掃除機と発案者
「ねえ、聞いた? あの掃除機っていう魔道具、思いついたのはミスタリア様なんだって」
同僚のメイドの言葉に私は驚いた。
「え、そうなの? 知らなかった」
少し前から、このリュディガー公爵家では掃除機という魔道具が掃除用具として使用され始めた。
何でも次男のアルフリード様が出資して公爵家の魔道具工房で開発したもので、箒で掃く代わりに埃や塵を吸い取ってくれるというものだった。
最初はみんな半信半疑でそれを使った。
掃除と言えば箒で掃いたりモップで拭いたり、中には雑巾をかけなければならないこともある。
それが毎日ともなれば、水仕事をする手はボロボロになり、皹が出来たり肌がガサガサになったりして、とてもつらい。
冷たく硬い床に長時間膝をつけることもあるので、膝や腰を悪くする者も多い。
それが、その掃除機という魔道具を使えば埃や塵を簡単に吸い取って掃除出来る上に、静かで、埃も舞い上がらないという。
そんな都合の良いものがあるわけない。
そう思ったものの、使い始めてみると、それが事実なのだと気付かされた。
まずは全員が掃除機について説明と扱い方を受け、各グループに一つずつ配られた。
掃除機は陶器で出来ており、見た目は貴族の家にあってもおかしくないように綺麗なものだった。
卵みたいな胴体に小さな車輪が三つ、そこから革製の蛇腹の筒が出て、途中で胴体と同じ陶器の筒に変わっている。先端と筒の真ん中辺りで取り外しが出来て、使う場所によって、部品をつけたり外したりして使うとのことだ。
一番最初に使ったメイドが「これはいい」と言った。
平たい口を床に滑らせるだけで埃や塵が本当に綺麗に吸い込まれる上に、絨毯に使用しても大丈夫で、埃も立たないので掃除中にクシャミをする回数が減ったという。
何より音が静かだから気を遣わなくていいそうだ。
公爵様やアーノルド様は朝から王城へ出仕するが、ディアナ様やリュミエラ様は邸内で過ごされているため、掃除中は出来る限り物音を立てないようにする。
貴族の使用人は極力、存在感を消すのも仕事の内だ。
その点、確かにこの掃除機は優れていた。
箒で掃くよりも簡単で、音も立たず、埃や塵を逃さず吸い込んでくれる。
吸引力が落ちたら一旦手を止めて、胴体の上部にあるフタを開けて中の袋に溜まったゴミを捨てるだけなのであまり手も汚れない。
高くて手の届き難い部分は平たい口を外して筒を伸ばせば、壁の出っ張りや照明の上の埃も綺麗に吸い込んでくれる。
平たい口は家具の下まで入るため、腰を屈めて膝をついて、一生懸命箒を突っ込む必要もない。
しかも埃が立たないので、別の場所を掃除して舞い上がった埃のせいで二度手間にということにもならず、少々重たいのが難点だが全体的に見れば非常に良い。
てっきりアルフリード様が発案されたのだと思っていた。
「この間ミスタリア様がいらした時に、アルフリード様と話してたの! あ、そうそう、マスクもミスタリア様の発案なんだって! 凄いなあ」
そう言った同僚は、そのマスクをつけている。
掃除機と同時に渡されたのがこのマスクだった。
埃や塵を吸い込むのを防いでくれるので、掃除中につけてみて、掃除機と同様に使用感を報告するように言われていた。
……私はちょっとマスクが苦手だ。
埃などを吸い込まないのは良いけれど、同僚の顔もあまり見えないし、動き回る掃除中につけていると少し息苦しいし、顔に布が当たるのが落ち着かない。
でも同僚はかなり気に入っているらしい。
埃に弱いのか、同僚は掃除中に何度もクシャミをしていたので、このマスクという口への当て布をつけるようになってから、目に見えて掃除に集中出来るようになった。
息苦しくないか訊いたら、鼻がムズムズしたりクシャミが止まらなくなったりするよりもずっと良いということだった。
「へえ、なんか意外ね」
つい最近、アルフリード様は婚約した。
そのお相手は子爵家のご令嬢だった。
次男とは言え、公爵家の結婚相手が子爵家というのはあまりに身分差がありすぎるのではと使用人達の間でも話題に上がった。
公爵家が認めたならば否やはないけれど、実際目にした子爵令嬢は、貴族の中で見て、良くも悪くも平凡な外見であった。
公爵家の方々が全員、見目麗しいから余計にご令嬢が見劣りしているように感じた。
だが、子爵令嬢はそれを気にしていなかった。
小柄で可愛らしい外見の子爵令嬢は、初めて公爵家を訪れた時からいつだってニコニコと笑顔を浮かべて、少々元気すぎるくらい明るく、貴族のご令嬢らしくない人だ。
でも悪い人ではない。
むしろ、正直で誰に対しても穏やかで優しいご令嬢だった。
アルフリード様の婚約者である子爵令嬢が来た日に表に出ていた使用人達からの評判はいつも良かった。
紅茶を淹れただけでお礼を言われた。
身支度を整えたら感激された。
名前を訊かれて答えたら、それからはきちんと名前を呼んでくれるようになった。
色々な話を聞いたが、誰もが子爵令嬢を好意的に感じたし、私自身も給仕として出た際には何度もお礼を言われた身だ。その気持ちは分かる。
子爵令嬢には貴族らしさがあまりない。
しかし馴れ馴れしいわけでもなくて。
使用人を一人の人間として扱ってくれる。
リュディガー公爵家のように爵位が高い貴族は比較的、使用人に対して寛容な者が多いけれど、爵位が低い貴族ほど、使用人に横柄な態度を取る。
もし何かがあれば使用人が自分と同じかそれ以上の爵位を持つかもしれないという恐れや疑心、貴族としてのプライドなどから来るものらしい。
