㉖ 卒業の春Ⅲ
「……で?」
鼻を鳴らすような感じで俺がそっけなく返すと、林は、肩透かしを食らったような目でこちらを見た。
「相応しくないから、何? 好きな女を諦めて、でも諦めたって思われるのは癪だから、自分から捨てるってか?」
「そんなこと!」
「ああ、違うか。ボクちゃんでは早川先輩をアイする資格なんてありません、とか、情けない言い訳してベソかきながら尻尾巻いて逃げるってか?」
「違います、そうじゃなくて」
「そうなんだよ!」
俺は腹の底から言葉を絞り出す。
「結局そういうことだろうがよ。なっさけねえ。こんなのが俺のライバルなのかと思ったら、情けなくて泣けてくらあ!」
「ち、違います! お、俺は……俺みたいな弱っちいヘナチョコの男じゃなくて。田中先輩みたいな強い人の方が、彼女の隣には相応しいんじゃないかって。例の事件があって……、痛感したんです! ろくに抵抗も出来ず、あんな奴らにあっさり捕まってしまうような俺じゃ、今後あの人を守ることも出来ないんじゃないかって……」
「ケッ」
俺は土手に生えている乾いた枯れ草を、無意味に引きちぎって投げた。
「念のために訊こう。早川が、そう言ったのか?」
「は?」
「早川尊子が、そう言ったのか? お前じゃ頼りない、彼氏の資格なしって」
言葉にこもった俺の怒りが伝わったのだろう。今まで、らしくないくらい強気だった林の顔色が悪くなり、おどおどと目を伏せた。
「い、いえ。そんなことはない、です」
「だったら!」
俺はブチ切れていた。
「てめえの彼女をもっと信じろよ! それに、自分が弱っちいと思うんなら、ゴチャゴチャ言ってねーで強くなれ! お前は俺を、強いとかなんとか簡単に言うけどな、コッチは強くなるために、小五からせっせと鍛えてきてんだよ! ここ一、二年ちょこっと武術を齧っただけのお前より強くて、アタリマエだっつーの!」
林は弾かれたように顔を上げ、物も言えずに俺の顔を凝視した。
俺は数回深呼吸をして、何とか気持ちを落ち着けた。
「これは言う気なかったんだけどな。お前がそんなにフニャフニャしてるんなら、一応、話しておく。お前が井関に取っ捕まってた時の話だ」
俺はもう一度、大きく息をついた。
「井関が、早川を『わからせ』るんだとかなんとか、ふざけたことを企んでるってことがはっきりした時。あいつはお前を助けるため、自分から進んで犠牲になるつもりだったんだ」
「……え?」
意味がわかったのかわからないのか、はたまた、わかることを頭が拒否したのか。
林の顔から表情が消えた。
「自分からあいつらの好きにさせて、その代わりにお前を解放してもらおうなんて、バカなことを思い詰めてた。俺と川野で必死に説得して、何とか思いとどまってもらったがな。その方法が正しいとか正しくないとかは別として、そこまで大事に思ってもらっているくせに、お前ときたら! 勝手にぐじぐじ悩んで、甘ったれたことぬかして……」
ああ、畜生。
こんな腰抜けの前で泣いてたまるか!
「そんな……そんな程度の思いで、今までお前は、あいつの彼氏面してたのかよ? そんな程度の彼氏なら……」
己れの身体から抑えきれない殺気が放たれるのが、自覚できる。
「井関の次に、早川の敵だ。……ぶっ殺す」
それは鮮やかな変身だった。
俺の殺気に怯んでビビッていた林の瞳に、不意に力が戻った。
「確かに情けない男でした、ぶっ殺されても文句は言えませんけど。俺は死にませんよ、簡単には。仮に死んでも、ゾンビになってでも絶対に戻ってきます。あの人の彼氏の座は……たとえ死んでも、諦めませんから」
ふっと、俺の中から力みが消えた。
「……言うねえ。言うだけだったらなんとでも言えるってやつだけど。お前が言うのなら、なんとなく信じられる。……行けよ」
「は?」
俺は、少し離れたところでハラハラした顔でこちらを見ている早川と川野へ、顎をしゃくる。
振り向き、林は驚いたのか、ばね仕掛けの人形みたいに立ち上がり……早川へ向かって小走りで近付く。
苦笑いめいた笑みをちらっと閃かせると、川野はポンと早川の背を叩き、俺の方へゆっくり歩いてきた。
早川と川野が、ちょっと前からそこにいたのは知っていた。
俺たちのただならぬ様子にやきもきしていただろうが、さすがに何を話していたか詳しくはわからなかっただろう。
もどかしそうな顔でこちらを……いや。
林を見ていた、早川。
ふん、幸せ者めが。
「おつかれ」
言いながら川野は、俺に何かを差し出した。
生ぬるくなったカフェオレ缶だった。
「ああ……マジで疲れた」
言いつつ、缶のプルタブを引く。
生ぬるいカフェオレは妙に甘ったるかったが、乾いた喉にはそれなりに美味かった。
「ショーヘイ」
「んん?」
川野はそこで、はあッと大きなため息をついた。
「お前、バカだろ?」
「は? あー、まあバカだわな。オリコーさんなら工科へ来ねえから否定はしねーよ。でも、それ言うならお前だってそうじゃん」
違うよこのバカが、と忌々しそうにつぶやいた後、川野はもう一度、大仰なため息をついた。
「惚れた女の、フラフラ悩んでる彼氏をわざわざ励まして、仲を取り持ってやるなんてよ。お人好しにもほどがあるってヤツじゃんか」
俺は思わずカフェオレを噴いた。
「な、なな…」
アワアワしている俺へ、川野はしらッとした目をこちらへ向けた。
「ひょっとして隠してるつもりだった? アホか、わからいでか。例のファンクラブの奴らだって、薄々、わかってたくさいぞ。わかってなかったのは早川本人くらいなもんだったんじゃね? ガキの頃から距離が近すぎるってのは、ある意味、不幸だよな。ま、お前もか・な・り、悪いんだけど。態度が曖昧過ぎだったしィ」
「……マジか。参ったな」
完全に気が抜けた。
土手に寝ころび、俺は茫然と空を見上げる。
腹が立つくらい、きれいな青空だった。




