彼と彼女のその後 / 招かれざるお茶会
婚約発表から一週間が経った。
その間に紫水の皆さんからお祝いの言葉を沢山かけてもらった。
それだけでなく、これまでわたしを避けていた同僚達からも話しかけられるようになった。
ずっと無視していたことを謝罪されて、それからは時々だけど挨拶や雑談を交わす程度には関係は良くなりつつある。
アルフリード様はあまり良い顔をしなかったけど。
「彼らはミスタリア嬢が私の婚約者となり、公爵家の後ろ盾を得たと思って慌てて謝罪をしてきたのでしょう」
まあ、それはさすがのわたしでも分かった。
散々無視しておきながら、急に態度を改められても正直言って不信感しかないのだが、それでも職場の同僚達といつまでも不仲でいるわけにもいかない。
必要最低限で付き合っていくつもりだ。
あと、多分だけどバーナード=コリンという人のこともあったからだと思う。
同僚達の中でわたしを一番虐めていた人である。
そして、婚約発表のあった夜会のあの日、わたしにアリエラが外で待ってると声をかけた人物でもあった。
滅多に顔を合わせないのですっかり忘れていたのだけれど、後日、アルフリード様からわたしを騙して外に誘導する役目をしていた人物がバーナード=コリンだったと聞かされてようやく思い出した。
髪型や化粧で顔立ちや雰囲気を変えていたそうで、それでも全く気付かなかった自分にちょっと呆れてしまった。
何故バーナード=コリンがそこまでわたしを嫌うのか。
どうやら彼はわたしと同じく子爵家出身で、同じく紫水の使用人になったものの、わたしが士団長様達と仲良くしているのが気に入らなかったらしい。
同じ仕事をしていて、同じ爵位で、それなのに、わたしの方が可愛がられて、紫水の魔法士の人達からの評判も良くて。
彼は自分より爵位が上の人達と繋がりを作りたくて使用人となったようだが、思うようにいかず、わたしのことが妬ましく、同時に疎ましかったという。
だから嫌がらせをしたり、元婚約者のイルンストン伯爵子息にわたしを引き合せようとしたり、わたしの足を引っ張ろうとした。
結果は全て失敗に終わったけれど。
そうしてハロルド=イルンストンは、イルンストン伯爵領に連れ戻されたそうだ。
当主の許可を得ずに勝手に婚約を破棄したこともそうだが、何より、リュディガー公爵家の催した夜会に他人の名前を使って潜り込んだことが問題になったのだ。
言ってしまえば、他人の家に無許可で入るようなものである。
これについてはドロテア=ブランドリーも同じで、他人名義で出席した彼女は公爵夫人に名前を訊かれて答えられずに夜会の途中で追い出されたらしい。
ちなみに名前を貸した者達も顰蹙を買い、社交界で爪弾きにされているそうだ。
そして、わたしは知らなかったがドロテア=ブランドリーは有名人だったという。
なんと貴族の子息の間で『一夜の相手にいい』と言われていたのだとか。
金品を渡せば相手をしてくれる。
そういう噂で有名な人で、彼女を嫌う女性も結構いるとのことで、今回の件も合わせてドロテア=ブランドリーは社交界にはいられなくなるだろう。
ハロルド=イルンストンとドロテア=ブランドリーの行動により、二つの伯爵家はリュディガー公爵家から反感を買った。
どちらの家も即座に正式に謝罪したそうだ。
そしてハロルド=イルンストンはイルンストン伯爵領にて無期限の謹慎処分。言わば軟禁のようなものらしく、イルンストン伯爵からもわたしの元に謝罪の手紙が届き、二度とハロルド=イルンストンがわたし達の前に姿を現さないようにすると書かれていた。
彼は自領で一から鍛え直されるだろう。
ドロテア=ブランドリーは王都より離れた辺境伯の後妻として嫁ぐことが決まったらしい。
聞くところによると女癖の悪い人だとか。
ただでさえ火遊びが過ぎて結婚相手が見つかり難くなっている中、今回の件で公爵家からも縁を切られて、さすがのブランドリー伯爵家も娘を放っておくことは出来なくなった。
そこで王都から離れた領地にいる辺境伯に、問題のある娘を押し付けるような形で嫁入りさせることにしたようだ。
……でも、あのドロテア様も、話を聞く限りは可哀想な人だと思う。
伯爵家の娘に生まれ、美しい容姿を持ち、本来ならば蝶よ花よと育てられて裕福に暮らすはずが、金遣いの荒い家族のせいで、伯爵家の経済状況はいつも火の車だったらしい。
ドロテア=ブランドリーが男性に体を許していたのも、身分に合った装いや生活のために、男性に寄りかかって生きていくしか方法を知らなかったから。
彼女は修道院に行くのを嫌がり、辺境伯の後妻になることを選んだそうだ。
ハロルド=イルンストンに近付いたのも、羽振りが良かったからで、イルンストン伯爵家の経営が落ち込んできたと聞いて、わたしに彼を押し付けようとしたのだ。
