子どもたちのみるもの28
その日の夜、イリアスが訪ねてきた。
珍しく今夜はうちに泊めろと言うので、私の部屋で過ごしてもらうことになった。
以前は予備部屋に泊って貰っていたけれど、そこは今、エマとリチェの部屋だからね。
私のベッドは大きくないけれど、一晩ぐらいなら女性二人で寝ても大丈夫だろう。
「明日、旅立つよ」
「えぇ。言ってたものね。森に一度帰ってくるんだっけ?」
「うん、ちょっと爺様に訊きたいことがあるからね」
日記を書き終わった私に、ベッドの上で胡坐をかいていたイリアスが言う。
今日は食堂を少し早めに閉めさせてもらい、いつもより早い時間だけど私の部屋で二人とも部屋着でのんびりだ。少し前にお風呂も済ませたから後は寝るだけ。気楽で良い。
「そう言えば、イリアスのお爺様って、いくつぐらいなの?」
「んー、いくつだろうなぁ。グラーシア建国前から生きているのだけは確かだけども」
「……それ、神話の時代とかなんじゃ」
「うん、だからちょっと会ってこようかな、と」
エルフは長寿。それは知っているけれど、そこまで長生きしているとは流石に思わなかった。
イリアスが言う爺様は、すでに人の姿を保ってなくて、やはりいつから生えているのか分からないような老樹と同化しているのだと前に聞いたことがある。
あまりに長い時間を生きたせいで時間の感覚が私たちとは違ってしまっていて、会話するのにも苦労するらしい。
「グレンダ、背中を見せてもらってもいい?」
こいこいと手招きされて、私は椅子から立つとベッドの方へと行く。
イリアスが泊まると言ってきた時に予想はついていたから、その言葉に素直に従った。
ベッドの縁に腰かけ、部屋着にしているワンピースの前のボタンを外し、するりと後ろに落とす。中に来ていた薄いシャツも脱げば背中が露わになった。
イリアスはそんな私に寄ってきて、手を伸ばす。
背骨に沿って、そこにある樹に、ゆっくりと指を沿わせていく。
「……自覚症状は?」
「……んー、少し疲れやすくなった気がするけど、歳の所為じゃないかと思ってるよ。」
問われて、少し考えてから背を向けたまま答える。
背にある樹が関係あるかは分からないけれど、ヴェルデアリアの遠征以降、少しだが体力が落ちたように思う。寝て起きれば回復するレベルだからあまり気には止めていなかった。姉妹を引き取ったことでのバタバタもあったし、人生の諸先輩方が言うには四十を過ぎると体力は落ちるものらしいから、そんなものだと思っていた。
「まだ子どもみたいな歳なのに」
「エルフのイリアスから見たらそうかもだけど、人間としてはもう結構な歳だからねぇ」
「……魔法は?」
「ん? 普通に使えるよ。このところ生活魔法ぐらいしか使ってはいないけども」
「そう」
先日神樹の森にいったりはしたけれど、あそこでは魔法を使っていない。村で神聖魔法を使うことも稀だ。例外はミリムさんの腰の手当てや、子どもたちが遊んでいて怪我をした時ぐらい。それ以外は普段の生活で使う明かりの魔法や家事に使う火や水の魔法ぐらいなものだ。
イリアスは私の背に這わせていた指を離す。
もう服を着ていいよ、と言われたので私は脱いだシャツを再び身に着ける。
「グレンダ。いい、大事なことを言うよ」
「うん?」
ワンピースに袖を通しボタンを一つずつとめながら、私は振り返る。
いつになく真面目な顔をしたエルフがそこにいた。
姉妹を引き取ると話した時にも、こんな顔をしていたように思う。
「もし、この先、魔法を使うのに違和感を覚えたり、使った後に倒れたりしたら、その後は魔法を使ってはダメだからね」
「え……?」
「どんな小さな魔法でも、星送りの明かりみたいな日常の魔法も全て。そうなったら全部誰かに代わりにやってもらって」
「……」
「そういう意味では、いい時期にあの子たちを引き取ったのかもだね。料理や生活に使ってる魔法をエマに替わって貰える」
イリアスの言っている言葉が意味することに、私は口を噤む。
一番上までボタンをしめてしまえば、座る姿勢を変えて彼女に向き合った。
イリアスは真直ぐに私を見ていた。いつもとは違う、真面目でなんだか泣きそうな目で。
「冬には絶対戻ってくるから。今、言ったこと、約束して」
「……イリー」
「約束、して」
「……分かった。約束する」
世にも珍しいお節介焼きのエルフは、畳みかけるように言って私に約束させると、少し腰を浮かして両手をのばし、私を抱きしめた。
私も、その華奢な体をそうっと抱きしめる。
私たちは長いこと、無言で抱き合っていた。




