戦火の街
何が起きているのか、分からなかった。
よく知っていたはずの街は、全く知らない姿になっていた。
それを受け入れたくない気持ちからなのか、世界が擦りガラスの向こうのようだった。
放課後によく行った商店街は見る影もなく破壊されていて、あちこちから火の手が上がっている。
何かが崩れる音が絶え間なく響き、それに混ざって悲鳴やすすり泣きが聞こえる。叫びや何かがつぶれる音に、体の震えが止まらなかった。
埃と煙の混ざる空気は、熱く喉を焼き、肌を焦がしていく。
鼻孔に届いた匂いに少女はえづいた。
何かの焼ける匂い、それに血臭。
これは、死の匂いだと本能的に察した。
遠く、悲鳴が聞こえた。
今すぐに、助けなければ……そのために、たくさん勉強したのだから。
分厚い本を何冊も読んで、日々鍛錬し、先輩たちの怪我を治させて貰った。実地訓練も受けた。治癒の魔法はしっかり覚えている。自分には怪我を負った人を助ける力がある。
魔物たちの気配がする。
戦わなければ……そのためにたくさん訓練もしたのだから。
戦いで自分や誰かを守る守護盾の魔法を、とっさの時にも出せるように、何度も何度も練習してきた。
……なのに。
足が竦んで、動けない。
こわい。とても、こわ、い。
「――――、ぼーっとするなっ!!」
横から頬を引っぱたかれるような、怒声が飛んできた。
その声にびくっと体が震えたことで、呪縛から解かれたように、少女は我に返った。
「……ごめんっ! ――、指示を!」
「まずはみんなと合流する! 救助も戦闘もそれからだ。走れるな?」
「うん!」
一緒にお使いに出ていた先輩は、背負っていた大剣を抜く。
目指す先は聖騎士の養成校だ。少女たちの住む寄宿舎。そこまで行けばきっと仲間がいる。何が起きているのか教えて貰えるはずだ。
寄宿舎にいるほとんどは少女より年下の少年だけど、それでも聖騎士になるための訓練を受けている者たちだ。
何かが襲ってきたのだとしても、そう簡単にやられてしまったりはしない。
それに、あそこには教官たちだっている。王都の大神殿に居る大司教様に次いで高位の司祭や神聖魔法の研究者、それに戦闘に長けた武術教官。
すぐ横には騎士の養成校もあるし、この街の中で、もっとも守りが固い場所だと言っていいだろう。
少女を先導するように前を走る青年は、つい一年ほど前に称号を賜ったばかりの聖騎士だ。
叙任されたといえど、本格的な戦闘経験はほとんどない。見習い時代より大人として扱われるようになったけれど、まだ命がかかるような場面には出くわしたことがない。
直近に任務として言い渡されていたのも、近隣の村の被害状況の確認。すでにことが起きた後の現場だ。
怪我人が出ているとの話だったので、治癒の現地実習も兼ねて少女も同行することになった。
行った先の村ではいくつもの家屋が壊され、死者こそ出ていなかったが怪我人もそれなりの人数出ていた。青年は被害状況を確認して、更なる被害が出ないよう結界石の設置を行った。少女は怪我人を一人ずつ治し続けた。
……それが、ようやく一段落ついて帰還となったところだったのに。
「なんで……なんで……こんなことに……」
少女は杖を抱えて必死に青年についていく。
青年は時折出てくる小さな魔物を切り捨てながらも、少女を引き離してしまわないように走る速度を調整した。
自分だけ仲間の元にたどり着いても意味がない。
この少女は絶対に守らなければいけない存在だ。
何よりも、誰よりも、青年自身よりも。
「考えるのも後だっ!! ――――! 守護盾を!!」
「あ、はいっ!!」
石畳だったところには、ごろごろと大きな瓦礫が落ちていて、道がふさがれていた。
横の建物が完全に崩れていた。見渡す限り、どこもかしこもそんな有様だった。原型をとどめているように見える建物も炎が吹きあがっていたり、裏から見ればボロボロだったりと、街はひどい有様だった。
瓦礫の向こう側の気配を感じた青年が怒鳴る。条件反射のように少女は呪文を唱え始めた。先を走っていた青年は大剣を鞘に戻すと数歩戻り、少女を抱えあげる。
少女は悲鳴を上げそうになるも耐えて、呪文を完成させた。
「………光よ、我らを守れ、守護盾っ!」
「目を閉じててもいいから、そのまま何があっても維持してろ!! 破られそうだったら重ね掛けでも何でもして、ひたすら耐えてろっ!!」
少女が頷く間も無く。
青年は少女を肩に担ぐようにして抱き上げたまま助走をつけると、一気に瓦礫を飛び越した。
飛び越した先、何頭もの黒い狼のような魔物が、獲物を見つけ一斉に駆け寄ってくる。
青年は少女を抱えたまま身体強化の術を使うと、一気にその中を走っていく。
二人に噛み付こうと、引き裂こうと、飛び掛かってきた魔物は、少女が展開した守護盾に阻まれて、ぎゃんと鳴きながら跳ね返された。
術の反動で体が揺さぶられる。泣きそうになりながら少女は呪文を唱え続ける。
何枚も展開しては火花のような光を散らして破られていく守護盾。
青年は、走る速度をけして緩めず、そのまま学舎への道を、少女を守って走り切った。
学園街ヴェルデアリア襲撃の一報が王都に伝わったのは、それから五日後。
魔族の国との開戦から、およそ一年が経っていた。
被害は、甚大。
戦乱期全体でみても、最多に近い犠牲者が出ていた。
その一因は、ヴェルデアリアの住人の半分以上がまだ幼い子どもだったことにあろう。
子どもたちを一人でも多く守ろうとした結果、教員たちをはじめそこに居た大人たちも退路を失った。防戦に徹するしか選択肢がなかったことが、更に犠牲者を増やした。
一番初めに襲撃を受けたのが街の門周辺であったことも災いした。
外へと逃れられたのは、王都へ知らせた者も含め、数えられるほどしかいなかった。
奪還のため王都より派遣された援軍が現地に到着したのは、そこから更に数日が過ぎてからだった。
ヴェルデアリアに唯一あった聖騎士の養成校は、戦火の中で最後の砦として子どもたちを匿い、ただ一つ援軍が来るまで堕ちなかった場所だった。
救助されたのは、僅か四十人ほど。
そのほとんどは子どもで、養成校の周りには子どもたちを守ろうと無残な姿になった大人たちが、壁となり最後はその骸で子どもたちを守っていた。
王国の英知を集め、日々勉学や訓練に励む子どもたちで賑わい、希望にあふれていた街は。
その住民の一割にも遠く届かぬ人数を残して、壊滅した。
第五話開幕であります。
迷った結果、初っ端は若かりし頃の戦闘シーンからの開始となりました。
今回は懐古シーンが多めになるかもしれません。
では、この先もお付き合いのほど、どうぞよろしくお願いいたします。




