幸せな嫉妬 / 愛称
ここ数日、ミスタリア嬢は母の話ばかりする。
先日我が家に来て、母から礼儀作法について教えてもらったことが彼女にとってはかなり嬉しかったようだ。
母とミスタリア嬢はどうやら仲良くなれたらしい。
ただ、彼女が母のことを「お義母様」と呼び始めたことには驚いた。
けれど、同時に嬉しくもある。
ミスタリア嬢が母と親交を深めてくれることもそうだが、それ以上に、母を義母と呼ぶということは、アルフリードと結婚することを前提に考えてくれているから。
「それで、お義母様が今度、イシルを連れて遊びにいらっしゃいっておっしゃってくれて。まだ予定は決まっていませんけど、楽しみですっ」
楽しそうな彼女にアルフリードはつい、問いかけてしまった。
「母と私なら、どちらが好きですか?」
「え?」
キョトンとするミスタリア嬢に我へ返る。
何とも恥ずかしい質問をしてしまった。
「あ、いえ、何でもありません……」
母と彼女の仲が良いのは嬉しいことだ。
それなのに、彼女があまりにも母の話ばかりして、手紙のやり取りまで始めてしまって、少しばかり母に彼女を取られた気分だったのだ。
そうだとしても恥ずかしいことを口にした。
「すみません、今のは忘れてくださ──……」
彼女にガシリと手を掴まれた。
「アルフリード様です」
暗い紫の瞳が見つめてくる。
「お義母様とアルフリード様なら、アルフリード様の方が好きです!」
ギュッと手を握られた。
そして彼女が「そもそも!」と身を乗り出した。
「お義母様が好きなのは、アルフリード様のお母様だからというのもあります。アルフリード様のお母様だから仲良くしたいし、確かにお義母様はお優しいし、綺麗だし、素敵な方ですけど、全部『アルフリード様のご家族だから』ってつくんです!」
……ああ、そうだよね。
アルフリードも、彼女の弟と仲良くやっていきたいと思う。
それは、イシルディンが好感の持てる人間だからでもあるけれど、一番の理由はミスタリア嬢の家族だからだ。
好きな人の家族とも仲良くしたい。
自分を受け入れて欲しいと思う。
相手の家族に認められたい。
そういう気持ちがアルフリードにもあった。
「お義母様が良い人なのは分かっていますが、アルフリード様がいなかったら、そもそも関わることなんてなかったんです」
彼女が嬉しそうに笑う。
「アルフリード様、わたしに母と呼べる人を引き合わせてくれて、ありがとうございます。父も母も亡くなってしまって、家族はもう弟しかいなかったわたしに、また父母と呼べる機会を与えてくれて、ありがとうございます」
その言葉にハッとする。
彼女の両親は既に亡くなっている。
もう、父や母と呼べる人はこの世にいない。
そしてイルンストン伯爵子息に婚約を破棄された時に、きっと、全て諦めたのだろう。
アルフリードは婚約者の手を握り返す。
「父や母とは仲良く出来そうですか?」
彼女が頷いた。
「はい、公爵様とはご挨拶の時以来話せていないけど、きっと大丈夫です。それにお義姉様とお義兄様とも手紙のやり取りをしているので!」
「待ってください、いつ兄とそんな話をしたのですか?」
「お義母様がわたしと手紙のやり取りをしてると話したら、お義姉様とお義兄様も、と話が進みまして」
……いつの間に?
