ミスリル令嬢と笑わない魔法使い
* * * * *
「おい、お前ら、そのままじゃ負けるぞ!!」
そんな声に、向かい合っている魔法士と騎士達の表情が引き締まるのが見える。
アルフリード様が小声で「大丈夫ですか?」と訊いてくる。
それに返事をしつつ、向かって来る騎士の剣を弾く。
「大丈夫です!」
あの夜会から一週間が過ぎた。
呪いの件は驚いたけれど、それでアルフリード様との関係が変わることはなかった。
……むしろ前よりも近くなったかも?
アルフリード様の方も呪いについて打ち明けたことで何か吹っ切れたようで、以前よりも少し、感情が出るようになった気がする。
他の人に「アルフリード様、前より明るくなりましたね」と言うと首を傾げられるけれど。
前よりもずっと雰囲気が明るく、柔らかくなった。
「『障壁よ、内と隔てよ!』」
アルフリード様の声がして、わたしに向かってきた魔法を弾く。
「アルフリード様、ありがとうございます!」
キィン、ともう一度騎士の攻撃を受け流す。
アルフリード様の方は紅玉の魔法士と戦っている。
研究専門の紫水に属するアルフリード様だけれど、さすが宮廷魔法士だけあって、戦闘訓練に参加しても全く周りに引けを取らない戦いっぷりだ。
……不思議な感じ!
紅玉の士団長アルドレッド様とアルフリード様のお兄様であるアーノルド様から、魔法士と騎士の共同訓練に参加しないかと声をかけられた。
わたしはそれに一も二もなく頷いた。
その時にアルフリード様も横にいて、わたしが出るなら自分も出ると言い出して、こうなったのだ。
三人の魔法士から魔法がわたしへ放たれる。
「『風よ舞い上がれ!』」
アルフリード様の声がして、わたしの体が空へ吹き上げられる。
……騎士服借りてて良かった!
もし制服のままだったらスカートの中が丸見えだ。
舞い上がった空中で一回転して地面へ降りる。
そのまま地を蹴り、三人の魔法士の一人へ目標を定め、大きく跳躍して距離を詰める。
「っ、『炎よ、──……』」
「はぁっ!!」
相手の詠唱が終わる前に蹴りを入れる。
が、ガツンと何かに阻まれた。
別の魔法士が障壁を張ったようだ。
「こら、そこ、詠唱を中断するな!!」
アルドレッド様の怒声に目標の魔法士がビクッとする。
その気持ちは分かる。
アルドレッド様の怒声、声が大きくて、お腹から声を出してる感じで、結構ビリビリ響くのでちょっと怖いのだ。
わたしは自分に向けられなくて良かったと思いつつ、身体強化を足に集中させる。
「すみません、壊しますね」
言って、足を上に上げる。
そして踵を振り下ろして障壁に叩きつけた。
バキィイインと甲高い音がする。
半透明の幕が割れるような景色の中で、魔法士達が酷く驚いた表情をする。
魔法の障壁は確かに強い。
でも、それより強い魔法を当てられれば壊れるように、物理面でも、耐えられる力を超えれば破壊出来る。
足にガンガンに身体強化をかければ何とかなる。
振り下ろした足から全身に身体強化を戻し、地を蹴って魔法士の目の前へ飛び込む。
「一人目!」
言って、拳を握って、打ち込んだ。
それは見事に相手の腹部へめり込む。
魔法士の体が一瞬浮いたので「力を入れ過ぎたかも?」と思ったけれど、軽く吹っ飛んだその魔法士にすぐに別の魔法士が駆け寄って治癒魔法をかける。
その間に剣を構えて、もう一人の魔法士へ向かう。
障壁は無駄だと思ったのか、火の玉がいくつも飛んでくるが、構わずに突っ込んだ。
……だってわたしにはアルフリード様がいる。
「『障壁よ、内と隔てよ』」
アルフリード様の声がして、笑みが浮かぶ。
目の前で炎が弾かれていくのが痛快だ。
そのまま魔法士に剣を向ける。
「二人目!!」
初めてアルフリード様と一緒に戦ったけれど、驚くくらい戦いやすくて、こちらの意図を読み取ってくれる。
……本当にわたしとアルフリード様って最強!
