㉑ 『さいごのたたかい』
仮眠から覚めた俺は、まず冷たい水道水で顔を洗った。
完全に目が覚めた状態で、動きやすさ重視で着替える。
まずは、交通整理のバイト時に買った機能性インナーを、上下ともしっかり身に着ける。
その上へ地の厚い綿の白ロンT、黒のジャージパンツ。
防寒着はファストファッションの店で買った、安物のタンカースジャケットもどき。
足元は黒のバスケットシューズ。靴紐をしっかり、足首まで締め上げる。
白い不織布マスクで顔の半分を覆い、兄貴が愛用しているNYヤンキースのベースボールキャップを借りて被る。(これは簡易の変装気分で)
身支度後、俺は玄関先で、着替えながら頭の中で捏ねた文章をメールする。
送付先は早川泰夫氏――早川尊子の叔父で、俺の武術の先生である人。
『早川泰夫先生
突然、それもメールなどという簡易な方法で失礼します。
私 田中祥平は本日をもって、先生の弟子である資格を失くします。
私にとってはよんどころない事情ではありますが、先生に教えていただいた術を、純粋に身を守る為だけに使えない、あるいは使わない事態に至りました。
破門してください。
もし後日お会いしていただけるのなら、謝罪と経緯の説明のために先生の許へ参ります。
絶対に許せないとおっしゃるのなら、このまま縁を切っていただいても恨み言を言うつもりはありません。
長い間、本当にお世話になりました。
先生のこれからの更なるご活躍、ご多幸をお祈りいたします。
田中祥平』
就活で鍛えた?語彙を駆使し、耳から煙が出そうな勢いで考えた文を、丁寧に書き込み、送信。
スマホをジャケットのポケットへ放り込み、俺は玄関を開けた。
待ち合わせ場所にいると、早川と川野がパラパラとやってきた。
早川は真っ赤なトレーナーに暗めの藍のスリムのデニムパンツへ、いつ買ったのか、派手な刺繍の入ったピンクと黒のスカジャン風ジャケットを合わせていた。
「どう? 『魔族の姫』っぽい?」
黒の不織布マスクでの下で、早川はニヤリとした。
「まあ、な。(でも、どっちかっていうとヤンキーファッションか?)しっかし、そこまでヤツの注文に応えてやらんでもいいんじゃね?」
「まあ、いいんじゃねえの? 普段の好みとはテイストが違う服だし。戦闘服としては上出来じゃん」
そう答えたのは川野。
驚いたことにヤツは、ボブ・マーリー風のジリジリ頭のかつらを被り、ド派手な柄のダボッとしたシャツにベージュのカーゴパンツ、ペラペラした素材の黒のロングコートという、レゲエっぽいスタイルだった。
黒いサングラスまでしていて、怪しいことこの上ない見た目だ。
「俺は今から、勇者ゴーグル様に雇われた『賢者』“syaraku”な。ここまでやったらさすがに、津田中の『姫のお付き②』こと川野啓、に見えねえだろ?」
言いながら奴は、カモフラ模様の不織布マスクをした。
……確かに。
怪しすぎて目立つ分、中身が誰とかの詮索はしなくなりそうだ。
俺が一番マトモというか、普段とかけ離れていないスタイルだろうが、俺は『姫のお付き①』だと、勇者ゴーグル様にわかっていただく必要のある役回りだ、これでいい。
「んじゃま、行きましょうかねえ」
気合の入らない声で“syaraku”こと川野が言う。
もう『役』に入り込んでいるっぽい。
こいつは高校卒業後、コンピュータ関係の専門学校へ行く予定だが、ひょっとすると役者が天職なのかもしれないな、と、俺は密かに思った。
飄々とした足取りで、川野は進む。
津田北町の外れに、安物くさい外観の倉庫風の建物がポツンとある。
俺と早川は、建物のある道路への手前の曲がり角で待機。
この元倉庫は一階部分はコンクリートの床になっていて、二階部分は住めるように改造している、らしい。
荷物の搬入時に使っていた名残りなのか、二階へ通じる外階段もある。
一階のコンクリートの床部分で井関は、割とマジでスケボーの練習をしているという話だ、どこまで本当かは知らないが。
(川野のバイト先の後輩から聞いた噂話)
ここは井関が、少年院だか鑑別所だかにぶち込まれる前、北中の悪ガキどものたまり場っぽくなっていたのだそう。
まあ、数年は主のいなかったここへ、もはやヤツの後輩など誰も顔を出さないだろうが。
玄関らしい扉へ、川野が近付いてインターホンを押す。
「よお。ちょっと前に連絡入れたsyarakuだけど。明日に備えて中の様子、見せてよ。開けてちょーだい」
軽薄を装った川野の声。それへ、
「合言葉は?」
という、割れた感じの声が聞こえてきた。
「合言葉ぁ~? めんどくせーな。……ヘイヘイ。『勇者ゴーグルの仲間・賢者syaraku』」
カチリ、という、電子錠の外れるかすかな音。
俺と早川はダッシュで扉へ向かう。




