まぼろしの聖女(後)
久しぶりに、浄化任務の話がきた。
旧ヴェルデアリアに、特大レベルの魔素溜まりが発見されたのだという。
神殿への依頼内容は、浄化の補佐。
浄化そのものではないことに一度首を傾げ、詳細を見て私は志願することにした。
ずっとただ見ているだけだった彼女を、助ける立場になれる。
いつも扉の向こうへ送り出すことしかできなかった歯がゆさは、いつしか憧憬へと変わっていた。
「内容をしっかり読み、誓いを立ててくれ」
同僚のジークハルトと二人呼び出された場で、今回の指揮官を務めるリドルフィ氏から告げられた。
リドルフィ氏は神殿内でも有名な人だ。
最後の聖騎士。
それが、彼のもつ肩書。
十人居た聖騎士のうち、戦乱期とその後の混沌の時間で、九人が亡くなった。
聖騎士候補を育てていたヴェルデアリアの養成校も、もうない。文字通り、最後の一人の聖騎士。
普段は非常にラフな格好をしていて、とても聖騎士になど見えはしない。初めて認識した時には冗談かと思ったものだ。
しかし、有事にはこの上なく頼りになり、先頭に立って人々を束ね、どんな相手にも怯まず立ち向かう、そんな騎士のイメージをそのまま具現化したような人。
冒険者ギルドの一室で、山賊顔負けの風貌の彼に、紙面でよこされた誓約書。
内容は、任務中に何が起きても聖女を守ることが第一優先であること、浄化中および戦闘中に聖女に関して見聞きしたこと、体験したことに対する守秘義務、その他、諸々。
最後の方にいくつか申し訳程度に違う内容もあったが、ほとんどは聖女に関わるものばかりだ。
私は、つい苦笑する。
先日、神殿の幹部たちを相手にブチ切れていた彼を見ていたからだ。
冒険者が見つけたヴェルデアリアの魔素溜まり。その規模は、過去最大級。
神殿の上層部は、過去に何があったのかは不明だが、聖女に対し厳しい。
浄化を聖女に行わせるにあたり司祭を最低でも二人よこせというリドルフィ氏の要求に、聖女がいるなら司祭は不要だろうと突っぱねた神殿側。彼は、即座に単身で乗り込んできた。
散々ごねた神殿幹部たちを一喝して、司祭が必要な他案件があるなら俺が速攻で片付けると豪語。彼の古馴染みだという魔導士団長と共に、本当に神殿に司祭派遣の依頼が来ていた大型魔物三体の討伐を、たった四日間で終わらせてしまった。
「リド……さん、こんなのを用意しなくても、ぜーんぶ承知してますって」
横で、ジークハルトが言う。
微妙にさん付けの呼び方が慣れないらしく、微妙な間が空きつつも苦笑顔だった。
彼は先日の彼の討伐劇に参加していたからか、リドルフィ氏相手の口調が砕けている。それだけ濃い時間を一緒に過ごしたということなのかもしれない。
私自身はそこまでの関係は築けていないけれど、でも、なんとなくわかる。
多分、この人も守りたいだけなのだ。大切なものを。
「グレンダっ!!!!!」
背後からの、絶叫とも呼ぶような声に、びく、と体が揺れた。
浄化の光は、まだ収束していない。
聖光はけして目を射るものではないと知っているけれど、それでも圧を感じるほどの光の奔流に司祭の自分ですら反射的に目を瞑ってしまっていたのに。
横を、その圧に逆らうようにして、風が駆け抜けていく。
光が収まった時。
目に入ったのは崩れ落ちている聖女と、膝をつきそれを抱き留めている彼女の騎士。
慌てて聖典を腰の鞄に押し込み、自分もそちらへと走る。
ほぼ同時にジークハルトの他、皆が事態に気が付き動き出す。
しっかりと神聖魔法の使い手として修行し、それなりに体力もある男の自分でも、彼女よりずっと手前までしか立ち入ることはできなかった。
その場所ですら感じた本能的な、恐怖。足が震え、背筋に冷や汗が流れ落ちる。どんなに抗おうとしても、体が拒絶してそれ以上一歩たりとも前に進むことは出来なかった。
そんな自分たちは近づくことすらできない魔素溜まりの奥まで、一人で挑み、浄化を行った女性。
人は本来踏み入ってはいけない場所へ、ただ一人、立ち向かう役割を背負った人。
「……っ!!」
ほんの一瞬だけ私より先に彼女を確認したジークハルトが、立ち竦んだ。救いを求めるように私を見る。私は慌てて前へと回り込む。リドルフィ氏が皆に背を向ける位置で抱きかかえていたから、そうしないと見えなかったのだ。
そうして、その姿に、目を見開くことになった。
見える範囲だけでも、切り裂きが数えきれないほどにできた法衣。
ぼろぼろのそれが崩壊しないように、そして皆に彼女の有様を見せぬようにと、聖騎士のマントが彼女を包んでいた。
