懐かしい手
姉妹のおねえちゃん、エマ視点の一コマです。
熱が出た。とても気を付けていたのに。
昨日の夕方ぐらいから、なんだかおかしいなぁと思ったけれど、今朝になったら動けなかった。
頭が痛い。体がだるい。体が火照っていて、見えている世界が揺れている。多分、涙目になっているんだと思う。
「おねえちゃん、だいじょうぶ?」
横で寝ていたリチェが、私の様子に気が付いたらしく小さな手でペタペタほっぺを触ってきた。
いつもならぬくぬくと温かく感じるリチェの手が冷たく感じる。はふぅと息を吐きだしたら、体の中の熱が少し出ていった気がした。
「……リチェ、ごめん、グレンダさん呼んで……」
「わかった!」
元気に言って走っていく、その声も足音も頭に響いて、私はベッドの中で縮こまる。うぅぅと唸り声を出してみたけど、あんまり楽にならなかった。大人しくしとこう。
扉の向こうの方で、リチェの「おばちゃっ!!」と呼ぶ高い声や、聞き取れないけどグレンダさんの落ち着いた声が少し聞こえて足音が近づいてきた。
「エマ、大丈夫かい?」
「だいじょうぶかい?」
グレンダさんのマネをしてついてこようとしたリチェを、グレンダさんが押し戻し、一度二人で扉の向こうに戻ってリチェにしばらく離れているように言い聞かせ始めた。
そうか、風邪だったらリチェにうつしてしまう。そんなことも思いつかなかった。恥ずかしい。おねえちゃん失格だ。
やがてグレンダさん一人が戻ってきて、私のおでこに手を当てる。
「あぁ、随分と熱が出てるね。んー、汗はまだかいてないか、喉が痛いとかはあるかい?」
「……あたま、いたい」
「これだけ熱出てたらそうだろうねぇ。今日は一日休んでいるといいよ、後で何かお腹に優しいものもってきてあげるからね」
「はい……ごめんなさい……」
「何を謝ってるの。調子悪い時は誰だって休んでいいんだよ」
「……」
前髪の下に差し入れていた手をするり抜いて、グレンダさんはその髪を直すように何度か私を撫でた。
「寝られそうなら寝ちゃいなさいな」
撫でる手や声が優しかったから、私はまた少し申し訳ない気分になる。
ここに私は食堂の料理人見習いになるために来たのに。妹のリチェの世話だって私がしなきゃなのに。こんな寝込んでいたら料理のお手伝いができないどころか、迷惑までかけてしまっている。
ごめんなさい、ってもう一度言ったら、はいはい、って受け流された。
本当に、ごめんなさい……。
少し眠っていたようだった。
少しだけ頭が痛いのがマシになっているけれど、まだ痛い。顔や首、胸のあたりがじっとり湿っている。随分と寝汗をかいたみたいだ。
ぼーっとした感覚のまま私は体を起こした。くらくらする。でも、着替えたい。
ベッドから立ち上がってチェストから洗濯済みの寝巻を出した。少し考えて下着も替えることにする。汗でびっちょりしてて気持ちが悪い。絞れそう。もしかして、布団も、かな。干した方がいいだろうか。
ごそごそと着替えていたら唐突に扉が開いた。思わずびくっと体が震える。手に持ったこれから着るつもりだった寝巻を胸に抱いて慌てて振り返る。
そんな私の動作にびっくりしたような顔でグレンダさんが立っていた。手には木製のお盆。
「……あぁ、起きてたのかい。ごめん、驚かせたね」
一応ノックはしたのだけど、と。どうやら私は聞き落としてしまったみたいだ。
私はぶんぶんと首を横に振る。グレンダさんは悪くない。
私の様子を見て取った彼女はお盆を小さな机の上において、口の中で小さく呪文を唱えた。
窓も開けていないのに、ふわっと風が吹いた。毎日空気の入れ替えはしているから酷く淀んでいたわけではないはずなのに、なんだか少し清々しくなった感じだ。
「良かったら体を拭くかい?」
「……ううん」
「それじゃ、代わりに清めの魔法をしようね」
そこまで手を煩わせるのは申し訳なくて断ったら、代わりを提案された。断る間もなくグレンダさんはもう一度呪文を唱える。普段の生活でもよく聞く呪文だ。先に下着は替えていたのに、それでも少しじっとりしていた感じが、さらっと心地よいものになった。思わず、ふぅとため息をついてしまった。
「それ、着てしまいなさいな。さっきまで着ていたのは洗っておくからね」
「すみません……」
「だから、謝らなくていいんだよ。エマに元気になって欲しいだけさ」
ついまた謝ったら、笑われた。
それからグレンダさんは私が寝ていたベッドの方にいけば、また魔法を一つ。着替え終わった私にベッドに上がるよう促して、枕が腰にあたるように調整する。まだ横にならずに座っていなさいってことだと思う。
