This love ~キット~2
泣き崩れるユイカを尻目に、マイは勝ち誇った高笑いをしながらキットと共に歩いていった。トオルは何度もためらいながらも、ようやくユイカに声をかける。
「ユイカさん、あなたは不細工なんかじゃない。ぼくは知っています。あなたがどんなに一生懸命で頑張り屋な人か」
トオルの声はもぞもぞしていて、ユイカは中々聞き取れなかった。特に最後に「あなたはきれいだ」と聞こえたのは、自分の幻聴かと思ったほどだ。
トオルはマイとキットを追うために、ユイカに背を向けた。
「ぼくがキットをなんとかします」
ユイカにはトオルが耳まで真っ赤になっているように見えた。
キットは充電コードに繋がれて、セーブモードに入っている。ぱっと見は立ちながら眠っているようだ。マイは食事にでも行ったのだろう。今はいないその隙をついて、トオルがコンピューターの前で必死にプログラムを打っていた。
「トオルくん……もういいの、もういいのよ」
ユイカが声をかけるが、トオルは顔をしかめたままモニターから目を離さない。
「いい訳ないじゃないですか。あなたは愛されていい人なんだ。マイさんよりあなたの方が愛される事、ぼくが証明してあげます」
ユイカは後ろで涙を流した。
「ねえ、トオルくん。わたし、勘違いしちゃうよ? あなたがわたしを好きだって」
それを聞くとトオルは立ち上がり、ゆっくりと振り返った。
「はい……ぼくはあなたが好きです」
トオルの目は真剣だった。ユイカはトオルに抱きついた。
「ありがとう、ありがとう、トオルくん」
トオルもゆっくりと抱き返す。一組のカップルが誕生した後ろで、トオルの打ったプログラムがインストール中という文字が流れていた。
食事の終わったマイは研究室に戻ってきた。そこでユイカとトオルが手を繋いでいるのを見る。「ちょっとお、どういう事~!?」と問うのは今度はマイの番だった。
ユイカはふにゃっとした笑顔で幸せの報告をした。マイはそれにまたも嫉妬心を燃やす。
「信じられない~! あんたがあたしより先に彼氏ができるなんて!」
マイがそう言っている間に後ろからキットの巨体が近づいていた。
「いいわよ、あたしにはキットが……!」
マイはさっきのようにキットの腕に絡みつこうとするが、キットはそれを振り払う。そして驚いているユイカの前に立った。
「ユイカ、おれの愛するユイカ」
「ちょちょちょ、どういう事~!?」
マイはさっきも言った台詞をまた口にする事になった。トオルが説明しだす。
「キットに性格の美醜を判断させるプログラムを入れたんです。ユイカさんやマイさんのこれまでの行動も記憶されている。それでキットはユイカさんの性格の方が美しいと判断したんでしょう」
それを聞いたマイは「ぐやじい~」とわかりやすく地団太を踏んだ。
キットはユイカと手を繋いでいるトオルの腕を捻り上げた。
「おれの女に手を出すな」
トオルは「いたたたた」と呻き、思わずユイカの手を離す。
「やめて、キット! わたしとトオルくんは恋人になったのよ!」
「おまえの恋人はおれだ」
ユイカはぞっとした。これがアンドロイドの恋。そこに他者に対する慈悲なんかない。
「わかったわ! わたしはあなたの恋人よ! だからトオルくんを離して!」
解放されたトオルの腕をさするユイカを見て、キットは首を傾げる。
「なぜおまえはおれ以外の男に触れる? なぜおれの隣に来ない?」
「マイ! キットを強制シャットダウンして!」
ユイカが叫ぶ。
「できない! なぜかできないわ~!」
「じゃあせめてセーブモードに!」
シュンっと音がして、キットの体が脱力する。それでも眼球のカメラは動いている。
「ナゼオマエハオレヲアイサナイ」
トオルと共に研究室を出たユイカにキットの声は聞こえていなかった。
ユイカは翌日、恐る恐る研究室のドアを開けた。トオルはしばらく研究所に顔を出さないように指示した。キットがトオルに対してどんな行動を取るのか、ユイカにも予測がつかなかったからだ。しかし研究室の中に入ったユイカは驚いた。
「トオルくん!?」
そこにトオルがいた。いや、すぐに違うとわかった。顔はトオルだ。だがその筋肉質な体はキットのものだ。
「3Dプリンターを使ったのね!?」
キットは自分でプリンターを操作し、トオルの顔を作り上げてそれを自分の顔に張りつけた。
「ユイカ、おれはおまえの好きな顔になった」
「いや! 来ないで! 気持ち悪い!」
ユイカは思わずそう叫んでいた。その後ろには本物のトオルが来ていた。トオルはやはりユイカが心配で出勤してきたのだ。
「気持ち悪い、ですか。そうですよね。不細工なぼくの顔なんて気持ち悪いですよね」
ユイカはトオルの存在に気づいた。
「違う! そういう意味じゃないのよ、トオルくん!」
「いいんです。でもぼくはあなたを守る!」
トオルはユイカに手を伸ばしているキットの前に割り込んだ。
「邪魔だ」
キットはバキッとトオルを殴って吹き飛ばした。
「人を傷つけないプログラムが動作してないの!?」
ユイカはトオルに駆け寄ろうとした。しかしキットがその腕を掴む。キットの顔に張りつけられていたトオルの顔が剥がれ落ちた。
「ユイカ、おれの愛するユイカ」
あれほど好みだと思っていたキットの顔が、今は恐怖の対象でしかない。ユイカは泣き叫んだ。
「あんたのそれは愛じゃない! 愛っていうのは相手の幸せを祈るものなのよ!」
「シアワセ……」
キットの手が緩む。トオルは思ったより軽傷ですぐ起き上がる事ができた。そしてユイカが気づいた時にはキットはシャットダウンしていた。
キットはとある金持ちの女性が買い取る事になった。建築現場に生産コストの高いキットの導入は難しいと、上からお達しがあったのだ。
顔は買い主好みの日本人フェイスにし、性格プログラムももっと優しいものにする事になった。
ユイカはキットの初期化を始める。ピピ、ガガと機械音が鳴った時だった。
「ユイカ」
キットの声が聞こえてユイカは震えながら振り返る。コードに繋がれているキットは微笑んでいた。
「ユイカ、シアワセニ」
それが最後だった。ユイカは声を上げて泣いた。自分達の勝手さに振り回されたキットの純粋さを思い知って泣いた。
キット、あなたの愛は本物だった。
完
キットはわたしの長編小説「子供の島の物語」に出てくるキャラクターです。もちろんそちらはアンドロイドではありませんよ!
お読みいただきありがとうございました!