⑨ 隣のクラスの川野
教室の後ろのちょっと空いた場所で、俺たちは向かい合う。
礼をし、構える。
この武術は基本『護身術』。
こちらから攻撃するのではなく、相手からの攻撃を受け流すことが肝になる。
ただ組手をする場合、レベルの低い方もしくは後輩から『攻撃』を始める決まりになっている。
早川が目顔で合図をするので、俺は素早く相手へ突きを繰り出す。
早川は軽く身をよじって避けながら腕を取り、俺の突きの力も生かしてふわっと背負い投げ。
むろんそれは想定内の動きだ、俺は相手の『投げ』を全身で上手く受け流しながら、膝のばねを生かして立ち上がり、向き直る。
今度は早川が続けざまに突きを繰り出し、最後に俺の胴へ蹴りを入れる。
俺は相手の突きをガードしながら、最後の痛烈な蹴りを何とかいなす。
ここまでにかかった時間はおそらく、1分経つかどうか。
「すげえ……」
誰かの声が、異様に静かな教室にポツリと落ちた。
その後しばらく、俺たちは組手を続けた。
相手の動きを読み、躱し、攻撃する。
俺たちは二人とも、それだけの行動に特化したある種の機械のような状態になっていたようだ。
無心で動き続けている俺の耳へ、遠くから、のどかなチャイムの音が響いてきた。
昼休み終了の、予鈴だ。
「ストップ!」
さすがに弾んだ息で早川が言う。
俺は動きを止めた。その瞬間、全身からどっと汗が噴き出す。
「……理解できた? アタシも田中くんも、マジで武術やってんの。マジでやってるヒトの邪魔、やめてよね」
息をととのえながらそう言う早川へ、引きつった顔で皆は、コクコクと人形じみた動きでうなずいていた。
パチパチパチパチ。
どこからともなく拍手の音が聞こえてくる。
首をひねって音の出所を探す。
開け放した廊下側の窓から身を乗り出すように、ひょろんとした感じの見知らぬ男子が、目をキラキラさせながら拍手していた。
「スゲー! お前らホントに小学生かよ! 空手か合気道か知らねーけど、いつか世界のてっぺん取れるぞ、きっと!」
このお調子者こそが、後の『姫のお付き②』こと川野 啓。
当時は隣のクラスである五年二組にいた。
ムードメーカーというか、集団の中でうまくやってゆくタイプの男だった。
そんな『クラスの人気者』ポジのくせに、『武術オタク』の変人と認識され始めた俺と早川の近くをそれとなくウロウロし始め……気付くとなんとなく絆され、仲良くなっていた。
これは自分でも不思議だったが、軽薄なムードメーカー風のヤツの仮面は、世間でひっそり(ひっそりというにはいつもにぎやかだったが、それがこの男なりの『ひっそり』なのも、なんとなくわかる)生きてゆくための仮面なんだなと、割と早いうちに気付いたから……かもしれない、俺も早川も。
川野も運動神経のいい奴だった。
ついでに、広い意味で要領のいい奴でもあった。
俺たちが昼休み、黙々と基本の型をさらっているのを時々見に来て、見様見真似である程度、この流派の基礎を体得しやがった。
もちろん早川や俺にはかなわない(所詮、見様見真似の生兵法だからな)が、そこいらにいるバカ相手なら十分、自分の身を守れるし、相手の闘志を折るダメージを与えられる程度の戦闘力を持つようになっていたんだ。
「お前、ズルいな」
俺が恨みがましく言うと、川野は不可解そうに首を傾げた。
「なんで?」
「なんでって。それこそこっちの台詞だ。なんでお前、昼休みにちょちょっとかじっただけで、ソコソコ『使える』ようになるんだよ」
「あー……」
川野は歯切れ悪そうに言う。
「俺、元々格闘技とか武術とか好きで。ソッチ系の動画とか、幼稚園の頃から見てたし真似もしてた。本格的な訓練を生で見たのはお前らの自主トレが初めてだけどよ、基本的な体の動かし方ってのは、多分知らず知らずのうちにわかってたんだと思う」
「それでもズルい! 俺は基本の型が身体に入るまで、結構、苦労したんだぞ!」
言いながら遊び半分でヘッドロックをかけると、川野はギブギブと叫んだ。
そんな風にじゃれ合ってる俺たちを、早川は笑って見ている。
小学生時代の終わり頃は、そんな感じに長閑で幸せだったんだ。