灰色の時間
「先生……! 教えてください……っ!!!」
小さな教室に、少女の悲痛な声が響いた。
その部屋の主である教官に、少女は縋る。
以前、治癒についての指導を行ってくれた教官だった。
今、もし自分に答えられる者がいるとしたら、その教官しかいないと思ったのだ。
故郷がなくなってしまったと教えられて、数時間後。
事実を受け入れきれなくて倒れた少女は、目を覚ますと同時に、神聖魔法の教官室へと走った。
寝かされていたそのままの、寝乱れたワンピース姿だった。
冬だというのに華奢な肩が剥き出しになっている。長い髪も全く整えられていない。
まさになりふり構わず、だった。
「私には、他の人とは桁違いの守護があるって聞いています……! 普通ならできないことも、出来るかもしれないって……っ! だから、だから……っ」
「――――、落ち着きなさい」
「そんな力があるなら、今、使わなきゃ! 先生、どうか!」
「――――」
「私にかかる負荷なんてどうでもいいんです! 私なんて死んでもいいから、だからっ」
「落ち着きなさいっ!」
縋りつかれた教官が、少女の両肩を掴んで引き離す。
無理矢理引き離された少女は、びくっと体を震わせて縮こまった。
大きく見開いた目だけは、ずっと縋る視線を向けたままで、固まった。
「――――。気持ちは、わかります。」
「……ならっ」
「でもね。無理です」
少女の肩を掴んだまま、教官はゆるゆると首を横に振る。
「無理なのです」
「む、り……?」
「えぇ……」
そう繰り返した教官もまた、悲痛な表情を浮かべていた。
少女の故郷、山間の街が壊滅したという情報が入ってきたのは、半日前のこと。
現地の状況確認や近隣の捜索、そして、鎮魂のために神殿からも何人も派遣することが決まった。教官自身も、現地に派遣されるうちの一人だ。
必要な道具などを揃えるために教官室を兼ねている小さな教室にいたところに、少女が飛び込んできたのだ。
「――――っ!!!」
沈黙に、空気が重くなる。
その沈黙を破って、もう一度扉が開いた。怒号のように少女の名前を叫びながら、候補生の一人が走りこんできた。
少年というにはもう大人に近い体格にまで育っている。背は高く伸び、訓練で鍛え抜かれた体にはしっかり筋肉がついていて、逞しい。候補生の中でも特に体格に恵まれ、しかし、それに驕ることなく鍛錬を続けた青年。時々後輩の指導をしにくる現役聖騎士すらも、数度に一度は負かしてみせる。そんな期待の聖騎士候補生だ。
普段はいつもどこか余裕を感じさせる彼も、今日ばかりは真剣な顔をしていた。
「……――教官、すみません。自分が目を放していました」
少女の姿を見つけると、青年はまずは教官に謝りを入れた。
その様子に教官は頭を横に振る。華奢で小さな少女を青年にそっと返すよう押し出すと、青年は持ってきた厚手のストールで少女を包んだ。そのまま守るように背後から抱きしめる。
「無理、って…………」
青年に抱き留められたまま、少女は訊く。
まるで、問うているのに、答えを拒絶しているかのような声色だった。
「……えぇ。死んでしまった者を蘇らせる魔法は、ありません」
「……」
「ことが起きる前に時を戻すことも、出来ません」
「で、でも……」
「いいですか、――――。人の魂は失われたら二度と戻せません。時を弄ることも我々には出来ません」
「……」
「……それは、人には許されていない領域です」
ふるり、と、一度。
そして、何度も。
何度も、少女は頭を横に振る。
「あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」
全てを拒絶するように己の髪を強く掴み、何度も、何度も、壊れたおもちゃの様に首を横に振り続ける。
堪え切れずに喉からは言葉にならない嗚咽が零れ、ぼたぼたと大粒の涙が床に落ちた。
「――――!」
気配を察して、青年が慌てて少女の顔をその手で覆う。
がっと鈍い音がして血が流れた。
青年は、その痛みにほんのわずかに顔を顰めただけで耐えた。
青年がそうしなかったなら、少女は己の手で顔をかきむしり、目も傷めてしまっただろう。
後ろからきつく抱きしめたまま、青年は何本も髪を引き抜いてしまっている少女の手を逆の手で押さえる。
教官が呪文を唱える。
「揺蕩う歌よ、静かに響け、この者に束の間の休息を」
「あぁぁぁぁぁ……」
その魔法を受けて、少女の体から力が抜けた。
だるんと、立つ力を失った華奢な体を、青年が慌てて抱き支える。
「……眠らせました。手を。治しましょう」
片手で少女を支えたまま、青年は血のにじむ手を出す。
この力で少女が自分自身を痛めつけていたらと思うとぞっとした。
教官の魔法で、己のえぐれた皮膚が盛り上がり元に戻っていく様子を、青年は静かに眺めていた。
「先生」
ぽつ、と、呼ぶ。
治癒の魔法を終えて顔を上げた教官に、青年は無表情にも見える顔で問う。
「……本当に、生き返らせる魔法はないんですね?」
「えぇ。残念ながら。少なくとも現代には言い伝えすら残っていません」
「そうか」
わかった、と、簡素な返事を返して、青年は意識を失った少女を抱き上げる。
白い手編みのストールでその肩を覆ってやり、大事そうに自分の腕の中に収めた。
「――――は、俺らで見ています。先生は行くんだろ? 気を付けて。」
「ありがとう。こちらのこと、よろしくお願いします。」
抱きかかえた少女の頬を涙が流れ落ち、触れたストールを静かに濡らしていた。
本epより第四話目となります。
初っ端から暗い懐古シーンですみません。次epからは村の様子に戻ります。
第四話目もどうぞよろしくお願いいたします。




