彼の変化とその理由
* * * * *
最近、弟が丸くなった。
ケーニッヒ・オルドア=ユースタリアは窓の下の光景を眺めながら心底そう思う。
決して公にはされないが、血の繋がった実の弟であるアルフリード=リュディガーが先日、自らケーニッヒに会いにやって来た。
そのこと自体も驚いたのだけれど、それ以上に、アルフリードに頼まれたこととの方が衝撃的だった。
「ミスティ──……ミスタリア嬢に私の呪いについて説明していただきたいのです。私は彼女に隠しごとはしたくありません」
アルフリードの元婚約者の件があり、王家は呪いについて伝えるべきかどうか、今現在協議している最中である。
だからこそ、ケーニッヒは驚いた。
「いいのかい? もし、また以前のようなことになったら……」
「それでも隠したままにするのは間違っています」
そう言ったアルフリードは何かを決意した表情だった。
訊いてみると、リルファーデ子爵令嬢が他のご令嬢から嫌がらせを受けたのは、元を辿れば前の婚約者だったリオーネが指示していたという。
アルフリードはそれでリオーネに会いに行った。
少し前までは元婚約者の話題すら避けていたのに、その婚約者に会いに行くだなんて、それがどれだけ勇気の要ることであったかケーニッヒは想像するだけで顔を顰めそうになった。
だがリオーネも罰を受けた。
彼女は結局、リュディガー公爵家を敵に回したこととなり、夫の愛情も離れてしまい、侯爵家に居られず、離縁が決まったそうだ。
実家に帰ることになるだろうが、離縁した出戻りの令嬢が再婚するのは難しい。
公爵令嬢ともなれば相応の相手でなければならないが、歳の合う相手は既に婚約者がいたり、結婚していたり、釣り合う相手はもう見つからない。
恐らくどこかの修道院に入ることとなるだろう。
リオーネもウィリアムもケーニッヒはそれなりに知っている間柄なので残念ではあるが、家を危険にさらすような人間では妻のままにはしておけないというのも分かる。
ウィリアムの心情的にも、このまま結婚生活は続けられないだろうし、ただでさえ元婚約者が嫁いだ家とあって微妙な立場だったのに、更にリュディガー公爵家に睨まれるのは困るはずだ。
リオーネはもう二度とアルフリードの前に現れることはない。
その方がいい、とケーニッヒは思う。
「ところで、リルファーデ子爵令嬢は受け入れてくれそうか?」
ケーニッヒの問いにアルフリードが首を振る。
「分かりません」
正直な返答にケーニッヒは苦笑する。
あんなにつらい思いをしたのに、それでも呪いについて隠さずに伝えるというのだ。
それだけ相手に対して真摯に向き合いたいのだろう。
リルファーデ子爵令嬢への想いの深さと、アルフリードなりに前を向こうとしている努力を感じる。
「そうか、まあ、父上と母上には伝えておこう」
「お願いします」
それが一昨日の出来事であった。
ケーニッヒが見下ろしている窓の外。
庭園の一角に置かれたベンチに腰掛けて、アルフリードとその婚約者のリルファーデ子爵令嬢が楽しそうに談笑している。
アルフリードの表情は変わらないが、席を立つことなくああしているところを見るに、アルフリード自身も楽しいと感じているのだろう。
その横でアルフリードを見上げるリルファーデ子爵令嬢も満面の笑みで、見ているこちらまで思わず笑みこぼれそうになる表情だ。
……あそこまで素直に好意を示されて嫌な人間もそういないだろうな。
リルファーデ子爵令嬢からは遠目にも嬉しい、楽しい、幸せという感情が伝わってくる。
菓子でも持ってきているようで、時折、二人は何かを食べていた。
温かく柔らかな午後の日差しの下で和やかに話している姿は本当に仲の良い婚約者同士である。
アルフリードは元婚約者とのことがあり、婚約解消して以降、ずっと人との付き合いを殆ど避けてきた。
そんな彼がこうして穏やかな雰囲気の姿は初めて見た。
……所詮、私は血の繋がりがあるだけ。
アルフリードは王族の一人ではあるが、彼自身は公爵家こそ自身の家族と思っている。
それは当たり前のことだ。
彼は産まれてすぐに公爵家に引き取られた。
そこからずっと公爵家の一員として暮らしてきた。
いくら血の繋がりがあると言っても、それで家族になれるわけではない。
実際、ケーニッヒがアルフリードを弟と思っていても、アルフリードはケーニッヒを王族の一人、仕えるべき相手と考え、そう接している。
それが少し寂しくもあるが仕方がない。
上の兄二人もアルフリードには我関せずといった様子で、公爵家の一員として対応している。
……父上と母上も。
一度手放した以上、アルフリードはもう公爵家の人間だ。
王家が下手に目をかけ過ぎるのも良くない。
ケーニッヒは魔法士団の統括を行なっているから関われるだけで、そうでなければアルフリードと接する機会はほぼなかっただろう。
