【書籍化記念SS】わたしの推しは婚約者
「それでは失礼いたします」
「ああ、ありがとう」
リュディガー公爵邸のアルフリード様のお部屋から、公爵家の家政婦長が静々と下がる。
アルフリード様の部屋はシンプルで、家族写真や花などはそれなりに飾ってあるものの、他に目立つのは本棚くらいで、アルフリード様らしいと感じる。
家政婦長が音もなく扉を閉めて出て行ったので、隣に座っているアルフリード様を見た。
「アルフリード様」
呼べば、すぐに青い瞳が見返してくる。
「何ですか、ミスティ?」
落ち着いた声が優しくわたしの名前を呼んでくれる。
だけど、それだけでは足りないと思ってしまう。
「わたしもアルフリード様に普通に話してほしいです。いつもの丁寧な口調も好きですけど、婚約者だし、もっと気楽に話してください!」
そう言えばアルフリード様が目を瞬かせ、それから、眦を少し下げた。
「よろしいのですか?」
訊き返されて大きく頷いた。
アルフリード様はご家族と話している時も丁寧な口調でいることが多いけれど、時々、お兄様と話していると砕けた口調になる。
それに使用人などと話す時もそうだ。
個人的には丁寧な口調も好きだが、アルフリード様の素の話し方のほうが気になるし、そうしてもらえたほうがずっと嬉しい。
「もちろんです!」
「では、私が普通に話したら、ミスティもそうしてくれますか?」
「え、わたしも?」
「ええ、実はずっと気になっていたのです。ミスティの婚約者として、特別なことがほしいと。……いけませんか?」
逆にお願いされてわたしは戸惑った。
でも、確かに、わたし達は婚約者だし、もっと気楽に話してもいいのかもしれない。
アルフリード様の瞳が不安そうにこちらを見ている。
綺麗な青い瞳に見つめられると、どうにも弱いのだ。
「分かり……えっと、うん、分かった。わたしも普通に話すから、アルフリード様も普通に話して?」
そう答えれば、青い瞳が煌めいて、アルフリード様にギュッと抱き締められる。
「……ありがとう、ミスティ。とても嬉しい」
アルフリード様は無表情と言われるけれど、慣れてくるとだんだんと表情の変化が分かってくる。
何より、綺麗な青い瞳は意外と感情豊かだ。
「ふふ、わたしも嬉しい! アルフリード様とこうして普通に話してると、本当に婚約者になったんだなあって実感が湧くよ」
アルフリード様が少し体を離してわたしを見る。
「ミスティ、僕のことはアルでいい。僕がミスティと呼ぶように、君にも愛称で呼んでもらいたいんだ」
「……アル?」
そっと愛称を呼べば「うん」とアルフリード様……アルが目を細めて嬉しそうに頷いた。
……ん? あれ?
「アル、今『僕』って言った!?」
思わず訊けば、アルが「ああ」と言う。
「うん、その、子供っぽいだろう? 一時期は『俺』に変えようとしたんだけど、なかなか上手くいかなくて。だから普段は丁寧な口調で『私』って言うようにしているんだ」
恥ずかしそうにアルが視線を逸らす。
その青い瞳の中で瞳孔が縦に変化するのが見えた。
……こんなに格好良いのに一人称が僕!!
そういえば前にもどこかで僕って聞いたような?
それはともかく……。
「やだ、アルフリード様、可愛い〜!!」
見た目はクールで素っ気なさそうなのに、実は凄く構いたがりなところもギャップ萌えと思っていたけれど、この外見で『僕』は可愛すぎる!!
ギュッと抱き着き返すとアルが少し不満そうな声を出した。
「ミスティ、アルです。それに男に可愛いと言うのは……」
「そういうアルも丁寧な言葉になってるよ?」
「あ」
見上げれば、頬に少しだけ鱗模様が浮かぶ。
その頬に触れるとアルがハッとした顔をする。
それにわたしは微笑んだ。
「照れてるアルも可愛い!」
わたしよりもずっと大きな男性だけれど、照れている姿にキュンとしてしまう。
「それにアルのこの呪いも可愛い」
アルが困ったように眉を八の字にした。
「可愛い……? 気持ち悪いではなく?」
「そう、格好良いけど可愛い。わたしは呪いも好きだよ? この鱗模様も、目が縦に割けるのも、全部好き」
そっと顔に触れて、頑張って背伸びをして、アルの頬にキスをする。
顔を離せば、アルの目元が赤く染まった。
色白だから照れるとすぐ分かるのも可愛い。
「ミスティ……」
わたしを抱き締める腕の力が少し強くなる。
そうして、アルがわたしの額にキスをした。
「そんなことを言ってくれるのは君だけだ」
言葉だけを聞くと寂しげなもののはずなのに、その声は熱っぽく掠れていて、どきりとする。
ちゅ、ちゅ、と何度も額にキスをされて顔が熱くなったが、それ以上に幸せな気持ちがあふれてくる。
その感情のままにアルフリード様の胸元にすり寄る。
「何度でも言うよ。わたしはアルが大好き」
頭の上にアルの顎が乗る感触がした。
「僕もミスティが好きだ」
……アルの『僕』が凄くいい……!
