⑲ 君が誰を好きだとしても、俺は君だけのナイトでありたいⅡ
早川は軽くうつむき、放心したようにしばらく黙っていた。
俺たちもどう言葉を続けていいのかわからなくなり、黙々と己れの手の中にある缶だのペットボトルだのから、残りの液体を摂取した。
「……アタシのせいだ」
不意に早川がつぶやく。
「アタシがあの日、不用意に井関をぶん投げたせいで。林くんにまで被害が……林くんは、林くんは何にも関係ないのに」
急に早川は立ち上がる。
「行かなきゃ」
「は?」
「行かなきゃ、って、どこへ?」
びっくりして俺たちは問うが、早川は手にしていた350mlのお茶のペットボトルを落としたことも気付かない様子で、どこへともなく歩き出す。
「たあ子ちゃん!」
「早川!」
引き止める俺たちを、あいつは余裕のない目で見返す。
「い、行かなきゃ。『招待状』の場所。明日の夕方5時に来いって書かれてたけど。今だってきっと、林くんはそこにいるはずだし」
「しょうたいじょう?」
首をひねる俺と違い、川野はぎょっと顔色を変える。
「それって。津田北町の、外れ辺りの住所、か?」
早川の目が泳ぐ。図星らしい。
「そこ。井関の親が持ってる、住めるように改造した倉庫っていうか。あの馬鹿ジャンキー・井関和徳のアジト……要するに今、住んでるところだ」
俺はぎょっとして、早川の青ざめた顔を見た。思わず叫ぶ。
「阿呆! そんなとこへノコノコ出掛けたら、ネギしょった鴨だろーがよ!」
「だって!」
早川は涙目になって俺を見上げ、わめいた。
「だって! 林くん今頃、そこでひどい目に合わされてるかもしれないんだよ! ア、アタシのせいで……アタシのせいで!」
「お前のせいじゃねえ!」
俺は叫ぶ。怒りと苛立ちで目の前が暗くなる。
「なんでお前のせいになる! 悪いのは井関だろーが! 大体、中坊の頃のしょーもない因縁を未だにしつこく引きずってるアイツが、単に大馬鹿ヤローなだけだろーがよ! この件は井関以外、誰も悪くねえ!」
「その通りだな。……とりあえず。今は落ち着け」
息を切らしている俺をそれとなく制し、川野はあいつを諭す。
早川は気が抜けたように再び、ベンチに座った。
ベンチには座ったものの、早川は当然、余裕のない顔のまま黙ってうつむいている。
「そうだな……昨日からのこと、簡単に説明しようか?」
川野の声に、早川は小さくうなずく。
川野は一度、大きく息をつき、ゆっくりと、昨日から今日までに起こった出来事とわかったこと・アチラの裏をかく作戦を立てたこと、などを簡単にまとめて話した。
「あの大馬鹿野郎が考えている復讐というか仕返しというのか、そのキモとなるイベントが『魔族の姫』――たあ子ちゃんへの『わからせ』だ。これは単に、どっちが強いか思い知らせる的な、バトル漫画での闘いの意味じゃない。すごく言いにくいんだけど……エロ漫画の、ソレだ。その有様を、顔とかはモザイクを入れるにしても、ネットに曝す、つもりでいやがる。たとえその動画を運営側がすぐに消したとしても。デジタルタトゥーとして延々、『魔族の姫』の人生について回る。アイツはそこまで考えてやがるんだ」
川野はもう一度、大きく息をついた。
つられたように俺も大息をついた。あの男の陰湿さ、リアルに吐き気がする。
「まさかそこまでは、と、俺も最初は思った。でも、アイツは本気でそこまでやる気でいる。今回『賢者』枠の人材には、アイツから特別ボーナスが支給されるんだそうだ。人材の募集要項としても、腕っぷしとかは関係ない、ただしある程度以上はPCを使いこなせること、とあった。元々アイツのフォロワーの数なんて高がしれてるし、アイツの知り合いでPCいじれる奴も少ない。募集要項通り、加工した動画を添付してエントリーしたら即、イケそうな返事が来た。明日の午後、3時半くらいに来てカメラの設営とかの準備をしてくれって連絡があった」
俺は口を開く。
「その時に俺は。川野と井関のアジトへ乗り込んで大暴れして……あのボケ野郎の思惑を粉々にして、可能な限りの証拠を手に、警察へ突き出してやろうと。そこまでは川野と話してて……」
急に早川が、クククク、という狂気じみた声で笑い出した。
「アタシのテーソーが、アチラの目的なの? アタシを……『初物』だと? バッカじゃないの? 『初物』な訳、ないじゃん」
俺がショックで息を止めてる間に、川野がひっくり返った声で言う。
「え? マジ? 林とは、どう見てもそーゆーところまで進んでる関係には見えなかったんだけど?……意外とヤルな、あいつ」
「馬鹿。林くんは紳士だよ。お互いに高校卒業までは、一線を越えないって約束してくれてて……一生懸命、その約束を守ってくれてる。アタシにはもったいないくらい、真面目ないい子だよ」
「いや、それって単にヘタレ……うううんん。ケホケホ。そ、そうなのか。って……え?」
ふっと、早川は凶悪なまでの冷笑を浮かべた。
「ショーヘイは知ってるよね? アタシがヤッちゃんの養子になる前に、バカ母に殴られた件」
俺が曖昧にうなずくと、早川は笑みを深めた。
まさに『魔族の姫』を思わせる、怖ろしいまでに狂気のにじむ笑みだった。
「あの日、バカ母のクズ彼氏がアタシにちょっかい出してるのを、早めに仕事を終えて帰ってきたあの人が見つけたんだけど。『助かった』って思ったアタシはオメデタかったね。……あの人は言ったんだ。前から変だと思ってた、義理の父親にまで色目を使うなんて、あんたはとんでもない娘だって」
クククク、と、あいつは笑う。
いたたまれない。泣くより辛いと、人は笑うんだ。
「前から変だと思ってたんだってさ……そうだろうね。あのクズが私に手を出してきたのは、あれが初めてじゃなかったからね。クズがうちのアパートに転がり込んできて、割とすぐ。訳もわからないうちに、やることやられてたんだから。メチャクチャ痛いってことと、メチャクチャ嫌なことされたってのだけは、わかったけど。アレが何でどういう意味なのか、明確にわかったのはしばらく経った後だった」
すっと、早川は立ち上がった。
「アタシのテーソーなんか、欲しけりゃくれてやる。曝されようがどうしようが、勝手にしたらいい。林くんを無事に取り戻す為なら……」
「何言ってんだよ、たあ子ちゃん。第一そんなことされて林が喜ぶ訳ない……」
「林くんとは別れる」
奇妙にきっぱりと早川は言った。
「あの子はそもそも……アタシみたいに薄汚れた女と、付き合っちゃいけなかったんだ。井関から解放するまでは頑張るけど。それ以降はもう、付き合えない。アタシからも……あの子を、解放する」