「……本当に丸くなったな」
必要以上に王家と関わろうとしなかったアルフリードが、自らケーニッヒに会いに来て、自分の意思を伝えた。
以前のアルフリードならばきっとしなかっただろう。
よほどリルファーデ子爵令嬢のことが好きらしい。
……前の婚約者の時はここまでじゃなかった。
それだけに不安もある。
リルファーデ子爵令嬢がアルフリードを拒絶したら、今度こそ、彼はもう誰とも結婚しようとは思わなくなるかもしれない。
「あまり余計なことをしない方がいいのは分かってるけど……」
それでも弟のために何かしたかった。
* * * * *
「こんにちは」
別の日、ケーニッヒは庭園のベンチで休憩しているリルファーデ子爵令嬢の元を訪れた。
最近彼女がここで休憩時間を過ごしていることは報告書で知っていた。
声をかけたケーニッヒを見たリルファーデ子爵令嬢は、慌てて立ち上がると礼を執った。
「第三王子殿下にご挨拶申し上げます」
どうやらアルフリードが言っていたように、ケーニッヒの正体を教えられたらしい。
……前回の気軽さが面白かったのに。
しかしそれはケーニッヒが王族だと知らなかったからに過ぎず、そうでなければこれが普通の対応だ。
「顔を上げて、楽にしていい」
そう声をかければリルファーデ子爵令嬢は素直に礼をやめて顔を上げた。
こちらが王族だと分かっているだろうに、真っ直ぐに見つめられて不思議な気持ちになる。
彼女からは王族に対する敬いは感じられるが、身分の差に対する恐れはない。
目が合うとハッと我に返った様子で視線が下げられる。
恐れはないものの、王族に無礼なことをしないようにという感情は伝わってくる。
……相変わらず面白いご令嬢だ。
「この間は案内をありがとう」
ケーニッヒの言葉に彼女が口角を僅かに下げた。
「いえ、私こそ、第三王子殿下と気付かず無礼な振る舞いをしてしまい申し訳ございません」
「いやいや、あれくらい気軽な感じの方が私としては嬉しいよ。傅かれてばかりは寂しいからね。君ももっと気楽に、それこそ紫水の魔法士達のように接してくれて構わないよ?」
「それはさすがに出来ません!」
冗談交じりに言うケーニッヒにリルファーデ子爵令嬢がぶんぶんと首と手を振って身を引いた。
もちろんケーニッヒもそれは分かっている。
「言ってみただけさ。でも、自国の王族の顔くらいは覚えておいた方がいい。貴族なら尚更」
「はい……」
リルファーデ子爵令嬢の肩が下がる。
けれどもすぐに顔を上げたので、多分、自分なりに何か考えを思いついたのだろう。
非常に分かりやすいご令嬢だ。
「君は我が国の成り立ちを知っているかい?」
リルファーデ子爵令嬢が頷く。
「はい、確かユースタリア王国は、魔獣を従えていたドラゴンを討ち倒したという勇者達の末裔だと学びました。だから王族の方々は総じて魔力が高く、魔法に長け、剣術や体術などの武の面でも非常に才能があるのだと」
「そうだね」
実際、それは半分正しくて半分間違っている。
確かに勇者のうちの一人の末裔ではあるけれど、だからと言って必ずしも才ある者ばかりが生まれるわけではない。
王族として恥じないように幼い頃より様々なことを学び、努力し、身につけるからこそ、王族は王族らしさを持つようになる。
そして、ドラゴンの呪いの影響で、確かに王族の直系は総じて魔力や身体能力が高くなる。
これは血筋が薄くなるほど能力が下がっていく。
王族と近しい公爵家に高い能力を持つ者が多いのは、王家との血のやり取りが多いからだとケーニッヒは考えている。
「当時の、我々の祖先である勇者を尊敬するよ。魔獣の頂点に立つドラゴンを討ち倒そうなんて、そう出来ることではない。私も何度か魔獣討伐の指揮を経験したが、あれらは単体でも脅威だ」
「はい、私もそう思います」
リルファーデ子爵令嬢が真面目な顔で頷いた。
「君はドラゴンをどう思う? たとえば、もし今の時代にドラゴンがいたとしたら、やはり怖いかい?」
普通のご令嬢であれば魔獣を見る機会はあまりなく、中には想像するだけで怯える者もいる。
その魔獣の頂点に立つドラゴン。
誰もが一度は恐れ、この世にもう存在しないと聞いて安堵し、胸を撫で下ろす存在。
リルファーデ子爵令嬢も恐ろしいと思うだろうか。
だが、予想に反してリルファーデ子爵令嬢は笑顔になった。
「怖いかどうかは実際に見てみないと分かりませんが、もしドラゴンがいたら一度は会ってみたいです」
「ふむ、何故?」
「別に世界の危機を願っているわけではありませんけど、でもドラゴンって魔獣の頂点にいたわけで、いわば魔獣の王様でしょう? そのドラゴンって、絶対、格好良いと思うのです!」
両手を握り締めて言われた言葉にケーニッヒは一瞬、理解が追いつかなかった。
…………ドラゴンが格好良い?
