掃除をしよう
「魔窟って言うほどじゃあなかったなあ」
倉庫の窓を開け放つ。
まずはここを軽く掃除して、道具の確認などもしなければ他の部屋の掃除は出来そうにない。
ポケットからハンカチを取り出して三角に折り、口元を覆い、後頭部で両端を縛る。
……今度マスクでも作ろうかな。
窓を開けて風と明かりの入った倉庫を見回す。
とりあえず身体強化魔法で能力を底上げする。
それから、まずは雑巾を探した。
大分使われていないようでカラッカラになっていたが、まだ何とか使えそうだ。
バケツも引っ張り出して、一旦倉庫を出る。
来る途中でイリーナ様に井戸の場所も教えてもらっていたので、そこまで戻って水を汲み、バケツと雑巾を洗い、綺麗な水を入れて倉庫へ戻る。
わたしは魔力内向者なので魔法はほぼ使えない。
使えるのは身体強化と自己治癒くらいだ。
たまに、他の魔法も使えたら便利だろうなと思うこともあるけれど、ないものねだりをしても仕方がない。
「さて、仕事仕事〜」
バケツにかけた雑巾をもう一度絞ってから、乱雑に置かれている箒やモップの埃を拭いて取り除いては、廊下へ出していく。
箒にモップにバケツ、他の雑巾、大小のブラシと基本的な道具が出てくる。
随分とごちゃごちゃになっていて、結構な数が詰め込まれていた。でも壊れている物が多い。
それに積み上げられた木箱の中には壊れた実験器具が沢山入っていたので、どうやらこの倉庫は使わなくなった物を置く場所となっていたようだ。
木箱の中身はほぼ汚れていなかった。
……まあ、ガラクタばっかりだけどね。
箱の外側の埃を払い、それも廊下へ出す。
部屋の中身を全部出すのに時間はかかったが、空になった倉庫は結構広くて、綺麗にすればこっそり使用人達が休憩する部屋に出来そうだった。
……ハタキも欲しいなあ。
箒で高い場所の埃を払って、埃を落としていき、最後に床の埃を一箇所に纏めて掃く。
幸いチリトリはあった。
……こういう時はビニール袋があったらいいのに。
埃は沢山あるのでチリトリだけでは取り切れない。
「……随分綺麗になりましたね」
声がしたので振り返れば、ここまで案内してくれた金髪に青い瞳の男性、リュディガー様が出入り口から中を覗き込んでいた。
「リュディガー様、丁度良いところに。大きくて要らない袋はありませんか? あそこの埃の山を片付けたいんですが……」
青い瞳が部屋の隅の埃の塊を見た。
「ああ」とリュディガー様が納得した顔をする。
それから埃へ向かって掌を向けた。
「『炎よ燃えよ』」
ブワッと一瞬炎が上がり、埃の山が消える。
「袋は明日までに用意しておきます。それから、王城内には父や兄もいるので、僕のことはアルフリードと呼んでください」
「分かりました」
埃は綺麗さっぱりなくなっていた。
……いいなあ、魔法。便利そう。
でも床が焦げたりしないのだろうか。
思わず床を見てみたが、特に焦げたり汚れたりといったことはなかった。
「後は道具を中に戻すだけですか?」
問われて頷き返す。
「はい。あ、壊れた道具や実験器具もありましたけど、それらはどうしますか?」
「いつの間に……。掃除で使う物だけ倉庫に戻しておいてください。壊れた物や不要な物はこちらで確認して捨てておきます」
ということなので、倉庫にまだ使えそうな掃除用具を入れていく。
それ自体はあまりなかったのですぐに終わった。
廊下から様子を見ていたアルフリード様が眉を寄せて、廊下に積み上げられた木箱を睨む。
「これについては皆に注意しておきます。この倉庫はゴミを仕舞って置く場所ではありませんから」
「そうしていただけたら嬉しいです」
掃除用具を入れた部屋はスッキリ綺麗になった。
「空気を入れ替えたいので、窓を開けておいてもいいですか?」
訊けば、頷き返される。
「ええ、大丈夫ですよ。でも帰る際には閉めるのを忘れずにお願いします」
道具を仕舞う時に戻るから忘れないと思う。
「では水を入れ替えたら、先ほどの部屋に伺いますね」
「よろしくお願いします」
バケツを持って井戸へ戻る。
汚れた水をその辺に捨てるわけにはいかない。
それはそれできちんと捨てる場所がある。
井戸まで戻って、水を捨て、もう一度綺麗な水を汲んで倉庫へ戻る。
箒とチリトリ、雑巾、バケツをとりあえず持っていく。
先ほどの部屋に向かい、扉を叩く。
「ミスタリア=リルファーデです」
中から扉が開かれた。
「あ、ありがとうございます」
でも、とりあえず廊下に道具を置く。
中に持ち込んでも置く場所がない。
「倉庫の掃除、お疲れ様〜。続いてで悪いけど、僕の部屋もよろしくね?」
「え、ここ、士団長様のお部屋なんですか?」
「うん、そうだよ」
……いいのだろうか?
