あなたは過去の人
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母から婚約者について色々と聞いた。
聞いたというか、聞かせられたに近いが。
どうやら貴族の令嬢達から、まだ嫌がらせを受けているらしい。以前嫌がらせをした者達とは別だ。
それだけならば令嬢の家の者にそれとなく伝えてやめさせることが出来る。
だが、話に上がったご令嬢達の名前を聞いてアルフリードはヒヤリとしたものが胸の内を流れ落ちた。
婚約者、ミスティに嫌がらせをして、お茶会に集まった令嬢達は聞き覚えがある者ばかりだった。
母も恐らく分かっている。
だからこそ、アルフリードに伝えたのだろう。
母も母でかなり腹が立っているようで「公爵夫人を敵に回したことを後悔させてあげるわ」と言っていた。
恐らく、ミスティに嫌がらせをするためにお茶会に参加した令嬢達は社交界で肩身の狭い思いをすることになるだろう。
場合によっては結婚相手が見つけられなくなるかもしれないが、アルフリードにはどうでも良いことであった。
それよりもアルフリードはすぐにフェデラード侯爵家へ手紙を送った。
相手はすぐに返事をくれたため、秘密裏にやり取りを行い、予定を合わせた。
半休を取って、家の用事で出かけると言えばミスティは疑わずに信じてくれたが、彼女を騙しているようで少し胸が痛かった。
そうしてミスティがお茶会に参加してから一週間後、アルフリードはフェデラード侯爵家へ向かっていた。
……本当であれば彼女には会いたくない。
会いたくないが、それでも会う必要がある。
これからのことを考えると憂鬱だ。
アルフリードは目的地に着いて欲しくないと思ったが、こういう日に限って、馬車はどこかで足止めされることも遠回りすることもなく、目的地に到着してしまった。
フェデラード侯爵家に着くと、既に話が通っていたからか応接室へ通された。
出された紅茶を優雅に飲めるほど豪胆ではなかった。
応接室の扉が叩かれてアルフリードは立ち上がる。
開いた扉から入ってきたのは、アルフリードの数少ない友人であり、フェデラード侯爵家の若き当主であるウィリアムだった。
前フェデラード侯爵は病にかかり、現在は当主の座を息子に委ねて、妻と共に自領で療養中なのだ。
「久しぶりだね、アルフリード」
近付いて来た友人と軽く握手を交わす。
柔らかな栗色の髪に鮮やかな緑の瞳の、優しそうな顔立ちの彼にアルフリードは僅かに眉を下げた。
「久しぶり。急に連絡してごめん」
「何言ってるんだ、俺とアルフリードの仲じゃないか。気にすることなんて一つもないさ」
今回訪問した理由を知っているのに、ウィリアムはアルフリードを見ても嫌な顔一つしなかった。
それからアルフリードはウィリアムの横にいる人物へ目を向けた。
こうして面と向かって会うのは三年ぶりだった。
「フェデラード侯爵夫人もお久しぶりです」
リオーネ=フェデラード侯爵夫人。
「お久しぶりです、アルフリード様」
金髪に金の瞳、小柄でか弱そうな女性。
三年前まではアルフリードの婚約者だった。
だが呪いの一件の後に婚約は解消され、彼女はウィリアムの婚約者となり、去年結婚した。
そのことについてウィリアムは気にしていたが、アルフリードには思うところはない。
むしろ、少し前までは呪いつきの自分よりも良い男と結婚して安泰だろうとすら考えていた。
「リオーネ、リュディガー公爵子息、だろう?」
「あら、ごめんなさい。久しぶりに会えて嬉しかったものだから、つい……」
夫ウィリアムの指摘にフェデラード侯爵夫人は頬に手を当てて、悪びれもなく微笑んでいる。
その瞳に宿る熱に気付かないわけがない。
他のご令嬢達からもよく向けられるものだ。
そしてそばにいるウィリアムもまた、それに気付かないほど鈍感な男ではない。
ウィリアムが小さく息を吐いた。
ソファーを勧められて元の位置に腰を下ろす。
「最近、君達の話をよく聞くよ。遅くなったけど婚約おめでとう。贈り物一つ出来なくてすまない」
「いや、それは構わないよ。気持ちだけで十分だ」
ウィリアムはアルフリードの友人であるが、同時にアルフリードの元婚約者と結婚しているということもあって、ミスティとの婚約発表をしても婚約祝いは贈れなかったのだろう。