こんなに気持ち良く戦えるのは初めてだった。
* * * * *
ミスティが楽しそうに戦っている。
それを視界の端に収めつつ、アルフリードも魔法を駆使して、相対している魔法士と戦っていた。
アルフリードの秘密を明かしてから一週間。
不思議なほど心が軽い。
……愛する人に受け入れてもらえることが、こんなにも幸せなことだったなんて知らなかった。
家族や友人に受け入れてもらえることも嬉しいけれど、ミスティが拒絶しなかったことが一番嬉しかった。
それどころか彼女は呪いを肯定的に受け止めてくれた。
それすらもアルフリードの一部として愛してくれる。
呪いの現れた手や頬に躊躇いなく触れて、瞳孔の裂けた目を真っ直ぐに見つめて、ミスティは笑った。
あれから、アルフリードの心は軽くなった。
これまで呪いについて明かせなかったことがアルフリードの心に重くのしかかっていたが、それがなくなり、心のつかえが取れたようだ。
同時に、ミスティとの距離が近くなった。
物理的な距離ではなく、心理的な距離だ。
アルフリードはミスティを好きだと言いながらも、呪いのことで、どこかで距離を置こうとしていたのかもしれない。
もしも拒絶されたら。
もしも婚約がまた解消されたら。
そんな不安が消えなかった。
だが、そのような不安はもうない。
ミスティは呪いを受け入れてくれた。
格好良いという言葉にどれほど救われたか、きっとミスティは知らないだろう。
この呪いは他人から見れば不幸に見えるけれど、アルフリードにとっては呪いも含めてアルフリード=リュディガーという人間であった。
この呪いは外見的な欠点があるものの、魔力量や魔法適性が高かったり、身体能力が人よりも高かったりと良い点もある。
アルフリードは七歳まではこれが普通だった。
アルフリードの実母の王妃殿下はアルフリードを憐れがったものの、アルフリードからすれば、呪いがあるのが当たり前なのだ。
呪いを抑えるための訓練はつらかった。
けれど、同時に呪いはアルフリードに恩恵を与えてくれた。
魔力の質と魔法適正という魔法士としての資質、頑健な体、愛情深い公爵家の家族に友人、そして偏見を持たない婚約者。
呪いがあったからこそのものだった。
背中に温かな感触が触れる。
「楽しいですね、アルフリード様!」
ミスティが背中を預けてくれている。
「ええ、とても」
体温と共に彼女から心底楽しそうな感情が伝わってきて、アルフリードは瞳を細めた。
……ああ、彼女が好きだ。
ミスティに剣を振り下ろそうとした騎士を風魔法で軽く吹き飛ばしながら思う。
背中を、心を、預けられる相手がそばにいることが、何よりも幸せだ。
「アルフリード様、さっきの倍飛ばしてください!」
「分かりました」
* * * * *
訓練場の一角で派手な戦いが繰り広げられている。
それを、額に手を当てて目元に影を作りながら、魔法士団・紫水の士団長ナサニエル=メルディエルは眺めていた。
「あはは〜、あの二人凄く元気だね〜」
その横では琥珀の士団長が、怪我を負って下がってきた騎士や魔法士達に治癒魔法をかけつつ「元気過ぎますね」と苦笑する。
ナサニエルは戦っている自分の補佐官を眺めた。
アルフリード=リュディガーは優秀な魔法士だ。
本来であれば紅玉に入ってもおかしくないほどの魔力量と魔法の才能を持っているのに、彼は何故か紫水を希望し、ずっとナサニエルの下で働いている。
時折こうして紅玉や騎士達の訓練に参加することはあったが、このように誰かと背中を預け合って戦う姿を見たのは初めてだった。
……ああ、すっごく楽しそう。
今までの訓練では、彼はいつも一人で、その高い魔力量と魔法の才能で誰も寄せつけなかった。
いつだって彼は一人だった。
長年共に仕事をしているナサニエル達ですら、本当の意味では心を許してくれてはいないだろう。
それがナサニエルには気にかかっていた。
たとえ自分でなくとも良いから、誰か、アルフリード=リュディガーにとって大切な存在が出来たらと思っていた。
淡々として、人付き合いが苦手で、どこか陰のあった彼だったが、リルファーデ子爵令嬢と出会ってから少しずつ変化が訪れた。
その変化がナサニエルには嬉しかった。
誰かを気にかけるということは、それだけ、その人物に心を傾けているということでもある。
今の彼はまさしくそうであった。
リルファーデ子爵令嬢に心を傾けている。
そしてリルファーデ子爵令嬢も同じか、それ以上にアルフリード=リュディガーに心を預けているのが見ただけで分かる。
「あの二人がくっついたのはちょっと意外だったけど〜、ああしてるとお似合いだね〜」
剣に優れたリルファーデ子爵令嬢と魔法に優れた彼は良きパートナーのようだ。
まだ出会って一年も経っていないというのに、まるで長年共に過ごしてきたかの如く相手の動きが分かっているらしく、なかなかに連携が取れている。