「わたしが見たり触ったりしてまずいものはありませんか? 入ったばかりのわたしより、もっと信頼出来る人に任せた方がいいような気がするんですが……」
士団長様がからりと笑う。
「そういうことがないように、誓約書にサインしてもらったでしょ?」
「あ」
……なるほど、そういえばそうだ。
まあ、別に誓約書がなかったとしても仕事中に見たものについて誰かにペラペラと話すつもりはない。
士団長様が良いと言うのだから良いのだろう。
「アルフリード君よろしく〜」
アルフリード様が頷いた。
「一応、私もついていますので扱いに困る物がありましたら遠慮なく訊いてください」
わたしも頷き返す。
「分かりました。まず最初の質問ですが、足元の書類は必要なものですか?」
「……いえ、これらは不要ですね」
思わず揃って足元を見る。
「次に、室内の物を廊下へ運び出しても大丈夫ですか?」
「紫水の区画から持ち出さなければ問題ありません」
「テーブルの実験道具は動かしてもいいですか?」
「いいと思います。少なくとも、年単位であれはあそこにあるので、使ってはいませんね」
……年単位。
アルフリード様と数秒顔を見合わせる。
…………よし。
「とりあえず、テーブルとソファーから片付けていこうと思います。実験道具を洗える場所はありますか?」
アルフリード様が壁を指差した。
そちらには扉があった。
「隣に実験室があります」
「……そこ、使えますか?」
「綺麗とは言い難いですが」
隣室に続く扉をそっと開けて覗く。
テーブルや棚は実験道具や薬品だらけだが、こちらの部屋よりかはいい。
足元に書類も散らばっていないし、刺激臭は少し強いし埃は積もっているけれど。
「リルファーデ嬢は生活魔法は使えますか?」
首を振る。
「いいえ、わたしは内向者なので」
「なるほど。ではお手伝いします」
隣室に入り、まず窓を開ける。
刺激臭を換気しなければ。
まず、使っていない四角いバットとバケツを取り出して、アルフリード様にバケツに水を入れてもらい、バットを洗う。
…………石鹸がガチガチだ。
泡立てるのに苦労するが、何とか泡立ててバットを洗い、水で泡を流し、立てかけて軽く水を切る。
その間に周りの物を一旦足元へ下ろし、場所を開けて、そこにバットを置く。
元の部屋に戻り、テーブルの上の実験道具を手に取れば、埃の何とも言えない感触が手にくっつく。
「この中身ってなんでしょうね?」
フラスコの中には赤ピンク色の謎の元液体が、水分を失って固形物になっていた。
「私にも分かりかねます」
アルフリード様と顔を見合わせる。
「あー、それそんな色に見えるけど回毒薬だよ〜」
士団長様の言葉に改めて手の中を見る。
「回毒薬?」
「魔力回復と解毒の混合、みたいな? 飲むと気絶するかと思うくらい不味いから失敗作なんだ〜」
そもそもこんな色合いのものは飲みたくない。
「これ、捨てても大丈夫……ですかね?」
「いいよ〜」
士団長様が頷いた。
「水分がなくなっているのでゴミに出すのは問題ないと思いますが、素手で触らない方が良いでしょう」
「ですよね」
適当な要らない紙の上にひっくり返し、フラスコの底をポンポンと叩けば、ごと、とそれが出てきた。
……うーん、ラズベリー系のケーキに見えなくもないような? それにしては毒々しすぎるかな?
水分のなくなったそれは硬そうだ。
アルフリード様が紙で包んで捨てに行った。
そんなことをしながら試験管やフラスコなどを持って戻り、それらを洗っていく。
アルフリード様が手伝ってくれるおかげで洗い物が捗る。
実験器具を洗って、バットに置くと、アルフリード様が風魔法で乾かして綺麗になったそれを廊下へ運び出してくれるし、水が汚れたら綺麗にしてくれる。
だからあっという間に実験器具は洗い終わった。
ちょっと手がヒリヒリするのが器具に残っていた薬品のせいだろうか。
身体強化してこれなので、何もせずに触ったらもっと手が荒れていたかもしれない。
……ゴム手袋とかも欲しいなあ。
ゴムはないから革製の防水手袋でもいい。
濡れた手を拭く。
「次に本を運び出します」
アルフリード様が頷いた。
「本は埃を払いたいんですけど、どこか外に出られる場所はありますか?」
「外で払うのはやめた方がいいかと。中にメモが挟んであることもありますので」
……そっか。
「じゃあ雑巾を固く絞って軽く拭きますね」
山積みにされた本を一冊一冊雑巾で拭いていく。
アルフリード様はわたしが拭いた本を重ねて廊下へ運び出す。
副師団長様に手伝わせて申し訳ないけれど、どうやら本の中身を分類ごとに分けてくれているようなので助かる。
わたしでは読んでも理解出来ないと思う。
「……私も本を拭きます」
雑巾の一つを手に取ったアルフリード様が言う。
「これを機に私も掃除の仕方を覚えたいので」
「いいですね!」
思わず利き手で親指を立ててしまった。
それを見たアルフリード様が目を丸くし、それからふっと微かに目元を和らげた。
……あれ、もしかして笑った?
