お茶会(2)
そこにあったのはチョコレートだった。
何の飾り気もない、楕円形を半分に切って、細長くしたチョコレートをくっつけたような不思議な形である。
貴族のお菓子というと本来は可愛い形や綺麗な形をしていたり、繊細な細工が施されていたり、見た目にも楽しいものが多い。
しかし、お皿にいくつか並べられたこれにはそういうものが一切なく、一つ一つはさほど大きくない。
他のご令嬢達も不思議そうな顔をしている。
……ただのチョコレート?
ウェルズ侯爵令嬢を見るとニッコリと微笑まれる。
……そういうわけでもなさそうだなあ。
何というか、あの嬉しそうな、優しそうな微笑みに色々と感じる。
「変わった形のお菓子ですね」
わたしがお皿を見て言えば、待ってましたとばかりにウェルズ侯爵令嬢が両手を合わせた。
「これは特別なお菓子ですわ。このために東の砂漠の国より必要な特別なものを取り寄せましたの」
その声は嬉しそうで、どこか弾んでいる。
「特別なもの?」
「ええ。……こちらにあれをお持ちして」
ウェルズ侯爵令嬢が使用人に声をかける。
使用人がその場を離れ、それから何か箱みたいなものをサービスワゴンに載せて戻ってくる。
箱らしきものには布がかけてあり中は見えない。
それがゴトゴトと運ばれてきた。
「少々刺激が強いものなので、ゆっくりとお見せしてちょうだい」
ウェルズ侯爵令嬢の言葉に使用人が頷いて、布をゆっくりと取り外した。
瞬間、ご令嬢達が騒めいた。
そこにはガラスの箱が置かれており、その中に、黒みの強い光沢を持つそれが数匹いた。
「え、サソリ?!」
そう、それは小さいけれど、確かにサソリだった。
あのカニやエビのように前にハサミを持ち、尻尾に毒の針を持つ、あのサソリである。
「あら、ご存知でしたか? こちらは砂漠の国に生息するスコーピオンという生き物だそうです。尾に毒針を持っておりますが、砂の国でも珍味として扱われいて、滋養に良いのだとか」
ニコニコしながら説明される。
ここでこのサソリを出してくるということは……。
全員の視線がわたしの前にあるお皿に注がれる。
……え、これサソリ?
サソリが食べられるとは知らなかった。
「生き物の部類としては虫だそうですが、砂の国の人々の中には健康のために毎日食べている者もいるそうですわ」
ふふふ、とウェルズ侯爵令嬢が笑う。
「今話題の方であり、前回失礼を働いてしまった謝罪の気持ちを込めて、特別にご用意いたしましたのよ」
……うわあ、こういう嫌がらせってあるんだ?!
しかも虫をそのまま出してじゃなくて、チョコレートに包んでお菓子の体を保っているが、これは結構ゲテモノな部類に入るだろう。
しかもお茶会で出す意地の悪さ。
特別と言って周りの人間に被害はないが、勧められたわたしはこれを一口でも食べなければならない。
しかもそうと分かっていて、あえて虫だの毒針があるだのと食べ難い単語を出してくる。
ある意味、感心してしまう。
「是非召し上がって?」
言われて、チョコレートを手に取る。
飾り気のない、ただチョコレートに包まれただけのサソリというのも初めて見た。
本物だって今初めて見たばかりなのに。
ガラスの箱を見る。
中でサソリがワサワサしている。
あれが、こうなる、と。
チョコレートを半分に割ってみる。
パキリと良い音がして、チョコレートの中に、何やら入っているのが見えるけれど、気持ち悪さはない。
……あ、それもそっか。
虫は虫でも幼虫みたいなものだったら厳しいけれど、サソリは虫というか、陸上のエビみたいな風に見えなくもない。甲殻類の仲間みたいな外見だし。
そう思うと怖いもの見たさなのか、好奇心がムクムクと湧き上がってくる。
砂の国の人々も食べているなら食べられるのだろう。
向こうもさすがに食べ物にならないものを出すということはしなかったようだ。
「な、なんてものを……っ」
お義母様が口に手を当てて振り向く。
止めようとするのが分かってわたしは笑った。
大丈夫だと小さく首を振る。
ここでお義母様が止めたとしても、わたしは主催者が特別に用意したお菓子を手をつけずに断るというマナー違反をしたことになってしまう。
しかも食べたふりは出来なさそうな形状だ。
これが飲み物ならば口をつけたふりでごまかせる。
だが、これではそうもいかない。
「そうなのですね、特別なものをご用意してくださり、ありがとうございます。いただきますね」
手に持ったチョコレートをまず見る。
そこまで虫感はない。
サソリと分かる見た目でもなく、匂いもチョコレート以外にすぐに異変を感じるものもない。
身体強化をかけて半分に割った片方を口に入れる。
ご令嬢達が小さく息を呑んだ。
……ん、おお? これは……。
もぐもぐと咀嚼しながら考える。
味は不味くない。と言うか、どちらかと言えば美味しいかもしれない。これは予想外だった。
チョコレートの甘い味の中に、ポリポリとした食感と不思議な味がある。
……これは食べたことがあるような?
