司祭の務め35
「ほら、グレンダ、海老さんだよー、あーん!」
口元にスプーンが差し出される。
トマト風味のリゾットには、スプーンを持っているエルフが言う通りに、海老の小さく切った物ものっていた。
しっかり、ふーふーと吹いて冷ましてから差し出されたそれに、私は口を開ける。
美味しいけれど、子供じゃないんだから自分で食べたい。
大丈夫だから自分で食べさせてちょうだいと何度も主張したけれど、イリアスは頑として譲らなかった。
曰く、これはお説教の代わり、なんだそうな……。
「美味しいね! まだあるよ、お皿が空になるまで全部食べようね」
「……あの、イリー?」
「グレンダのお願いはさっき聞いてあげたからね。これ以上はダメ。食べ終わるまで、なーんも聞かないよ! ほら、次、口あけて!」
こうなると親友は梃子でも動かない。
私は諦めて、また口を開ける。
やけくそのような口調のイリアスだがやることは丁寧だ。
こちらが口を開けたのを確認し、食べやすいところまでスプーンを差し出して、しっかりこちらが受け取ったのを見てからスプーンを引っ込める。
皿のリゾットはまだ湯気を上げているが、口に運ばれる時には冷めてもいないし熱過ぎてもいない、優しい温度になっている。
美味しいと思える状態で出してくれる。
ちなみに、食べさせられているのは、宿の食堂で店主が作ってくれたトマト風味のシーフードリゾットだ。病人食扱いされているが、ごく当たり前のように魚介の風味が出ていて普段でも食べたくなるような一品。残念なのは、持ってこられた時には大きなエビや貝柱、野菜などが、ごろんと丸ごと入っていたのに、今は全てイリアスの手により細かく切られていること。そのままかぶりついてみたかった……。
次だよ、と、またスプーンを差し出される。
私はどこか遠い目になりながら、また口を開けるのだった。
浄化と無力化が終わった後。
すぐにでも戻るというリドルフィに頼み込んで、浄化地点より更に奥にある墓地に立ち寄った。
意外にも、その寄り道したいという主張に賛同してくれたのはオーガスタで、こっちが半ばダメ元で願ったのを後押ししてくれた。
もしかしたら昨日下見に来た時の話で、何か思うところでもあったのかもしれない。
リドルフィは渋い顔をしていたけれど、寄り道が許された。
残ったのはヴェルデアリアに所縁があった私、リドルフィ、ライナスの三名と、イリアス、オーガスタ。他のメンバーは先に街に戻した。
ヴェルデアリアが廃墟になる前、神殿の奥、静かな林の中にあったこの地の墓地もまた、崩壊に巻き込まれた影響で原形をとどめていなかった。
辛うじていくつかの墓石や石碑は倒れたりしながらも残っていて、そこが記憶の中の場所と同じところであることを教えてくれた。
綺麗に整えられていた芝生はなくなり、まばらに雑草が生えるだけで黒い土がむき出しになったそこに、元は建物の一部だっただろう、どこかから飛んできた瓦礫がたくさん落ちている。
念のため、察知に優れたオーガスタが先を歩き、ライナスがついていく。
リドルフィはその後をゆったりした歩調で歩き、イリアスはあちこちを覗きながらマイペースについてくる。
私は、例によってリドルフィの片腕の上だ。子供みたいに抱きかかえられている。歩くと言ったのに下ろしてはくれなかった。
今回ばかりは私が悪いって分かっているので、主張したのは一度だけでその後は大人しく運ばれている。
心配させたのは間違いないし、私が倒れるたびに世話を焼いてくれるのもこの人だ。これ以上駄々をこねるなんて出来る訳がない。
それにしても、重くないのだろうかと毎回思うのだけども……考えてみたらリドルフィの扱っている大剣は私が両手でギリギリ持ち上げられるかどうかという代物だ。
それを時には片手で振り回しているのだから、私の基準で重いかどうか考えるだけ無駄なのだろう。少なくとも私は剣のように振り回されるわけではないし、本人が重くないと言うのだから本当に重く感じてないのかもしれない。……でも、少しダイエットはしようかな、なんて思う。
「この辺でいいんじゃない?」
ふらりふらふらと好き勝手歩き回っていたイリアスが、言ったのは墓地の中央辺り。
初めは瓦礫に混ざる墓標に恩師や知人の名を探してみたりもしていたのだが、すっかり風化してしまっていて読み取れないものが多いと早いうちに諦めた。
「そうだね。……リド、立ってるだけだから、下ろしてちょうだい」
頼むと、リドルフィは、確かめるようにこちらの顔を見てから、ゆっくり丁寧な動作で地面に立たせてくれた。
その距離感のまま、背後でこちらの肩と腰に手を回し支えている。
