公爵家と姉の幸せ
「姉上、変なところ、ない?」
イシルディンが問えば、姉が頷いた。
「大丈夫、凄くよく似合ってるよ!」
そう言った姉の後ろでメイドのアニーも頷く。
部屋を出る際に何度も姿見で確認をしたので大丈夫だと分かっていても、つい気になってしまう。
今日はリュディガー公爵家に行く日だ。
姉は何度も行ったことがあるから平気そうだが、イシルディンは初めて行くため、どうしても緊張してしまう。
楽観的な姉は「公爵家の方々は優しくて良い方ばっかりだから、そんなに気を張らなくても平気だよ」と言うけれど、公爵家の人々と会うのに緊張しない人の方が少ないと思う。
何せリュディガー公爵家はいくつかある公爵位の家の中でも最も力がある。
リュディガー公爵は貴族の中でもかなり発言力のある方で、リュディガー公爵は王妃様の弟で、嫡男は次期公爵でありながら王家の近衛に選ばれるほど優秀で、その妻も王太子妃殿下とご友人だという。
まるで雲の上のような人々なのだ。
……姉上はそんな方々と仲が良いんだよね。
しかも、姉の婚約者であり、公爵家の次男であるアルフリード=リュディガーは宮廷魔法士団・紫水の副士団長を務めている。
「坊っちゃま、お嬢様、アルフリード様がお越しになられました」
家令のヴァンスが義兄を案内して来る。
パッと姉の表情が明るくなり、立ち上がった。
「アルフリード様!」
中へ入ってきた義兄に姉が駆け寄る。
そんな姉上を、青い瞳が目を細めて見下ろした。
「こんにちは、ミスティ」
その呼び方にドキリとする。
父と母が姉を呼ぶ時に使っていた愛称だった。
姉が嬉しそうに笑う。
「こんにちは、お迎えありがとうございます!」
「お気になさらず。早くミスティに会いたかったのと、イシルディンのことが気になったので、来てしまいました」
……また始まった。
この二人は本当に仲が良い。
正直あんまりにも良過ぎるので、イシルディンはたまに姉を取られてしまったような気分になる。
でも同時に、姉をそこまで愛して大事にしてくれる義兄だからこそ、安心して姉を任せられる。
姉と結婚するために義兄は子爵家に良くしてくれている。
金銭的な援助、社交面での後見、イルンストン伯爵家との交易の一部を取りやめた際にも次の交易相手を紹介してくれたというし、姉に対しての支援も惜しまず、婚約破棄されて傷付けられた姉の名誉も回復した。
最近は次期子爵のイシルディンのために、より良い教師を紹介してくれて、そこからイシルディンの交友関係も広まりつつある。
まだ姉達が結婚していないのにイシルディンが彼を義兄と呼ぶのは信頼と期待をこめてだった。
公爵家、そしてアルフリード=リュディガーが姉とリルファーデ子爵家を助けてくれたことへの信頼。
姉を守り、幸せにしてくれることへの期待。
多少の寂しさはあるが、姉が幸せならばそれでいい。
「義兄上、迎えに来てくださり、ありがとうございます」
義兄がこちらを向いて、少しだけ目尻を下げた。
「いえ、こちらこそ予定を合わせていただけて助かりました。父も母も、兄達も、皆イシルディンとも会って話したいと言っていたので」
「僕も我が家や姉に良くしていただいている公爵家の皆様にきちんとご挨拶をしたいと思っていたので、機会を作ってくださったこと、本当に感謝しています」
姉が婚約してから何度か我が家に来ている義兄に呼び捨てで良いと言ったのだが、姉はそれが嬉しいようで、こうして話している横でニコニコしている。
……多分、僕と義兄上が仲良くしてることが嬉しいんだろうな。
それからアニーとヴァンスに留守を任せ、姉と義兄と共に、馬車に乗って公爵家に向かう。
今まで移動は辻馬車を使っていたので、こうして専用の馬車に乗るというのは少し落ち着かない。
姉と義兄は向かいの席に並んで座って手を繋いでおり、見ているこちらが気恥ずかしくなる。
義兄は基本的に無表情な人だけれど、別に感情がないというわけではなく、姉曰く「感情が顔に出ないだけ」らしい。
確かに、よくよく注意して見ていれば姉と話している時の義兄は穏やかな雰囲気で、目を細めており、見る角度によっては微かに笑っている風に見えなくもない。
……それでも淡々として見えるけどね。
姉が感情豊かな人なので、むしろこれくらいの方が釣り合いが取れて良いのかもしれない。
「イシルディン、そんなに緊張せずとも大丈夫ですよ。今回の招待は家同士の繋がりを強くするためもありますが、母と義姉が是非ミスティの弟であるあなたとも仲良くしたいということで招くのですから」