頭の片隅でどこか引っかかる。
似たようなものをどこかで食べた気がする。
何だろう、と思いながらもう片方も口に入れる。
ポリポリ? ちょっとパキパキ?
そんな食感に香ばしいような不思議な味がする。
チョコレートの甘い味に隠れ切れていないそれに、どこで食べたかなと思いつつ、よく味わう。
虫と言っても甲殻類に近いのか殻のような感触が口の中に残る。
………………ん、甲殻類?
試しにもう一つ口へ入れ、咀嚼する。
……あ、やっぱり、これエビっぽい!
前世にあったエビせんべいの磯臭さのないものをチョコレートで包んで食べてみたら、多分、きっとこんな味だと思う。
これはなかなかに面白い味である。
サソリは甲殻類っぽいと思っていたし、何ならエビやカニの仲間なのではとすら考え始めていたが、まさしくそうであるようだ。
しっかりと口の中のものを飲み込む。
全員が呆然とわたしを見た。
ウェルズ侯爵令嬢ですら固まっていた。
「面白い味ですね。好みは分かれるでしょうけれど、エビのような、カニのような、不思議なお味でした」
ニッコリと笑って見せる。
ビクッとウェルズ侯爵令嬢の肩が跳ねた。
……さすがにこれはやり返します!
「こんな特別なものを用意していただけて嬉しいです。そうそう食べられるものではありませんし、健康にも良いそうなので、是非ウェルズ侯爵令嬢にも食べていただきたいです」
ウェルズ侯爵令嬢の顔色が悪くなる。
「え、い、いえ、私は、その……」
「まさかとは思いますが、ご自分が食べられないものを出したということはございませんよね?」
お義母様がほほほと笑った。
「あら、ミスリルちゃん、失礼なことを言ってはいけないわ。侯爵令嬢ともあろう方がそんな非常識でくだらないこと、するはずがないじゃない」
「そうですよね、申し訳ありません、ウェルズ侯爵令嬢」
お義母様まで参戦して、二人揃ってのやり返しが始まった。
しかも逃げられないようにお義母様は控えていたウェルズ侯爵家の使用人に声をかけ、わたしの皿からいくつかチョコレートを取り分けさせて、ウェルズ侯爵令嬢の前にその取り分け皿を置いた。
ここまでされて「お菓子を勧められていない」とは言えないだろう。
わたしだけでなく、お義母様まで勧めているのだ。
ウェルズ侯爵令嬢の顔色はどんどん悪くなる。
これを食べるということは彼女が言うところの虫を食べるということであり、彼女自身はそれは耐えられないだろう。
嫌がらせとは自分が嫌だなと思うことを相手にするものだ。
きっと、ウェルズ侯爵令嬢はわたしがサソリを食べられないと考えたのだろう。
……でも残念! 虫は食べたことがある!
食べたことがあると言ってもイナゴの佃煮くらいだけど、前世のわたしの祖母が好きだったものなので、何度も口にしたことがある。
サソリはさすがに予想外だったが、エビやカニに近いと思えば抵抗感はなかった。
イナゴの佃煮に比べて足とか口に当たらなかったので、総合的に見るとサソリの方が食べやすい印象だったくらいだ。
目の前でウェルズ侯爵令嬢が固まっている。
お義母様がニコニコそれを見ている。
周りのご令嬢達は完全に我関せずというか、うっかり庇って自分に火の粉が飛んだらと思っているようで、空気のように押し黙ったままだ。
「勧められたものは食べないと、ね?」
お義母様に言われてわたしも頷いた。
「ええ、それがマナーですから。お一人で食べられないようでしたら、わたしもご一緒にもう一ついただきましょうか?」
「まあ、ミスリルちゃんはそれくらいにしておいたほうがいいわ。どんなものでも食べすぎたら体に毒だもの。ほどほどがいいのよ」
ウェルズ侯爵令嬢が口を開く。
「あ、あの、実は私、スコーピオンにアレルギーがありまして……」
お義母様が「まあ、そうでしたの?」と驚いた声を上げる。
これならば確かにサソリを食べずに済む。
けれど、これはこれで色々と問題だ。
自分が食べられないものを出した失礼さと、もう一つ。
「ではウェルズ侯爵令嬢もスコーピオンを食べたことがあったのね」
ウェルズ侯爵令嬢の表情がピシリとひび割れる。
「……え?」
「だってアレルギーということは、一度は口にしていないと分からないでしょう? 知らなかったとは言え、アレルギーのものを勧めてしまってごめんなさいね?」
ウェルズ侯爵令嬢の顔が真っ青になった。
……なるほど、お義母様が容赦ない。
