願い15
ゆっくりゆっくりと、日々は過ぎていく。
落葉樹は鮮やかだった葉を次第に落ち着いた茶色へと変化させ、ゆっくりと葉を落とし始めた。
イリアスからの手紙については、少し調べてから話すとリドルフィに言われ、まだ教えてもらっていない。
気にしている私に、大丈夫だ、と、いつものように笑い頭を撫でる。
そういえば子どもの頃もこんな風に笑って教えてくれなかったことがあったな、なんて思い出す。今、問い詰めても、きっと結果はあの頃と変わらないんだろう。
だから私は彼の言葉を信じて待つ。あの時も、今も。
お昼前にリチェに花を摘んできてもらって、午後の空いた時間に、ゆっくりと丘を登る。
一人で行こうと思ったら、村の外れに来た辺りで蒼き風が寄ってきた。
冬毛になって一層もふもふになっている。抱きしめたら気持ちよさそうだ。
「どこに行く?」
「お墓参りだよ」
村の端っこ。村全体を見下ろせる丘の上に、小さな墓地がある。
知っていなければ気付かないような、小さな墓標がいくつか。
その一つ一つに私は小さな花束を供えた。
子どもたちが摘んできてくれた、村で咲いた花の花束だ。
夏などに比べて落ち着いた色合いの花が多いように思う。
小さな花束はどれも草の茎で結んであってばらけない。あの小さな手で一生懸命結んだのだなと思うと愛おしい。
一番古い墓標の横の草原に、私はよっこらしょと腰を下ろす。
大した距離でもなかったのに上り坂で息が上がっている。結構疲れたかもしれない。
今日は寒いけどよく晴れていて、いい風も吹いている。
背の方から吹く風が気持ちよくて、私は髪を結んでいた紐を解く。風に弄ばれた髪が視界の両側で軽やかに踊っている。
腰を下ろした私を見て、その後ろ側に大狼が寝そべった。ぼふっと極太の尻尾がひざに降ってきた。
「リドの過保護さがうつってない?」
「知らん」
極上のひざ掛けに、極上の背もたれだ。ふふっと笑って私は遠慮なく毛皮に埋まった。
そのまま、ここに眠っている人のことを思う……。
今のモーゲンの村が出来て、およそ二十年。
その間に亡くなったのは炭焼きをしていたダダン爺と、タニアの二人目の子。
村を襲った山賊だったり、流れ着いてここで亡くなった冒険者だったりも、少し離れたところに弔ってある。ここで亡くなったのも何かの縁だから、と、村長のリドルフィは死した後はどんな者であれ丁重に弔うことを良しとした。諍いや悲しみは連鎖させない、ここで終わらせると言っていた。
「蒼き風はいつから私たちを見ていたの? トゥーレのことがある前はずっともっと森の奥にいた?」
背の低い草の上を風が渡っていく。
風は少々冷たいが、それが気持ちいい。
「……ここにまた村を作り始めた頃からだ。だが、普段はもっと山の上の方にいた。時々見に来ていただけだ」
「そう。そうしたら、トゥーレの時は本当に運が良かったのね」
「あれは、あの子が泣いているのが聞こえたからな」
「そうだったのね。ありがとう」
返事の代わりに、ぼふっと一回尻尾が揺れた。
死とはどんなものだろう、と、最近改めて考えるようになった。
戦乱期の頃は当たり前のように日常に溢れかえっていた、死。
今はそれが嘘のように遠い。
村で初めての葬式は、炭焼き小屋のダダン爺の式だった。
戦乱期に魔物に襲われ、その時に体の深いところに傷がついていたのを治しきれていなかったらしい。その傷はゆっくりゆっくりと彼を弱らせていった。最期は静かに眠るようにして亡くなった。
何度も見舞いに行った時、彼は「まぁ仕方ないさ。十分生きたし、割と満足している」なんて話していた。
言葉はもっと荒かったけれど、優しい表情だった。
彼は、どんな想いであの言葉を言ったのだろう。本当に満足していたのだろうか。
……どうやったら、あんなに穏やかに受け入れられるようになるのだろう。
リドルフィは、信じて待っていろと言う。
イリアスも、大人しく待ってなさいと言っていた。
村の人たちは、食堂に来ると寝込んでいた時同様、当たり前のように私に魔力を少しずつ分けてくれる。
多分、私が知らぬところでもっと何人も動いてくれている。
その一方で、ひしひしと身に染みて感じるのは、自分の残り時間だ。
意識はするまい、気にし始めると動けなくなる。そう思うのに、気が付くとそのことを考えている。
これはいつまで出来るのか、自分が料理できるのはいつまでなのか、あの子たちに何を残せるだろう、少しでも遅らせるのはどうしたらいい?
気持ちばかりが焦り、まるで、その死はもう決定事項のように重くのしかかる。
気を紛らわせるようにして毎日あれこれ思いついたことを詰め込んでいく。そして夜は気絶するようにして眠る。そうしないと考えてしまうから。
ぼふぼふ、と膝に乗っていた尻尾が揺れた。
いつの間にか顔を伏せうずくまる様になっていた私は、我に返って顔を上げる。
少し腰の曲がった人影がこちらに近づいてきていた。
「おや、グレンダ、きてたのかい」
「……ミリム!」
「まるで村長みたいに張り付いてるわんころだね。文字通り番犬だ」
よしよし、と、蒼き風の鼻面を撫でてから、リンの祖母ミリムは、持ってきた花をダダン爺の墓に供える。
多分祈っているのだろう。静かに佇む姿を私はただ眺めていた。
「私は戻るがグレンダはまだいるのかい?」
「ん-、後ちょっとだけ」
「そうかい」
祈り終わったミリムが近くに寄ってきて、私の顔をじーっと見る。
私はきょとんとした顔をしていたらしい。それがおかしかったのか、村一の人生の先輩は、私の頭をくしゃくしゃと撫でた。皺とシミでいっぱいの手。たくさん働いてきた人の手だった。
「グレンダ、順番は間違えちゃいかんよ。……次は、私だからね?」
「え」
「みーんな、何とかしようと考えている。お前さんが思うより、みんなお前さんのことを知っているし、心配しているよ。一人でこんなところにいないで、みんなのところへ帰るよ。体冷やすと碌なこと考えつかないからねぇ」
ほら、立って、と促されて、つい従っていた。
私が立ち上がると座椅子になっていた蒼き風も体を起こし、ぐいっと伸びをする。
「ほら、帰ろう。……ところで、そのでっかいわんこは乗れたりするかねぇ」
「え、どうだろう。蒼き風、乗れるの?」
「チビたちならともかく、お前たちは落ちるからやめとけ」
「ダメだって」
「残念だねぇ」
おばちゃんとおばあちゃん二人、大狼に跨って颯爽と草原を駆ける姿を想像して笑う。横でミリムも笑っていたからきっと同じ想像をしているのだろう。
不本意そうに蒼き風の尻尾が、ぶんと大きく揺れた。
おばちゃんたち乗っていたら、我が名は……!って名乗ってくれる彼と出会えたかも?
なかなかシュールな絵になりそうだけども。