逆に爵位が高い貴族は、どうやっても使用人が自分よりも上になることはないと分かっており、それ故に心の余裕があるから寛容になれるとも聞いたことがある。
どちらにしても、貴族には使用人を人間として扱わない者が多いのだ。
使用人は所有物。もしくは邸の一部。
消耗品のようなもので、使えなくなったり気に入らなくなったりしたら簡単に辞めさせることも出来る。
中には権力に物を言わせてメイドに手を出す貴族もいるため、どの家に仕えるかを決めるのは使用人達にとってもかなり大きい。
そういったことを考えると、使用人に対して優しく友好的な子爵令嬢には驚いた。
「意外?」
「ええ、ミスタリア様はその、こういう言い方をするのは失礼かもしれないけれど、あまり頭が良い風には見えないでしょう?」
「あー……」
私の言葉に同僚が納得した様子で頷いた。
子爵令嬢が来た時に何度か給仕に回っていたが、会話や様子を見る限り、優秀な人物には見えなかった。
魔法も魔力内向者で身体強化しか使えない。
……まあ、それが強すぎるらしいけど。
自分の目で見たわけではないので確証はない。
「でもさ、ミスタリア様はそもそも考え方がわたし達とは違うって感じがしない?」
「まあ、それはあるわね」
貴族らしくないご令嬢。
アルフリード様や公爵家の方々と話していても、子爵令嬢は時折、思いもしないことを言ったりする。
公爵家の方々はそれを好意的に受け止めている。
ディアナ様から淑女としての教育を受けているものの、アルフリード様といる時の子爵令嬢は最初の頃と変わった様子はない。
立ち居振る舞いなどの所作は綺麗になったが、言動には変化が見られないのだ。
「アルフリード様の前の婚約者と全然違うな〜って思ったけど、なんか、わたしはミスタリア様の方がいいなあ。前の方はちょっと近寄りがたかったし」
それは前の婚約者が公爵令嬢だったからだろう。
公爵令嬢は気品があって、優美で、貴族のご令嬢然としていた。
それに使用人に目を向けることはなかった。
無視するというより、存在自体を気にしていないようだった。
そういう点では子爵令嬢の方が使用人にも気を遣ってくれるし、穏やかで対応しやすく、親近感がある。
「それにしても、マスクも掃除機もあって助かるよね。試作品らしいけど、もっと作って欲しい〜!」
それには同意する。
「そうね、掃除機はもっと欲しいわ」
それこそ、一人か二人で一台あれば、掃除はもっと楽になり、時間も短くなるだろう。
少々重たいことを除けば良い魔道具だ。
ただ、一台当たりが結構高いはずだ。
貴族の売り出すものは貴族向けが多い。
いくら使用人が使う物と言っても安くはないだろう。
「でもきっと高いでしょうね」
そう続ければ、同僚が「ふっふっふ」と笑う。
「まだ値段は決まってないらしいよ。だけど、掃除機は平民でも買える値段のものも作るって!」
「そうなの?」
「うん、私達が使ってるのは貴族向けで、平民向けは木か何か、別のもので作るって話してるの聞いちゃった。貴族向けの物でもティーカップより安い値段にするって」
「それで商売になるのかしら?」
あまりに安いと売り上げがないだろう。
「ミスタリア様は高いものを少なく売るんじゃなくて、安くて手頃な値段のものを、少ない利益の代わりに沢山売るんだって」
「……ああ、そういうことね」
少ない利益でも沢山売ればそれなりの額になる。
高額の商品を少なく売っても、安い値段のものを沢山売っても、要は利益が同じになるように調整すれば良いわけだ。
もちろん、それが必ずしも上手くいくとは限らない。
「沢山の人に使ってもらいたいって、いいよね」
使用人の仕事の中でも清掃は大変なものだ。
それが少しでも楽になるなら、使用人達は主人にお願いしてでも欲しくなる。
掃除機は床に膝をつく回数も腰を曲げることも減るため、体への負担も軽くなり、使用人が働く期間が伸びるかもしれない。
メイドが辞める原因の一つが掃除という重労働により、体を悪くすることだった。
その負担が減るのは良いことだ。
「しかも、新しい掃除用の魔道具も考えてるんだって!」
それに首を傾げた。
「何で掃除関係ばかりなのかしら?」
「さあ? それは知らないけど」
同僚も首を傾げる。
でもきっと、子爵令嬢が発案する次のものも、良いものになるのではないだろうか。
だって掃除機は掃除をする人の視点でなければ分からないだろう使い方もあったから。
多分、子爵令嬢も掃除をよくしていたのだ。
子爵家という爵位では、使用人を多くは雇えない家もある。
そういう家では貴族でも家事を行う。
恐らく子爵令嬢もそうだったのだろう。
公爵家が子爵家を援助しているという話も聞くし、あながち間違いでもないと思う。
「わたしはミスタリア様、好きだなあ」
……私も嫌いじゃない。
あの明るい笑顔を向けられると、ついこちらまで笑顔になってしまいそうになる。
もしかしたらアルフリード様もそうなのかもしれない。
子爵令嬢の裏表のない明るさに救われたのだとしたら良かったと思う。
いつも無表情で淡々としたアルフリード様だが、時々、寂しそうに見えることもあったから。
子爵令嬢と婚約して以降、そういえば、そのような姿を見ることはなくなった気がする。
「私もミスタリア様、好きよ」
彼女が来てから、公爵家は以前よりも雰囲気が明るく、柔らかくなった。
それは多分良いことだと思うから。
何より、最近膝が痛くなくなった。
そのことが何よりも私は嬉しかった。




