⑥ それから
翌日。
眠れなかった割には冴えた状態の頭で、俺は学校へ行く。
あいつとどんな顔して会えばいいのか、ちょっと怯むような気分はあった。が、出来るだけ普通にしていようと決め、味のしない朝飯を詰め込んでいつもより若干早い時間に登校した。
教室で、なんとなくソワソワしながら俺は自席に座っていた。
入口に人影が見える度、吐きそうな緊張が胃に走る。
が……。
俺の緊張は、まったく無意味に終わった。
早川は、その日も次の日も学校へ来なかったから。
担任の言うには、早川は質の悪い風邪をひいて熱がある為、しばらく欠席するだろう、とのこと。
この頃はまだ、世界で猛威をふるった新型コロナウイルスが流行る前。
発熱や風邪っぽい症状に、世間はさほど神経質じゃなかった。
なのに担任がわざわざ『風邪で熱』くらいの理由で数日以上休むのが確定しているっぽくクラスのみんなに話すのは、若干、違和感があった。
でもまあ、時季外れのインフルエンザとかなら一応言うかな? 程度の納得はできる、違和感だったけれど。
あの状況だ、本当にあいつが風邪をひいたんだとしても納得しかない。
しかし数日以上も休むなんて、もしかすると想像以上に病気が重く、入院でもしたのだろうかと思い至り、俺は、大袈裟でなく血の気が引いた。
だからといっても現実問題として、子供の俺には何もできない。
そして担任が言ったように、二日経っても三日経ってもあいつは登校してこなかった。
イライラしたがどうしようもない。
金曜日になり、あいつの家へ課題のプリントだの学校からの連絡だのをまとめた封筒を持ってゆく役を、何故か俺は、担任から頼まれた。
おそらく、担任もある程度以上の事情を知っているのだろう。
住所と簡単な地図の書かれたメモを渡された俺は、終礼が終わるなり学校を飛び出した。
メモを片手に俺は急ぐ。
ようやくメモにある名前の賃貸マンションが見えてきた。
建物のエントランスへ早足で向かう。
と。
「……え?」
エントランス手前の、自転車置き場があるちょっとした空き地。
そこで、空手の組手っぽいことをしている子供とおじさん……いや。
早川と、その叔父さんがいた。
「……あれ? ひょっとして田中くん?」
立ち尽くす俺に気付き、叔父さんが声をかけてきた。
ハッとして姿勢を正し、俺は慌てて会釈する。
こちらに背中を向けていたあいつが、ゆっくり振り向く。
目が合い、俺はハッと息を呑んだ。
あいつはかなり思い切って髪を切っていた。
耳や眉にバサッと鬱陶しくかぶさっていた髪がすっきりと切りそろえられ、いっそ男の子かと思うほどさっぱりと短くなっていた。
早川は俺を見るとちょっと恥ずかしそうに笑い、軽く手を振った。
「よう。担任の先生のおつかい?」
にこにこしながら叔父さんは、俺の方へ歩いてくる。
俺はうなずき、担任から預かった茶封筒を差し出す。
「ハヤカワさん、病気だって先生から聞いてたんですけど」
俺の言葉に、叔父さんはちょっと困ったような感じで笑った。
「あー。軽い熱が出たのはホントなんだよね。田中くんに会った日の夜と次の日は、こいつ寝込んでたんだ。色々あって疲れが出たのと、雨で身体が冷えたせいだろうな」
「もう元気だよ」
早川が言うのへ、俺はちょっと笑ってうなずく。
なにはともあれ、元気なら安心だ。
家へ寄っていけと叔父さんに誘われ迷ったが、叔父さん自身も話したそうなそぶりに見えたので、俺はお邪魔することにした。
そっけないくらい片付いた部屋の、リビングダイニングにあるローテーブルの前に座るように勧められた。
あいつがテキパキと、三人分のお茶とお菓子を用意する。
「この前はお世話になったね」
お茶をすすると叔父さんは言った。
「お兄さんにもよくお礼を言っておいてね。落ち着いたら、改めてそちらへお礼を言いにいきたいと思っているんだけど……」
「あの、えと、あの。き、気にしないで下さい。あの日はたまたまオ…ボク、ハヤカワさんを見かけて。変だなあって思ったから声かけただけで……」
「それでも……いや。それだからこそ、かな? 感謝しているんだよ、田中くんとお兄さんに。お蔭で、最悪の事態は避けられたからね」
(……最悪の事態?)
重い声音に腹の底がヒヤッとするが、詳しく聞くことは憚られた。
「田中くん。アタシ、これからはヤッちゃ……じゃなくて、叔父と暮らせることになったんだ」
あいつは言う。
顔が明るい。
「ウチの母親は恋多きオンナなんだそうだよ。(コラ、と、小声で叔父さんがたしなめるが、あいつは無視している)元々そういう人だからかな、子供の世話とかニガテみたいでね。コッチも大概、あの人の気まぐれやヒステリーに嫌気がさしてたから、ちょうど良かったのかも。校区内だから転校する必要もないしね」
「だからこれからも。コイツと仲良くしてやってくれるかな?」
叔父さんの、ちょっと気を遣っている目をまっすぐ見て、俺はうなずいた。
「はい、もちろんです」