ドロテア=ブランドリーの結婚を聞いたハロルド=イルンストンは抜け殻みたいになったようだが、そのまま自領に連れて行かれたそうだ。
どちらにしてもこの二人は公爵家に睨まれた以上、もう社交界にいることは難しい。
だからそれぞれ、王都を離れることになった。
バーナード=コリンも子爵家の領地に引き戻されたそうなので、多分、もう会うことはないだろう。
…………なんだかなあ。
どうでもいいとは言ったものの、少し後味の悪い結果となったように思う。
それらをアルフリード様から聞いたのは昼食の席だった。
仕事中もつい、三人のことを考えてしまう。
「ダメダメ、仕事に集中!」
両手で頬を叩いて気合を入れる。
わたしが悪いわけではない。
三人は自分達の行いが返ってきただけだ。
廊下を箒で掃いていると声をかけられた。
「あなた、リルファーデ子爵令嬢よね?」
振り向けば、メイド姿の女性がいた。
……うーん、なんか既視感。
「はい、そうです」
「今から女性使用人だけでお茶会をするんだけど、あなたも来ない? 休憩時間でしょ?」
言われて、そういえばもうそんな時間かと気付く。
午後には一時間ほど休憩時間があり、わたしはいつも、その時間も仕事に当てていた。
そうしないと終業時間までに仕事が間に合わない。
「もしかして休憩時間も仕事しているの?」
その女性が「ダメよ」と続ける。
「休憩時間は休まないと。美味しいお菓子と紅茶を用意しているの。一緒に来ない?」
「でも、急に参加したらご迷惑では?」
「そんなことないわ。あなた、有名人だからきっとみんな喜ぶわよ」
「さあ、行きましょう?」と手を引かれる。
これもやっぱり既視感を覚える。
……あんまり良い感じがしないんだけどなあ。
女性は気さくそうで、一見すると優しげだ。
でもこちらの話を全く聞かないのも気になる。
箒を持ったまま、手を引かれてやってきたのは王城の一角、使用人達の休憩室だった。
あまり広くはないけれど綺麗な室内に、丸テーブルが一つと椅子が六脚。テーブルの上にはお菓子と紅茶が並んでいた。
「あら、そちらの方は?」
集まっていた五人のメイドの一人が言う。
「ミスタリア=リルファーデ子爵令嬢よ。ほら、今話題の方。せっかくだから誘ってみたの」
言いながら、わたしを連れて来たメイドが残っていた椅子に腰掛けた。
当然、六脚の椅子に六人座っているので、わたしが座れる場所などなかった。
わたしを連れて来たメイドが「まあ!」とわざとらしい声を上げて驚いた顔をする。
「ごめんなさい、椅子が足りないなんて気付かなかったわ!」
困ったように頬に手を当てるものの、だからと言って動く気配はなく、全員がおかしそうに笑っている。
「ダメよ、席がないのに招待しては」
「あらやだ、持って来ないとないわね」
「あちらに一つありますわ」
あちら、と示された方を見れば、踏み台が一つ置いてあった。
……なるほど、わたしは椅子じゃなく踏み台で十分だって言いたいのかな?
貴族のマナーの一つに、お茶会に招待されて出席したら、出されたものがたとえ苦手なものだったとしてもお茶とお菓子は最低一度は手をつけないといけない、というものがある。
一口も食べないのはマナー違反だ。
ただし、基本的にお茶会を主催する側も、お茶会に招待する相手の好みを前もって調べておいて用意するのが一般的だ。
それはともかく、わたしはこうしてお茶会に来てしまった以上は『参加』という扱いなのだろう。
……これでそのまま出て行ったらマナーも守れないご令嬢とか噂されそう。
わざと椅子を用意していないのは明らかだ。
「あれは椅子ではありませんわ」
ご令嬢達は、うふふ、あはは、と楽しげに笑っている。
わたしを困らせて遊びたいらしい。
「でもどうしましょう?」
「椅子がないなら、仕方ありません。あれを椅子の代わりにしてもよろしいのでは?」
「そうね」
「まさか公爵家の婚約者ともあろう方がマナー違反なんていたしませんものね?」
つまり一人だけ踏み台に座ってお茶会に参加しろ、と言いたいらしい。
しかしテーブルにはきっちり椅子が並べられていて、踏み台を入れるスペースはない。
……凄いなあ。
こんな地味だけど嫌なことをよく思いつくものだ。
そもそも招待しておいて椅子がないことの方が問題だと思うのだけれど、それについて何も謝罪がない辺りにも悪意を感じる。
しかもお茶やお菓子も六人分しかないようだ。
これではわたしがお茶会に参加するのは無理である。
でも、もしわたしがここで怒って出て行ったら、きっとこの六人はわたしについて「お茶会に参加したのに席にすらつかずに出て行った」とか「用意したものに怒って手をつけなかった」とか、わたしを無作法者だと言いふらすのだろう。
そういう悪意が透けて見える。
……そっちがそういうつもりなら、こっちも遠慮なくやらせてもらうけどね!
