問題?(1)
働き始めて四日目の朝。
身支度を整えて、部屋を出るために扉の鍵のツマミを捻ろうとした。
「……あれ?」
けれどもツマミ部分はビクともしない。
少し強く力を入れても全く動く気配がない。
……うん?
試しにドアノブを掴んでみる。
がっちり固まっていて動かない。
今度はドアに触れて揺らしてみる。
まるで扉が接着されたように、押しても引いても扉が揺れることはなかった。
「このままだと遅れる……」
いつも早めに出ているけれど、このまま扉が開けられないと部屋から出ることも出来ない。
……どうしよう。
恐らく身体強化を使えば出ることは可能だろうが、その代わりに扉を破壊してしまう。
そうなると色々と困る。
「…………あ」
室内を見回して気付く。
別に、部屋から出られるなら扉からでなくとも良いのではないだろうか。
幸い、ここは二階なので下までの高さはそれほど高くもないし、角部屋で、窓を開ければ横に屋根の排水用の管がある。
窓の鍵は開けっ放しになるが、二階なので、そうそう人が入ることはないだろう。
扉の鍵も昨夜かけたまま固まっているから、放っておいても問題なさそうだ。
「仕方ないよね?」
このままだと朝食を食べ損ねるだけでなく、仕事にも出られない。
窓を開け放ち、身体強化を発動させる。
そうして脇にある排水管に手を伸ばした。
建物の微かな出っ張りに足を引っ掛けて立ち、排水管をしっかり掴んで、反対の手で窓を閉める。
排水管には途中で支えがいくつかあった。
少し勢いをつけて排水管へ飛びつくように移動して、意外と強固な造りの排水管にしがみつく。
身体強化をしているので飛び降りても大丈夫だが。
あとは排水管の支えに足をかけて降りていく。
お仕着せがシンプルでスカートがかさばらないもので良かった。
そうでなければ、さすがに伝って降りるのは無理だろう。
「よし、まだ間に合う!」
急いで朝食を済ませれば、いつも通りの時間に職場へ到着することが出来る。
わたしはスカートやエプロンの汚れを払いつつ、急いで食堂へ向かったのだった。
食堂は少し混んでいたが朝食を手早く終わらせ、急ぎ足で紫水の区画へ行けば、紫水の士団長様と廊下で鉢合わせた。
「おはよ〜」
緩い口調にわたしも挨拶を返す。
「おはようございます!」
「ミスリルちゃんは今日も元気だね」
「それが取り柄ですから!」
今日は別の人の研究部屋の清掃なので、途中で士団長様と別れて倉庫へ行く。
廊下も時間を見て少しずつ掃除をしているおかげで段々と綺麗になり、毎日、やり甲斐があって楽しい。
それに今のところ、一番汚かったのは士団長様の部屋で、他の魔法士の人達の部屋はあれほどではなかった。
だから思ったよりも大変ではない。
ただ一つ気になるのが同僚達のことだ。
他は四人とも男性だけれど、全員、見かけても無視されるし、挨拶をしても返って来ないし、どうやら嫌われてしまっているらしい。
何故嫌われているのかは分からない。
「おはようございます!」
……それでもわたしは挨拶するけどね!
挨拶しても無視されているので、実は同僚達の名前は知らなかったりする。
でも名前を知らなくても挨拶は出来る。
わたしの声に気付いているだろうに、彼らは「じゃあな」「また昼に」と互いに声をかけ、掃除道具を持って散り散りになる。
一人がチラと振り返ったけれど、わたしと目が合うと慌てた様子で離れていった。
……わたしが猛獣か何かに見えるのかなあ。
まあ、別に構わないけれど。
倉庫に入って、あ、と思う。
箒もチリトリも、ブラシやモップもない。
先ほどの同僚達は掃除道具を持っていたけれど、中にあった道具全部は持っていなかったように思えた。
……うーん、これは嫌がらせかも?
ただ雑巾は残っていた。
お前はこれで十分と言わんばかりである。
「いや、雑巾さえあれば大体掃除出来る!」
だからこれがあるだけで確かに十分だ。
わたしはバケツと数枚の雑巾を握り締めて、倉庫を後にした。
* * * * *
お昼休憩を告げる鐘が鳴り、昼食の時間になる。
食堂へ向かい、食事の載ったトレイを受け取って席を探していると「ミスリルちゃん」と名前を呼ぶ声がした。
辺りを見回せばヒョイと手が上がる。
……士団長様だ!
手招きされて席へ近付いた。
「一緒にどう?」
空いている席を指で示されて頷いた。
「是非! 良かった、席を探そうと思っていたので助かりました」
「この時間は混むからね〜」
士団長様と副士団長様が正面に座り、アルフリード様の横の空いている席に腰掛ける。
「失礼します。アルフリード様、ウェルツ様、こんにちは」
士団長様には今朝会ったが、二人には今日初めて会ったので挨拶をする。
「こんにちは」
「こんにちは、掃除は順調かい?」
副士団長様に問われて頷き返す。
「はい、今日中に四人目のお部屋のお掃除は終わりそうです!」
「そうなんだ、いいペースだね。これならあっという間に担当分は綺麗になるかな? 頑張ってるね」
「ありがとうございます!」
……やった、褒められちゃった!
