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② 出会いは小学五年生の初夏

 そもそも、俺があいつと関わるようになったのは。

 俺が、『家庭の事情』で中途半端な時期に転校した先の小学校の、同じクラスで出会ってしばらくしてからだ。



 初日の最初から、俺はあいつに目が行った。

 当時あいつは、別にそんな目立つタイプでもなかったし、今みたいなキラキラオーラを発している訳でもなかった(むしろどよんとした空気をまとっていた)が、教室の扉をくぐり、担任に導かれて教壇の隣に立った瞬間、俺の目は勝手にあいつへ向いた。

 あいつはその時、ボサボサの中途半端に伸びた髪でうつむいていた。

 デニム地のジップアップパーカーに暗めのジーンズを合わせ、無地の赤いロンTを着ていた。

 どうってことない、はっきり言って冴えない、そんな感じの子供だった。

 他の連中が、時期外れの転校生へキラキラとした好奇心のこもった目で俺を見たのに、あいつだけはしらッとした雰囲気でうつむいていた。

 それでも俺の目には、あいつだけが浮き上がって見えたんだ。



 あいつが、悪い意味で『浮いていた』のは事実だ。


 まず、あいつはクラスの中でほとんど誰ともしゃべらなかった。

 いつも思いつめたような顔で何か考えこんでいるようではあったが、授業はマジメに受けていたし先生に当てられれば静かに答えていた。

 班活動なども、最低限ではあったが参加していた。

 だけどあいつはクラスの異物だった。

 意図してそうしているというよりも、単に『ガキと付き合うのが面倒』という雰囲気だった、自分自身がガキであるにもかかわらず。


 短い休み時間は大抵、自席で小難し気な本――『生理学入門』だの『植物学入門』だのというタイトルがちらっと見えた――を、図書館で借りて読んでいた。

 時々ノートにメモしていたから、かなり本気で読んでいる様子だった。


 そして、昼休みは決まってどこかへ出て行く。

 クラスみんなでドッジボールをする日、が、当時通っていた小学校の昼休みにあったりしたが、あいつは毎回、いつの間にかどこかへ消えていた。

 自分勝手に消えるあいつの行動は当然、クラスで問題になる。

 どこにでもいる、こまっしゃくれた正義を振りかざすガキ共が騒ぎ、学級会の議題になったのだ。

 あいつが白けた顔で


「わかった。ドッジボールの日はドッジをやります」


 と言って頭を下げたので、この問題は一応、収まった。

 そしてあいつはそれ以降、ドッジボールに参加し始めたが……わずか二、三回でクラスの連中は懲りた。

 元々あいつの運動神経がいいことはわかっていたが、本気を出したあいつのドッジボールの腕前は、小学生の域など軽く超えていたんだ。

 まず、かなりすばしこい。

 それでいて強いボールでも平気で受け取る、投げると鋭いくらい速い上にコントロールは的確。

 最後は半ば意地になって皆、あいつを集中的に攻撃したが、嘲笑うようにひらひらと逃げ続けたあげく、いったんボールを手にすると確実に相手サイドの誰彼に当ててゆく。

 あいつひとりで敵の内野を全滅させた時、したり顔で『クラスみんなでドッジをする日に、参加しないのはいけないと思いますぅ』と言っていた連中は半泣きになっていた。


「……だから。参加、しない方がいいでしょ?」


 ぼそっとそう言うとあいつは、たまたま隣にいた俺へ、ボールを投げてよこした。


「抜けるね」


 そう言ってコートから出ていくあいつを、もはや誰も止めなかった。

 皆、あいつの小さな背中に、孤高の獣のような貫録を感じて圧倒されたのだ。


(……カッコいいじゃん)


