来訪者13
これから話さねばならないのは、ヴェルデアリアが陥落して、更に十年近く経った頃の話だ。
王都より派遣された救援軍により崩壊した学園街から助け出された後、聖女見習いだった私と聖騎士になったばかりのリドルフィはほんの数日休んだだけで再び戦場に立つことになった。
それは私たちに限らず、同じように生き延びた騎士や司祭も同じで……。
すべての節目になったあの時まで、ひたすら足掻き続ける日々だった。
戦乱期のことを思い出そうとしても、記憶のあちこちが欠けてしまっている。おそらくは、無意識のうちに自分で自分の心を守ろうと記憶を捨ててしまったのだろう。でなければ、過去何度か行った神樹の森の影響としか思えない。
「……これだけは先に伝えておくよ」
何をどこから話そうか。しばらく膝の上の、ふさふさな尻尾を撫でながら考えていて。
私はまず、そう言い置くことにした。
「私は今の状況を後悔はしていないし、何度やり直しても同じ選択をすると思う。……巻き込んでしまったリドルフィには申し訳ないけどもね」
「……俺は自分で決めてお前の横にいる。気にしなくていい」
私の言葉に、ぼそりと低い声が付け足すように言う。
私が損な性分だというのなら、この人も相当だろう。
分かっているよと言う代わりに背を男の胸に預ける。受け入れてくれるその優しさを感じながら、目を閉じた。
「……あの当時は色々なことが一気に起きたからね、もう記憶もあいまいで、ちゃんと覚えていない。ついでに言えば何が起きていたのか、今でも分からないままにほったらかしになってしまっていることもある。……だから、あの時の詳しい状況とか、そういう話は全部抜きにさせてもらうよ」
続けろと言う風に、目の前の尻尾が緩く揺れた。
「端的に言えばね、私は、あの日、植木鉢になろうとしたんだ」
我ながら、なんて唐突で、なんて拙い例えなのだろう。
「あの日、私たちはまだ芽を出したばかりの神樹を見つけ……その場でやれる限りのことを試したけど、私たちの力では神樹をほんの僅かさえも傷つけることは出来なかったんだ。でも、そのまま置いておけば神樹はこの地の全ての力を養分として育ち、この世界は滅んでしまう……そういう状態だったんだ……」
そう、すべては小さな苗木によって引き起こされたことだったのだ。
発芽するために大地から力を吸い取り、それにより崩れた均衡から、淀んだ魔素が噴き出して各地を汚染し始めた。魔素溜まりから現れた尋常ではない数の魔物たちは、無差別に周りにいる者を襲った。
そうして、それが魔族の仕向けたものだと誤判断した人間は、魔族の国との長い戦乱期を迎えることになった。魔族もまた同じように被害に遭い、それは人間の国からの攻撃と判断し……ひどい泥仕合だった。互いに攻め殺し合い、どちらも滅んでしまうかというギリギリの瀬戸際で、あれが見つかった。
「……その時にね、ふと思い出したんだ」
私は苦笑する。あの時、本当になぜ、それを思い出したのか。
今でもそこだけは鮮明に思い出せる。小さな、小さな苗。
私の手のひらにのるほどの小ささなのに、普通の木の若芽ではないと一目で分かるだけの気配。
大魔法ですり鉢状に抉れたその最深部に、ぽつりと生えていたもの。僅かに緑色を帯び、水晶か何かのように透き通っていた。綺麗ではあるが周りの光景と相まって不自然さの方が際立ち、どこか不安になるような、そんな、小さな木の芽。
「大きくなる種類の木でもね、小さな植木鉢に植えるとその植木鉢の大きさにあったサイズに育つんだ」
確か戦乱期が始まる前に読んだ、遠い国の園芸技術の本に載っていたことだったと思う。
観賞用に育てられた両手で持ち運べるほどの小ささの植物の話。
読んだ当初は何のためにするのかさっぱり分からず……しばらくしてからは、故郷の森を小さな鉢で育てて手元に置くことは出来ないかなんて考えたりもした。
実際にやったことなどなくて、半ばおとぎ話の延長のようにも思っていた、そんな技法。
「神樹はどんなに頑張っても燃やすことも、切ってしまうことも出来なかった。まだこの手のひらよりも小さかったのに。……でも、まだ根付いていなかったから、持ち上げることが出来た。……そのまま放っておけばまた大地に戻ってしまう。そこが大地だと神樹をだませるような力のある何かに、植え替える必要があった」
そうして見つけたのが、おそらく人間としては最大級の力を保持していた、私、という、植木鉢。
手のひらほどの大きさでもその力は途轍もない。
植え替えてすぐに植木鉢が壊れてしまうのでは意味がないのだ。何年もそこが大地の上であるとだまし続け、自然と枯れさせなければ神樹は新たな地に根付いてしまう。
「……私の前にも、同じように身に移した人がいたのでしょう。後になって、その人のことを書いた書物を見つけたよ」
神殿の奥深くにしまい込まれた、本当に一握りの者しか読むことを許されない書物に書かれた真実。
聖女とは、一定周期で芽吹いてしまう神樹のための器。供物であると。
そうして、知ったのだ。その身に神樹を宿した人間の末路を。
栄養素として持っている魔力の全てを差し出した結果、苗床となった者は死に、そして神樹もまた枯れるのだという。……神殿が、すべてが終わるまで私たちに教えなかった言い伝え。ただ……言われずともあの場に居た皆、察していたようにも思う。だからこそ皆、あの場に居た人たちは止めてくれたのだろう。
「私がこの樹を連れて……逝ったとしても、百年とかそれぐらいでまた神樹は発芽してしまうのかもしれない。それでも一時しのぎにはなると思うんだ」
目の前の尻尾がぼふっと一度私を軽く叩いた。
もういい、と言っているようだった。
「それに……思った以上に持ち堪えたと思うのだよね。我ながら」
褒めてやってよと笑ってみせれば、ぎゅうと後ろから抱きしめられた。
自らの中で浄化しながら飼い殺すようにして育てた神樹の苗。
会うたびに確認してくれていたイリアスによれば、もう首の付け根まで大きくなっている。
歴代の聖女たちの記録によれば、おそらく過去最大まで育て上げたと言ってもいいだろう。
神樹を背負うことで使えるようになる奇跡を人に乞われる度に使い、一年を待たずに逝った聖女もいたという。奇跡を使わずとも自らの持っていた力が足らず数年で逝くことになった聖女も多い。重圧に負けて自ら命を絶ってしまった聖女もいたと書物にはあった。
そう考えると、奇跡を何度か使いつつも、二十年ももたせたことは快挙と言ってもいいだろう。
ここまでもたせたなら、未熟な神樹が枯れる際に起こると言われている災厄も、きっと少しは抑えられるはずだ。
「……蒼き風、私はこのまま樹と一緒にここで枯れるつもりでいる。出来うる限りギリギリまで耐えるが、その時は森のあなたの仲間たちにも迷惑をかけてしまうだろうね。すまないね」
ぽつと謝ったら、大きな尻尾に今度は顔を軽く叩かれた。
回想シーンにするかおばちゃんの口から語らせるか散々迷って語る方を選びました。
中々難しい……




