公爵夫人と
「ミスタリア嬢はお茶会に興味がありますか?」
昼食の時間にアルフリード様にそう問われた。
……お茶会?
口の中のものを飲み込んで答える。
「いえ、特には……?」
友達とのお茶会はたまにするけれど、社交という意味でのお茶会に出席したことはない。
でも何故急にそんなことを訊いてくるのだろうか。
「実は母のところに連日お茶会の誘いの手紙が多く届いているそうなのですが、殆どがミスタリア嬢も一緒にと書かれているそうです」
「え、わたしも?」
「先日婚約して、わたし達はそれなりに話題の人ですから、興味本位で声をかけてくる者も多いのですよ」
……そうなんだ。
アルフリード様が社交は別にしなくても良いと言ってくれているので、お言葉に甘えてしまっているものの、やっぱり少しくらいは社交をした方がいいのかもしれない。
だけどマナーの面でちょっと不安がある。
礼儀作法はそれなりに習ったけれど、あくまで子爵家の令嬢に必要な程度なのだ。
公爵夫人が招待されるような爵位が高い家々でのお茶会に出るには多分、わたしはマナーが足りてない気がする。
「ああ、大半は断っているようです。ミスタリア嬢は見世物ではありませんから」
アルフリード様の言葉にホッとする。
「そうですか、断っていただけて良かったです。正直、わたしは子爵令嬢程度の礼儀作法しか学んでいないので、お茶会に参加しても笑われてしまうと思います」
わたしの言葉にアルフリード様が納得したような顔をする。
貴族と一括りに言っても色々あるのだ。
特に爵位の低い家と高い家では、学ぶ作法の幅が違い、基本的に爵位が落ちるほど教育の度合いは下がっていく。
わたしの場合は最低限の教育しか受けていない。
子供の頃はまだ良かったが、両親が亡くなってからは女家庭教師も雇えなかったので、わたしが覚えているのは子供の頃のものくらいだ。
次期当主となるイシルの家庭教師を雇うだけで精一杯だったから。
……まあ、元々勉強は苦手なんだけどね!
「ただ、先日届いた手紙だけは断れなくて……」
アルフリード様が言って、手紙を取り出した。
既に封の切られたそれは宛名はディアナ様だけれど、わたしへ差し出されるということは読んでもいいのだろう。
受け取り、中の便箋を出して読む。
内容は季節の挨拶から始まり、取り留めもない内容が書かれていたが、途中からお茶会へのお誘いになっていた。
そこには「先日リルファーデ子爵令嬢をお茶会にお誘いしたけれど、不備があり、楽しめなかったので今度は是非楽しんでいただきたい」といった内容があった。
手紙の差出人は覚えのない名前だ。
…………あ。
「知っている方ですか?」
アルフリード様の問いに頷き返す。
「この間、王城の使用人というか、メイドさん達のお茶会に招待されてちょっとだけお邪魔させてもらったんですけど、その時一緒にいた誰かだと思います。……多分」
「相手は名乗らなかったのですか?」
「ええ、誰も名乗らなかったですね」
アルフリード様の眉が寄る。
初めて参加するお茶会や初対面であれば、当たり前だが参加者が名乗り、互いを知るのが普通である。
それがなかったから、アルフリード様は眉を顰めているのだ。
「わたしも名乗らなかったのでお互い様ですよ」
自己紹介されなければ名乗る必要もない。
それにわたしとしては、あの場限りにするつもりだったので、名乗られて縁が出来ても困る。
「でも、このお茶会には参加しないといけないですね。わたしのためにお茶会をやり直したいと書いてありますし、これで断ったらこちらが悪者にされるかもですし」
それに差出人は侯爵令嬢なので、子爵令嬢に過ぎないわたしが断るのは難しい。
……公爵夫人のディアナ様ならともかくね。
アルフリード様が心配そうにわたしを見る。
「大丈夫ですか? 嫌なら、母に頼んで断っていただいても構いませんよ?」
それに首を振る。
「いえ、行きます。ただ礼儀作法について学び直したいので、良い先生を紹介していただけたら助かります」
リュディガー公爵家からの援助もあり、今のリルファーデ子爵家は生活に困らなくなった。
それどころかイルンストン伯爵家との取引内容が変わったこともあり、余裕がかなり出来て、今ならば女家庭教師も雇えるそうだ。
手紙に書かれている日は二週間後。
それまでに、せめてお茶会に参加しても大丈夫なくらいには礼儀作法を叩き込んでおかなければ。
アルフリード様が言う。
「それならば母に頼んだ方がいいでしょう。もし相手に難癖をつけられても、教えたのが公爵夫人となれば、それ以上は何も言えないですからね」
……え、ディアナ様に?