そう言われてもやはり緊張はする。
「そうだよ、お義母様達もとっても優しいし、凄く良くしてくれるし、きっとイシルも公爵家の皆様のことを好きになるよ。公爵家の皆様もイシルのこと、好きになってくれると思う」
姉が朗らかに笑う。
それは姉だからではという言葉は飲み込んだ。
貴族の令嬢としては少々変わり者だが、姉は不思議と人を惹きつける。
姉を嫌う者もいるが、大抵の人は姉の正直さや明るさを好意的に受け止めてくれる。
人々の輪の中心にいるのが姉なのだ。
「そうだといいな」
そんな話をしているうちに、馬車は目的地へ到着した。
公爵邸は敷地も建物も想像していたよりもずっと広くて大きく、美しく、イシルディンは思わず自分の住んでいるタウンハウスがこの敷地に一体いくつ入るのだろうと一瞬現実逃避してしまう。
これだけでも、子爵家との差は大きい。
姉は楽しそうにしているが、イシルディンは緊張で少し胃が痛かった。
正面玄関に馬車が停まると外から扉が開かれる。
まず義兄が降り、次にイシルディンが降りて、義兄の手を借りながら姉が降りる。
当たり前のように姉が義兄の手に自分の手を重ねている姿に言い様のない気持ちが湧いた。
前の婚約者であったイルンストン伯爵子息も一応姉が馬車に乗った時は手を貸していたものの、姉と義兄のような、互いへの信頼感はなかった。
しかも姉と義兄はそのまま腕を組む。
リュディガー公爵家の家令に出迎えられて、邸の中に案内された。
公爵邸は外観も美しいが、内装も華やかで美しく、しかし下品な感じは全くない。
家令が先頭を歩き、義兄にエスコートされながら姉が、そして最後にイシルディンが続く。
「ミスティと婚約してから全員で集まる回数が増えて、母があなたに感謝していましたよ」
「そうなんですね。私もお義母様達とお話しするのが楽しいので、むしろ私の方こそ『ありがとうございます!』という感じです」
……姉上は本当に公爵家に慣れたな。
元より姉は自分と違って度胸のある人だ。
最初は緊張しただろうけれど、今の様子からして姉はもう公爵家の方々とは仲良くなれたようだ。
前で話す二人を眺めつつ、廊下を進む。
そうして応接室らしき部屋に通される。
家令が扉を開け、そこへ姉と義兄が入り、イシルディンも入った。
そこにはリュディガー公爵家が集っていた。
「ようこそ、我がリュディガー公爵家へ」
公爵様だろう年嵩の男性に声をかけられる。
イシルディンはすぐに礼を執った。
「皆様、お初にお目にかかります、リルファーデ子爵家が嫡男イシルディン=リルファーデと申します。お忙しい中、このような場を設けていただき感謝申し上げます」
公爵家の方々は顔を見合わせると小さく笑った。
「まあ、ミスリルちゃんに聞いていた通りの方のようですわね」
公爵夫人が微笑ましげに目尻を下げた。
「さあ、座ってくれ」と公爵様に促されて席に着く。
サッと控えていたメイドがお茶を差し出してくれる。
それに礼を述べてから一口飲む。
普段家で飲んでいるものよりもずっと美味しくて、かなり良い茶葉なのが分かった。
「まず紹介をしよう。私がリュディガー公爵家の当主、ウェインツ=リュディガーだ。こちらは私の妻のディアナ、長男のアーノルド、そしてアーノルドの妻のリュミエラだ」
公爵様の紹介にそれぞれが浅く頭を下げてくれて、イシルディンも慌てて同じように浅く頭を下げて挨拶を返した。
……さすが公爵家。美男美女ばかりだ。
貴族は爵位が上の者ほど見目が良い。
それは爵位や金銭面で、相手を選べるという点が大きいからだ。
「ご丁寧にありがとうございます」
公爵様が小さく首を振った。
「そう堅くなる必要はない。我々は今後ともリルファーデ子爵家とは良き関係を築きたいと考えている」
「ええ、そうですわ。ミスリルちゃんが義理の娘なら、その弟君は義理の息子ですもの」
穏やかな表情の公爵夫妻に言われて、イシルディンは驚くと同時に、ああ、なるほどと思った。
きっと、姉の時もこんな風に受け入れてくれたのだろう。
そして姉はそんな公爵家の方々だからこそ、義父義母と呼ぶようになったのかもしれない。
「はい。……実は、ずっとご挨拶をしたいと思っていました。姉の醜聞を消してくださったことだけでなく、我が家への援助や僕の家庭教師の紹介など、リュディガー公爵家の皆様には感謝をしても、しきれないほどにご恩を感じています」
