかかる。一度軽く手を洗ってから鍋に入れていたヘラでゆっくりゆっくりかき混ぜる。
今回作っているのは大きなユズのマーマレードだ。獅子柚子というらしい。ごつごつと皮に凹凸が多く、ものによってはリチェの頭よりも大きく育つ。皮は厚くて黄色い表の部分の下には白い綿のような柔らかい部分が小指の長さぐらい。その下に大事に守られている果肉は苦みや酸っぱさも強くなくあっさりと爽やかだ。
もう十年以上前にハンナがどこかからか買ってきた苗は、立派に成長して今では枝が折れるんじゃないかというほどの大きな実をいくつもつける。今年も立派なのがたくさん実って、そのうちのいくつかは例年通りうちに持ち込まれた。初めて実った年から毎年作り続けている獅子柚子のマーマレードは、この村の特産品の一つになっている。
「……これぐらい、かな」
薄く切って何度も茹で溢しし、その後に砂糖をまぶしてとろ火で煮た獅子柚子の皮の白い部分も透き通り、全体的にとろみも出てきた。多分、ここが止めどころだろう。
煮込んでいた鍋をよっこらしょと火から下ろせば、目ざとくエマがそれに気が付いた。
「あ、瓶に詰めるのやります!」
「ありがとう、そしたらお願いしようかね」
エマが書きかけのノートを一度閉じて厨房に入ってきた。手をしっかり洗っている間に私は茹で上げた瓶を作業台に並べていく。
保存用の大きな瓶がいくつかと、販売用の小瓶がたくさん。
鍋敷きを置いて、出来立てのマーマレードが入った鍋を置くと、エマがお玉でそれぞれの瓶に丁寧に入れていく。私はそんな彼女に新しい瓶を渡していった。
「……ねぇ、グレンダさん」
「ん?」
「これにね、獅子柚子の絵を描いたタグ付けたらどうかな」
「あぁ、いいね。珍しい果物だから知らない人も多いだろうしねぇ。ダグラスに相談してごらん、きっといいって言うよ」
料理の絵をあれだけ上手に描くエマだ。きっと果物の絵もいい感じのものを描いてくれるに違いない。
自分のアイデアを後押しされて嬉しそうなエマに私も嬉しくなる。
この先は、村特産のジャムには全てこの子の絵が入ったタグが付くのかもしれない。
鍋の中身を全部入れ終わったのを確認して、瓶に蓋をしようとして……。
「エマ、これ、もうちょっと強めに閉められたりする?」
「はい!」
なんだか力が入ってない気がして、私は自分で蓋を閉めた瓶をエマに渡す。
ぎゅっぎゅっと、私よりも手の小さい少女がもう少し強く閉めてくれるのを見てから、私は自分の手を見た。力が上手く入らない感覚に困惑する。
「……どうしたの?」
「久しぶりに編み物たくさんしていたからか、手の感じが少し変みたいだ。閉めてくれてありがとう、エマ」
「どういたしまして!」
帽子編むのって大変? と訊いてきたエマに、ううん、楽しい、と答えて、残りの瓶も全部閉めてもらった。
番外編よりジャムの話も本編に持ち込んでみます。
産直センターなどに冬になると売られる獅子柚子、ほんの一時だけで出回る数も少ないけれど私の大好きな果物の一つです。




