願い10
「えぇ、あの時の黒化はしっかり浄化して頂きました。本当にありがとうございました」
そう言ってから、カイルの視線は、また手元に落ちる。
考えを整理しているのか、それとも話しづらいことなのだろうか。その表情からは読み取れない。でも、綺麗に整った顔は少し愁いを帯びているように見えた。
今度はリドルフィも促すこともせず、ただ待っている。私もカップで手を温めながら待つことにする。
「……あの時、一ヵ月は魔素溜まりに近づくなってグレンダさんは言っていましたよね」
「うん? あぁ、確かに言ったね」
黒化した後は、浄化したとしても抵抗力が落ちているかもしれない。その辺りを考慮して、黒化された者は、魔素溜まりなど再び汚染されそうなところには当分近づかないのがお約束だ。
「一応、その言いつけは守ってしばらくはその手の依頼は受けなかったのですが……。ちょうどその一ヵ月が明けた頃にギルドに依頼が来ていて数人で請け負ったんです。といっても、司祭付き。エルノさんが居たからその場では誰も汚染されることもなく、あれも見つからなかったので気にも止めてなかったのですが……」
「うん」
カイルは腕のいい前衛として冒険者ギルドでも評価は高い。多少難易度がある依頼も率先して受けてくれることから、話している件もきっと、そろそろ大丈夫だろうと名指しで頼まれたのだろう。
「依頼自体は問題なく片付きました。……ただ、その少し後になって、手の一部が少し変色していることに気が付きました」
テーブルの上に再び出した手の、左手の小指の付け根を右手で差す。これぐらい、と示したのは人差し指の爪の大きさぐらい。本当に小さな範囲。
「初めは何か落ちづらい汚れでも付けたのか、それとも擦れて少し痣にでもなったのかと思いました」
擦ってもとれないし、別に痛かったり引きつったりするわけでもないからとあまり気にも止めずにいた。しかし、段々とその変色範囲が広がっていったのだそうだ。
念のため神殿でも診てもらったのだが、それが何であるかは分からず、変色しているだけで痛みもなかったので放置しまったらしい。気が付いた時には手全体が青黒くなっていたのだと言う。
「その頃から少しずつ記憶が飛ぶようになって。幸い仕事には支障が出てなかったのですが、流石にまずいなと思い始めていた頃に、こちらでの結婚式の話を聞いて」
そのついでに、私に診てもらうことを考えてはいたのだという。
「……そうなの。それは不安だったんじゃないかい?」
「えぇ、まぁ……」
記憶が飛ぶ、言葉にすると軽い感じがするが、実際に我が身に起きるとなると怖いだろうと思う。
自室にいる時や、街などで穏やかな時間を過ごしている時とかなら、さほど気にもならないだろうが、カイルは冒険者だ。依頼を受けて行動している最中に記憶が飛ぶとかなっていたなら、相当焦るだろうし怖かったに違いない。
微妙に言葉を濁したカイルに、大変だったね、と心から労いの言葉をかけるついでに、焼き菓子を勧める。
「……それで、今もそれは起きてるの?」
「いえ、グレンダさんの浄化……いや、蘇生に近いのかな、あの奇跡の後は起きてはいません」
「……良かった」
ほっとして言う私に、カイルは何故か目を逸らした。
治ったなら良かったで合っていると思うのだけど、なぜか悔やむような、切ないような、そんな顔をしている。
「カイル?」
意味が分からなくて、私はつい答えを求めるようにリドルフィの方を向いた。
すると彼は苦笑も浮かべるだけで。
「……グレンダさん、リドさん、すみません」
「え、何が」
「多分、俺は、自分から魔人化したんです」
突飛な言葉に私はびっくりして、まじまじとカイルを見つめる。
人が魔素溜まりなどに汚染された時、黒化するか魔人化するかの条件は今のところ解明されていない。魔力量やその人の持つ祝福の属性、抵抗力や場の条件など様々な説があるが確認もとれないので、どれも仮説止まりだ。