でも、それが嫌ではなくて。
アルフリードも、大切な家族と婚約者の関係が良好なことが素直に嬉しかった。
だけど、それとこれとは別である。
「私とは手紙のやり取りはしてくれないのですか?」
片手を伸ばして彼女の頬に触れる。
柔らかくて、もっちりした頬は触り心地が好い。
「えっと、アルフリード様とお手紙もいいですけど、やっぱりこうして会ってお話したいので……」
照れた様子で言われて、可愛いと思う。
手紙のやり取りも悪くないものの、彼女もアルフリードと会って話すことの方が好きらしい。
アルフリードも手紙よりは会って話したい。
「私もそうです。すみません、これも私の我が儘ですね。……あなたのことになると独り占めしたいと思ってしまうんです」
自分でも不思議に感じるほどだ。
彼女の心を疑っているわけではないが、彼女が誰かに笑顔を向けると心配になる。
笑顔を向けられた相手が彼女に惹かれてしまわないか。誰か他の男が彼女に近付かないか。手を伸ばそうとするのではないか。
彼女はきっと他者から告白されても断ってくれるだろう。
それでも、彼女が告白をされるということ自体がアルフリードは少し嫌だった。
……まさか、こんなに執着が強いとは。
今まではどんな物でも、人でも、アルフリードは自ら掴もうとすることはなかった。
だからこそなのだろうか。
そっと婚約者を抱き寄せる。
「自分でも戸惑うくらい、ミスタリア嬢を想っているのです。それこそ自分よりも大事に感じています」
彼女が腕の中にいると心底安心する。
「わたしも、自分でもビックリするくらいアルフリード様が好きです。わたし自身よりもアルフリード様のことが大事なんです」
「では私達は相思相愛ですね」
「はい、相思相愛です!」
彼女がギュッと抱き着いてくる。
一瞬、ドキリと鼓動が跳ねたが、最近はこういうスキンシップにも慣れてきて、以前のように変化しかけるようなことはなくなった。
少し前まではミスタリア嬢と軽いスキンシップをするだけで、瞳孔が開きかけたり、肌に僅かに鱗模様が浮き出てしまって、それを見せないために彼女を抱き締めていたが、今はそういうこともなくなりつつある。
……いずれ、この呪いについて、王家から彼女に伝えられる。
その時、彼女は受け入れてくれるだろうか。
……受け入れてくれそうな感じはする。
彼女は蛇が平気だし、普通のご令嬢とは違う。
嫌わないでくれたらいい。
「そうだ、せっかくですから弟を連れて公爵家に遊びに行かせていただく時は、アルフリード様も一緒にどうですか? アルフリード様と、弟と、お義母様と、わたしの四人でお茶をするんです!」
見上げてくる暗い紫の瞳がキラキラと輝く。
「どうせならば皆でお茶をしましょう。父や兄夫婦も一緒に。その方が皆も喜びます」
イシルディン=リルファーデは可愛らしい外見の少年だ。
まだ未成年で、顔立ちは姉であるミスタリア嬢とよく似ていて、そして色味は彼の方が少し淡い。
同年代の者に比べて少し小柄な印象を受けた。
母はきっと可愛がってくれるだろう。
兄もアルフリードも母の手を離れてしまい、常々、母は「寂しい」とこぼしている。
ミスタリア嬢の弟君のことも良くしてくれるはずだ。
兄のアーノルドと義姉のリュミエラもまた、恐らく年下の義理の弟になる予定の彼を構いたがるだろう。
アルフリードも実を言うとイシルディンと仲良くしたいし、彼に義兄と呼ばれたのが嬉しかった。
アルフリードは次男であり、末っ子だったので、下に兄弟が出来るのは密かな夢でもあった。
「そうですね、家族みんなでワイワイしましょう!」
父と兄もとなると少々間は空くかもしれないが、集まれないことはないし、家族が集まると母も喜ぶ。
家族と好きな人、そして好きな人の家族。
全員が揃って賑やかなお茶会をしたら楽しいだろう。
「アニー……、子供の頃から仕えてくれているメイドがいるんですけど、アニーのミートパイも持って行きますね! 絶品なんですよ!」
「前にご挨拶に行った際に食べたクッキーを作ったメイドですね」
素朴だけど、どこか懐かしさを感じさせる、美味しいクッキーを作るメイド。
「そうです、覚えていてくれて嬉しいですっ。アニーのミートパイは父や母も好きで、領地にいた頃は特別な日に食べられるご馳走だったんです」
そのミートパイを思い出したのか、笑う彼女の顔は幸せそうだった。
