⑦ それからⅡ
週が明け、あいつは登校してきた。
髪をすっきり短くし、背筋を伸ばして現れたあいつに、クラスの皆は目をむく。
常にどよんとした空気をまとい、いつ見てもむすっとしていた気難しい子が、明るい表情でさっそうと現れたのだ。
大袈裟でなく驚愕していた。
特別オシャレな服を着てはいなかったが(服そのものは今までと大して変わらない)、髪を整えて顔を上げただけで、まとう雰囲気が180°変わった。
早川尊子はきれいな子だと、皆、改めて認識した瞬間でもあった。
「田中くん」
あいつは俺を見ると、人慣れし始めた犬の子のような感じでそろっと近付いてきた。
「この間はありがと。ヤッちゃんからコレ預かってきたから……」
紙袋をぶっきら棒に差し出す。
おう、と言って俺は受け取る。何を託ってきたのか大体わかるから、受け取った紙袋ごと、ランドセルにしまう。
汚したりしたら大変だからな。
「田中くん」
隣の席の子が俺に声をかけてきた。
「田中くんって、早川さんと仲良かったの?」
「は? ンな訳ないだろ」
俺はできるだけ無表情な顔で、そっけなく答えた。
「こないだ俺、センセーに頼まれて早川んちにプリント持って行ったじゃん? その時、あいつの叔父さんがたまたま家にいて。話をしているうちになんとなく、その叔父さんが本を貸してくれるってことになったんだよ」
「……ふーん」
わかったようなわからないような顔をするそいつを無視し、俺は、心の中でほくそ笑むと同時に軽く苛立つ。
あいつがきれいだと気付いた瞬間、関わりたがるなんてゲスだ。
今までも今も、早川はきれいなんだ。
そんなこともわからない奴は、あいつのファンにさえなれないんだよ!
あの日。
叔父さんへ『はい、もちろんです』と答えた後。
俺は勧められるままにお茶とお菓子をもらった。
飲み食いしながらぽつぽつ話しているうち、さっきふたりが外で、組手っぽいことをしていたことについての話になった。
「アレはウチの田舎に伝わる、ローカルな古武術ってのか護身術ってのか、そういうのでね」
せんべいをボリボリかじりながら叔父さんは言う。
「尊子の希望で、ちょっと前から教えてるんだ。まあ、自分の身は自分で守れるのに越したことはないからな……」
「それもあるけど」
叔父さんの暗い声を打ち消すように、あいつはちょっとわざとらしいくらい明るく言う。
「単純に、鍛えるのって楽しいし。なんてのかな、無心で動くとスカッとするっていうのか」
叔父さんはやるせなさそうに小さく笑った。
「……あの」
俺はお茶の入った湯呑みを置くと、思い切って言う。
「その古武術、俺にも教えてもらえませんか?」
よほど思いがけなかったのだろう、叔父さんはせんべいを嚙むのをやめて目をむく。
俺は座り直し、きちんと正座して頭を下げた。
「あの。急にこんなこと言いだして、変だと思われると思いますけど。さっきの組手? を見て、面白そうだなって思ったんです」
嘘ではない。
嘘ではないけど、それだけじゃない。
詳しいことはわからない、でも早川が、『自分の身は自分で守れる』必要のある状況だということは、おぼろげに察せられた。
もちろん、早川が今後叔父さんと一緒に暮らせるなら、その辺の心配事は格段に減るだろうけど。
だけど叔父さんだって、ずっと早川のそばに張り付いていられる訳じゃない。
少なくとも学校の行き帰り、ヘナチョコのガキであっても俺が早川に加勢できれば。
あいつが逃げる、時間稼ぎにはなる。
瞬間的にそんな計算をして、俺は言ったんだ。
「田中くん、本気?」
あきれたようにあいつは言うが、俺はできるだけ真面目な顔でうなずく。
口の中のせんべいをお茶で流し込むと、叔父さんは、ちょっと困ったような、でもどこか可笑しそうな顔で苦笑いした。
「……そうか。まあ、やるだけやってみる? 言っとくけど俺は一応、田舎では師範代を務めたことがあるから、田中くんが本気でやるんなら本気で教えるよ。尊子の兄弟弟子として、責任持って真面目に教える。無理そうだと思ったら、そう思った段階でちゃんと伝えてくれ。コッチが無理だと判断した場合もそう言うから、その時は諦めてほしい。……いいかな?」
「はい」
内心ちょっとビビりながら、俺ははっきり、そう答えた。
そんな訳で俺は基本、週末にあいつと一緒に、叔父さん――ケジメとして早川先生と呼ぶことになった――に、古武術を習うことになった。
さっそく翌日の土曜日、近所の公園で待ち合わせ、柔軟体操中心に訓練が始まった。
基本の教本は一冊しかないので、コピーして週明けにでも渡すとその時に言われた。
それがさっき渡された紙袋の中身だ。
(ものすごく、思いがけない形だけど……)
こうして俺の『推し活』は、具体的かつ本格的に始まったんだ。




