長続きの予感
本の埃を落として運び出した。
それだけでも室内は随分とすっきりした。
「紐を持ってきました」
アルフリード様が紙を纏めるための紐を持って来てくれたので、お礼を言って受け取った。
「そうだ、ここにある布も一緒に片付けちゃいましょう。結構汚れているし」
ソファーの上で紙と一緒にぐちゃぐちゃになっている布を手に取った。
灰色にくすんだベージュの布は大分ゴワついており、もうどれぐらい使われているのか不明だが、何かの薬品がついた跡があったり刺激臭がしたりするので捨てるべきだ。
「え!」と声が上がった。
「それお気に入りだから残しておいてよ〜」
士団長様が緩い口調で言う。
「でも、こんな汚れてますよ?」
「仮眠する時にちょっとかけるだけだから、少しぐらい汚れていても大丈夫だって〜。あったかいし、やっぱり使い慣れた物の方がいいし……」
……もしや、これは……。
ハッと気付く。
「士団長様、これは捨てます」
「ええ〜! 何で? まだ使えるよ!」
……やっぱりそうだ。
「いいえ、使えません。こんなに汚れていたら体にも悪いです。変な臭いもします。そもそも、これ、洗ったことありますか?」
士団長様の視線が泳ぐ。
「いや、ほら、僕は士団長で忙しいし……」
「洗濯物は家の者に任せられますよね?」
「……捨てるほど、まだ悪くないし」
この人、勿体ない精神のせいで物を捨てられないタイプの人だ!
しかも面倒臭がりで洗濯もしてないんだ、これ!!
容赦なく毛布を丸めて紐で縛って纏める。
「絶対捨てます」
士団長様が「そんな〜……」と悲しげな顔をするけれど、ここで折れたら他の物も捨てられなくなる。
アルフリード様が床に散らばった紙を無言で集め、束にして、置いている。
「いいですか、士団長様、不潔な男性は嫌われますよ! 士団長様、ご結婚されていらっしゃるんですか?」
「してるよ〜。十歳になった娘が可愛くてね〜」
「その娘さんに嫌われますよ! いいんですか、娘さんに『臭い』とか『汚い』とか言われるんですよ!」
「う……」
士団長様がしょんぼりする。
「捨てます。いいですね?」
「うん……」
……よし!
さあ、次は紙を纏めようと振り向けば、物珍しそうな顔のアルフリード様と目が合った。
首を傾げてみせれば、小さく首を振られる。
アルフリード様は書類をせっせと拾ってくれるので、わたしが紐でそれを纏めて縛る。
そんなことをしていると鐘の音が聞こえて来た。
「昼食の時間を告げる鐘ですよ」
「昼食にしましょう」とアルフリード様が言う。
……昼食! 王城の食事だ!
「掃除も仕事も一旦お休みしようか〜」
「あーあ、やっと昼食ですね」
士団長様と、もう一人の副士団長様が席を立つ。
アルフリード様も立ち上がったので、わたしも釣られて床から立ち上がる。
屈んでばかりだったから腰が固まっている。
両手を組んで頭上へ持ち上げる。
「う、ぉおおぉ〜……」
ぐぐ、と背筋の伸びる感覚に声が漏れた。
……貴族のご令嬢らしくない声出た。
室内の他の三人がピタリと止まる。
「すみません、おじさん臭い声が出ました」
自己申告して謝ると、士団長様と副士団長様が顔を背けてブフッと吹き出した。
「ふ、ふふ、そ、そんなことないよ……」
それをこっちを向いてもう一度言ってみて欲しい。
顔を背けて、口元に手を当てて、肩を震わせて笑っている状態で言う言葉ではないと思う。
もう一人の副士団長様は俯いているが、体が震えているので明らかに笑いを堪えているのが分かった。
アルフリード様だけが無表情だった。
アルフリード様、あんまり表情変わらないのだ。
「ミスリルちゃんって面白いし、変わってるね〜」
「よく言われます」
「あはは、そうなんだ?」
大体の人に「変わってるね」と言われる。
それが良い意味でも、悪い意味でもあるのは知っているけれど、わたしの個性だと思ってる。
「さあ、昼食を摂りに行こうか〜」
言われて、ちょっと驚いた。
「ご一緒していいんですか?」
「もちろん。王城で働くのは初めてでしょ? 食堂の場所とか、使い方とか、教えてあげるよ〜」
士団長様のお誘いで、一緒に昼食を摂ることになった。
* * * * *
……めちゃくちゃ目立ってる。
考えてみれば、それもそうだ。
宮廷魔法士団の士団長様と二人の副師団長様達という意味でも、三人の容姿という意味でも目立つ。
そう、三人とも結構美形なのだ。
特にアルフリード様は『あなたは王子様ですか?』というくらいの美形で、女性の視線を一身に集めている。
その三人にくっついているわたし。
とんでもなく視線が突き刺さる。
……いや、とにかく食事に集中しよう。
「……美味しい!」
……このパン、白パンだ!
