司祭の務め29
翌朝。
明け方近くに起き出して身支度をし、全員で簡単な朝食をとった後、出発した。
馬は昨日偵察で来た時と同じ場所で降り、結界石を置いて安全地帯を作る。
手筈についてはすでに昨晩のうちに確認がされ、懸念事項などについても話し合いが行われた。
全員がフル装備状態で、いつもの祝福も行った。
現状で出来る準備はすべて終えている。
「よし、それじゃ行こうか」
メンバーの顔を確認するようにゆっくり眺め、リドルフィが言った。
いつもと同じ、気負いのないあっさりした言葉だった。
全員が頷き、歩き始める。
ここは、瓦礫しか残らぬ、死した街。
風化し、後は崩れていくだけの場所。
戦乱期以降、初めてここに訪れた者もいたようで、何人かは眉をひそめている
ヴェルデアリア。
かつて、未来の象徴とも言われた学園街。
明るく希望にあふれ、子供たちの笑い声でいっぱいだった街。
今は、自分たちの足音しかしない。
晴れていて、あの頃と同じように日に照らされているのに、どこか薄暗い。
乾いた風が、瓦礫からさらに風化して崩れた砂を、いずこかへ運び去っていく……。
元は、教室や教官室のあった石造りの建物の、辛うじて残っていた部分。
屋根や、中庭側の壁は吹き飛んでしまっていたけれど、内部の階段と二階の床は半分ほど残っていた。
ちょうど戦場となる中庭と訓練場を見渡すことができるそこに、イーブンと二人で立つ。
逆サイドの、似たような瓦礫の上では、エルノとロドヴィックが足場を確認していた。
あちらの方が風化は激しいので、おそらくロドヴィックの魔法で少し強化などしているはずだ。
見下ろす先、境界線のなくなった中庭と訓練場の境があった辺りに、リドルフィとライナスがいる。
その少し後方に、イリアス、ウルガ、ジークハルトの三人。
姿の見えないオーガスタはその戦い方の特性上、どこか瓦礫の影にでもいるのだろう。
全員が配置についたのを確認し、リドルフィが片手を上げた。
私は両手を合わせ、いつもの呪文を唱える。
「光よ、ここに」
ゆっくりと左右にずらした手に、錫杖が現れる。
続けて、その錫杖を、とん、と床につけた。
記憶の中の教科書を辿り、必要な呪文を見つけ出す。
まだ碌に治癒すら使えなかった頃に教えて貰った、光で絵を描く、魔法。
右手で持った錫杖を真直ぐ前へと向け、詠唱する。
「――……光よ、示せ、我が思うままに!」
しゃら、と、鳴った錫杖を、左右にゆっくり動かす。
それに合わせて昨夜リドルフィたちに話した、中庭と訓練場の境目の更に先、戦闘可能域を示すラインが淡い光になって引かれた。
私は、逆側の瓦礫の上にいるエルノに視線を向ける。
エルノが確認した、という風に大きく頷いて見せてくれた。
次にリドルフィを見れば、ゆっくりとこちらに背を向けるところだった。
背から大剣を抜き、構える。
それに合わせるようにして、同じ最前列にいるライナスが盾を持ち直した。
「よし、イーブン、やれ!」
横で、短い詠唱が始まる。
きりきりと弓を引く音。
低く聞き取れない呪文。
踏みしめられた瓦礫の床が、じゃり、と、立てる悲鳴……。
そして、
ほんの一瞬の、空白。
「―――っ!!」
限界まで引かれた弦が、矢を打ち出す……!