元婚約者の夫、もしくは元婚約者の嫁いだ家から婚約祝いが届くというのは少々問題もある。
一応家同士では円満な別れだったが、本人達はそうではなかったので、夫婦名義で贈られてもアルフリードとしても複雑な心境になったはずだ。
ウィリアムの横でフェデラード侯爵夫人は微笑んでいる。
……祝いの言葉はなし、か。
それもそうだろうなと思う。
「それにしても、アルフリード様はどうして我が家になかなかいらしてくださらないのでしょうか? もっと頻繁に遊びに来てくだされば、ウィリアム様ももっと喜ぶのに」
まるで良いことを思いついたと言わんばかりに見られて、アルフリードは思わず顔を顰めてしまった。
ウィリアムが傷付いた表情を浮かべたことにフェデラード侯爵夫人は気付いていないようだ。
「いいえ、残念ながらフェデラード侯爵家を訪れるのは今回が最後になります」
アルフリードの言葉にフェデラード侯爵夫人が目を瞬かせた。
「あら、それはどういうことでしょう? アルフリード様とウィリアム様はご友人なのですから。……もしかしてウィリアム様にお会いになりたくないのですか?」
アルフリードとウィリアムを交互に見て、悲しげにフェデラード侯爵夫人が眉を下げた。
「言い方が悪かったようですね」
アルフリードはすっと息を吸った。
「私の婚約者であるミスタリア=リルファーデ子爵令嬢への嫌がらせをやめていただきたい。僕はもう君の婚約者ではない」
だがフェデラード侯爵夫人は困ったような顔をする。
それは、何も事情を知らない者が見たら、きっと彼女がそのようなことをしているとはとても思わないだろう表情だった。
しかしアルフリードにもウィリアムにもそれは通じない。
「何のことかしら?」
「あなたがご令嬢達に私の婚約者に嫌がらせを行うよう指示したことは私もウィリアムも知っている」
「まあ、そんなことしていないわ」
怒った顔をするフェデラード侯爵夫人に、ウィリアムがまた、小さく息を吐いた。
「……リオーネ、本当のことを話すんだ」
そう言ったウィリアムにフェデラード侯爵夫人が振り向き、潤んだ瞳で見上げた。
「酷いわ、ウィリアム様もわたくしをそのようなことをする人間だと思っていらしたのっ?」
「思うも何も事実だろう」
ウィリアムはそう返し、懐から封筒を取り出した。
それを見たフェデラード侯爵夫人の表情が微かに強張った。
封筒にはフェデラード侯爵家の封蝋が推されており、その中には手紙も入っている。
「これは君がご令嬢達に送った手紙だ。何人かのご令嬢から君に頼まれたがもう続けられない、と俺のところにも手紙が届いている。……君はもうフェデラード侯爵夫人だということを理解していないのか?」
言いながらもウィリアムは悲しそうな顔をする。
アルフリードは婚約を解消するまで知らなかったが、ウィリアムは昔から、それこそ幼い頃からリオーネのことが好きだったらしい。
だからアルフリードとの婚約が解消されてすぐ、ウィリアムはアルフリードに正直に胸の内を打ち明けて、そうしてリオーネに告白をした。
そしてリオーネと公爵家はそれを受け入れた。
彼女が婚約し、結婚したのはウィリアム=フェデラード侯爵であり、アルフリードではない。
「……じゃない……」
俯いたフェデラード侯爵夫人が扇子を握り締める。
パッと顔が上げられた。
「だって仕方なかったのよ! 急にあんな話をされて、わたくし、すぐに受け入れるなんて無理だったわ! でも考える余裕もなく問われて、アルフリード様との婚約は解消されて、わたくしが心から愛しているのはアルフリード様なのに!!」
泣きそうな様子で言われても、アルフリードの心には全く響かなかった。
それどころか夫を傷付ける言葉を平然と口にする彼女を見て、昔の記憶が書き換えられていく気分だった。
……こんなことをする人だったなんてね。
婚約者として付き合っていた頃は、か弱くて、優しくて、穏やかな性格のご令嬢だと思っていた。
拒絶された時はアルフリードだって傷付いた。
愛とまではいかずとも、夫婦になれるくらいには親しくなれたと思っていたし、あの頃はそうなると信じて疑わなかったから。
しかしアルフリードを拒絶したのは彼女だ。
「でも拒絶したのはあなたです。あなただってウィリアムの告白を受け入れたではありませんか」