法衣から出ていた手先や顔などは血まみれで、肌に無数の裂傷が出来ている。どれも浅く致命傷ではないようだがとにかく数が多い。慣れぬ者なら見ただけでトラウマになりかねないほどの姿だ。
「グレンダ! グレンダっ!!」
いつも自信たっぷりでどっしり構えている男の声に、悲愴が滲む。
名を呼ばれて意識を戻したのか、聖女がうっすらと目を開けた。
「……ごめん、ちょっと張り切り過ぎた」
さっきまで聞いていた歌声と同一人物とは思えぬほどの、掠れた声。
喉の中も切れているのだろう、苦しそうに何度か喘ぎ、咳込む。
「……浄化、は?」
「無事完了しました。大丈夫です」
「良かった」
「耐え過ぎだ……っ! 二回に分けていいって言っただろうが!!」
そんな有様なのに、問うのは務めを果たせたかどうかなのか。
私は出来るだけ声が揺れないように腹に力を籠めて告げた。
そうすると彼女はふわりと笑った。笑った顔を見て聖騎士が堪えるような声で言う。
あぁ、そうか。私は、理解した。
己の身を顧みずに耐え、人のために在ろうとする彼女だから、彼は己を盾としてその存在を隠し守ることを選んだのだ。
「お説教三時間コースだね。二時間分リドで、残り一時間は私だよ」
後ろからやってきたらしい、エルフが口調だけは淡々と言う。
元来、その長寿故に人に深入りしないことで有名な種族なのに、説教などと言うあたり、どれほど彼女を特別に思っているのかが分かった。
そのイリアス嬢から、ちらりと視線を向けられた。責めるようなそんな視線。我に返る。
「とりあえず、応急処置をしますよ。無茶し過ぎです」
「……え?」
「自分がどうなってるのか見てみろ」
私は司祭。それもジークハルトとは違い、人の支援を得意とする神聖魔法の使い手だ。
その私が彼女を治癒しなくてどうする。そのためにここに私は居るのだ。
聖典を出し、今なお血を流し続けているその手を取る。
どうか己が使命を果たせますように。
この人を支えるだけの力が、自分にありますように。
私は、初めて、そう願った。
幸い、私の治癒能力で彼女の傷は回復することが出来た。
しかし、あの浄化で彼女が負ったダメージは、治癒魔法で癒せる傷だけではない。体力や精神力、言ってみれば命を削りながらの術。
傷はなくなり血は拭われ、法衣も直されたのに、戦いの前に比べるとひどく小さく儚くなってしまったように見えた。
自分で歩くと主張しても聞いて貰えず、聖騎士に抱き守られている己を恥じている様子を、自分を含め皆、静かに見守っている。
彼女は、なんとしてでも守らなければならない存在。
そう知ってしまったから。
翌日、私たちは彼らより先に王都へ帰ることになった。
「世話を掛けたね。ありがとう」
「いえ。こちらこそ。お世話になりました」
そう笑う彼女に、私はダメ押しでもう一度治癒魔法をかける。その手応えで、もう本当に傷が残っていないのを確認した。その様子を見ていた彼女の保護者が笑っていた。
……多分、過去にも私と同じようなことをした人がいたのだろう。誰も言わなかったけれどそう思った。
「まだ一つ浄化が残っていますが、絶対無理してはダメですよ。なんだったらやらずに帰ってきてください。私たちがやりますから」
「……大丈夫だよ。どうせ小さいのでしょう? 少し休んでから行くしさ。それより王都の方もなんか忙しそうだからそっちこそ無理しないのよ」
以前、魔素溜まりの浄化なんて、聖女がいるならその人にやらせればいい、と考えていたこともあった。絶対的な守護を得た、自分とは違う存在。なぜ自分たちのような普通の司祭にやらせ、聖女は働かないのかと。
この数日の間で、そんな考え方はどこかに消えてしまった。
誰も辿りつけぬそこで、一人立ち向かっていく、あの背中を見てしまったら、そんなことは言えない。
見送り、手を振ってくれる姿に、振り返りながら私は祈る。
どうか彼らがいつか、戦わなくても良くなる時がくるようにと。
戦乱期は、終わった。
その後の混沌の時間も、終わったように見えていた。
でも。
……本当は、まだ、何も終わっていないのかもしれない。
そんなわけで、オマケシーン、前後編でした。
長丁場だった第三話。これにて完結です。お付き合いのほど、本当にありがとうございました。
次からは第四話に入ります。
気が付いたら私自身も今更気が付いた伏線がちらほら。なのに全く回収できなさそうな第四話です。(汗)
舞台はやっと村にもどります。おばちゃん、料理たくさんできるといいのだけども。
この先もよろしくお願いいたします。