「……依頼を受ける前、ギルドマスターから俺の場合はすでに二回黒化しているから、出来れば魔素溜まりにはもう出来るだけ近づくなと言われていました。他よりもリスクが高いから、と。その言葉を無視した上に、実は浄化の介添え役をした際に、言われていたのより、少しだけ奥にわざと踏み入っていたんです」
「えぇぇぇ……なんでそんなことを……」
下を向き、自分の膝に置いた握りこぶしを小さく震わせながら言うカイルに、私はつい声が零れた。
そんな私に、カイルはゆっくりと顔を上げる。じっと私の目を見つめて泣き笑いみたいな顔になった。
「……そうして、黒化したら、またあなたが心配してくれるんじゃないか、って」
「……それは、心配は、するけども……」
続けられた言葉は、常の青年のものより掠れて震えていた。
条件反射のように返事をしてから、彼が言いたいことはそんなことではないのだと遅れて気が付く。
ぶわっと自分で顔が赤くなったのが分かった。え、何、これ、どうしたらいいの。
「え、……えっ? あの……」
「カイル、すまんな、こいつはやれん」
「……えぇ、分かっています。俺のは、単なる憧れを拗らせたものでしかないですから」
私が困惑しているのを見かねたのか、リドルフィがぼすっと私の頭の上に大きな手を置いた。落ち着け、という風にそのまま緩いテンポで何度か軽く叩く。いや、落ち着く必要があるのはわかるけど、さりげなく何を言ってるの、やれんって、あなたのでもないでしょ。
上手く言葉が出なくて口をパクパクしているうちに、カイルが頷いた。
「どうこうなりたいなんて気持ちはありません。ただ、ほんの一時だけでも、その目に自分だけを映して欲しかった。ただ、それだけです。……すみません、俺の浅はかな気持ちで皆を危険にさらしたばかりか、あなたに酷い負荷をかけてしまった。謝って許されることではないけれど、それでも、少しでも俺が出来ることなら何でもさせて下さい」
「そうだな。確かに皆を巻き込んでこの村を壊滅させそうになったことは謝られても許せはしないが。……どうする? グレンダ」
にやりと笑ってリドルフィがこっちに話を振ってきた。
「……どうする、も、何、も……」
困惑が、声に出る。
「……確かに危ないことを敢えてしたのは良くないけど、だからと言ってそれが原因であぁなったのかなんて誰にもわからないじゃないの……」
「そうだな」
それでどうする? という風に横から相槌が入った。私は、笑っている男を肘で容赦なくつつく。うっとか声が出たので、どうも肘鉄がいいところに入ったらしい。
「カイルは謝りたいのかもだけど……」
そう言って、私は両手をテーブルの上に出し、カイルの方へと伸ばす。はい、と手のひらを上にして促す。
カイルは困ったように私の手を見て、それから私の目を見て、もう一度手を見て……そうっと私の両手に自分の両手を乗せた。
私は青年の手を握ると、握手、という風に軽く揺らす。
「それより、自分を大事にしてちょうだい。……次、あんな風になっても、私はもう助けてあげられそうにないもの。……私は、苦しんでいるカイルより、いつもの笑ってるカイルの方が好きよ」
「……はい」
私の拙い言葉では伝わったか分からないけれど、カイルは頷いて、目を伏せた。
そんな私やカイルを、リドルフィが年長者の優しい目で見ていた。
上手く書き切れてないけど、カイル君は1回目に黒化した時にグレンダに浄化してもらってからずっとひっそり想い続けてました。
グレンダの視点だと書くに書けないネタなので、気が向いたら番外編でいつか出すかもです。
みんなが大好きな、ここぞという時だけ一人称が変わるのをこっそり仕込んでみたり。(カイル君は普段の一人称は私。)
そして実はひっそりとモテてたグレンダさん。
シルバー相手はちゃんとあしらえてたけどこっちは無理なのは、やっぱり変態か変態じゃないかの差だろうか……
おまけで動揺のあまりにおばちゃんの口調が素になってます。
……カイル君には悪いけど、書いててちょっと楽しかった。