アルフリード様が手元の本へ視線を移す。
……気のせいかな?
* * * * *
固く絞った雑巾で埃だらけの本を拭く。
本はよれていて、埃っぽく、手に取るだけでカビ臭さと古いインクの匂いが鼻につく。
手は埃で少しざらついている。
こういう経験は初めてだ。
リルファーデ嬢は本当に掃除し慣れているようで、手早く実験器具を洗ったかと思えば、今度は本の埃を落としている。
チラと横目に見やれば、何が楽しいのかリルファーデ嬢の表情には笑みが浮かんでいた。
その手が本の埃を拭ってはそれを重ね、また別の本を拭っては重ねてを繰り返す。
手つきは丁寧で、本を傷付けないように気を遣っているのが窺えるけれど、仕事は早い。
思わず自分の手元を見下ろした。
自分の拭いた本は埃の取り具合もまちまちで、リルファーデ嬢が拭いたものの方が綺麗で、そして作業の速度も彼女の方が早かった。
……拭き直そう。
重ねた本を再度手に取り、雑巾で拭く。
思えば本を手に取ることは多かったけれど、自分がよく使う物なのに片付けたり掃除をしたりするなんて考えたこともなかった。
今回だって使用人の仕事だと思っていた。
でも、楽しそうなリルファーデ嬢を見ていたら、何となく手を貸してしまった。
……凄く、楽しそうだ。
不意にリルファーデ嬢と目が合った。
「アルフリード様はお仕事が丁寧ですね」
僕の手元を見て彼女が目尻を下げて笑う。
「いえ、仕事も遅いですし、不慣れで、手伝ってもあまり意味がありません」
これなら彼女一人で作業するのと大差ない。
自分は何でもそれなりに出来ると思っていた。
今までは実際、何をやっても人より出来たし、それが当たり前だと周りからも思われていた。
でも、本当はこんな簡単なことすら……。
「そんなことないですよ」
リルファーデ嬢の思いの外強い口調に驚いた。
無意識のうちに俯きかけた顔を上げれば、リルファーデ嬢がまっすぐにこちらを見ている。
「アルフリード様はよく出来ています。本の汚れもきちんと取れていて、わたしが拭いた分の本も仕分けてくれているでしょう? それに先ほどから魔法で手伝っていただけて、とても助かっていますよ」
僕の拭いた本を手に取り、リルファーデ嬢はニコニコと笑っている。
「初めてでこれなら上出来です」
優しい声だった。
誰かに褒められるなんて久しぶりだ。
昔から、何でも出来て当たり前と言われてきた。
公爵家の義理の両親も、実の両親にすらあまり褒められたことはなかった。
義兄や実の兄弟のことを考えると目立ちすぎるのは良くないし、いつもほどほどで手を抜いていた。
「アルフリード様には掃除の才能がありますよ!」
「……何それ」
……変な子だ、と思う。
でもこれまで周りにいた貴族達とは違う。
ついこぼしてしまった言葉を誤魔化すように咳払いをする。
「失礼、何でもありません」
リルファーデ嬢がおかしそうに笑った。
「そうですね、自分で言っておいて、掃除の才能って何でしょうね?」
僕よりも小さな手が本を元に戻す。
「……もしそういう才能があるとしても、私よりもあなたの方が掃除の才能はあるでしょう」
「そうですか? そう言ってもらえると嬉しいです。子供の頃からメイド達に混じって手伝っていたので、その努力がやっと報われました!」
きっと、使用人達からも可愛がられて育ってきたのだろうことは容易に想像がつく。
素直で、明るくて、楽しそうで。
婚約を破棄されても前を向いて進んでいる。
……僕とは正反対だ。
リルファーデ嬢が立ち上がった。
「さあ、本を運んだら次は足元の書類を片付けますよ! あ、要らないものはどうしますか?」
「それは外で燃やします」
「焚き火するならお芋も欲しくなりますね!」
……何で芋?
やっぱりちょっと変なご令嬢である。
* * * * *