「……一応参考に訊くが、どこがどう、格好良いんだい?」
訊かれたことが嬉しいのかパァッとリルファーデ子爵令嬢の表情が明るくなる。
「まず鱗です! 私、トカゲやヘビが好きなのですが、実はリザードマンみたいな硬質な鱗も好きで、あのツヤツヤ感はいつまででも見ていられます!」
「鱗……」
「はい、それから鋭い牙や爪も獰猛な生き物って感じがしますし、強い魔獣らしいと思います! 強靭な鱗に何でも切り裂く鋭い爪や牙、しかもそれで魔法まで使えてしまうなんてまさに無敵!」
「魔獣の王、魔王ですね! 勇者の皆様もきっと物凄く強かったのでしょう!」とリルファーデ子爵令嬢は笑った。
普通ならそこが怖いと思うのだが。
「それにドラゴンはいませんけど、ワイバーンと呼ばれる魔獣はいますよね?」
「ああ、確かにいる。砂の国は馬の代わりにワイバーンを飼い慣らして飛竜という名で移動の足に使うそうだ」
「あれの大きくて強いのだと思えば全く勝てないということはないと思うんですよね。だけど砂の国が羨ましいです! 是非一度乗ってみたいです!」
その表情は本当に羨ましそうで、ドラゴンやワイバーンに対しての怯えは微塵も感じられない。
魔獣を怖がらないご令嬢がいるとは……。
しかも何ならドラゴンに会ってみたいと言う。
「でもいない方がお互いのためですね」
何かに気付いた様子で口に手を当てた。
「何がだ?」
「もし今の世でドラゴンがいたら『魔王の再来だー!』と昔よりも大勢の魔法士にドラゴンは総攻撃されてあっという間に世界の敵になってしまいますし、人間側もきっとドラゴンを倒すまで穏やかではいられないでしょう。人間にとってもドラゴンにとっても良いことではなさそうです。もしかしたらドラゴンも過去のことを知っていて『もう人間に手を出すのはやめよう』と考えているかもしれません」
うーん、と考えるリルファーデ子爵令嬢に、ケーニッヒは堪えきれずに吹き出した。
はははは、と笑い出したケーニッヒに彼女はキョトンとした顔をする。
まさかドラゴンを格好良いと表現する人間がこの世にいるとは思わなかったし、怖い、ではなく、人間とドラゴンの双方のためにもいない方が良いだなんて。
……ああ、そうか。
アルフリードが何故彼女を好きになったのか。
きっと、こういう考え方が良かったのだ。
常識にとらわれない自由な考え方。
一般的に見たら常識外れに感じるかもしれない。
けれども、彼女の穏やかな人柄が分かる。
「な、なるほど、そういう考え方は初めて聞いたよ。斬新で面白い意見だ。これは訊いて良かった」
これを人は楽天家と言うだろう。
中には考えなしと思うかもしれない。
だが、ケーニッヒはその楽天さがアルフリードには丁度良いのだと見当がついた。
生真面目で考え過ぎるアルフリードにはこれくらい楽天的な方が、多分合っているのだろう。
「確かに今の時代にドラゴンはいない方が良さそうだ」
リルファーデ子爵令嬢に言われて気付いた。
もしまだ乱世の時代で、呪いが受け入れられなかったとしたら、アルフリードや呪いを受け継いだ者達はドラゴンの再来、魔王と呼ばれていたのかもしれない。
そうして人間の敵として扱われていた可能性もあった。
事実、当初は呪いが現れた王族は密かに闇に葬られていた歴史もある。
呪いが現れた王族が生かされるようになったのは歴史的に見れば、比較的最近のことなのだ。
……呪いが薄まってきたからというのもあるが。
休憩を終える鐘の音が聞こえてくる。
「休憩時間に邪魔をしてすまなかった。いや、実に有意義な話を聞かせてもらったよ」
リルファーデ子爵令嬢が慌ててまた礼を執った。
「い、いえ、こちらこそ熱く語ってしまい、お恥ずかしい限りでございますっ」
「恥ずかしいことなど何もない。楽しい時間を過ごさせてもらったよ。ありがとう」
「えっ?」
彼女が驚いた顔をする。
「周りが同じ意見ばかりだと面白くない。君の意見はとても面白くて、それに色々と参考になったよ」
ケーニッヒの言葉に彼女は不思議そうな顔をした。
「ええっと、殿下のお役に立てたのならば幸いです……?」
きっと、彼女ならばアルフリードを拒絶することはないだろう。
それどころか呪いを聞いて今のように言ってくれるかもしれない。
……そうであれば良い。
アルフリードは呪いを悪と捉えているが、リルファーデ子爵令嬢のように、ドラゴンを恐怖の対象とは見ない者もいる。
そう言ってやりたいけれど、言ってもアルフリードはケーニッヒの慰めの言葉だと思うに違いない。
それならば実際に本人に言われた方が信じられるはずだ。
「それでは、今後も紫水の区画の清掃を頼んだぞ」
ケーニッヒの言葉に彼女は明るく「はい!」と返事をする。
……アルフリードの望み通り、父上と母上にきちんと話すよう進言しよう。
そう心を固めてケーニッヒは、弟の婚約者と別れたのだった。
* * * * *