食物アレルギーは基本的に口にしてみないと分からない。血液検査とかない世界だから。
つまり「アレルギーです」というのは一度は口にして、アレルギー反応が出たからアレルギーだと分かったという解釈になる。
ウェルズ侯爵令嬢はわたしに『虫を食べた令嬢』というレッテルを貼りたかったのだろう。
そうしてそれを社交界に流して笑い者にするつもりだったのか、それともアルフリード様に嫌われれば良いと思ったのか。
どちらにしても良くない方向に持っていきたかったはずだ。
でも、そうはいかなくなってしまった。
今「アレルギーがある」と言ったことで、侯爵令嬢もスコーピオンを口にしたことがあると言ったも同然であった。
たとえ本当は一度も口にしたことがなかったとしても、言ってしまった以上、事実がどうであれ彼女も『虫を食べた令嬢』と捉えられるだろう。
これではわたしを嘲笑うどころか、彼女自身も嘲笑の対象になってしまう。
いくら彼女が「食べたことはない」「アレルギーはない」と主張したとしても、アレルギーがないなら公爵夫人に勧められたものをウェルズ侯爵令嬢が相手を騙して食べなかったということになる。
子爵令嬢にすぎないわたしであれば権力でどうにか出来たかもしれないが、公爵夫人であるお義母様の場合はそうもいかない。
しかもアレルギーがないと証明するにしても、結局、サソリを食べてみせるしか方法がない。
……お義母様、凄いなあ……。
わたしは単にやられたことをやり返しただけだけど、お義母様の様子を見るに、きっとお義母様は色々考えているのだろう。
ウェルズ侯爵令嬢もそれに気付いたようだ。
赤い顔でわなわなと体を震わせている。
しかし反論が出来ない。
食べたことはないと言えばアレルギーが嘘だとバレて、食べるよう勧められるし、アレルギーがあるままにすれば虫を食べたことがある令嬢となる。
行くも地獄、戻るも地獄とはまさにこのことだ。
顔色の悪いウェルズ侯爵令嬢をお義母様が心配そうな顔で見る。
「あらやだ、顔が真っ青! そうよね、アレルギーのあるものを勧められたら気分が悪くなってしまうわよね? 今日のお茶会はもうお開きにして休まれたほうがよろしいのではないかしら?」
他のご令嬢達がハッとした顔をする。
「え、ええ、そうですわね」
「バルバラ様もご体調が優れないようですし……」
ウェルズ侯爵令嬢の顔がどんどん強張っていく。
仲間と思っていた令嬢達に裏切られたようなものだろう。
このままではウェルズ侯爵令嬢もわたしも『虫を食べた令嬢』となる。
他のご令嬢やお義母様が噂を立てなかったとしても、参加者の中ではそれが事実となってしまう。
もしかしたら誰かが口を滑らせるかもしれない。
……わたしは別に気にしないけどね。
サソリが虫だというなら、虫を食べたことは事実であるし、肉や魚を食べるのと一緒である。
「い、いえ、私は大丈夫で──……」
「いいえ、無理はよくないわ。お茶会なら、また今度すればいいのよ。ウェルズ侯爵令嬢の体調のほうが大事だわ」
お義母様に言われて、ウェルズ侯爵令嬢はそれ以上何も言えなくなってしまったようだ。
立場的にも公爵夫人の方が上なので強く出られないのだろう。
ウェルズ侯爵令嬢は震えたまま俯いて言った。
「……申し訳ありません」
それが何に対しての謝罪なのかは分からなかった。
これ以上は続けられないからと、お茶会はそこで解散になり、わたしはお義母様と一緒に公爵家に帰り、着替えてから王城まで馬車で送ってもらった。
帰宅途中、ずっとお義母様が心配してくれていた。
「大丈夫? 気持ち悪さや吐き気はない? あんなものを食べさせるなんて酷いことを!」
と、怒ってくれたので嬉しかった。
「大丈夫です。毒針も取ってありましたし、結構美味しかったので、ウェルズ侯爵家の料理人の腕はかなり良かったのだと思います!」
もしもに備えて身体強化をかけて、毒針が口の中に刺さらないようにしたが、もし毒針を食べてしまっても大半のサソリは同じような小さな昆虫などを相手にしているため、毒が回っても人間が死に至ることはないはずだ。
もちろん、猛毒を持つサソリもいる。
だが食用のサソリで、しかも料理人が手を加えているなら、毒針は取り除かれているだろう。
……でもサソリ、意外と美味しかったなあ。
最後までお義母様は心配してくれたが、わたしは何事もなく、むしろ珍味を食べるという面白い体験が出来たのだった。
 




