婚約者と親友と
* * * * *
「あら」
後ろから聞こえた声にアルフリードは振り返った。
何故そうしたかは分からないが、何となく、その声が自分に向けられているような気がした。
そして振り向いた先には見覚えのある人物がいた。
「ご機嫌よう」
……確か、ミスティの親友であるアリエラ=ボードウィン子爵令嬢だったか。
「こんにちは、ボードウィン子爵令嬢」
「覚えていてくださったのですね、ええっと……」
目元は笑っているが喜んでいる気配はあまり感じられない。
アルフリードはこの婚約者の親友だという令嬢のことをよく知らないが、ミスティのことを大事に思っていることだけは知っている。
自分と同じタイプの人間。
婚約発表を行った夜会の時、不思議だが、たった数回言葉をやり取りしただけでそう感じたのだ。
「アルフリードで結構です。リュディガー公爵家には兄もおりますので」
「ではアルフリード様と呼ばせていただきます」
「ええ、どうぞ」
他の令嬢ならば名前呼びを許しはしない。
しかし、この令嬢ならば大丈夫だと思った。
アルフリードを前にしても必要以上に顔を見てくることもないし、ぼんやりされることもなく、そしてミスティの言葉が正しければ、彼女は年嵩の男性が好きらしいのでアルフリードは恋愛対象外となる。
全く興味のなさそうな様子が逆に心地好い。
「ボードウィン子爵令嬢は何故こちらに?」
アルフリードが今いるのは琥珀の区画だった。
血の繋がった実の兄に会いつつ、琥珀の士団長に書類を届けに行った帰り道で、ここで宮廷魔法士とは全く無関係そうな人物に会ったことに少し驚いた。
「ああ、弟に届け物がありまして」
「弟君ですか」
「ええ、去年琥珀に入団しましたの。とは申しましても、まだまだ新人で大変のようですが」
「そうなのですね」
沈黙が落ちる。
ミスティと一緒にいる時とは随分と違う。
今はかなりとっつきにくそうな女性だ。
「アルフリード様、よろしければ少々お時間をよろしいでしょうか? 一つお願いがあるのです」
真面目な表情で訊かれて頷き返す。
「何でしょう?」
「こっそりミスリルが働いているところを見たいので、井戸の辺りに案内していただけませんか?」
アルフリードは目を瞬かせた。
「井戸?」
つい、訊き返してしまう。
ボードウィン子爵令嬢が頷く。
「本当は紫水で働いているところをひっそり見ておきたいのですけれど、仕事柄、秘密の多いところでしょう? けれども井戸なら外ですから問題ありませんわよね?」
「確かに問題はありませんが……」
ボードウィン子爵令嬢がほほほ、と笑った。
「ミスリルったら、仕事とアルフリード様との婚約が嬉しすぎて、最近私とは全然会ってくれないんですもの。手紙ばかりでは寂しいのです。姿を見るくらいよろしいではありませんか」
そう言いながらも目は笑っていなかった。
アルフリードは少し考えて、頷いた。
「……分かりました。井戸なら。しかし私も共に行きますので、しばし待ってもミスティが来ないようであれば諦めてください」
ボードウィン子爵令嬢が目を丸くする。
「まあ、アルフリード様はミスリルのことをミスティと呼んでいらしたかしら?」
「少し前に許していただきました」
「そう。そうなのですね……」
ボードウィン子爵令嬢の目がどこか遠くを見た。
だがそれも一瞬のことで、すぐに彼女は意識を戻して「案内をお願いいたします」と言う。
アルフリードはボードウィン子爵令嬢と共に琥珀の区画から出て、一階の渡り廊下から庭園へ出た。
王城内は少々道が覚え難い造りになっているため、ボードウィン子爵令嬢がついて来ていることを確認しつつ、ミスティがいつも使っている井戸が見える植え込みに移動した。
ここならば向こうから気付かれ難い。
