⑭ もうひとつの修羅
俺たちは高校生になった時、ひとつ、願いというか夢があった。
マトモな学校生活を送りたい、というごくささやかな願いだ。
中学時代は散々だったからなァ。
俺たちは確かに市内の中学で悪名(笑)をさらしていたが、高校へ来る奴らはさすがに、市外から来る方が多い。
まあ、完全にこの悪名を隠せはしないだろうが、俺たちを変な先入観で見てくる奴ばかりでもなかろう。
ゆるいクラブ活動をやったり長期休暇中にバイトしたりして、社会人になるまでの三年間を楽しみたい。
実にささやかな……そしてみみっちくも切実な、この願い。
叶えさせてくれ!(マジで切実)
俺たち三人は学校に慣れ始めた頃、新しい同好会を立ち上げた。
『古武術同好会』、だ。
俺のクラスの担任になった、やたら声の大きい社会科の教師が武術マニアだったこともあり、顧問はゲット。
早川が会長、俺が副会長、川野が会計兼総務、ということにして会を立ち上げた。
小さな部室をもらう。
近くのスポーツ用品店で道着を選んでそろえ、体育館の隅に活動場所をもらい、のびのびと鍛錬も出来るようになった。
川野も本気で鍛錬を始め、我流の変な癖も直ってきたおかげでメキメキと実力がついてきた。
元々そこそこ出来る奴だったので、最近は俺たちとの実力差がなくなってきた。
まったく要領のいい男だ。
(一応、褒めている)
夏休みには特別顧問として、早川先生に来てもらったりもする。
文化祭では早川と俺が演武を披露し、それなりに喝采を浴びたりもした。
このように、高校時代の滑り出しは上々だった。
絵に描いたように高校生らしい、いい時間が過ごせるようになったと思う。
ただ、早川が『学園のアイドル』化してしまい、密かにファンクラブまで出来てしまったのはやや誤算だが、それでも。
同好会のメンバーという大義名分?もゲットした俺たちが、それとなく牽制をする程度で何とかなっている。
中学時代とは大違いだ。
一年生の頃はそんな感じで、和やかに過ぎていった。
俺たちは問題なく二年生へ進級し、ひと月ばかり経った頃。
俺に、ひとつの転機――危機が訪れた。
その日はよく晴れていて、気持ちのいい風が吹いていた。
退屈な午後の授業を終え、あくびをかみ殺しながら俺は、いつものように部室へ向かう。
職員室を覗き、ウチの部室の鍵はなくなっているのを確認。
早川か川野が、もう部室へ行っているのだろう。
(一年生、やっぱり来ないなあ)
そう熱心ではないものの、これでも勧誘活動はしてきたのだが。
『古武術』というのがよくわからない、からだろう、どうにも敬遠されがちだ。
五月の終わりに開催される『新入生歓迎会』で、文化祭で好評だった演武を披露する予定だが、それを見て入会者が来るかどうか未知数だ。
ま、それならそれで、同好会は俺たちの代で潰れてもいい。
正直なところ、クラブ活動はしてみたいが既存のクラブでやりたいものがなかったので、仕方なく自分たちで作ったようなものだからな。
そんなことを考えるともなく考えながら、俺は部室のドアを開け……息を呑んだ。
部屋の中央にある、ミーティング用にとあちこちから引っ張ってきた安物のテーブルとパイプ椅子。
そこに、早川が座ってうたた寝していた。
テーブルの上に置いた道着を枕代わりというか、そこへ右頬を乗せた状態で、静かに目を閉じていた。
すう、すう、という規則正しい寝息が、窓から差し込む午後の陽射しの中、響いている。
最近、早川は駅前のゲームセンターでアルバイトを始めた。
まだ慣れていないからだろう、最近ちょっと疲れ気味なのは知っていた。
でも、部室の中とは言えこんなに無防備に熟睡していていいのか?
お前は乙女だろうが!
「ん……」
小さくうめくと、早川はもぞっと頭を動かした。
唇がほんのり開く。
白っぽく乾いた薄い唇の内側が、ハッとするような薄桃色なのに気付いた瞬間。
身体中の血がガッと熱くなる。
その薄桃色へ自分の唇を寄せたい、すさまじい衝動が突き上げた。
「んあ? ショーヘイ?」
寝ぼけた声。
俺はハッと我に返る。
何を考えることもなく、俺は踵を返して部室から出て行った。
(何だよ何だよ何だよ! 今のは一体何なんだよ!)
激しく混乱しながら、俺は繰り返し自問する。
俺にとって早川は、初めて会った小五の頃からの『推し』だ。
世界で一番大事にしたい、唯一の『推し』だ。
でもそれは、恋愛の対象……有体に言ってオンナとして見ているんじゃない、という自覚があった。
あいつはかわいいしきれいだけど、それは花や月がきれいなのと同じだと。
ひたすら見ていたい、という存在。
色気とは違う、別次元の存在に対する憧れ……みたいなものだと。
色気方面のことを言うなら、エッチなグラビアや動画の方が興奮した。
だからあいつを夜のおかずに……など、俺は今の今まで、考えたこともなかった。
今の今まで。
でもこの日から。
きれいなだけだった俺の『推し』は、俺を狂わせる存在へとシフトチェンジしてしまった。
下心を必死に押し隠し、今まで通りの『ショーヘイ』を演じながら、俺は。
懊悩と戦う、夜を過ごすようになってしまった。