社交界では『氷の貴公子』なんて呼ばれてる人が、こんなに体の大きな人が、自分のことを『僕』と言っているのがこれほど可愛いとは。
アルが僕呼びする度にハートを撃ち抜かれる気分だ。
「わたし、これからアル推しになるよ……!」
「おし?」
アルの不思議そうな声がして、それから、ややあってアルに見下ろされる。
「そういえば、前にも推しがどうとか言ってたよね? 女性騎士に対して『うっ、胸が苦しい』って」
「そう、それ! ……よく覚えてたね?」
「ミスティに関することは忘れないから」
……またサラッとそういうこと言って!
アルが期待に満ちた眼差しで見てくる。
「僕にも『うっ、胸が苦しい』って思うくらい、格好良いと感じてくれてるってこと?」
キラキラと輝く青い瞳に嘘はつけない。
「……うん、だって、アルは格好良いし。それなのに可愛いとか、そんなの反則だよ。アルの新しいところを知る度に、わたし、ドキドキしてるんだから……」
素直にそう言えば、アルがふっと笑った。
「……そっか」
……え、笑った!?
まじまじと見れば、それはすぐにいつもの無表情に戻ってしまったけれど、確かにアルは笑っていた。
……美形の笑顔の破壊力、凄い……!!
先ほどよりもドキドキと心臓が早鐘を打つ。
つい俯くと「ミスティ?」とアルの不思議そうな声に呼ばれる。今、顔を上げる余裕はない。
アルの笑顔があまりにも格好良くて、本当に嬉しそうだったから、わたしのほうが照れてしまう。
ぐりぐりとアルの胸元に頭を擦りつける。
「今のはずるい……」
「何が?」
どうやらアルは自分が笑ったことに気付いてないらしい。
アルに抱き着いたまま言う。
「アル、今、笑ってた」
「え? 本当に?」
片手は外れたので、見上げれば、ぺたぺたとアルが自分の顔を触っている。
その仕草が子供っぽくて可愛いと思う。
……ううん、違う。
アルだから、何をしても可愛く思えてしまうのだ。
恋は盲目と言うのは本当かもしれない。
「……ね、アル、笑ってみて?」
目の前でニッコリ笑って見せる。
途端にアルは眉根を寄せた。
「………………難しい」
笑おうとしてはいるようだ。
だが、意識すると無理らしい。
どんどんアルの眉間にしわが寄っていくので、わたしは背中に回した腕でぽんぽんとアルを軽く叩いた。
「ごめんね、無理しなくていいよ。心から笑いたくなれば笑えるから。アルがちゃんと笑えるって分かって良かった」
……ただ破壊力は凄いけどね。
あとでお義母様達にこっそり話そう。
きっと、アルが笑ったって言ったら喜んでくれるはずだ。
アルの幼少期の話を聞いて、それから無表情になってしまったと話していたから、少しでもアルが笑えるんだと知ったら安心するだろう。
もう一度背伸びをしてアルの頬にキスをする。
その度に頬に現れる鱗模様に疑問を感じた。
「ところで、その鱗模様とか瞳孔とかに呪いがよく現れてるけど、どういう条件だと出るの? ある程度は自分で制御出来るんだよね?」
それを制御するためにアルは厳しい訓練を受けて、その結果、感情が希薄になり、無表情になってしまったと聞いたが。
「出来るけど、気が昂ぶると出やすいんだ」
「気が昂ぶる……興奮するってことだよね?」
「うん、まあ……」
アルが居心地悪そうに視線を泳がせる。
……わたしがキスした時も出てたよね?
照れた時にも現れていたので、興奮、要は感情が強くなると出てきてしまうということだ。
逆を言えば、興奮しないと出ないわけで。
……アルの感情がダイレクトに出るんだ!