 内心口笛を吹く気分でそう思い、俺は、あいつから渡されたボールをもてあそんだ。



 そんな感じでゆっくり時間は過ぎ、俺はそれなりに新しいクラスに馴染み始めた。

 馴染み始めたが、本当の意味で気にかかるのはあいつだけで、他の連中は芋かカボチャのようにしか見えなかった。

 何ていうのか……、とにかくあいつは俺にとって、魂レベルで気になる存在、なのだ。

 まだ十年そこそこしか生きていないが、あいつが俺の特別なのは一生変わらない、そんな強い自覚もあった。


 と言っても、クラスの誰にも興味がないあいつは当然、俺にも興味を示さない。

 俺はさながら、推しのアイドルを崇めるバカなファンだ。

 しかし『バカなファン』に成り下がっているのを承知の上で、俺は、あいつを見ていて幸せだった。


 小難しい顔で本を読む、眉間のしわ。

 ぼんやりと窓の外を眺めている、すっきりとした横顔。

 静かな声で淡々と言葉を紡ぐ、うすい唇の形。

 体育の時間の、目を見張るほど鮮やかでしなやかな身体の動き。


 きれいだ。

 きれいなものは、ただ見ているだけで幸せになれる。

 本当に幸せだったんだ、見ているだけでその頃は。



 鬱陶しい雨がしょぼしょぼ降る、梅雨真っただ中のある日のこと。

 俺は、兄貴に頼まれていた買い物に出ていた。

 こういう鬱陶しい雨の中、濡れながら歩いていると、普段は忘れている鬱陶しいことが、食パンに生えるカビのようにじわじわと浮かんでくるものだ。


 俺の家の『家庭の事情』。

 それは、掃いて捨てるほど例があるであろう、両親それぞれの不倫に端を発した。

 世間的にはどちらか片方だけが不倫したというパターンの方が多いだろうが、なにせ上手くいっていない夫婦のこと、それぞれが不倫しているなんてことも普通にあるだろう。

 お互いの不倫が発覚し、すったもんだしたあげく。

 形だけ俺の親権は親父が持ち、ふたりは離婚。

 俺は、十歳上の兄貴……二十歳そこそこの、社会人になったばかりと言っても過言じゃない兄貴と、この町で暮らすことになった。


 ウチのバカ親たちの新しい家庭に、俺は必要ない……いや。

 はっきり言って邪魔、だ。

 バカ親たちが本格的に揉め出した、割と早い時期から兄貴は、俺に「ウチへ来い」と言ってくれていた。

 そして現実問題として俺は、兄貴の世話になるしかなかった。

 バカ親たちがそれぞれに作るであろう『新しい家庭』の異物になりにいくなど、考えただけで吐きそうになる。

 頼れる兄貴がいて、その兄貴が常識的な人間で、俺は心底ありがたかった。


 俺の養育費は両親のどちらからも、細々ながら兄貴の口座に振り込まれることになった。

 俺は今年のゴールデンウィークから、兄貴と一緒に2DKの賃貸マンションで暮らすことになった。

 転校したのもその時期だ。

 新学期には間に合わなかったが、まあギリギリ年度の始めに引っ越しも転校も済んだといえる。


 年齢が離れすぎているからか、以前から兄というより若い叔父さんのような気がする兄貴に、俺はこれ以上、面倒をかけないよう気を遣った。

 買い物や簡単な掃除、自分の体操服の洗濯くらいは自分からするよう心がけている。

 あまり気を遣うなよと、痛ましそうな顔で時々、兄貴は言ってくれていたが。

 実の親にさえ邪魔にされる俺だ。

 恩人に気を遣うくらい、当然ではないか。



 地元の小さなスーパーで買った洗剤なんかを入れた袋を振りながら、俺は鬱々とそんなことを、考えるともなく考えていた。


(……んんん?)


 帰り道にある小さな神社の境内の、見るからに薄汚れた手水舎に。

 俺とそう変わらないくらいの子供が、こちらへ背中を見せる形でうずくまっているのに気付いた。

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[一言] 恋ですねえ( ˘ω˘ )
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