この場所はミスティが紫水に入ってきたばかりの頃、嫌がらせを受けていて、その際にアルフリードがこっそりと様子を見に来た時に隠れていた場所だ。
植え込みからボードウィン子爵令嬢がそっと顔を覗かせる。
「あら、とってもいい場所ですわね」
ここからだと井戸とその周辺がよく見える上に、井戸からはやや斜めの位置にあるため、顔を上げた状態でしっかり振り向かなければ気付かれない。
「長くても三十分です。それ以上は私も休憩時間がありますので、待てません」
「たったそれだけですの?」
「ミスティも休憩するのでそろそろ一旦片付けをしにここへ来るはずですよ」
そうアルフリードが言えば、ボードウィン子爵令嬢がこっそり植え込みから井戸を覗き始めた。
どうやらその状態で待つつもりらしい。
「それにしてもミスリルは本当にアルフリード様がお好きなのですわね」
井戸の方を見ながらボードウィン子爵令嬢が言う。
「そうでしょうか?」
「そうですわ。ミスティという呼び名は前リルファーデ子爵夫妻、ミスリルのご両親だけが使っていたものだというのはご存知?」
「ええ、本人から聞きました」
チラ、とボードウィン子爵令嬢が一度こちらを見て、また顔を戻す。
「あの子が七歳の頃から十年も付き合ってきたのに、私はいまだにそう呼ばせてはいただけないのですよ」
淡々としているが、どこか悔しそうな声だった。
「イルンストン伯爵子息はともかく、親友と言ってくれている私ですら許してもらっておりませんのに。アルフリード様が羨ましいですわ」
……ああ、そうか。
あの夜会で感じていたように、この令嬢はアルフリードにある意味では非常に似ているのだ。
ミスティの、ミスタリア=リルファーデにとって最も親しい人になりたい。近しい存在でいたい。
アルフリードは恋愛感情で、ボードウィン子爵令嬢は友愛として。
愛する人の、大切な人の、大事になりたい。
彼女を大事にしたい。
そんな、同族のような気持ち。
「……呼び方は私の方が羨ましいのかもしれませんが、私からすれば、あなたの方が羨ましいです。私は彼女の幼少期を知りませんから」
ボードウィン子爵令嬢がアルフリードを羨むように、アルフリードもボードウィン子爵令嬢が羨ましかった。
もしもアルフリードが幼い頃に、そうでなくとも、もっと早く出会っていたら、アルフリードとミスティの人生は変わっていたのだろうか。
幼少期の頃は活発だったと聞いているが、それでも彼女の幼い頃を知っているのは羨ましい。
どれほど見たいと願っても時間は巻き戻せない。
「……あっ」
ボードウィン子爵令嬢がサッと隠れた。
隠れているのに隠れると表現するのは少々おかしいけれど、ボードウィン子爵令嬢が植え込みに顔を引っ込めてこちらを見上げ、頷いた。
ミスティが来たらしい。
そっと二人で覗き見る。
井戸のそばに立つミスティが、滑車に繋がる縄を凄い早さで引っ張っていく。
どうやら少し急いでいるようだ。
それでもきちんと雑巾を洗っている。
彼女はいつも元気だけれど、実は仕事はとても丁寧で、細やかな気遣いが出来る。
……そういうところが意外で。
でも意外なところを知る度に惹かれていく。
「ん?」
何か感じたのか不意に彼女がパッと振り返った。
「あ」
「あ」
隠れるのが遅れてしまい、目が合った。
瞬間、花が綻ぶようにミスティが笑顔を浮かべた。
「アルフリード様、アリエラ〜!!」
雑巾を持った手がぶんぶんと振られて、思わずボードウィン子爵令嬢と顔を見合わせた。
ボードウィン子爵令嬢が小さく吹き出すと「共同戦線を張りましょう」と言うので頷き返した。
そうしてボードウィン子爵令嬢は植え込みから出て行った。
* * * * *
視線を感じて振り向いたら、アルフリード様とアリエラがいて驚いたけど、嬉しかった。