そうと分かると悪戯心がむくむくと湧いてくる。
「アル」
名前を呼べば、アルがこちらを向く。
その唇にわたしのほうからキスをした。
唇を重ねたまま見れば、間近にある青い瞳の瞳孔がまた縦に裂けて、ギュッと縮む。
……ああ、可愛い人だなあ。
こんな人を推さずして誰を推すのだ。
ふと少し笑えば、後頭部にアルの手を感じた。
わずかに離れた唇でアルが言う。
「煽ったのは君だからね」
え、と思った瞬間、またキスをされた。
でも今度は触れるだけの優しいものではなくて、深く口付けられて息も絶え絶えになる。
途中で一度唇を離したアルが「我慢してたのに」と呟いていたが、その意味を理解する前に、また深いキスをされて考える余裕ももらえなかった。
キスされていたのは数分程度だったかもしれない。
でも、わたしにはとても長く感じた。
大きな手が後頭部と腰に回っていて逃げることも出来なくて、アルに翻弄される。
やっと唇が離れ、ふは、と息をする。
時々、魔法士や騎士達の訓練に参加させてもらっているけれど、ここまでわたしが息を切らすことはなかった。
額にちゅ、とキスを落とされる。
「これ以上は夫婦になってからだね」
その声はどこか楽しげである。
キスでさえこうなのだから、この先なんて……。
想像してしまって顔から火が吹きそうだ。
「お、お手柔らかにお願いします……」
「ミスティも言葉、戻ってるよ」
そう言って、またアルが微笑んだ。
……やっぱり美形の笑顔は破壊力がやばい!!
* * * * *
「と、いうことで、アル……フリード様は笑っていました。凄く格好良かったです」
キスのことは伏せつつ、先日のことをお義母様に話した。
するとお義母様が「まあ……!」と口元を両手で覆う。その表情は驚きに染まっていた。
「アルフリードは本当に笑っていたの?」
「はい、本人は気付いていなかったですが」
「ああ、なんてこと、あの子がまた笑える日が来るなんて……」
泣きそうになったのか、お義母様がハンカチを取り出して、目尻に当てる。
わたしは出会ってからのアルしか知らないけれど、お義母様にとっては赤ん坊の頃から我が子として育てて、そばで見守ってきたのだ。
アルが表情を失った時も、きっとつらかっただろう。
子供の頃は天真爛漫だったそうなので、そんなアルが少しずつ感情を諦めていく姿というのは想像しただけでも悲しくなる。
それを間近で見ていることしか出来なかったお義母様達の心痛といったら……。
そっと、お義母様の背に手を添える。
「ありがとう、ミスリルちゃん。あなたがアルフリードの婚約者になってくれてから、あの子も良い意味で変わり始めて、嬉しいわ……」
わたしは慌てて首を振る。
「いえ、わたしは何もしてません! きっとアルフリード様自身も変わりたいと思っていて、でも、なかなかその機会が得られなかっただけで……」
「そうかしら? あなたがいてくれたからこそだと思うわ。……家族なのに、私達は何も出来なかったもの」
困ったような、悲しそうな顔をするお義母様の手を握る。
「そんなことありません。アルフリード様はたまに呪いについて話してくれますが、いつも『受け入れてくれる家族がいたから完全な孤独ではなかった』って言ってました。お義母様達がいたからこそ、アルフリード様は今まで頑張れたんです」
両親が亡くなっても、わたしには可愛いイシルディンがいた。もし弟まで死んでいたら、きっと耐えられなかっただろう。
アルフリード様も、公爵家の方々がいてくれたからこそ、耐えられたのだと思う。
きちんとアルフリード様に愛情は伝わっている。
「だから、お義母様達は何も出来なかったなんてことないです。不安ならアルフリード様に訊いてみてください」
お義母様が顔を上げると、なぜか眩しそうにわたしを見た。
「そう……、そうね、訊いてみるわ」
「大丈夫です。アルフリード様は絶対にお義母様達のことを悪く言ったりしません」
「ふふ、ミスリルちゃんはアルフリードのことをとても信じてくれているのね」
それに大きく頷いた。
「はい、アルフリード様はわたしの推しですから!」
お義母様が不思議そうに首を傾げた。
「推し?」
「一番大好きで、幸せになってほしい、そのためなら何でもしてあげたいと思える相手のことです!」
前は女性騎士推しだったけど、今なら分かる。
あれはただの憧れだけだった。
イシルディンのこともそう思うけれど、でも、そこに恋愛感情はない。
この気持ちは家族愛とも違う。
「それなら、僕はミスティ推しになるのかな?」
聞こえてきた声に振り返る。
「アル!」
そこにはアルが立っていた。
駆け寄れば、アルが柔らかく抱き締めてくれる。
……アルのこと、一生推します!
大好きなわたしの婚約者が幸せそうに微笑んだ。




