笑顔
翌日も、引き続きわたしは士団長様の部屋の掃除を任されることになった。
他の四人もそれぞれ紫水に所属する魔法士達の部屋の掃除に当たることになり、その表情はどこか暗かった。
……そんなに嫌かなあ?
想像していたよりもずっとマシなのに。
紫水の区画は魔窟と呼ばれているけれど、そんなに言うほど魔窟感もない。
美味しい朝食を摂ったし、今日も元気いっぱい頑張ろう。
「では引き続き、私は書類の仕分けを行います」
今日もアルフリード様が手伝ってくれる。
「わたしはそれを纏めて運び出しますね。……士団長様、棚にある本は分類ごとに分けたりしてありますか?」
「ううん、適当に突っ込んでるだけ〜」
「分かりました、著者の名前順に並べておきます」
アルフリード様が書類を仕分けるには時間がかかるので、わたしはその間に本棚の掃除と整理を行うことにした。
まず、本棚の本を全て出す。
読みたい本を抜いて、戻していないようで、結構所々に穴があってスカスカだ。
固く絞った雑巾で埃を拭って、ある程度の量になったら廊下へ運び出し、また本棚から本を取ると言う作業を繰り返す。
その合間に、書類が溜まったら紐で束ねる。
棚が空になったら下の段、それも終わればまた下の段と本棚の中身を出していく。
一つの棚で六段あり、それが三つあるので、なかなか手間だけれど一段ずつ確実に本を片付ける。
全部の本を取り出したら、雑巾で棚の中を隅から隅まできっちり拭かなければ。
掃除は上から、高い所から順にが鉄則だ。
「……届かない……っ」
でも本棚の上にはどう頑張っても手が届かない。
踏み台があれば良いのだけれど、倉庫にもそれらしいものはなかった。
「棚の上を拭けばいいですか?」
いつの間にかアルフリード様が後ろにいて、わたしの持っていた雑巾をするりと奪い、本棚の上に手を伸ばす。
……背が高いの羨ましい。
本棚の上を拭き終えた後、アルフリード様がそのまま、上から二段分も拭いてくれた。
それらが終わると雑巾を返される。
「ありがとうございます! 手が届かなかったので助かりました!」
「いえ。……あなたには踏み台が必要ですね。私の部屋に確かあったはずなので、持って来ます」
そう言って、アルフリード様が部屋を出て行った。
その間に棚の他の段を拭いていく。
埃が積もっていた本棚だが、綺麗になると重厚な造りで見栄えがかなり良い。
この棚に本が沢山並んだら更に良く見えるだろう。
「どうぞ」
戻って来たアルフリード様が三段ほどの踏み台を差し出した。
「ありがとうございます」と受け取る。
見た目より軽くて、でもそこそこ頑丈そうで、試しに乗って見れば本棚の上へ手が届く。
「丁度良さそうですね」
それに頷き返す。
「この踏み台、しばらくお借りしても大丈夫ですか?」
「使っておりませんのでお好きにどうぞ」
かくして、この踏み台はわたしのものとなった。
ついでに部屋の壁にあるランプも拭いておく。
魔石に魔力を流すと光魔法ライトが点くこのランプが王城の至る所に設置されているおかげで、部屋も廊下も夜になっても明るくて良い。
まあ、それはともかく、綺麗になった本棚に一冊ずつ名前を確認して名前順に並べていく。
前世の本みたいに題名や著者名が背表紙に書いてあれば分かりやすいのだけれど、この世界の本は大体本の最後に記されているので一度開く必要があった。
掃除よりもそちらの方が時間がかかった。
本を全部並べて、何となく、昨日洗った実験器具から三角フラスコと試験管の並んだ試験管立てを飾ってみる。
「うん、いい感じ」
やや古びた本が棚いっぱいに並んでいて、圧巻だ。
沢山あった本だけれど、棚に並べてみると、そこら辺に積んであったものも含めて全てがきちんと収まり切った。
何ならちょっと余裕があるくらいだ。
本棚を片付けた後は、足元の書類に集中する。
アルフリード様が黙々と書類を仕分けて、わたしが紐で縛って纏めて、外へ運び出す。廊下には残すものと捨てるものとで別々にしてあった。
途中で見つけた服やゴミは捨てる。
「うわ〜、凄いね、本当に片付いちゃった」
昼食を挟みつつ、時間はかかったが、足元の書類がなくなったことでかなり室内は綺麗になった。
床の埃を掃いて、雑巾で拭いて、それから棚や机も綺麗にして、最後に窓と枠を拭く。
窓は三回も拭いてやっと透明感が戻ってきた。
あとは換気さえ出来れば良いのだけれど。
「隣の部屋もお願い出来ますか」
「はい!」
とりあえず、隣の部屋も片付けて、繋がっている扉を開けておけばそれなりに換気も出来るだろう。
アルフリード様と一緒に隣室へ向かう。
使ったまま放置された実験器具や置きっ放しの薬品など、色々とあってごちゃごちゃしていた。
わたしはよし、と意気込んで袖を捲る。
そこから隣室の掃除が始まった。
洗った実験器具は一旦、隣の士団長様の部屋に移動させて、どんどん洗い物を進めていく。
横でアルフリード様が洗い終えた器具を風魔法で乾かして運び出してくれるし、水が汚れると綺麗にしてくれるので、とても捗る。
……一家に一名アルフリード様、いかがですか!