これだけでもう今日のお仕事は最高の気分だ。
「いただきます」と両手を合わせて食事を始める。
まずは、ふわふわもちもちの白パンを、なんて思いつつパンに手を伸ばしていると士団長様が「そうだ」と呟く。
「ミスリルちゃん宛てに荷物が届いたんだけど、これ何か分かる?」
ごそごそと士団長様が腰のポーチから取り出した、掌に乗る程度の箱が差し出された。
ポーチに入っていたにしては少々大きさが合わない。
もしかしてあれは空間収納魔法のかかった魔道具のポーチなのだろうか。そちらの方が気になる。
しかし今はそれを訊くタイミングではない。
箱へ目を移す。見た目はそれなりに綺麗で、オシャレなリボンで丁寧にラッピングされている。
…………んん?
「あの、その箱、ちょっと動いてません?」
「うん、そう、多分中に何か生き物が入ってる」
思わずまじまじと箱を見た。
「魔法がかけられてる気配はないよ〜」
差し出された箱を受け取った。
箱のやや厚手の生地越しに、何かがもぞもぞ蠢いているのが伝わってくる。
大きさ的に言って、もし生き物が入ってたとしても、小型のネズミや虫だろう。
全員の視線が箱に注がれる。
「開けていいですか?」
「え、開けるの?」
わたしの言葉に副士団長様が驚く。
「あ、食事中だから後で、外で開けた方がいいですよね」
小動物にしろ、虫にしろ、食事をする食堂で出てきて逃げられたら大変なことになる。
どこか建物の外で開けるべきだろう。
「いや、まあ、それはそうなんだけど、そうじゃなくて、そんな得体の知れないものをよく開ける気になるなと思って」
「中身は何かの生き物なんですよね? もしそうなら、出してあげないと可哀想ですし、このまま捨てるわけにもいかないですから」
中にいる生き物も可哀想だ。
「……リルファーデ嬢、とにかく先に食事を済ませてしまった方がいいのでは?」
アルフリード様の言葉に頷く。
箱の中にいる生き物には申し訳ないが、わたしのお昼休憩にも限りがあるので、先に食事を済ますことにしよう。
一旦、箱を脇へ置いて食事に集中する。
食事中、箱は小さく揺れていた。
急いで食事を済ませて立ち上がると何故か三人もトレイを手に立ち上がった。
気付くと、三人とも食べ終えている。
「受け取ったのは僕だから、一緒に中身を確認するよ〜」
とのことだった。
副士団長様とアルフリード様も確認するようだ。
四人でトレイを返却して、外へ向かう。
紫水の区画にある庭先へ行き、全員でわたしの手にある箱を覗き込んだ。
「変な魔法はかかっていないんですよね?」
もう一度訊けば、三人が頷いた。
士団長様が箱に手を翳す。
「『障壁よ、外と隔つ壁となりて内を守れ』」
ふわ、と箱が一瞬光に包まれる。
「これで中身が外に出ることはないよ〜」
「ありがとうございます」
士団長様のお言葉なら大丈夫だろう。
リボンを引っ張って外す。
中身が飛び出さないためにか、思いの外、きつく縛ってあったそれを何とか解く。
フタに手を添えて、そっと開けた。
全員が箱の中身を見た。
箱の中で、緑のモコっとした生き物が数匹、蠢いていた。
「わあ、青虫!」
つい声を上げてしまった。
「これ、飼ってもいいですかっ?」
「え」と三人の声が重なった。
三人の顔を見て、すぐに我へ返る。
「すみません、使用人棟は生き物禁止ですよね……」
使用人がペットを飼うなんてダメだろう。
しかも虫だから嫌がる人もいると思う。
「うん、そうだけど、ミスリルちゃん虫平気なんだね。普通の貴族のご令嬢は虫が近くにいるだけで悲鳴を上げちゃうんだけどな〜」
「子供の頃は街の子達と虫捕りして遊んでましたからね、虫は全然平気ですよ!」
アルフリード様と副士団長様が「ああ」「なるほど」と納得した顔をする。
「でもどうしましょうか?」
育てば綺麗な蝶々になるけれど、庭師からしたら、庭園の草木を齧る厄介者だ。
箱の中の青虫達を全員で見下ろした。
士団長様が手を差し出した。
「貸して〜」
「どうぞ」
箱を渡せば、その辺の花壇の根本で士団長様が箱を容赦なくひっくり返してしまう。
そうして空になった箱を士団長様が持ったまま言う。
「一応訊くけど、家から送られてきた荷物ではないよね〜?」
それに頷いた。
「はい、こういうことは冗談でもしないと思います」
「そっか。あ、この箱要る〜? 要らないなら僕が捨てておくけど、いい?」
「それは構いませんが……」
「フタも貸して」と言われて差し出した。
庭師には申し訳ないが、青虫達が殺されなくて良かった。
……それにしても、何で青虫?