本当に、本当に過保護な人だ。でも、ここまで彼が心配性になってしまったのは、多分私もいけないのだろう。
ライナスとオーガスタも立ち止まってこちらを見ている中、私は法衣の隠しから小袋を出す。
支えられねば立っていられないような有様は、地味に恥ずかしいのだけど、自分が招いてしまったことなのだから仕方ない。
「イリー、これをお願い」
「はーい。どれどれ……」
小袋をそのままエルフに渡せば、彼女はその口を開いて中身を掌に出した。
その掌を目の前に持って行き、ふむふむと何か一人で頷いている。
こちらがその様子を見つめていれば顔を上げ、ふわと綺麗に笑んだ。
手の高さはそのまま、彼女はくるりと私たちに背を向ける。
「さぁ、目を覚まして。根付きなさい、この地に。お日様を浴びて育ちなさい。そしてその可愛い花をたくさん見せておくれ」
話しかけるように、歌うように言えば、ふぅぅと掌に息を吹きかけ、軽い種を辺りに吹き飛ばす。
昔、初めて見た時にはびっくりしたが、イリアスの魔法はいつもこんな感じだ。人間の私たちと違い、何かに語り掛けて力を借りたり促したりする。自然に近いエルフだからこその魔法、だ。
彼女が種を飛ばした先、土の見えていたところが見る見る間に緑色に変わっていく。
濃い黄緑色の葉がわさりと生い茂り始め、それがどんどん広がっていく。
やがて育ったその草の先に可憐な花が花開いた。
真ん中は黄色、花弁は薄い紫色。
別名に星を意味する言葉をもつ花。
イリアスの足元辺りから広がり、墓地の全域まで広がった植物は彼女の願い通りに小さく星に似た花をたくさん付けた。
「……強い子だね。ここでも平気だって。お日様とちょっとの水があれば生きていける。……きっと、ここに毎年咲いてくれるよ」
振り返ったイリアスが笑った。
それに合わせるようにして、吹いた風に小さな花が揺れている。
「ありがとう」
私はそのまま目を閉じ、手を組む。
ここに墓参りに来られるのは、これが最後かもしれない。
そもそも廃墟になってしまったここまで来ることができる人は、あまり多くないのだ。こうしてまた来られただけでも幸運なのだろう。
ここは、想い出の地。
そして、たくさんの恩師や仲間、知人が眠っている地。
私は、静かに魂の鎮魂を願う歌を捧げた。
「ほぉら、最後の一口だよ」
イリアスがスプーンを差し出す。
私が口を開ければ「はい、おしまーい」なんて言いながら食べさせてくれた。
「果物も食べる?」
「ううん、もうお腹いっぱい」
「そう、わかった」
そう言ってお皿にスプーンを戻したイリアスは、私の顔をハンカチで拭いた。……だから、それぐらいは自分でできるって。不満が顔に出ていたのだろう、こちらの様子を見た彼女は、どこかリドルフィに似た仕草で私の頭を乱暴に撫でてから、立ち上がる。
「本当に、さっきの様子を見せてあげたいわ。……光が治まる前にあの子、駆け出してたからね」
「…………」
「あんまり心配ばかりさせると禿げちゃうよ、リド」
内容はあんまりなのに、いつものおどけたような口調ではなくて、返事に困っていたらそのままイリアスは続ける。
私に横になるよう促して、背に宛がっていた枕の場所を戻す。
横になった私にしっかり上掛けを掛けながら見下ろして。
「私、人に興味はあまりないけど」
「うん」
「グレンダとリドの子だったらおしめ替えてあげてもいい、孫抱かせろって、前から言ってたよね?」
「……私とリドはそういう関係じゃないし、それに私ももう四十過ぎだよ」
「はいはい。でも、まだ頑張れば産めるでしょ」
「なんて無茶を…… というか、そういう関係じゃないって」
「だから、自分を粗末に扱うのはダメ」
その、だから、は、どこにかかっているのか、と訊こうとして私は口を噤んだ。
綺麗な顔はいつも通りなのに、真直ぐ見つめているエルフは整い過ぎていて怖いぐらいだった。目が逸らせなくなる。
「……人の命が短いのなんて知ってる。でも、生き急ぐんじゃないの。……いい? グレンダ。あなたはエルフの私、イリアスが友だと認めた人間なの。寿命以外で勝手に死ぬのは許さないわ」
「……ごめん」
いつもふざけてばかりのイリアスが、エルフの、長寿種の傲慢さを隠しもせずに言い切ったのは、それだけ怒っているからだ。
完敗だ。それだけ心配させたのだと分かった。
「分かったならいいや。私もごはん食べてくる。リドと交代するけど寝てていいよ。またね」
「うん。ありがとう」
私が食べ終わった食器を盆にのせて、イリアスは部屋を出ていった。
一人になった部屋で。
私はベッドの中、小さく丸くなって目を閉じる。
目元が熱くなって、何かが流れ落ちそうだったから。
私は何も気づかない振りをして頭の上まで上掛けを引っ張り上げた。




