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願い2


 泣いているリチェを引きはがすこともできず、結局、泣き疲れて眠ってしまうまでそのままだった。

エマもリンも離れようとしない。

それだけ心配をかけたのだと、しみじみと思い知る。

村の人たちも、ぽつぽつとやってきては起きて良かったと口々に言って行った。

まだ碌に話すこともできない私はベッドに寝たまま、「ごめん」と「ありがとう」を繰り返すことになり……。

どうやら、その途中で疲れて寝落ちたらしい。


 次に目が覚めた時にはすっかり日も落ちていて、部屋の中はランプの優しい明りに照らされていた。

窓際に置かれた机の前、大きな背中が前かがみになっている。

カリカリとペンを走らせる音からすると、書類仕事でもしているのだろう。

 こんな小さな村でも、村長ってそこまで書類仕事が多いものなの? と、昔、訊いた覚えがある。

何なら自分が少しでも手伝おうか、とも。

その時、彼は何と答えていたっけ。

あぁ、そうだ。思い出した。この村の長だから少し普通より多いんだ、俺しかできないものがほとんどだから気にするな、とか、そんな内容だった。

以来、私が書類を手伝おうということはなくなり、代わりにお茶を出すようになった。

少し薄情かとも思ったけれど、彼はそれで満足そうだった。

 しばらく目を閉じて、そのカリカリとペン先が紙をひっかく音を聞いていた。

時折考える間が空くのか、書く音も止まる。止まってはまた始まって、始まってはまた止まって。

それが何度も繰り返されて、やがて止まったままになった頃、私はそうっと呼んでみる。


「……リド」

「あぁ、起きたのか」


 我ながら、か細い声だと思ったのに、男は即座に振り返った。

見れば机の上に書類がまとめてある。どうやら推測通り、終わったタイミングだったようだ。

椅子を引きこちらに歩いてきて、リドルフィは私の額に手を当てる。


「熱はないな。……何か欲しいものは?」


 問われて、少し考える。


「……のど、かわいた」

「わかった。少し待ってろ」


 そう言うと一階に降りていって、コップを片手にすぐ戻ってきた。

彼はそのコップをサイドテーブルに置くと、ベッドの縁に座り、私が上半身を起こすのを手伝ってくれた。ぎしぎしとあちこち軋む体はやっぱり重だるく、鈍く痛い。だが、昼間に目を覚ました時よりはかなりマシになったように思う。エルノか誰かが、少し魔力を分けてくれたのかもしれない。

それでも自力で座っていることも難しくて。そんな私の状況を見越していた男に、背から包まれるように支えられる。

 目の前に出されたカップに手を伸ばし、自分の指にぎょっとする。記憶の中の少し太目だった自分の手に比べると指と指の間が凹んでいるようにも思えるほど肉がなくなっていた。

ごく普通のカップなのにずっしり重い。自分一人でコップすらまともに持てない有様に動揺していたのは私だけで、当然のようにリドルフィは私が持った後もカップから手を離さなかった。

 ゆっくりカップに唇を付ければ、柔らかい湯気が鼻を擽る。

熱さを警戒しておそるおそる一口含んだカップの中身はほどよい温度で、じんわりと口の中を温め、やがて喉を伝いゆっくりと腹に落ちていくまで温かかった。

味はしない。白湯だね。

一口飲んでふぅぅと息を吐く。それからもう一口。もう一口。

ゆっくり過ぎて焦れるだろう時間を、リドルフィは急かすことなく付き合って、最後にはカップを受け取りサイドテーブルに置いてくれた。

私はカップから白湯を飲むというそれだけのことで疲れて、ふぅぅとまた息を吐く。飲むために丸めていた背を重力のままに支えてくれる胸へと預けた。

そんな私の腕をゆっくりゆっくり男の手が叩く。子どもの寝かしつけみたいな感じだ。


「……私、どれだけ寝ていたの?」

「十日、だな」

「……そう」


 過去、魔法を使って寝込んだ中では一番長い。

でも、神樹をこの身に宿した時の半年に比べれば、大した日数でもないように思えた。


「……イリーに怒られるね」

「だろうな。諦めろ」

「うん」


 そう、私は魔法を使ったんだ。いや、魔法ではなく、奇跡を使ったんだ。

それなら、この体のだるさも、鈍い頭痛も何もかも説明がつく。

まだあまりに長く眠っていたからか混濁している記憶を静かにたどる。

昼間は、皆に話しかけられるのを聞くので精いっぱいでできなかったのだ。


「……ごめん」


 やっと自分の中から言わなきゃいけない言葉を見つけ出し、ぽそりと告げる。

ん、と低く唸るような相槌が背中越しに伝わってきた。

何に対してのごめんなのかも訊かない。ただ、受け取ったと知らせるだけの返事。

知らぬ者なら不愛想とか素っ気ないと言われそうな、そんな態度がむしろありがたく感じた。


「エマとリチェは二人で食堂にいるの?」

「いや、リンがお前の部屋に寝泊まりしている。だから心配ない」

「そう。リンには世話になってばかりだね」


 ということは、食堂もリンが回してくれているのだろう。本当にあれこれ頼りっぱなしだ。

ハンナたちが困ってないか、なんて話をしたら駆け出し三人組を臨時で雇っているらしい。そう言えばあの子たち、夏も農家の手伝いをしていたね。

一番気になっていた子どもたちのことが分かってほっとし、私は背を預けたまま目を閉じる。

 少し前に泣かしてしまった時、もう似たようなことでは泣かすまいと思ったのに、またリチェやエマを泣かしてしまった。

罪悪感などと言っても意味などない。もう次はないと誓うのが本当だろう。……だが、今の自分にそれができるだろうか。

謝ったところでまた同じことを繰り返すのであれば、それは形だけでしかなく、謝った本人の自己満足でしかないのだと思う。だから、多分。私は謝るのではなくもっと他のことをしなければならないのだろう。


「……グレンダ、何かしたいことはあるか?」


 なら、何をしたらいいのだろうと考えていたら問われた。

質問の意図が分からないまま、もう秋だから冬への備えや旬のものを使った料理をしたい、姉妹のために何か編んであげたいとか、そんな、ごく日常に考えていたことをあげてみる。とろとろと思いつく順にあげたその一つ一つに相槌を打つリドルフィに「それぐらいか?」と問われれば、私はこくりと頷いた。

そうか、と、短い相槌の後、また静寂が戻る。

続く言葉を待っていたけれど、その話はそこで途切れて続きはないようだった。


 結局、私はリドルフィがなんでそんな質問をしたのかも、私が寝込むことになったあの後どうなったのかも訊けぬまま、またずぶずぶと疲労の海に沈むようにして意識を手放した。




ふと、ある人が言っていた言葉を思い出しました。

世には相手に甘えられたり頼られる事によって癒される人もいるのだそうな。

だから時にどちらか片方が依存しているだけのように見える関係でも、そこには逆方向の依存も確かにあり、相手が本心から頼れと言っている時はその言葉のままに頼るのもまた相手を甘やかす事なのだと。

人は弱いから、誰かに何かを預けないと上手く生きていけないのかもしれない。

……グレンダの弱さを書きながら、実はリドルフィの弱さも書いているのかもな、なんて思った今日この頃。

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