ウィリアム=フェデラード
リオーネの実家である公爵家より届けられた手紙を読み終えたウィリアムは小さく息を吐いた。
これ以上はフェデラード侯爵家を危険にさらせないと離婚したものの、その事実は酷くウィリアムの心を傷付けた。
だが、今更もうどうしようもない。
…………三年、待った。
三年前にリオーネがアルフリードとの婚約を解消した後に婚約を申し入れ、そこから三年、婚約して結婚して、共にフェデラード侯爵家で過ごした。
リオーネの心にアルフリードがいるのは分かっていた。
それでも、いつかはウィリアムを見てくれるのではないかという淡い期待がなかったと言えば嘘になる。
彼女がアルフリードの呪いを受け入れられず、婚約が解消された時、ウィリアムは一番最初に彼女の婚約者になりたいと名乗り出た。
その際にアルフリードに自分の気持ちも伝えた。
アルフリードは驚いて、そして気付かなくてすまないと謝ってくれた。
彼が謝る理由など何もないと言うのに。
確かにウィリアムは二人が婚約するより前からリオーネが好きだったが、婚約は家同士の事情もあったし、何よりリオーネ自身がアルフリードを好いていた。
そうと知っていても彼女を諦められなかった。
あのままリオーネとアルフリードが結婚していたならば、ウィリアムは自身の気持ちを永遠に押し隠したか、もしかしたら諦めがついたのかもしれない。
しかし二人の婚約は解消された。
その時はまだアルフリードの事情を知らなかった。
……謝らなければいけないのは俺の方だ。
二人は婚約者同士、親しくしていた。
いくらリオーネが呪いを受け入れられなかったとしても、きちんとリオーネの気持ちが落ち着くまで待つべきだったのだ。
早くしないと彼女が他の男に奪われるかもしれないと思ってしまった。
一番の友であるアルフリードになら彼女を任せられたが、他の男がリオーネと結婚するなど、当時のウィリアムには想像したくもないことだった。
あのままではリオーネは婚約を解消したことで、次の結婚相手を見つけられず修道院へ入ってしまうかもしれないという不安もあった。
それほど、当時のリオーネはショックを受けていた。
ウィリアムはリオーネを繋ぎ留めておきたくて婚約を打診したが、余計にリオーネの心を追い詰めてしまったのだ。
どんなに時間がかかってもリオーネに寄り添い、アルフリードへの気持ちと向き合って、しっかり区切りがついてから婚約すれば良かったのだ。
どうしてもアルフリードへの想いが昇華出来ないのであれば、ウィリアムはリオーネと結婚するべきではなかった。
もしも婚約せずに幼馴染として彼女のそばにいたならば、未来は違ったのだろうか。
結局、ウィリアムは最愛の人を失った。
それに一番の友人と表立って関わる機会も減った。
リオーネと婚約する時に覚悟はしていたが、アルフリードと疎遠になったことは本当につらかった。
気軽に言葉を交わせなくなって初めて友の大切さを思い知らされた。
アルフリードとウィリアムが出会ったのは、アルフリードが成人して社交界に出る少し前のことだった。
淡々としたアルフリードを最初は「無愛想な男だ」と思ったものの、話してみると馬が合ったのか会話が弾み、それ以降はよく会うようになった。
二人で街に遊びに出かけたこともあったし、互いに家に遊びに行くことも少なくなかった。
遠乗りだけは出来なかったが、今思えば、アルフリードが馬に乗れないのは呪いのせいで馬に怯えられるからだったのだろう。
リオーネと結婚した後、アルフリードが彼の兄であるアーノルドとケーニッヒ殿下の立ち会いの下で秘密を明かしてくれた日のことは今でも覚えている。
いつもほぼ無表情なアルフリードがあの時だけは痛みを堪えるように俯き、手を強く握っていた。
呪いのことよりも、ウィリアムはアルフリードのそのつらそうな様子の方が心配だった。
黙っていることも出来ただろうに彼はウィリアムに秘密を明かして、婚約を解消した理由も包み隠さず教えてくれた。
そんなアルフリードを怖いと思うはずがない。
誰よりもその呪いに怯えていたのはアルフリード自身に見えて、それでも明かしてくれたことが、正直に言うと嬉しかった。
一番の友だと思っていたのは自分だけではない。
秘密を明かしても良いと思えるくらいには、アルフリードもウィリアムを友と感じてくれている。
「……彼女を頼む」
アルフリードの言葉にウィリアムは頷いた。
それが当時は正解なのだと考えていた。
リオーネの実家である公爵家も一度婚約を解消してしまった娘を早く結婚させて安心したかったのだろう。
弱っていたリオーネの心につけこんでしまったのだ。
婚約してしばらくするとリオーネが笑顔を見せるようになったので、アルフリードへの気持ちが残っていても、ウィリアムにも情を感じてくれているのだと思った。
結婚しようと言った時もリオーネは頷いた。
でも、その時には既にリオーネは心を病んでいたのかもしれない。
アルフリードの呪いが受け入れられずに拒絶してしまい、しかし彼のことは心から愛しており、苦しんでいるうちに婚約が解消されて、彼女は選択肢を奪われた。
このままでは貴族の令嬢としても瑕疵がつく。
そこにウィリアムが婚約を申し出たため、リオーネは自分を守るためにそれに頷いた。
しかもウィリアムはリオーネと結婚してから一度も肌を重ねたことはなかった。
彼女の気持ちがアルフリードにまだあることを分かっていたから無理強いはせず、辛抱強く待った。
けれども、リオーネが肌を許すことはなく。
これ以上はウィリアムも年齢的に難しかった。