「なんちゃって」
思わず笑えば横でアルフリード様が首を傾げた。
それに何でもありませんと首を振る。
実験器具を全て洗い終えたら、今度は放置されている薬品の埃を落とし、それも一旦運び出す。
瓶に詰められた薬品は白っぽかったり、明らかに変な色もあって、ちょっと面白い。
さすがに開けようとは思わないが。
薬品を運び出したら、実験中にメモしたものだろう書類を纏めて出す。
こちらの部屋はそんなに荒れていなかったので、後は棚と床、窓を綺麗に拭いて、棚に薬品と実験器具を収めて終了だ。
それでも、やっぱり一日がかりの作業だった。
隣室を掃除し終えたところで終業の鐘が鳴る。
「そろそろ終わりだよ〜」
士団長様の声がする。
アルフリード様と、隣の部屋へ戻った。
「そっちの部屋はどう〜?」
「終わりました」
「そっか、二日でここを掃除しちゃうなんて凄いね〜。ビックリだよ。ありがとう、お疲れ様〜」
綺麗になった室内は気持ちが良い。
それに褒めてもらえるのは嬉しい。
「そうそう、ミスリルちゃんの清掃だけど、担当は僕やアルフリード君の部屋を含めた十部屋ね」
「はいこれ」と紙を差し出された。
そこにはわたしの担当する部屋の持ち主だろう人の名前が十人分、並んでいた。
「大変だろうけど、よろしくね〜」
「はい、頑張ります!」
まずは士団長様の部屋のお掃除、ミッションコンプリートである。
「明日は私の部屋をお願いします」
アルフリード様に言われて頷き返す。
でも、アルフリード様のところはそんなに荒れていないイメージだった。
* * * * *
その次の日、アルフリード様の部屋に行った。
「少々汚いですが……」
そう前置きして扉が開けられた。
アルフリード様の部屋は思ったよりも片付いていて、必要なのは埃を掃除することくらいだった。
「……綺麗ですね?」
これなら拭き掃除をして、箒で床の埃を掃けば十分だった。
机の上も書類がきっちり角を揃えて置かれているし、本棚も本が綺麗に並べてあり、士団長様の部屋みたいに本が積み重なったり書類が散らばっていたりということもない。
ただ埃が積もっているというだけだ。
横を見上げれば、アルフリード様が視線を逸らす。
「昨日、少し片付けました」
「え、そうなんですか?」
掃除係がいるのに何故と、まじまじアルフリード様を見てしまった。
アルフリード様は一度こちらを見た後、視線を彷徨わせ、観念した様子でボソッと呟いた。
「……一昨日と昨日ので、やり方を覚えたので」
……それは、つまり。
「覚えたことを実践してみたかったんですか?」
フイ、と顔を背けられた。
でも色白の耳がほんのり赤くなっていて、照れているだろうことは一目で分かった。
……なんだろう、なんか、可愛いなあ。
士団長様の部屋の掃除を手伝って、片付けのやり方を覚えたから、自分で実践してみたのか。
わりと無表情で淡々と話す人だけれど、そういうところは少し子供っぽく感じられる。
自分より歳上だろう男性に可愛いは変かもしれないが、学んだことをすぐに実践しようとするのはとても好感が持てた。
「アルフリード様は偉いですね」
青い瞳がわたしを見る。
「教わったことを覚えられても、それを実践して、きちんと自分で出来るようになるのは大変なことです。それが出来るアルフリード様は凄いですよ」
「……そんなことを言われたのは初めてです。皆には、私が何を出来ても当然だと言われてきました」
そう言ったアルフリード様はどこか戸惑っている風にも見えて、それがまるで小さな子供みたいで。
小さい頃の弟を思い出して笑みが浮かぶ。
「きっとアルフリード様が優秀過ぎたんですよ。それで、みんな、アルフリード様に期待しているんです」
「期待、ですか……」
「そうです、出来て当たり前だと言われるのって、それだけアルフリード様が優秀だと思っているから出てくる言葉ですよ。もしかしたら、アルフリード様なら出来ると分かっているからそう言うのかも」
アルフリード様が目を丸くする。