バーナード=コリンの件で分かったが、こういうのはこちらが我慢したり黙っていたりすると更に酷いことをされる。
だから反撃出来る時はするべきなのだ。
それに彼女達の言葉にも一理ある。
公爵家の、アルフリード様の婚約者がこれくらいで泣いていたら、この先やっていけない。
アルフリード様と婚約してから、確かに人から嫌味や暴言を向けられることもあったが、大抵はアルフリード様の耳に入り、アルフリード様の方が怒ってくれていた。
だけど、いつも一緒にいるわけではない。
自分でもどうにかしないといけないし、やられっぱなしでいる気もない。
わたしはニッコリと笑った。
「こんな素敵なお茶会に参加出来るなんて光栄です!」
わたしの笑顔に六人が一瞬固まった。
……あ、今の嫌味っぽかったかな?
席がないことを除けば良いお茶会ではある。
日当たりの良い綺麗な部屋に、用意されたお菓子やお茶は美味しそうで、もし普通に招待されていたらわたしは嬉しい。
わたしを連れて来た人に近付いていく。
距離が詰まると、わたしを連れて来たメイドの表情が強張った。
手を伸ばせばビクリとその人が顔の前に手を上げる。
……わたしに叩かれると思った?
でもそんなことはしない。
暴力を振るった方が悪くなってしまう。
伸ばした手でソーサーごとティーカップを持ち上げ、わたしはそれを引き寄せると一口飲んだ。
熱くないことを確認して、下品にならない程度の勢いで飲み干した。
「美味しい紅茶ですね!」
わたしを連れて来たメイドも、他の五人も、ぽかんとした顔をしている。
それに構わず、空になったカップとソーサーをテーブルに戻し、今度はお菓子が取り分けられた小皿を手に取った。
黄金みたいな綺麗な焼き菓子を食べる。
スイートポテトみたいなお菓子は、表面がツヤツヤでとても美味しそうだ。食べると甘くて少ししっとりしているが、口の中でほろほろと溶けていく。
周りが呆然としている中で手早くお菓子を食べて、皿を戻した。
ことり、と皿とテーブルのぶつかる音が響く。
「お菓子も美味しかったです。今日はお茶会にご招待いただき、ありがとうございました!」
わたしを連れて来たメイドがぱくぱくと口を開閉させているけれど、言葉は出て来なかった。
そんな彼女にわたしは笑顔を向ける。
「招待してくださっただけではなく、お茶とお菓子まで分けてくださるなんて、お優しいですね! 仕事がありますのでお先に失礼しますが、またご招待いただけたら嬉しいです!」
わたしを連れて来た人が顔を赤くした。
何か言われる前に「それではご機嫌よう」と礼を執り、部屋を出た。
後ろから何やら騒ぐ声がしたけれど、聞こえないふりをして扉を閉める。
紫水の区画へ戻りながらも、わたしは少しだけドキドキしていた。
……反撃は成功したかな?
わたしを連れて来たメイドはお茶もお菓子もない状態で、残りの時間を過ごすことになる。
まあ、仲の良い人達ならば自分の分から分けるという手があるけれど、あの人達はそういうことはしなさそうだった。
人に意地悪するなら、やり返される覚悟くらいあるだろう。
……わたしも意地悪しちゃったけど。
お茶会では「必ず座って参加しなければならない」という決まりはなかったはずだ。
場合によっては立食形式のお茶会やパーティもあるので、そこまでの明言はされていない。
だからわたしは「お茶とお菓子に手をつけなければいけない」ことだけ守ればいい。
誰のでも良かったが、わたしを連れて来たメイドのものならば「突然招待されたけどお菓子が足りなかったため、招待してくれた方から分けていただきました」が多分通用すると思う。
わたしを連れて来た責任を取ってもらったようなものだ。
彼女達もお茶会の詳細については話せないはず。
席もお茶もお菓子も用意していないのに、お茶会に招待するなんて非常識だから。
もし「人のお菓子を食べた」と言われても「わたしのものだと思ってしまいました」で済む話になる。
……ちょっと意地悪すぎたかなあ。
お茶会でお茶もお菓子もなく過ごすのは、かなり恥ずかしいし、落ち着かないだろう。
お菓子だけはいくらか残しておけば良かったかもしれないが、他人の食べかけは食べないだろうから、やはり食べ切って正解だったかもしれない。
「でもお菓子も紅茶も美味しかったなあ」
嫌がらせでなければ、もっと良かったが。
……どうせならアルフリード様とお茶したいな。
何とか仕事の段取りを詰めて、今度、休憩時間にアルフリード様を食堂に誘ってみよう。
きっと一緒にお茶をしてくれるだろう。
想像したら自然に笑顔になる。
これくらいの嫌がらせなんて可愛いものだ。




