⑫ 厄介の始まり
俺たちが遊び半分で『イキリ散らかし』た一件は、すぐに学校で問題になった。
入学したばかりの一年生が、(問題児としてマークされていた)二年と三年をぶっ飛ばしたんだから、問題にならない訳がない。
でも言わせてもらうが、俺たちは連中にひどい怪我なんかさせていない。
これでも俺たちは早川先生に就いて二年、ストイックに腕を磨いてきたんだ。
人を傷付ける目的の武術は教わってない、『護身術』なんだから。
そりゃ脛や腕にちょっとした青あざが出来たくらいの奴なら、一人二人はいるかもしれないけど。
せいぜいそんなもんだ。
上級生側が先に難癖をつけてきたという事実は一応、『被害者』自身の話や数人の目撃者の話から、教師連も認めてくれていた。
が、俺たち三人のやったことは過剰防衛になると、噛んで含めるように言いやがるんだよな。
「どうしてですか? 校門の近くの木のところでトモダチと待ち合わせしていただけの一年生に、ゴチャゴチャ言いがかりをつけてきたのはあの先輩たちですよ? 大体、先につかみかかってきたのもアッチだったし。つかみかかってきた手を振り払っちゃいけなかったんですか? 一年生は一年生らしく、大人しく先輩に殴られてピーピー泣くべきだったんですか?」
低くて冷静な声で早川は言う。
あいつは怒れば怒るほど、かえって冷静になる癖がある。
相当怒っていることが、ソコソコ付き合いの長い俺たちにはよくわかる。
教師たちは困ったように言葉を詰まらせ、顔を見合わせると、いやそういうことじゃなくてだねとかなんとかもごもご言っていたが、所詮、説得するだけの中身などない、事なかれ主義の連中だ。
最終的に、こういう場合は自分たちで対処せず、すぐ職員室へ助けを求めに来なさいとかなんとか、もっともらしい顔で俺たちへ命じ、お茶を濁した。
「がっかりだよね」
無罪放免された俺たちは、何とも言えない気分でたらたらと歩いて帰る。
帰る道々、あいつはぽつんとそう呟いた。
「別に、アタシらが正しいことしたとまでは思ってないけど。褒めてくれとまで言わないけど。アレ、何? 職員室へ助けを呼びに来い? そんなの、呼びに行く前に2、3発は殴られちゃうじゃん、フツーなら。……とにかくメンドくさい問題起こすなって本音が丸見えでさ、うんざりした。仮にあの日、アタシらが先輩の皆様方に殴られたとしても、口先で同情したようなこと言うだけなんだろうなってのもわかるし」
「……大人ってのはそんなモンだろう?」
俺が投げやりっぽくそう答えると、川野は苦く笑った。が、特に何も言わなかった。
普段無口な早川がしゃべり、普段おしゃべりな川野が黙っている。
この件は俺たち三人の中に、大人たちへの怒りと不信がより積み重なるだけの結果になった――いや。
それだけなら、まだ良かったのかもしれない。
俺たちは知らないところで、いつの間にかすっかり名前と顔を売る結果になっていたんだ。
そんなこんなで俺たちは、さっそく一年生の中で浮く存在になった。
入学早々、ワルの先輩をぶっ飛ばしたんだから、ある程度は仕方がないかもしれない。
まあ、別段どうしてもクラスの皆様と仲良くしたい訳でもなかったが、異様にビビられるのにはちょっと困った。
俺たちは別に、誰彼かまわず喧嘩を売るような馬鹿じゃない。
攻撃されたから身を守った、それだけなんだが……その辺りのニュアンスは、なかなか皆様方にわかってもらえない。
中学のセンセーに失望した俺たちはその後、クラブ活動をする気にもなれなくて、(ある意味積極的に)帰宅部になった。
さすがに毎日ではないものの、俺たち三人は週に三回はなんとなく待ち合わせ、一緒に帰るようになった。
陰で『逆ハートリオ』とか呼ばれていたらしいが、何とでも言え。
俺たちは本当の意味で友達で、その友情に性別なんか関係ないんだからな。
「……おい」
バカ話をしながらたらたら帰っていたある日。
あの件があって、一ヶ月経つかどうかって頃だ。
エラソーな口調で呼び止める者がいた。
「お前らだろ? ヤナギやクドウをぶっ飛ばしてイキってる津田中の一年は」
振り返ると、北中の制服をだらしなく着た、顔色の悪い男がのそっと立っていた。
「どんな奴らだろうってツラ拝みに来てやったんだけどよ。なんでぇ、チビにひょろひょろに寸詰まりかよ。ヤナギたちもだらしねーのな」
チビは早川、ひょろひょろは川野だろうから、俺は『寸詰まり』かよ!