「我々の方こそ、リルファーデ子爵家には感謝しているのだ。アルフリードの結婚式を見ることはないかもしれないと思っていたのだが、ミスタリア嬢のおかげで見ることが出来そうだ。リルファーデ子爵家への援助などは当然のことで、むしろ、こちらが礼を言いたいくらいだ」
公爵様が義兄を見る。
その目が和やかに細められて、あ、と思った。
その仕草は義兄にそっくりだったから。
義兄の話は友人からも、姉からも聞いている。
一度婚約したものの、何らかの事情で婚約は解消され、それから義兄は誰とも婚約を交わすこともなく一人だった。
あまりに人を寄せ付けず、ご令嬢達の想いを断り続け、社交界では『氷の貴公子』と呼ばれていた。
淡々としては見えるけれど『氷の貴公子』は少々言い過ぎな気もするが。
「そうだとしても、姉を守ってくださり、アルフリード様と公爵家の皆様には本当に感謝しております。今後とも姉共々よろしくお願いいたします」
「ああ、こちらこそ、アルフリード共々よろしく頼む」
公爵様の言葉にホッとして、少し肩の力が抜けた。
公爵家と子爵家では身分差がありすぎるため、ここまで受け入れてもらえることの方が珍しいだろう。
……本当に、感謝してもし足りない。
「それにしても、ミスリルちゃんとよく似ていらっしゃるのね」
公爵夫人の言葉にイシルディンは頷いた。
「姉も僕も母方の祖母に似ているそうです」
「そうなの、姉弟で似ているというのもいいものね」
「俺達は家族でもみんなあまり似ていないから」
公爵夫人とアーノルド様が苦笑する。
それにイシルディンは目を瞬かせた。
「そうでしょうか? 公爵家の皆様はご家族だけあって似ていらっしゃると思います。公爵様とアーノルド様、アルフリード様は目を細めた感じがそっくりですし、瞳の色はディアナ様とアルフリード様は同じです。皆様の綺麗な金髪も、僕は、よく似ていて素敵だなと感じました」
また、公爵家の皆様が顔を見合わせた。
そうして嬉しそうに笑った。
「そうか、そのように言ってもらえるとは」
「私達にも似通ったところはあるのね」
あんまりにも嬉しそうにするので、イシルディンの方が驚いてしまった。
……何でそんなに喜んでいるのだろう?
家族なのだから、多少見た目が違っても、似ているのは当たり前のことだ。
つい、と横から姉につつかれる。
「やっぱりイシルもそう思った? お義父様達とアルフリード様が目を細めた感じとか、雰囲気とか、よく似てるよね」
姉の言葉に頷き返す。
「そうだね」
姉の横で義兄が少しだけ目を細めた。
それに気付いた姉が「良かったですね」と同じように笑っている。
「ところで、アルフリードを義兄と呼ぶなら、俺のこともそう呼んでくれてもいいと思うんだが、どうだろうか?」
アーノルド様の言葉に目を丸くしてしまう。
「え」
まだ会ったばかりでそのように言われるとは考えてもいなかった。
「アルフリードはいるが、この弟ときたら甘えてくれなくなって、兄としては少し寂しかったんだ。それに弟というのは何人いても嬉しいものだ」
「兄上、それはいきなりすぎるでしょう」
「だが、お前は義兄と呼ばれているじゃあないか」
「それはミスティの婚約者であり、いずれは義理の兄となるからです。兄上は義理の兄の兄という微妙な立場ではありませんか」
「それでも、義兄は義兄だろう」
義理の兄達の会話に思わず笑ってしまった。
公爵家というから、気を張っていたけれど、姉の言う通り優しくて、穏やかで、イシルディンの好きな感じの人達だった。
姉を見れば、笑っていた。
まるで「ね、言った通りだったでしょ?」と言いたげで、イシルディンは小さく頷いた。
「それでは、アルフリード義兄上、アーノルド義兄上と呼ばせていただきます」
それにアーノルド様、いや、アーノルド義兄上が嬉しそうに目を細めて笑い、アルフリード義兄上が少し呆れた顔をして、公爵夫妻は穏やかに笑っている。
姉も幸せそうな笑顔を浮かべていた。
……ちょっと悔しいけど。
もしイルンストン伯爵子息と姉が結婚していたら、姉のこんなに幸せそうな笑顔を見せることはなかっただろう。
アルフリード義兄上とリュディガー公爵家だからこそ、姉はこうして幸せそうなのだ。
「良かったね、姉上」
姉が幸せならば言うことはない。
イシルディンのたった一人の大切な家族。
でも、これからは大切と思える人が一気に増えそうだとイシルディンは内心で苦笑した。
姉が公爵家の人々を好きなように、イシルディンも、公爵家の人々を好きになれそうだ。
「うん!」
頷いた姉の表情は晴れやかだった。
 