「それは、だって……!」
言いかけて、フェデラード侯爵夫人が言葉に詰まる。
魔法の誓約を交わしているので、アルフリードの呪いについて他人に伝えることは出来ない。
はくはくと口を開閉した後、フェデラード侯爵夫人が立ち上がり、アルフリードに縋りついた。
「あ、あの時は心の準備が出来なかったからよ! 今は違うわ! どんなあなただって愛してるの!!」
触れられるということは拒否感はないのだろう。
だけど、それは受け入れられるということではない。
アルフリードは意識して呪いを引き出した。
「これでも、あなたは私を愛していると?」
アルフリードを直視したフェデラード侯爵夫人の口から「ひゅっ、」と掠れる音がした。
「あの時、あなたに見せたのはほんの一部に過ぎなかった。この姿を見てもまだ愛せるのですか?」
見開かれた金の瞳。震える細い体。
腕を掴んだままの手も酷く震えており、硬直した体からは恐怖しか感じられなかった。
ガラスに映るアルフリードの体には呪いが現れていた。
肌の一部に鱗の模様が現れて硬質化し、青い瞳は縦に瞳孔が裂け、手の爪は黒く変色して鋭く尖っていた。
話す度に長くなった牙も見えるだろう。
人間と呼ぶにはあまりにも異形な姿だった。
「ウィリアム、ごめん。醜いものを見せてしまって……」
「いや、君が謝ることじゃない。それに俺はアルフリードのその姿を気持ち悪いと思わない」
真っ直ぐに見つめてくれるウィリアムの言葉がアルフリードは嬉しかった。
実を言えば、リオーネがウィリアムと婚約した頃に、ウィリアムにはこのことを打ち明けていた。
もちろん、王家から許可を得て。
リオーネがどこかでうっかり何かを口にしてしまわないように、もし何か言いそうになってもウィリアムが上手くごまかせるように。
そしてウィリアムだけはアルフリードが社交界デビューした頃よりずっと変わらず友人でいてくれたから。
ウィリアムに心を打ち明けられた後、アルフリードも王家より許可を得て、兄であるアーノルドとケーニッヒの立ち会いの下、ウィリアムに打ち明けていたのだ。
その時も今と同じ姿を見せた。
けれどもウィリアムはアルフリードを拒絶せず、それどころか「勇気を出して話してくれてありがとう」と言ってくれた。
それだけでアルフリードは救われた。
元婚約者が絶叫して気絶した呪いを見て、驚き、一瞬警戒したものの、ウィリアムはアルフリードを否定しないでくれた。
それだけで十分だった。
その後はリオーネと婚約、結婚したことでウィリアムはあえてアルフリードと距離を置いていたのだ。
アルフリードも元婚約者とは距離を置きたかった。
ウィリアムはそれを理解して、配慮してくれていた。
「フェデラード侯爵夫人」
アルフリードが呪いの浮かんだ手でフェデラード侯爵夫人の腕を掴めば、フェデラード侯爵夫人が「いやぁあっ?!」と恐怖の声を上げてそれを振りほどいた。
恐怖に満ちた金の瞳をアルフリードは静かに見返す。
「あなたは私を受け入れられないし、私もあなたを受け入れることはない。私達の関係はあの日終わったのです。……もう、あなたは過去の人だ」
アルフリードが一度目を閉じる。
そして瞬きの間に呪いは溶けるように消えていき、次に青い瞳が開かれた時には、人間らしい姿に戻っていた。
フェデラード侯爵夫人がぺたりと床に座り込む。
その金の瞳から流れる涙は恐怖か、それとも安堵か、アルフリードには分からなかった。
もう彼女について知りたいとも思わない。
「ウィリアム、後は任せる」
「ああ、任された」
ソファーから立ち上がり、アルフリードは応接室の出入り口に向かう。
背後でウィリアムがフェデラード侯爵夫人の名前を呼んでいたが、構わず、扉を開けて廊下へ出た。
ズキズキと痛む胸をアルフリードは無視する。
たとえ何とも思っていない相手であっても、やはり、恐怖で怯えた目を向けられるのはつらい。
……でも、これで嫌がらせはなくなるだろう。
馬車へ戻り、乗って、リュディガー公爵邸への帰途に就く。
……ミスティの笑顔が見たい……。
今はただ、彼女の笑顔だけが恋しかった。
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