次代のフェデラード侯爵となる子供は必要だった。
アルフリードの新しい婚約者に彼女が嫌がらせなどしなければ、親族を説得して、親戚の子供を引き取るという方法もあった。
しかし現在、最も有力なリュディガー公爵家を敵に回すようなことをした彼女を妻に据えたままにするのはフェデラード侯爵家の利益にならないと親族達全員から反対意見が出た。
前侯爵である父にも首を振られた。
「これ以上、フェデラード侯爵家に泥を塗るな」
ウィリアムは言い返すことが出来なかった。
リオーネはいつまで経ってもウィリアムを見ることはなく、結婚後も、家族と言うよりは幼馴染のままの関係だった。
両親や親族達を説得しようとしたけれど、反対意見は根強く、ウィリアムの言葉はただの希望に過ぎないと一蹴されてしまった。
三年間のうちで、リオーネが一度でもウィリアムを夫として接したことはあったか。
そう問われた時に頷けなかった。
いくら当主と言えども前当主や親族一同の言葉を無視することは出来ない。
せめてもとリオーネに意思を問えば、リオーネはアルフリードを愛していると口にするばかり。
それが更に両親と親族達の意見を後押しすることとなり、ウィリアムとリオーネは離婚することとなった。
離婚が成立するとリオーネは実家の公爵家に帰り、しばらくはそこで過ごしたが、精神を病んでいると医者に診断されて療養する名目で公爵領へ連れて行かれたようだ。
さすがに王都から離れることにリオーネは抵抗したそうだが、今は自領の治療院に入っているそうだ。
良くなれば修道院へ、悪化するようならば一生治療院に預けられるか自領の別宅で療養させる予定らしい。
手紙にはそう書かれていた。
一人になったことでウィリアムは自分が思いの外、リオーネとの関係を苦しく感じていたのだと気付いた。
今でも彼女を愛している。
だが同時に離婚してホッとしていた。
どれだけ尽くしても、どれだけ愛を告げても、リオーネには届かなかった。
それがウィリアムの心に重くのしかかっていたのだ。
リオーネとの離婚は悲しくて、苦しくて、身を切られるように感じるのに、心のどこかでは安堵している自分がいて、ウィリアムは自嘲がこぼれた。
机の上にあったそれを手に取る。
父が持ってきた釣書だ。
閉じられていたそれを開けて中を見る。
そこには見覚えのある貴族のご令嬢が載っていた。
フェデラード侯爵家の傘下の家のご令嬢で、歳は二十二歳、少々顔立ちはきつめだが美しく、保守的な性格だという。
ウィリアムの事情も説明済みだと父は言っていた。
それでも結婚しても良いと言う話らしい。
何度か家の夜会などでも会って言葉を交わしたことのある女性だが、いつも父親や兄の後ろで静かに微笑んでいた控えめな人という印象しかない。
父が推すのだから悪い人ではないのだろう。
……確かに政略結婚の方が良いのかもしれない。
もう恋愛で苦しむのはこりごりだった。
ウィリアムの中にはまだリオーネへの想いが燻っているけれど、昔ほど熱を持ってはいなかった。
疲れてしまったと言うべきか。
ずっとずっと、幼い頃よりリオーネを愛していた。
彼女だけを愛し続けたいと思っていた。
だが、今はもう、自分の気持ちが分からない。
愛しているのに苦しくて、愛しているのにそれが心に重くのしかかり、息がしづらくなる。
愛しているが、離れたいと思ってしまう。
「……諦めるべき、なのだろうな」
釣書を握る。
きっと、自分はこの女性と再婚するだろう。
「せめて、この人には誠実にいよう……」
こんなどうしようもない自分のそばにいてくれるというのならば、ウィリアムは出来る限りのことをする。
……でも、もしも叶うならば……。
家族として、夫婦として、愛し、互いに大切な存在になりたい。
もう、片想いはしたくない。
* * * * *
それから一年後。
ウィリアムは釣書に載っていた女性、テサイア=カルヴァン伯爵令嬢と結婚した。
二人は一年の婚約期間を経ての婚姻だった。
その結婚はカルヴァン伯爵家はフェデラード侯爵家の縁戚であり、その家の娘と結婚することで、より家門の関わりを強くするという意味合いもある。
同時にフェデラード侯爵家がこれ以上醜聞をさらさないための方策でもあった。
結婚後の二人は穏やかな人生を歩んだ。
テサイアはウィリアムの妻として夫を長年支え、ウィリアムはそんなテサイアを尊重し、大事な家族として、妻として、互いに信頼関係を築いた。
結婚後、フェデラード侯爵夫妻の間には嫡男が、二年後に長女が、その更に一年後に次女の一男二女が産まれる。
次代にも、子宝にも恵まれたフェデラード夫妻はその後、寄り添いながら家門を守っていった。
それにウィリアムには良いこともあった。
疎遠になっていた友人、アルフリード=リュディガーとの関わりが戻ってきたのである。
以前と元通りとまではいかないまでも、彼らの関係は修復され、互いに顔を合わせれば談笑出来るようになっていた。
そしてアルフリード=リュディガーとその婚約者のミスタリア=リルファーデの結婚式に、ひっそりとだが、出席することが叶ったという。
ウィリアムはそれを何より喜んだそうだ。
「大切な妻に可愛い子供達、そして一番大事な友人との仲を取り戻せて、俺は幸せだ」
ウィリアムは時間がかかったが、テサイアを夫婦として愛することが出来た。
子供も出来て、友人とまた笑い合えるようになって、彼は幸せだった。
元妻のことを忘れたわけではない。
彼女のことを思えば、今でも胸が痛む。
それでもウィリアムは幸せになれた。
「…………ありがとう、テサイア」
夫の言葉に妻は静かに微笑んだ。




