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願い14


 アメリアの店まで来れば、今日はまた違う匂いがした。

前のスパイシーな香りではなく、今度は何だろう……、バターはわかるけれど、もうちょっと嗅ぎ慣れない感じの香りがする。どちらにせよ、なんだか美味しそうな香りなことは確かだ。

木目が素朴な扉を押せば、扉につけられたベルがちりりんと鳴る。厨房の奥にいるらしいアメリアから、「いらっしゃーい! 好きな席に座ってー」と元気な声が飛んできた。


「……って、グレンダ! 珍しい、旦那も一緒じゃない」

「だから、旦那じゃないって」

「旦那でいいぞ。あってる」


 何か言っている壮年マッチョのふくらはぎを軽く蹴る。にやにやするんじゃないよ。


「そこ、座って。……日替わりでいい? ちょっと珍しいのが手に入ったんだけど、食べられるかな」

「えぇ、お願い。どんなのだろう。私は少なめで。食べられる量減っちゃって」

「俺は大盛りで」

「了解。ちょっと待ってて」


 相変わらずひょろっと細いアメリアは分かった、と頷いて用意を始める。カウンター越しに頭のてっぺんのおだんごヘアが揺れている。

私は勧められたカウンターの近くのテーブルにつけば、リドルフィに荷物を両方ともちょうだいと手を出した。

布製の袋を出すと、それを広げて先の買い物の紙袋を二つとも入れてしまう。この後市場に行ったらまた荷物が増えるからね。今のうちに纏めておかなきゃ。


「はい、お待ちどうさま! ちょっと癖があるよ。無理だったら遠慮なく言ってね」


 出されたのは、少し茶色がかったミルク色のスープにふんわり弾力のあるパン。

スープには芋とキャベツ、それに鮭かな、魚が入っている。さっきのバターの香りはこれだ。真ん中にバターの塊がぽとんと落としてある。ミルクとバターの香りに、ふんわりさっきの嗅ぎ慣れない匂いが混ざっている。


「ありがとう。いただきます」


 向かいに座るリドルフィと一緒に食事の祈りを捧げてから、スプーンでまず一口スープを掬う。ふーふーと息を吹きかけてから口に運べば、独特な深みのある塩っ気をミルクが柔らかく包んでいた。それにバターがコクを足していて、じんわり口の中で広がる味わいになっている。


「大丈夫そう?」

「うん。……これは何?」

「商隊が持ってきた調味料でね、味噌って言うんだって。面白い味だよね」


 リドルフィの方も平気そうだ。パンと交互にいい勢いで食べている。

ほどよい大きさのジャガイモのおかげで満足感もあるし、キャベツもしっかり煮込まれて甘くなっている。鮭は一度焼いたのか、脂もくどくなく、生臭さもない。


「うん、初めは匂いがちょっと気になるけれど食べていくうちに平気になるね。美味しい」

「でしょう。うんうん。これ、豆を発酵させたものなんだって」

「……」


 あまり想像がつかない。ヨーグルトみたいな感じだろうか。

こんなだよ、と見せてくれたのは茶色で豆の原型もないペーストだった。

スープからもする独特の香りがするが、どうやら加熱した方が香りは強くなるようだ。


「グレンダの村も豆は作ってるでしょ? やり方聞いたからやってみる?」

「……あー、それがね。ちょっとこれからは厳しいかも」


 とても気になるけれど、と付け加えて言えば、どうした? とアメリアがこちらの顔を見た。


「またどっかに遠征でもいくの?……というか、またやつれてない? ちょっと、リド、あんまりグレンダに無理させないでよ」

「ん、ちょっとね」

「ご馳走様。……ちと、アメリア、いいか?」

「なに? ……グレンダはゆっくり食べていてー」


 しっかり完食したリドルフィが立ち上がり、アメリアを促して裏側の方へと消えていく。どこまで話すつもりなんだろうなぁ。

一人残されてしまった私は、考えても仕方ないのでのんびりその味噌のミルクスープを堪能し、もっちりしたパンを時間をかけて食べた。

美味しいものは偉大だね。いろんなことを一度横に置いといて頭の中を美味しいでいっぱいに出来る。

色々悩ましいことも多いけれど、食べるものを美味しいと思える限りは何とかなりそうな気がする。




 結局私が食べ終わって、更に一息つくぐらいまで二人は戻ってこなかった。戻ってきたアメリアからは「今度そっちにいくから! 今度こそ絶対!」とよく分からない約束をされた。

確かに遠征の後行くって言われたけれど、アメリアはモーゲンに来ていない。気分屋のところのある彼女だから、そのうち気が向いたらくるだろうぐらいに聞いていたから気にしてなかったのに。


「後は市場だったな」

「うん、毛布を見にいこう」


 食事の会計を終えて店を出てきたリドルフィが、やっぱり当たり前のように毛糸やキャンディの袋を持って、ほれ、と逆の腕を出す。つかまれということらしい。

確かに市場は人が多いから、この方がはぐれなくていいかもしれない。でも、これだと本当にデートだ。

私がどうしたものかと眺めていれば、振り返った男がひょいと私の手を掴んで自分の腕につかまらせた。そのまま歩き出す。強引に見えてちゃんと私の歩幅に合わせた速度だ。一緒に歩きだしてしまってから、私はしかたないなぁと笑う。本当に、いつもいつも、こんな感じだ。

市場では予定していた毛布の他にひざ掛けや織りの綺麗な布、香りのいい茶葉や南方のドライフルーツなども選んで買い物を終えた。

その買い物の間も私は一銭も払ってなくて、全部リドルフィが払ってくれていた。指摘したら「デートだからな」とよく分からない理由でごまかされてしまった。

まぁ、いいや、代わりに帽子はなるべく早く編んであげることにしよう。


 やがて、帰る時間が来た。

城門近くの騎士団厩舎に預けていた馬を、リドルフィが連れてくる。

彼が私に手を振るから、待っていた私もつられて笑顔で手を振る。

いつも通りの笑顔の彼に、私はひっそりと願う。


 どうか、今の私を覚えていて、と。


 きっとこの先、私はどんどん弱っていく。

先日一度空っぽに近い状態になったから分かるのだ、もうそんなに先はない。

一つずつ出来ないことが増えていって、いつかは何もできなくなる。自分で歩くこともままならなくなる。

人は弱い生き物だから、心も体に引きずられる。

そのうち私も弱音を吐き我儘を言って喚き散らす日もくるのだろう。

覚えていてもらうなら、そんな私よりも、どうか、今の私を、と。


「どうした?」

「……ううん、なんでもない」


 ゆっくりと首を横に振って、「さぁ、乗せて」と、手を出す。

「今日は素直だな」なんて言いながら、私を馬の背に上げた後、リドルフィはその後ろに跨った。

いつものように、彼に後ろから抱き込まれるような状態で馬は歩き出す。

背に男の体温を感じながら、私は目を伏せる。

目尻の熱は、やがて風に飛ばされて消えていった……。




アメリアならあまり流通していない調味料も見つけてきそうかなと、味噌を出してしまいました。

石狩鍋風のスープ、寒い時期は美味しいですよね。


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