「あーあ、ったく、何でミスリル嬢は清掃員なんかに応募したんだか。せめて紅玉か騎士に来ればもっと才能を活かせただろうに」
そんなことを紅玉の士団長が言う。
「危険な場所に出る気はなかったんじゃな〜い? そもそも、うちのところに来たのだって『住み込み食事付きで給金が良いから』って言ってたし〜?」
「まあ、それはそうだけどよ……」
紅玉の士団長の言いたいことは分かる。
あれだけ身体強化で戦える人間はそういない。
リルファーデ子爵令嬢から感じる魔力量はなかなか高く、内向者でなければ、もしかしたら宮廷魔法士に入ることが出来たかもしれない。
しかし、内向者故に身体強化以外はほぼ使えないだろう。
使えても自分に治癒魔法がかけられるくらいだ。
「あれだけ強けりゃ、騎士としても結構上に行けると思うんだがなあ」
紅玉の士団長が残念そうに言う。
確かにリルファーデ子爵令嬢は魔法はほぼ使えないが、あの身体強化は反則的に強い。
「身体強化で魔法を弾くなんて、僕、初めて見たよ〜。あれは僕達でも無理だよね〜」
「ああ、障壁がなくても問題ないよな、あれ」
「アルフリード殿は障壁を張っていますけれど」
士団長であるナサニエル達ですら、あそこまで身体強化で頑丈かつ身体能力を上げることは出来ない。
しかし彼女はそれを自由自在に使っている。
魔力内向者だからと言って才がないわけではない。
むしろ、彼女のあの強さは他の内向者達にとっても良い指針となるかもしれない。
魔法をほぼ使えない内向者はこれまで侮られることが多かったが、彼女のようにきちんと使いこなせれば普通の魔法士と戦っても劣ることはないと分かれば、きっと同じ内向者達の希望になるだろう。
「アルフリード様!」
「ミスティ!」
二人が背を預け、クルリと半転し、立ち位置を入れ替えて戦っている。
「……氷の貴公子って呼び名はもう似合わないね〜」
無表情なのは変わらないが、最近のアルフリード=リュディガーは雰囲気が柔らかくなった。
以前のような冷たさは減り、紫水の中でも、リルファーデ子爵令嬢と関わり始めてから彼が話しやすくなったという声も上がっている。
相変わらず、貴族のご令嬢からの熱い視線や想いはバッサリ断っているようだが。
その断り方は多分以前とは違うが。
「ミスリル嬢と会ってから、あいつ、雰囲気が明るくなったよな」
「もしかしたら釣られてるのかもね〜」
一度婚約を解消しているので、今度こそ、彼には幸せになってもらいたいとナサニエルは思う。
「でも相変わらずニコリともしないけどな」
たまには笑えよ、と紅玉が息を吐く。
「あー、あれでも結構笑ってるらしいよ〜?」
ナサニエルの言葉に紅玉の士団長が驚いた顔で振り向いた。
「え、お前見たことあるのか?」
「ないけど〜、ミスリルちゃん曰く『アルフリード様は目元を和ませるのが笑顔なんです』だって〜。ミスリルちゃんはよく笑ってるって言ってるよ〜」
「それ、笑顔って言えるか?」
紅玉の士団長が微妙な顔をしたが、琥珀の士団長がほっほっと笑う。
「感情表現は人それぞれですよ。彼が笑うことが出来て、分かる人がそばにいるなら、それは彼にとっても幸せなことでしょう」
「そうだね〜」
ナサニエルは頷きながら考える。
……いつか、僕もアルフリード君がしっかり笑顔を浮かべる姿を見てみたいんだけどね。
でも、今のままでも良いのかもしれない。
戦う二人は本当に楽しそうで。
「ミスリルちゃんのおかげで氷の貴公子は笑わない貴公子に変わったね〜」
……ミスリルちゃんには笑顔が分かるらしいが。
「貴公子って言うほど優しくないだろ」
「じゃあ笑わない魔法使い〜?」
「ミスリル令嬢と笑わない魔法使い、ってか?」
くくく、と紅玉の士団長が笑った。
「ふふ、面白い良い組み合わせでしょ〜?」
あの二人が出会って良かった。
楽しそうな笑顔を浮かべるリルファーデ子爵令嬢と、彼女へ常に気を配っている彼の姿は微笑ましくて。
きっとあの二人の未来は明るいものだろう。
「おーい、そろそろ一旦休憩にするぞ!!」
紅玉の士団長の声に騎士や魔法士達がホッとしたような顔をする。
リルファーデ子爵令嬢は少し息を切らせながらも、アルフリードに抱き着いていた。
「アルフリード様の魔法凄いですね! 格好良い! しかもいつも絶妙なタイミングで欲しい魔法をくれるのですっごく戦いやすかったです! アルフリード様凄い!!」
「ありがとうございます」
そんな婚約者を抱き締め返しながら言う彼の声音は少しだけ、嬉しそうな響きがこもっている。
冬が来てもいつかは春が訪れるように。
人生は不幸ばかりではない。
一つ一つが積み重なって、大きな幸せになる。
「アルフリード様、大好きです!」
「私も同じ気持ちです」
とても幸せそうな二人がそこにいた。
──ミスリル令嬢と笑わない魔法使い(完)──
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