「ご迷惑じゃないですか?」
「そのようなことはないと思いますよ。むしろ母はミスタリア嬢ともっと仲良くしたいそうなので」
「そうなんですね」
わたしもディアナ様とは仲良くしたい。
華やかな美女で、お歳を重ねても、年老いたという感じのない素敵な人だった。
……結婚したらお義母様になるし。
「ディアナ様がよろしければ、お願いしたいです」
「ええ、訊いておきます。ですが、きっと母は喜んで引き受けてくれますよ」
そしてアルフリード様の予想は当たった。
ディアナ様はわたしの礼儀作法の先生を引き受けてくれて、休日に、公爵家に行くことになった。
しかもアルフリード様も教師役を買ってくれて、普段の食事の時にも、食事をしながら色々と教えてくれるそうで心強い。
……さあ、礼儀作法も頑張るぞ!
* * * * *
「ミスタリア嬢、もっと指をカップに沿わせて。でもカップに触れてはダメよ。それと小指は立てないように」
「は、はいっ」
休日、わたしはリュディガー公爵家を訪れていた。
綺麗に整えられた庭園の一角に大きなパラソルが立てられ、そこにティータイムの準備がされ、わたしはディアナ様と向かい合ってお茶をする。
基本のマナーはそれなりに分かっているので問題ないと言われたけれど、所作についてはダメ出しばかり受けている。
……まあ、それもそうだよね!
イルンストン伯爵子息と婚約していた時も社交にはデビューしてなかったし、彼に会う時以外はわりと自由に過ごしていたので、礼儀作法なんてあってないようなものだった。
自分でも、貴族らしくないのは分かっている。
どちらかと言えば平民寄りだろう。
「そう、紅茶をいただく時は優雅にカップを持つのよ。テーブルの高さによってはソーサーを持ったり、持たなかったりすることもあるから、気を付けて。動きはゆっくりとたおやかにね。喉が渇いているからと言って一気に飲むのは良くないわ」
そう言いながらディアナ様がカップに口をつける。
何気ない動き一つ一つが洗練されていて、優雅で、美しく見える。
そういえばアルフリード様も所作が綺麗だ。
わたしより体は大きいが、荒々しさがない。
「カップを両手で持つと『温度が適切ではない』という意味に、一気に飲み干すと『話がつまらない』という意味に、お茶にもお菓子にも手をつけないと『出されたものに不満があります』という意味になるわ。けれど、出されたものに手をつけないのはマナー違反だから、苦手でも、最低一口は食べたり飲んだりするものね」
ディアナ様の話を頭に叩き込む。
ソーサーとティーカップを持ち、優雅に見えるように、丁寧に持ち上げて、そっと口をつける。
……この紅茶凄く美味しい!
声を上げそうになるのをグッと堪える。
「どうしても食べられないものだった場合はどうすればいいのでしょうか?」
「その時はアレルギーがあるからと言えばいいのよ。それなら、どちらの体面も傷付かずに済むわ」
「なるほど」
お皿に取り分けられたケーキを食べる。
フォークで小さめに取り、口へ運ぶ。
……ん〜っ、これも美味しい!