「アルフリード様の周りには、アルフリード様が素晴らしい人だって、知っている人がそれだけ多いんです、きっと」
アルフリード様の力量を知っているから、アルフリード様がそれを出来ても当たり前だと言われるのだ。
それは期待してくれているということだ。
でも同時に、それは押し付けでもある。
「だけど、だからと言って相手を褒めないのは別の話です。……アルフリード様は学んだことを自分で吸収して実践出来たので、偉いですよ」
褒められ慣れていないなら沢山褒めよう。
人から褒められるというのは、人に認められるということでもあるから。
「そして人から褒められたら『ありがとう』と返せばいいんです! はい、アルフリード様は偉い!」
言って、アルフリード様に箒の柄を向ける。
アルフリード様は目を丸くしたまま、ぎこちなく呟いた。
「……ありがとう、ございます」
わたしはそれにニコっと笑う。
アルフリード様は良い人だ。
それに、多分、人と接するのが苦手な人だ。
だけどわたしを手伝ってくれる様子を見る限り、人嫌いというわけでもないようだ。
……本当に昔の弟を思い出すなあ。
両親が亡くなってすぐの頃のイシルディンは酷く荒れて、上手く消化出来ない悲しみと寂しさから周りに当たり散らすこともあった。
両親がいない分、わたしは弟に愛情を注いだ。
たった二人の姉弟なのだ。
どんなに荒れても可愛い弟だ。
落ち着いた後、わたし達にどう接すればいいのか分からなくてぎこちなかったイシルディンが懐かしい。
あの子も、あの頃はこんな風だった。
「さあ、掃除をしましょうか! せっかくですから、拭き掃除や掃き掃除も覚えて、お掃除の出来るイケメンになりましょう!」
パチリと手を叩けば、アルフリード様が小首を傾げた。
「いけめん?」
「イケてるメンズ、とっても格好良い男性という意味です! アルフリード様にピッタリですね!」
金髪に青い瞳で、とても整った顔立ちで。
しかも宮廷魔法士になるくらい頭も良くて。
お掃除も出来る、イケてるメンズ!
アルフリード様の目元がふっと和らいだ。
「ありがとうございます」
アルフリード様の笑顔にわたしも笑い返す。
目元を和らげただけのものだけれど、それを見ると何故か嬉しくなった。
* * * * *
リルファーデ嬢と午前中に部屋の掃除を済ませた。
彼女は掃除をしながら、丁寧にそのやり方やコツ、やる順番について教えてくれた。
教わってみれば、なるほど、合理的だった。
掃除をしている間もリルファーデ嬢は笑顔を絶やさず、でもそれが表面的なものだけではないというのが伝わってくる笑顔なのだ。
人好きのするそれは不思議と嫌味がない。
自分よりも小柄だが、自分よりもよく動く。
……多分、優しい子だ。
よく人からは冷たいとか淡々としているとか言われることの多いアルフリードに対して、全く物怖じしない。
……メルディエル士団長にもそうだっけ。
あの人は魔力量がかなり多く、士団長という立場上、あえて魔力を抑えずにいる。
そのため、魔力を感知出来る者は士団長の魔力量に気圧されてしまい、中には恐れることもあり、魔力を持ちながらも平然としているリルファーデ嬢は珍しい。
しかし魔力が内向なので、恐らく魔力感知を使えないのだろう。
リルファーデ嬢から感じる魔力は多い。
魔力量だけなら宮廷魔法士にだって劣らない。
ただ、魔力内向者なので魔法はほぼ使えない。
昼食を摂った彼女は意気揚々と次の部屋を掃除しに向かっていった。
宮廷魔法士達には今朝のうちに説明したので、リルファーデ嬢だけでなく、他の清掃員達にもそれなりに協力的になっているとは思うが。
……今日は気分がいいな。
その理由は明確に分かっている。
「僕も仕事をしないとね」
なんとなく、彼女に負けたくないと思った。
そう思った自分に少し驚く。
誰かと競おうなんて考えたこともなかったが、嫌な気は全くしない。
元気で明るいリルファーデ嬢。
よく働き、よく笑う彼女を見ていると、釣られてしまう。
* * * * *