不思議に思っていると昼休憩の終わりを告げる鐘の音が聞こえてくる。
「じゃあ、ミスリルちゃんは午後の掃除もよろしくね〜。僕達は仕事の件でちょっと話してから戻るから」
「はい、では、お先に失礼します」
軽く会釈をしてからその場を離れる。
……まあ、いっか。
全くもって嫌がらせにならない嫌がらせであった。
むしろ久しぶりに青虫を見て、わたしからしたら嬉しかったし、癒された。
緑のもったりした体でよちよち歩く姿は可愛い。
さすがに触ったら可哀想なので手は出さなかったけれど、つつくとプニプニしてて冷たくて、触り心地がいいのだ。
……でも何でこんなに嫌われるんだろう?
同僚達にも嫌われてしまっている。
……わたしは仲良くしたいんだけど。
箱のことも同僚のことも気になるが、午後も仕事がある。今はそちらに集中しよう。
* * * * *
小さな銀灰色の頭が建物の中に消えていった。
それを見送ってから顔を戻す。
メルディエル士団長もウェルツ副士団長も、リルファーデ嬢がいなくなってようやく、視線を箱へ向けた。
「これ、どう見ても嫌がらせだよね?」
空になった箱を片手にメルディエル士団長が言う。
ウェルツ副士団長も、僕も、それに肯定の頷きを返した。
午前中に紫水の士団長室に届けられたこの箱、持ってきた運び人も気持ち悪がっていた。
届いた時点で中身が生き物なのは分かっていた。
リルファーデ嬢宛てに、送り主が不明の蠢く荷物が届いたことで、三人とも顔を見合わせた。
一応、宛名のリルファーデ嬢の立ち会いの下で箱を開けなければいけなかったので渡したが、もしこれが普通の貴族のご令嬢であれば悲鳴を上げて箱を放り出しただろう。
ショックで泣き出す者もいるかもしれない。
貴族のご令嬢は虫が苦手な者が多いのだ。
「まあ、そうでしょうね。ご丁寧に綺麗なリボンで飾ってある辺りにタチの悪さを感じますが」
箱はシンプルだが、リボンは女性が好きそうなちょっと綺麗なものを使っているところに送り主の性格の悪さを感じる。
リボンの綺麗さに惹かれてうっかり箱を開けたりしたら、それこそトラウマになる可能性もある。
「しかし随分と使い古された嫌がらせですね」
思わず眉を顰めてしまう。
気に入らない相手に、相手の嫌いな物を送りつけるのは、貴族の、それもご令嬢達の中である陰湿な嫌がらせの手法であった。
しかもそれに虫を選ぶのが悪質だ。
ご令嬢でなくとも不快に感じるだろう。
ありきたりだけれど確実な嫌がらせだった。
「……魔力の残滓が微かにありますね」
恐らく、魔法で虫を捕まえたのだろう。
送り主か、この箱を用意した人物の魔力が微かにだが箱に残っている。
「そうだね〜。とりあえず、この箱は僕の収納に保管しておくよ。犯人の見当がついた時に必要だろうし〜」
誰が送ったにせよ、意図的にリルファーデ嬢を傷付ける目的だったのは確かだ。
ただ、当の本人が全く虫を嫌がらなかったので送り主の思惑は外れてしまったが、横で見ていて良い気分ではなかった。
「リルファーデ嬢が虫嫌いでなくて良かったです」
僕の言葉に二人が頷いた。
「うん、でもあれはちょっと予想外だったな〜」
「『飼ってもいいですか?』なんて言われるとは思いませんでしたね。彼女がミスリルと呼ばれるのも何となく分かる気がします」
「打たれ強さは世界一って本当だね〜」
虫を送りつけられたのに、欠片も気にした様子がなかったのには僕も驚いた。
あれは強がりではなかったと思う。
ああいう人は周囲にいなかったので不思議な存在だ。
考えは理解出来るけれど行動の予測がつかない。
最初から最後まで変わった子である。
けれども、その不思議さに興味を引かれる。
変わったものが気になってしまうのは魔法士の性なのか、それとも目立つから目がいってしまうのか。
「しばらくミスリルちゃんの様子には気を配っておこうか〜。また何かあるかもしれないし」
メルディエル士団長の言葉に、ウェルツ副士団長と共に返事をする。
リルファーデ嬢は明るくて前向きと言えば聞こえは良いが、無防備で隙が多い。
……あの笑顔が曇るのは面白くない、かもしれない。
まだたった数日の付き合いだが、彼女がいると場の空気が明るくなって居心地が好くなる。
それがなくなるのは嫌だと思う。
自分にしては珍しいことだが、一緒にいて、居心地の悪さを感じなかった。
それだけでも僕にとっては驚くべきことだ。
だから、気になってしまうのかもしれない。
* * * * *