「絶対に焼いてもらえるようお願いします!」
「それは楽しみですね。あのクッキーも非常に美味しかったので、期待しています」
「はい、手紙に書いておきます。アニーはわたしと弟には甘いので、きっと焼いてくれます!」
ふふ、と彼女が笑った。
アルフリードは気持ちの向くまま、婚約者の前髪にキスをした。
「そのメイドの気持ち、よく分かりますよ」
アルフリードが同じ立場だったとしたら、ミスタリア嬢に頼まれて、断ることなど出来ない。
むしろ今までで一番美味しいものを作ろうと奮起するだろう。
彼女は驚いた顔をして、そして頬を染めた。
「確かにアルフリード様もわたしに甘いです」
その自覚はアルフリードもある。
「ミスタリア嬢は私の可愛い婚約者ですからね」
「……わたしも、多分、アルフリード様に甘いです」
「それは良いことを聞きました」
もう一度、彼女の前髪にキスを落とす。
「ミスタリア嬢、どうか私に、私だけの特別な呼び方を与えてはくれませんか?」
ミスタリア嬢と呼び続けているが、本当は特別な愛称で呼びたい。
呼び捨てではイルンストン伯爵子息と同じで。
ミスリルではその他大勢と一緒になってしまう。
アルフリードだけの特別な呼び名が欲しい。
そう言えば、彼女の瞳が揺れるように煌めいた。
「……じゃあ、ミスティって呼んでください」
囁くような小声で教えられた。
「父と母だけの、わたしの愛称です。一番大切な呼び方で、アルフリード様には、そう呼んで欲しいです」
……それは確かに大切な愛称だ。
今は亡き両親から呼ばれていたもの。
きっと、思い出も沢山あるだろう呼び方。
「ミスティ」
ミスリルという呼び方とは違う。
女の子らしい、可愛らしい愛称だ。
「ありがとうございます、ミスティ」
彼女の手を取り、指輪の上から口付ける。
「あなたの一番大切な呼び名を許してくれて」
ぽた、と音がする。
顔を上げれば、彼女の頬を涙が伝い落ちた。
* * * * *
懐かしい呼び方に涙があふれ出す。
もう、誰も呼んでくれないだろうと思っていた呼び名だからか、心が震える。
「ミスティ」
アルフリード様に抱き締められる。
その温もりに何故だか両親を思い出した。
一度思い出してしまうと、父と母と弟と四人で暮らしていた頃の楽しい記憶ばかりが頭を過る。
たった数年前まで、幸せだった。
裕福とまではいかずとも、家族四人で、少ない使用人と共に身を寄せ合って暮らしていた。
懐かしくて、切なくて。
「ご、ごめんなさい……っ」
拭っても拭っても涙が止まらない。
今になって、父と母を喪った悲しみがやってきた。
アルフリード様の大きな手が頭に触れる。
「いいんですよ。泣きたい時には泣いてください。ここには私とミスティ以外はいません。泣いてもいいんですよ」
ゆるゆると優しく頭を撫でられる。
その温かさに更に涙腺が緩んだ。
「も、っと、お父様と、お母様に、生きて欲しかったです……っ」
「ええ、そうですね」
「アルフリード様を、紹介、したかった……!」
父も母も最初は驚くだろう。
イルンストン伯爵子息との婚約破棄に怒ってくれて、慰めて、励ましてくれただろう。
もしかしたら「無理に結婚しなくていい」と言ってくれたかもしれない。
公爵家と縁続きになることに凄く驚いて、多分アルフリード様が格好良くて更に驚いて、あまりの条件の良さに愕然としたかも。
「私もミスティのご両親にお会いしたいです」
ギュッと抱き締められる。
「直には会えませんが、いつか、リルファーデ子爵家の領地に行って、きちんとご両親にご挨拶させてくださいね」
アルフリード様の優しい声に涙が止まらない。
返事が出来なくて何度も頷いた。
父も母も、とても驚いて、でもきっとわたし達の婚約を認めて、祝福してくれただろう。
……こんなにも会えないことがつらいなんて。
父と母とアルフリード様が並んで立つ姿を見ることは叶わない。
それが一番悲しかった。
だけどアルフリード様が愛称を呼んでくれる。
父も母ももうそばにいないけれど、アルフリード様がそばにいてくれる。
だから、悲しいしつらいけど、大丈夫。
「絶対、挨拶にいきましょう……!」
その日まで、沢山、父と母に話せることを作っておくから。
亡くなった二人が心配しなくてもいいくらい、わたしは元気にやってるよって伝えよう。
わたしが顔を上げれば、アルフリード様はしっかりと頷いてくれた。