もちもちふわふわ温かい白パンはほんのり甘い。
他のものも食べてみたけれど、どれも絶品で、良い食材を使ってきちんと調理されている。
「幸せ……」
これを毎日食べられるなんて。
「この仕事に就いて良かったです」
「そんなに? これくらい普通じゃない?」
「普通ではないです。我が家では白パンは食べませんし、もっとシンプルな味付けが多いです」
士団長様の言葉に首を振る。
「そんなに領地経営が苦しいのかい?」
もう一人の副団長様に訊かれた。
「いえ。三年くらい前に大規模な不作があったでしょう? あの時、我が家の領地もそうだったんです。しかも疫病も流行って。その時に隣接する他の領地から借金をしたんです。今はそれを返済しているので、あんまり余裕がなくて」
「ああ、あれか」
「確かに、あの不作は大変だったね〜」
それにあの時の疫病で両親は亡くなった。
でも、そこまで言う必要はないだろう。
「もしかして働くことにしたのはそのためですか?」
横のアルフリード様に問われる。
「ええ、まあ、それもあります。でも、わたし自身、働くのが好きなんです。子供の頃は自領の子供達と麦刈りをしたり、畑を耕したり、山に動物を狩りに行ったりしましたよ」
あの頃が一番楽しかった。
毎日屋敷を抜け出して、街の子供達と駆け回って遊んだり、それぞれの家の農作業を手伝ったり、薬草採取や狩りもして、自分で狩った動物が夕食に出ると誇らしかった。
……騎士達の訓練にも参加していたっけ。
「思った以上に活発ですね」
「ええ、我ながらやんちゃな子でした。婚約してからは貴族のご令嬢として頑張って淑女らしくしていましたけど、やっぱり、わたしはこっちの方が性に合ってます。美味しい食事に楽しい仕事、憧れの王城に住み込みで働けて、婚約破棄して良かったです」
あのままハロルドと結婚しても、きっとどこかで我慢し切れずに爆発していたと思う。
幼馴染の延長線で、親同士の約束で結婚しても、ハロルドとわたしは長続きしなかっただろう。
……まさか浮気されるとは思わなかったけど。
そういうことをする前に言ってくれたら良かったのに。
昔の彼ならそんなことはしなかった。
彼があんな風に捻くれたのは、多分、わたしのせいでもある。
「前向きだね〜」
士団長様の言葉に笑う。
「それがわたしの長所なんです」
折れない欠けないへこまない。
それがわたし、ミスタリア=リルファーデである。
「しっかり食べて、午後もお掃除頑張りますよ! 今日中に士団長様のお部屋の床が見えるようにしますからね!」
* * * * *
「もうそろそろ終業時間だから、今日はそれくらいにしておきなよ〜」
そんな士団長様の緩い言葉で我へ返る。
美味しい昼食を食べて、午後はやる気満々で臨んだのだけれど、今日中に士団長様の部屋を片付けることは出来なかった。
足元の書類に想像以上に手間取られた。
何せ、足元に散らばっている紙は要らないものだと言っても適当に集めて束ねればいいという話ではない。
中には実験中にメモしたものもあり、そういうものは捨てられないので、基本的にアルフリード様が中身を確認して、捨てて良いかどうかを判断する。
そうなると、どうしても時間がかかってしまう。
ちなみにわたしが見ても理解出来ない。
分かるのは、書き損じのものだけだ。
それでも一応確認していたので、思った以上に作業が進まなかった。
出入り口から部屋の半分くらいまでは床が見えるようになったけれど、まだ半分から奥側には何層にも重なった紙で足元が覆われている。
「もうそんな時間ですか……」
アルフリード様が立ち上がり、腰に手を当てると軽く伸びをする。
わたしも立ち上がって同じように腰を伸ばした。
下ばかり見ているので腰が疲れた。
ちなみに、この掃除の間にわたしの同僚となるだろう人達がやって来て、挨拶をして行ったけれど、この部屋の惨状とあの汚い部屋によくいる黒光りする虫を容赦なく駆除するわたしを見て若干引いていた。
それでも最初にわたしが見た時に比べればかなり綺麗になった方なのだが。
「このペースなら明日で足元の紙は全て片付けられそうですね」
アルフリード様の言葉に頷いた。
「はい、アルフリード様にはご迷惑をおかけしてしまいますが……」
何せ副士団長様なのだ。