まさかのまさか、わたしの大好きな二人が一緒にいて、前回も思ったけど、結構仲が良さそうで更に嬉しさが募る。
「アリエラ、どうしてここにいるの?」
訊くと、実は何と弟さんが宮廷魔法士団・琥珀に属しているらしい。
今日は弟の忘れ物を届けに来たのだとか。
それで偶然会ったアルフリード様に庭園を案内してもらっていたという。
「あと、ミスリルに会えたらいいなあって思っていたのよ。来て正解だったわ」
「わたしもアリエラに会えて嬉しいっ。あ、最近お茶会に行けなくてごめんね!」
「いいのよ、ミスリルも公爵家に行ったりすることも増えて忙しいでしょう? 私とのお茶会はいつでも出来るけど、今は公爵家の方々を優先した方がいいわ」
「アリエラ〜、ありがとう〜!!」
さすがに掃除をした後なので抱き着けないなと思っていたら、アリエラが両手を広げてみせる。
これは抱き着いていいという合図だ。
本人がいいなら、と抱き着けば、しっかりと抱き締め返される。
「ふふ、私達親友じゃない。そんなに気にしないで。落ち着いたらまた一緒にお茶すればいいのよ」
優しいアリエラの言葉に甘えて頷いた。
「その時はうんと可愛いドレスを着ていくね! アルフリード様が買ってくださったの!」
右手の親指を立てて見せればアリエラの表情が更に明るくなった。
「まあ、そうなの? 良かったわね!」
アリエラがわたしの真似をして、アルフリード様に親指を立てて見せて、それにアルフリード様が目を細めて小さく笑っていた。
いつの間にかかなり仲良くなったようだ。
アルフリード様とアリエラはこれからも縁があるだろうから、どんどん仲良くなって欲しい。
そうしていつか三人でお茶会をするのだ。
……アリエラをお義母様にも紹介したいなあ。
でもまずはアルフリード様と三人でお茶して、慣れたらお義母様にアリエラをわたしの親友だって紹介して。
アリエラとお義母様はどことなく雰囲気が似ている気もするし、多分、どちらも馬が合うのではと思っている。
ただアリエラも子爵令嬢なので、そうそう公爵夫人のお義母様とお茶をするタイミングはないかもしれないが、何とかそういう場を設けられたら楽しそうだ。
「アルフリード様、アリエラは可愛いものが好きなんです。だからきっとアルフリード様の買ってくださったドレスを着たら、お喋りも弾みます!」
アルフリード様が近付いてきて、わたしの頭を撫でる。
「そうですか。では、その日は公爵家に寄ってメイド達に頑張って更に可愛くしてもらってから行くといいでしょう。馬車も言っていただければ用意出来ますよ」
「ありがとうございます!」
公爵家の皆さんにやってもらうなら絶対に可愛くなれるので安心だ。
「あら、ミスリルのドレスは公爵家にありますの?」
「うん、ほら、うちや住み込みの部屋だと置き場がなくってリュディガー公爵家に置かせてもらってて……」
「なるほどね」
呆れた顔でアリエラが言う。
……まあ、そういう反応するよね!
よりにもよって公爵家をドレスルームみたいにしてるわけだし、呆れるのも頷ける。
「私が沢山購入してしまったので、置き場の確保をするのも当然ですから」
どこか誇らしげにアルフリード様が言う。
それにアリエラと顔を見合わせて小さく吹き出した。
「アルフリード様、そこは自慢するところじゃないですよ?」
「そうですか?」
アルフリード様が不思議そうに小首を傾げるものだから、わたしとアリエラは今度こそ、声を上げて笑ってしまった。
……こんな日がずっと続けばいいのに!
楽しくて、仕事もやりがいがあって、充実した毎日が凄く幸せに感じる。
首を傾げていたアルフリード様の青い瞳がふっと細められた。
アルフリード様が笑ってくれる毎日が嬉しい。
わたしは今日も幸せだ。