「光よ! 照らせ、全てを……!!」
同時に私も術を完成させた。飛んでいく矢の先に、大きな光の珠が生まれる。
大きな弧を描いて、一部の狂いもなく、魔素溜まりの中心へと向かった矢を核にして。
ほんの数秒、神聖魔法の光が言葉通り全てを照らし出した。
「敵数不明、特大一、中規模七、他、小物多数っ!!」
「オーガスタ!」
唐突な強い光に刺激されて、魔物が動き出す。
矢を放ったイーブンが敵影を数えた。
リドルフィの合図に合わせて、双剣使いが瓦礫の中から一気に私の引いたラインぎりぎりを駆け抜けていく。
段々と弱まっていく光の下、中型の魔物が、オーガスタに引き寄せられるようにしてこちらへと顔を向けた。
まさにエサを今見つけたという風に、ずり、と、人一人軽々とを丸呑みできそうな巨大な蛇が動き出す。
ちろ、と、長く細い舌が踊る。
「訂正、特大一、中型ゼロ、多頭だ!! 七つ繋がってるっ!!!」
「……―――はっ!!」
ヴゥン、と、唸るような音を立て、リドルフィが光を纏った大剣を振るった。
空間を裂いて斬撃が魔物へと向かい、真っ先にオーガスタに反応した頭の左目を斜めに薙いでいく。
その隙にオーガスタが走る速度を速め、前衛二人の間を走り抜けていく。
「戦闘開始っ!!」
「戦の精霊よ、我に力を。あぁぁぁぁぁっ!!!」
ライナスが大きな盾を一度高く掲げ、雄叫びを揚げる。
蛇のヘイトが、オーガスタからライナスへと移った。フル装備で見えないはずのライナスの口元が、にっと上がったのが見えた気がした。
その一瞬後、魔物が一気にライナスとの距離を詰め……ガン!!と、大きな音が響いた。
激突されたライナスが、盾を蛇の上の歯にブチ当てるようにして受け止めている。
エルノが石板を片手に詠唱する。攻撃強化の魔法。
受け止められたことによって一瞬動かなくなったそこに、イリアスがものすごい早さで駆け込んでくる。
エルノの強化魔法を受け、風を纏った細剣が蛇の目を狙い、そのままの勢いで突き刺した。
「シャァァァァァっ!!!」
目を潰された頭が、がっつり噛みつくようにしていたライナスの盾を放し、大きく身をよじる。
その動きに跳ね飛ばされるようにして、イリアスが根元まで刺さっていた細剣を引き抜き、後方に一回転しつつ飛んだ。
速攻で致命傷を与えられた一つ目の頭が、どぉん、と地響きを立てて落ちる。
衝撃がくると予測していたライナスが、その場でずりと後ろに押されつつも耐える。
遅れて獲物を見つけた他の頭が鎌首を揚げ、若干反応が遅れたライナスへ向かおうとした。
リドルフィがその間に割り込み大剣で薙ぎ払う。その勢いのまま首の付け根の方へと走っていく。
そうしている間にも近寄ってきている他の頭には、獣人のウルガが槍を構え突っ込んでいく。
私は、じっとその時を待つ。
錫杖を右手で斜めに構え左手をそこに添え、口の中で呪文を唱えながら、ひたすらに自分の引いたラインを見つめている。
ジークハルトが自己強化の呪文を唱えて走っていく。
わらわらと釣られるように、三メルテほどの黒い蛇が何匹も魔素溜まりから這い出てきていた。
それらをロドヴィックが魔法で焼き払い、オーガスタが走り抜けながら切り刻んでいく。
本体の頭の一つと戦うウルガの背後で、小型の蛇が鎌首を揚げた。その蛇をイーブンが弓で仕留める。
狙っていた本体の頭に噛みつかれるギリギリを交わしたウルガが、体を反らした無理な姿勢のまま、蛇の首を下から突き刺す。
そのまま両足を大蛇の首に絡めるようにしてしがみつき、暴れる蛇に振り回されながら槍を更に奥深くへと食い込ませていく。
「動く」
言葉短く、イーブンがこちらにだけ聞こえる声で言った。
呪文の途中なので私は頷くだけで返事をし、彼が瓦礫を伝って他の高さのある場所へと走っていくのを視界の端に確認する。
イーブンは移動した先で矢を数本まとめて構えると、一気に打ち出した。
だだだっと豪雨のような音が響き、魔素溜まりから出て来ていた小型の蛇に数匹に矢が突き刺さる。
イーブンの矢の強襲で動くものがいなくなったそこを、リドルフィが駆けていく。
光のラインギリギリ、走りながら剣を背の鞘に戻しているのを見て、私は嫌な予感がした。
「うらぁぁぁぁぁっっ!!!」
リドルフィの腕が光に包まれる。
ラインの向こうに残ったままだった巨大な多頭蛇の胴を、がっつりと抱えると、暗がりに残っていた尾を力づくで引き出し、こちら側に投げた。
「グレンダっ!!!」
「光よ、黒きを拒む眩き光よ! かの地に壁を築けっ!!」
唱え続けていた呪文を完結させる。
錫杖を通して魔力を、ずい、と吸われる感覚。
一瞬遅れて、先ほど引いた戦闘域の境界線を示す光のラインが眩く光度を増した。
ラインの向こう側から尚もこちらへ這い進んでいた小型の蛇の何匹かが魔素溜まりへと弾き飛ばされ、何匹かが強い光に焼かれて胴の途中で切断された。
私は術の反動でよろけそうになったのを、錫杖を床に突き立てることで踏みとどまる。
「……なんて無茶を」
錫杖に縋るような姿勢のまま、思わず大蛇の尾を投げた男を見つめる。
再び剣を抜いた男は、こちらの視線に気づいたのか、にやりと笑ってみせた。
小型蛇多数。本体の頭、残り六つ。
悪あがきのような長めの懐古シーン挟んで、やーっと本番開始です。