普段だって仕事で忙しいだろうに、掃除のために今日は付きっ切りで手伝ってもらってしまった。
アルフリード様が首を振る。
「構いません。私達にとっても士団長室が綺麗になるのはとても助かることなので。ここが綺麗になるまでは手伝います」
「そう言っていただけて良かったです。捨ててはいけないものをうっかり捨ててしまったらと思うと、なかなか作業が進まないですから」
そう返せばアルフリード様が考えるように目を伏せ、顎に手を当てる。
「……では、掃除をする際に、その部屋の持ち主も手伝うようにさせましょうか?」
その言葉に驚いた。
「え、でも、それは嫌がられませんか?」
魔法士団に所属する人の大半は貴族だ。
彼らにとって、掃除を行うわたし達は言わば使用人みたいなものであり、その仕事を手伝うなんて顔を顰めるだろう。
「そこはきちんと説明して納得させます。ですが、手伝う理由を理解出来れば文句を言う者は少ないと思いますよ」
全くいないと言わないところが正直だ。
「もし文句を言われたら教えてください。私が責任を持って、その者を説得します」
「その時はよろしくお願いします」
掃除道具を纏めて、忘れ物がないか確認をする。
……うん、道具は全部揃ってる。
「お疲れ様でした」
アルフリード様に言われて浅く頭を下げる。
「アルフリード様もお疲れ様でした。お二方も、お仕事の最中に騒がしくして申し訳ありませんでした」
士団長様ともう一人の副士団長様にも浅く頭を下げておく。
「大丈夫だよ〜。むしろ今日だけでここまで綺麗にしてくれてありがとう〜」
「明日もよろしくね」
お二人が気軽に手を上げて返してくれる。
もう一度頭を下げ、掃除道具を持って部屋を出る。
「失礼しました」
一度、午前中に片付けた倉庫に寄って掃除道具を片付け、汚れた水の入ったバケツを持って外に出る。
汚れた水を捨てて、井戸でバケツと手を綺麗に洗ってから倉庫に戻って、バケツも片付けた。
そんなことをしていれば、お昼の頃と同じように鐘の音が聞こえてくる。
……これは終業の合図かな?
分かりやすくていい。
一応時計は持っているけれど、今日の様子を見る限りは時間に追われる仕事ではない。
今日と明日で士団長様の部屋を片付けて、その後は一日一部屋ずつ掃除する。
それが終わったら、多分、毎日自分の担当を巡回して軽く掃除して回ることになるのだろう。
手が空けば廊下なども掃除しよう。
…………。
思わず立ち止まる。
そして元来た道を辿って倉庫へ戻り、箒とチリトリを持って、区画の端まで行く。
……うん、軽くでいいから掃いておこう。
物凄く汚れているわけではないが、廊下の端には埃が目立つ。
それを掃いておくだけでも違うと思う。
終業時間の後だから、やってもお金にはならないが、一度目についてしまうとどうしても気になってしまう。
窓も本当ならば拭いて回りたいのだが、それに関してはまた明日やろう。
……部屋を綺麗にしても廊下が汚いのはダメだよね!
むしろ、人が通る場所こそ綺麗にすべきだ。
それにしても、掃除というのは良い。
やればやった分だけ目に見えて成果が分かるし、汚れた物や場所が綺麗になるのは気持ちがいいし、体を動かすので気分もスッキリする。
それに体を動かせば夜も心地好く眠れる。
個人的にはやり甲斐のある仕事だ。
……やっぱりここにして良かった。
士団長様達も優しいし、食事も美味しいし、住む場所もあって、仕事もやり甲斐があって、お仕着せのおかげで毎日服装にも悩まない。
何より、他所で働くよりお給金が高い。
士団長様は「いつ辞めても良い」なんて言っていたけれど、わたしは絶対に辞めたくない。
「でもせめて掃除機とか埃取り用のハンディモップとか欲しいなあ……」
最低限の掃除道具はあるが、もっと便利で誰でも簡単に掃除の出来る道具があればいいのに。
……ないなら、いっそ作る?
でもわたしはあんまり頭が良くない。
……でも欲しいなあ。
アイデアだけ出したら誰かが作ってくれるかも、なんて、他力本願過ぎるだろうか。
とりあえず、夕食までに廊下の掃き掃除を終わらせなければ。
夕食を食べ損ねるのは絶対に避けたい。
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