ラズベリーをたっぷり使ったチーズケーキだ。
濃厚だけど柔らかくて口の中であっという間に消えてしまうふわふわのチーズ部分に、甘酸っぱいラズベリーソースがよく合っていて、下はサクサクとした食感になっている。
思わず頬に手を当ててしまう美味しさだ。
……色々覚えるのは大変だけど幸せ……。
ゆっくり一口、二口と食べていると、ディアナ様から視線を感じた。
「ミスタリア嬢は本当に美味しそうに食べるわね」
「はい、とても美味しいですから。こんなに美味しいケーキを毎日食べられるなんて羨ましいくらいです!」
「声が大きいわ」
「あ、ごめんなさい……」
指摘されて肩が落ちる。
確かに貴族のご令嬢にしたら、わたしは元気過ぎるのだろう。
貴族のご令嬢はいつも微笑んでいて、声を荒げたりせず、お淑やかで、か弱いもの。
……わたしとは反対だなあ。
ディアナ様が苦笑する。
「私からしたら、ミスタリア嬢の明るさや元気さは好意的に感じるけれど、他の人もそうとは限らないわ。特に貴族のご令嬢からしたら、礼儀作法がなってないと思われることもあるの」
「はい……」
「今になって所作を直すのは大変でしょう。でもね、所作が綺麗だったり、礼儀作法がきちんと出来ている人というのはそれだけで美しく見えるのよ」
ディアナ様の言うことは分かる。
どんなに外見が美しい人でも所作が荒々しかったり、マナーが悪かったりしたら嫌われる。
逆に平凡な外見でも、所作が綺麗で、マナーもきちんと守れる方が良く見える。
「わたし、頑張ります」
自分のためにも、公爵家のためにも、アルフリード様のためにも。
わたしの所作やマナーが悪いと、婚約者として選んだ公爵家やアルフリード様まで悪く言われるかもしれない。
それにディアナ様の言う通り、所作を綺麗にして、もっと礼儀作法を身につけて、アルフリード様の横に並んでも馬鹿にされないくらいにはなりたい。
意識して背筋を伸ばす。
……わたしだって貴族なのだ。
淑女らしく振る舞うことも出来るはず。
「そうよ、良い姿勢ね。何か食べたいものがあったら、使用人を呼んで取り分けてもらいなさい。手を伸ばすとドレスの袖を汚してしまうから」
「はい」
他にも綺麗に見える食べ方やお茶を飲む速度についても教えてもらった。
お菓子は自分側から切って食べる。
紅茶を飲む時、熱ければ、少しだけ飲んだふりをしてティーカップを戻せばいい。
出来るだけ食器同士はぶつけないように。
ソーサーにカップを戻す時はやや斜めにゆっくりと置くと良いけれど、中身をこぼさないように注意する。
お茶会の間は極力席を立たない。
そのために紅茶を飲み過ぎないこと。
ティーカップやソーサーの持ち方から椅子の座り方、姿勢、食事、全部が直される。
「ディアナ様は凄いですね」
当たり前みたいに全部出来ている。
「私は子供の頃から厳しく教育されているのよ。元は侯爵家の令嬢だったのだけれど、幼いうちから婚約が決まっていて、公爵家に嫁ぐために色々学んだわ」
「おつらい時もあったのでは?」
「もちろんあったわ。でもね、夫のことが好きだったから、夫と結婚するためと思えば大変でも苦ではなかったのよ。それに元々、礼儀作法を学ぶのは好きだったもの」
ふふ、と微笑んだディアナ様は少し照れていた。
……うわあ、可愛い〜!!
ディアナ様も公爵様のために頑張ったのだ。
気恥ずかしそうに微笑む姿はまるで少女のようで、こんな風に慕われて公爵様も幸せだろうなと思えた。
……美女の照れた表情、最高です!
ついニマニマと笑ってしまう。
「ディアナ様と公爵様のお話、もっと聞きたいです」
そう言えば、ディアナ様が一瞬黙った。
「ねえ、もしミスタリア嬢が良ければ、私のことをお義母様と呼んでくれないかしら? アルフリードと結婚したらあなたは義理の娘だし、その、お茶会でも私達が母娘のように仲良くしている方があなたに突っかかってくる人も減ると思うのよ」
「……ダメかしら?」と問われる。
わたしはディアナ様の言葉に驚いたけれど、同時にとても嬉しかった。
母も父も亡くなって、今はもう、そう呼べる人達がいないから。
結婚したらアルフリード様のご両親はわたしの義理の両親にもなるのだし、今からそう呼んでも不思議はない。
婚約を結んでいるうちからそうやって親しくするのは普通のことだ。
「あ、ミスタリア嬢が嫌ならいいのよ? ただ、あなたはご両親を亡くされているし、代わりというわけではないけれど……」
言いながらディアナ様の眉が下がっていく。
その気遣いが嬉しい。
確かに母は母であって、ディアナ様は母の代わりにはなれない。
でも、それは当然のことで、ディアナ様はディアナ様なので、母の代わりをして欲しいわけでもない。
だけど、もう義理の両親として、もう一人の母としてなら凄く仲良くしたい。
「ありがとうございます、お義母様」
ディアナ様がピタリと止まった。
「わたしのことはミスリルと呼んでください。親しい人はみんな、そう呼びますので」
「そうなのね、ではこれからはミスリルちゃんと呼ぶわ」
ほわ、と胸が温かくなる。
久しぶりに『おかあさま』と口に出した。
胸が喜びで打ち震えている。
……お母様、わたし、良い家族が出来そうです。
嬉しそうに「ミスリルちゃん」と呼ばれてわたしは微笑んだ。
「はい、お義母様」
少し泣きそうになったのは秘密である。
……今度、イシルも連れて来ていいか聞いてみよう。
きっとイシルディンも公爵家の方々と仲良く出来るだろう。
そして、公爵家の方々も弟に良くしてくれるだろう。
そんな確信に近い予感があった。