背が、低いとまでは言わないが伸び悩んでいるのを密かに気にしている俺にとって、そのディスりはかなりムカッとした。
「ショーヘイ、無視だよ」
あいつが鋭く囁くので、俺はぐっとこらえた。
六年生の終わり頃から早川は、俺を『ショーヘイ』、川野を『ヒロ』と呼ぶようになった。
川野が、まず俺を『ショーヘイ』と呼ぶようになり、あいつを『たあ子ちゃん』と呼ぶようになってから、徐々にあいつも俺たちをそう呼ぶようになっていったんだ。
俺?
俺は『早川』『川野』のままだ。
じゃれ合い半分に川野のことを『馬鹿ヒロ』と呼ぶこともあるが、それは遊びだ。
だって、呼び名を変えるのって、なんか照れくさいじゃん?
俺の中でこの二人の呼び名は固まってるから、今更変えない。
「そのチビ女、男の子分を二人も従えてる逆ハーヒロインだって噂も聞いていたけどよ、マジなのにはびっくりだね。あいつらがぶっ飛ばされたのは、男のボディガードがいたお蔭……」
北中の制服を着たそいつは、台詞の途中でひっくり返っていた。
何が起こったのかわからなかったのだろう、無様にアスファルトの上でひっくり返り、間の抜けた顔で俺たちを見上げた。
「チビ女がどうしたって?」
剣呑に笑み、早川は、自分より余程図体の大きい男子生徒の胸倉をつかんで半身を起こした。
「アタシには子分なんていない。この二人は小学校からのトモダチなんだから、シツレーなこと言わないでよね」
「はあ?」
状況が少しずつわかってきたのか、男の声が尖る。
「あんたが馬鹿にしてるチビ女にたった今、コテンとひっくり返されたんだけど? わかってる? 大体、自分は名乗りもしないでヨソの中学の子をいきなりディスるってどういうこと? とりあえず、まずはごめんなさいしようかな?」
幼児に言い聞かせる口調でそう言う『チビ女』へ、そいつはブチ切れた。
吠えながら立ち上がり、腕を伸ばすそいつの攻撃をいなし、早川は再びコテンとひっくり返す。
さすがに怯えが、男の引きつった顔に浮かぶ。
無表情で立つ早川には、抜身の刃じみた雰囲気がある。
「井関!」
どこからともなく鋭い声が響く。
「馬鹿かお前。何してるんだよ、ヨソの中学の一年生相手に!」
「し、島田さん……」
『井関』と呼ばれた男は、情けない声で声の主を見上げる。
脱色した傷んだ髪をひとつにまとめた、赤や白のフレア模様が腕や身頃にはいった黒いパーカーに薄汚れたジーンズの、二十歳前くらいの男だ。
よく見るとみると首筋に、青黒いドラゴンのタトゥーが彫られている。
やくざというほどでもないにせよ、堅気ではなさそうな男だ。
男は俺たちを見ると、すまなさそうに眉を寄せた。
「あー、悪い。すまんかったな。ウチの後輩がツマランちょっかい出してよお」
「し、島田さん! 別に、こんなガキに謝ることなんか……」
井関がわめくと、
「阿呆! 油断しきってたとはいえ、ヤナギやクドウをきりきり舞いさせた連中だぞ! お前如きの敵う相手か!」
島田に叱りつけられ、井関は半身を起こした状態で悔しそうに唇を嚙んだ。
「コイツは連れて帰るから、今日のところは堪忍してくれ。……おい」
島田に背中を軽く蹴られ、井関はのろのろと立ち上がった。
去り際、井関は俺らを睨みつけて踵を返した。
なんとなく……厄介なことが始まる、嫌な予感がした。