魔法をかけてもらった布団は、寝汗で湿っていたさっきまでと違って、ふんわりと柔らかく乾いていて快適だった。
「……少しだけでも食べようか。まずは水分を摂らなきゃね」
「……すみませ」
「こういう時は、ありがとう、でいいんだよ」
ベッドの横にお盆を持ってきた彼女は私の言葉を遮ると、仕方ない子だねと笑った。
まずは飲めるだけ飲みなさい、とコップを渡される。口を付けると少しだけレモンの香りがした。ほんのり甘いような気がする。美味しくて気が付いたら一気に飲み干していた。
その様子を見ていたグレンダさんが満足そうに微笑む。「もう一杯いる?」と訊かれたのに反射的に頷いていた。水差しから注いでくれたおかわりを、今度は少しずつ飲む。
「たくさん汗をかいたから喉が渇いていたんだね。……それじゃ、少し食べようか」
私にコップを持たせたまま、グレンダさんはそういうと私の横に腰かけてお盆のお皿を持ち上げると、スプーンを手に取った。まだ湯気の出ているお皿から白いものを掬うと、少し息を吹きかけて冷まし……。
「あーん」
スプーンを差し出されて私は少し恥ずかしくなる。困って彼女を見れば、どうした?と目で問われた。目を閉じて口を開ければ、熱すぎず、かといって冷めてもいないちょうどの温度が口に入ってきた。こっちもほんのり甘い。柔らかく煮たポリッジだ。多分蜂蜜入り。
もごもごと少しだけ噛んで飲み込む。ゆっくりと熱が喉を通ってお腹に落ちていく。
「自分で! 食べたい! ……です……」
私が飲み込むのを見てから次の一口を、と用意し始めていたグレンダさんに慌てて言った。
その勢いがおかしかったのか、そう、と笑って私からコップを受け取ると、代わりにお皿とスプーンを渡してくれた。これはこれでかなり恥ずかしい。私は俯く。
俯いたまま食べるポリッジは暖かくて、少し懐かしい感じがした。私は少しずつ口に運んで……グレンダさんは何も言わずにそれをのんびり見守っていてくれた。
「……リチェは、どうしてますか?」
半分ぐらい食べたところで訊いてみた。全然食欲はなかったように思うけど自分では思ったより食べられたような気がする。私がスプーンを置いたのを見て、「おなかいっぱい?」と訊いてきたのでこくりと頷く。
「下でいい子に遊んでいるよ。今日は雨降りだからトゥーレたちも来ていてね。……少し騒がしかったらごめんね」
「ううん」
言われるまで気が付かなかった。耳を澄ますと確かにリチェや他の子たちの声が小さく聞こえる。孤児院に居た時に聞いていたのに似た、楽しそうなさざめき。うるさいって感じはしなくて、……なんとなくホッとする。
妹のことが分かって安心したからか、それともお腹がいっぱいになったからか、ふわぁと欠伸が出た。
グレンダさんはうんうんと頷いて色々乗ったお盆を一度テーブルに戻すと、枕の位置を直してくれた。私は素直に横になる。優しく上掛けをかけてくれた。
「レモン水は机に置いておくからね。飲みたくなったら少しずつ飲むといい。……何かして欲しいことがあったら遠慮なく呼ぶんだよ。すぐに来るからね」
水差しとコップをテーブルにおいて、ポリッジのお皿だけお盆に持って立ち去ろうとするグレンダさんを布団で見送ろうとして……。
気が付いたら、彼女のエプロンを掴んでいた。
「ん?」
「あっ」
くいと引かれて目を丸くした彼女を見て、私は慌てて手を離す。
なんでもないと首を横に振れば、いいんだよ、とグレンダさんが微笑んだ。
お盆を机に戻すと、ベッドの横に腰かける。困って見上げた私の頭をゆっくりゆっくり撫で始めた。
「寝付くまで居るから、おやすみ」
「……ごめんなさい。」
「こういう時は、ごめんじゃなくて、ありがとうでいいんだよ」
さっきと同じ言葉が返ってきた。
撫でる手が優しくて、私はほんの少しだけその手に顔を摺り寄せた。
毎日料理をたくさんする手は、少しカサカサしていて柔らかく温かくて……母さんを思い出した。
「……グレンダさん」
「ん?」
「……ありがとう」
「うん。どういたしまして」
私は目を瞑る。
眠くなってきたのと、やっぱり少し恥ずかしいのと。
そして、懐かしくて少し泣きたくなったのと。
翌朝、私の熱はしっかり下がった。
あんなにだるかった体も元通り。
朝、見に来たグレンダさんが大丈夫と判断して、それから勢いよくリチェが部屋に走りこんできた。
「おねえちゃん、よかった!」
「うん。リチェ、ごめ……ありがとう」
私は言いかけた言葉を慌てて直す。よく分からなくてきょとんとしたリチェをぎゅーと抱きしめた。
ありがちエピソードだけど、必要な一シーンかな、と。(笑)




