⑧ それからⅢ
それから俺は、早川先生について真面目に鍛錬をした。
以前、昼休みにあいつがどこともなく姿を消し、クラスみんなでのドッジボールに参加しなくて物議をかもした(笑)件があったが(クラスみんなでドッジボール、は、梅雨に入って以来なし崩しになくなった)、あれは、実は武術の自主トレをしていたのだということも知った。
「ヤッちゃんに教えてもらえるのは週一だけじゃん。それじゃちっとも上達しないから、毎日ちょっとずつさらってるんだ。家でも自主トレしてたけど、学校の昼休みって基礎の型をさらうのに、時間的にちょうどいいんだよね」
土曜日、一緒に鍛錬を始めて二回目か三回目の時。
休憩中にそんな話を聞いた。
俺も家では自主トレをしていたが、早川が学校でもやっているとは思わなかった。
「どこで自主トレやってんの?」
俺が訊くと、音楽室や図工室なんかがある棟の裏手だという。
針葉樹が数本、ヒョロヒョロ植わっているだけの陰気くさい場所だ、わざわざ来るような奴などそういないから、ゆっくり自主トレが出来るのだそう。
「ふーん」
そっけない返事をしながら、若干焦るような気分にもなった。
大体俺は、始めた時期がこいつより半年近く遅れているんだ。このままぼうっとしていたら、俺と早川の実力差は開く一方じゃないか。
「俺も一緒に昼の自主トレ、やってもいい?」
「えー?」
早川は目を見張ったが、別に嫌そうではなかった。
ただ、『物好きだなあ』というあきれた目をしていた。
「田中くん……変わってるねえ」
「早川が言うか? ソレ」
俺がツッコミを入れると、あいつは楽しそうにあははと笑った。
最近、こいつはよく笑うようになった。
俺は嬉しい。
どんな早川もきれいだけど、笑ってる早川が一番、きれいでかわいいと思う。
梅雨時ではあったし、毎昼休みではなかったが俺も(気分としてはこっそり)、早川と昼休みの自主トレをするようになった。
それ以外の休み時間、あいつは変わらず自席で本を読んで過ごしている。
話しかけるクラスメートは以前より増えたし、あいつも最低限、相手をしていたが。
『ガキの相手は面倒』という基本姿勢は変わらない。
……俺を含め。
鍛練を始め、しばらく経った。
俺が意外としぶといのに、早川先生は内心、驚いているようだった。
あいつとある程度以上というか、実力伯仲の組手も出来るようになってもきた。
あいつは元々運動神経がいいからか身体の使い方に無駄がなく、型がとても正確だった。
俺も別に運動神経は悪い方ではなかったが、どうも、身体のしなやかさが欠けているようだ。
流れるような動きで相手の攻撃を受け流したり、最小の力で最大の効果をあげるというような、垢抜けた所作をとるのが苦手だった。
苦手なんだと、夏休みに入った頃には自覚するようになっていた。
「この短期間でそこまで自覚できるのは、逆に言うとすごいことなんだけど」
早川先生が苦笑いを含んだ口調で言う。
「田中くんは、たあ子とは違うタイプの才能があるんだよ。基本はパワーで押すんだけど、臨機応変さやすばしこさもある。もっといい先生に就いて本格的に武術を習わないか?」
そんなことを言われたけれど、別に俺は武術を極めたいとまでは思っていない。
今は早川先生に教わっていたいから、と俺は言った。
ぶっちゃけ、本気で習い事をするとなるとどうしても、1ヶ月に1万円以上の金がかかるからな。兄貴に迷惑がかかる。
早川先生なら月に1~2回、ちょっとした菓子折り程度のお礼でみてもらえるというのも大きい。
そこは早川先生も察している。
もったいないな、と、小さくつぶやいたが、彼はそれ以上強くは言ってこなかった。
二学期も終わりになってきた頃。
俺が早川と一緒に昼休み、武術の自主トレをやっていることがクラスメートにばれた。
別に隠していた訳ではなかったが、知られると面倒だなとは思っていたので、何も言わずにいたんだ。
こまっしゃくれたガキどもが、格好のからかいネタを見つけたとばかりにはやし立ててきたが
「何とでも言え。でも俺はマジで、早川の叔父さんから古武術習ってるんだよ」
と、にこりともしないで答えると、連中は半笑いの状態で固まった。
「田中くんは本気でやってるし、アタシも本気で武術を習ってるんだよ」
早川が静かな声でそう言うと、半笑いの連中はぎょっとした。
「ウチの叔父は田舎で師範代やってたこともあるから、人を教えられるだけの実力はあるよ。仕事があるから、教えられるのはアタシと田中くんで精いっぱいだけどね。……田中くん」
早川は、ちょっと剣呑な感じに薄く笑った。
「みんなに組手、見てもらおうよ。本気度が伝わると思うし」