婚約発表(2)
アリエラと三人でしばし話をして、別れる。
本当はもっと話していたいのだけれど、アリエラも挨拶回りの途中だし、彼女自身もこうやって夜会に出て良い相手を探している最中である。
アルフリード様が「もう少し人付き合いをするべきでした」と呟いた。
「そうすれば誰か紹介出来たのですが……」
そう言ったアルフリード様はどこかしょんぼりしていて、少し可愛いと思ってしまった。
「アリエラにですか?」
「ええ、彼女は良い人だと思います。むしろ、何故今までお相手がいなかったのか疑問に思うくらいです」
「あー……」
アルフリード様の言葉にわたしは苦笑した。
どうしてアリエラに婚約者がいないのか。
彼女は今現在十八歳なので、貴族のご令嬢で言えば丁度結婚適齢期である。
実際アリエラには婚約の打診が結構届くらしいのだけれど、一度も首を縦に振らない。
その理由を知っているのは恐らくアリエラの家族とわたしだけである。
口元に手を当てて見せれば、アルフリード様が屈んで耳を寄せてくれる。
「アリエラは歳上しか好きにならないんです」
アルフリード様が目を瞬かせた。
「歳上ですか。それならば、すぐに婚約者を見つけられるのでは?」
「いえ、それが、その、アリエラが好きなのはかなり歳上なんですよ」
「……そんなに歳上がお好きなのですか?」
貴族の男性の結婚適齢期は女性に比べてかなり長く、大体初婚は二十代から四十前である。
女性の適齢期が十八から三十前と言われているので、男性の方が十歳ほど長い。
貴族同士の結婚では家の存続も関わってくるため、女性は早くに結婚して子供を産むことが良しとされる。
……わたしからしたら十八には結婚して子供を産むって早すぎて逆に不安……。
前世でも十六で女性は結婚出来たけれど、それですぐに結婚して子供を産むなんてあまりない。
アルフリード様の問いに更に声を落とす。
「実は、アリエラは『おじさま好き』なんです」
アルフリード様が僅かに目を丸くした。
「父親よりも歳上の方が好きなんだそうです」
「……それはまた……」
だからアリエラはなかなか結婚したがらない。
アリエラは前世で言うところの『枯れ専』というやつで、六十代くらいの老紳士が好きなのだ。
アルフリード様に説明すると何とも言えない顔をしていたが、人の好みというのはそれぞれなので、他人がどうこう言うべきではない。
そんな話をしているうちに公爵家の方々のご挨拶が落ち着き、招待客が揃って夜会が賑やかになった頃、アルフリード様に声をかけられた。
「そろそろ向こうに行きましょうか」
視線で示された方には公爵家の方々がいる。
ディアナ様と目が合うと微笑まれた。
「はい」
アルフリード様にエスコートしてもらいながら公爵家の方々に近付いていく。
会場に入った時と同じく、視線が突き刺さった。
だけどそれに気後れはしない。
……わたしはアルフリード様の婚約者だ。
アルフリード様が、公爵家の方々が認めてくれて、正式に婚約届も出した、正真正銘の婚約者だから。
ここでオドオドしてはいけない。
アルフリード様と一緒に公爵夫妻のそばに寄る。
こほん、と公爵様がわざとらしく大きく咳払いを一つした。
たったそれだけなのに、会場の視線が集中する。
「本日は皆様にご報告したいことがあります。実は、私の息子、我が公爵家の次男アルフリード=リュディガーに婚約者が出来ました」
アルフリード様と一歩前へ出る。
「お相手はリルファーデ子爵家のご長女、ミスタリア=リルファーデ子爵令嬢です」
出来る限り綺麗に、優雅に見えるように、ゆっくりと礼を執る。
カーテシーはゆっくり行うほどバランスを取るのが難しいのだけれど、今は身体強化をしたままなので、問題ない。
横でアルフリード様もわたしに揃えて礼を執ってくれる。
「この二人はこれまで苦難もありましたが、このように出会い、共に寄り添って生きることを選びました。この良き日に、どうかこの二人の幸福な未来を祝福していただきたいのです」
公爵様の言葉にディアナ様とリュミエラ様、アーノルド様が拍手を始めると、周りに拍手が広まり、そしてそれは大きな波になった。
驚きつつも拍手をしている人もいれば、面白くなさそうな顔で渋々手を叩いている人もいて、でも中には微笑ましげにこちらを見て拍手を送ってくれる人もいる。
全員に祝福されるとは思っていない。
アルフリード様は見た目も、性格も、地位も、貴族のご令嬢達から見たらとても優良な結婚相手だから、狙っていた人も少なくないだろう。
そういう人達には今回の婚約発表は受け入れ難いし、きっとわたしに対しても良く思わないだろう。
それでも、わたしはアルフリード様と一緒にいたい。
だから誰にも負けたくない。
* * * * *
その後、祝福の言葉をかけてくれる人々にご挨拶を済ませ、アルフリード様とわたしは一旦分かれることになった。
男性には男性の、女性には女性の社交がある。
……まあ、アルフリード様はしなくても良いと言ってくださったけど。
公爵家と繋がりを持つ以上はそうも言ってはいられないだろう。
わたしがアルフリード様から離れるとご令嬢達に取り囲まれて、色々質問されたが、大体は答えられたと思う。
わたしが子爵家の、それも貧乏だと知っている人はわたしを馬鹿にしたような見下した態度も取られたけれど、気にせず接した。
「リルファーデ子爵令嬢は凄いですわね。リュディガー様のお隣なんて、自信がなくてはとても立てませんわ」
……それはつまりわたしの見た目がアルフリード様に釣り合わないってこと?
でもそこで怒ったり泣いたりしても相手が喜ぶだけなので、構わずにあしらっておく方がいい。
いちいち相手にしていてはキリがない。
「そうですね、アルフリード様はとても素敵な方なので、隣に並んでも遜色のない方というのはそういらっしゃらないと思います。ですが、アルフリード様はこんなわたしでも良いとおっしゃってくださいました!」
アルフリード様がわたしが良いと言ってくれているのだ。
見た目が釣り合うかどうかなんて、そんなのは周りの意見であって、わたし達には関係のないことだ。
アルフリード様は言ってくれた。
大事なのはわたし達の気持ちだって。
お互いが好きなら、それでいい。
「そういえばリルファーデ子爵令嬢はついこの間、婚約破棄されたと聞きましたが、次の婚約が少しお早いような気がしませんか?」
「確かに。まだ半年も経っておりませんのに」
その言葉につい笑ってしまった。
「結婚していたわけではありませんから、半年待つ必要はないと思います。皆様だって、婚約者をお探しになられる時に、前に会った方とご縁がなければすぐに次の方とお会いするでしょう? それと同じです」
結婚していて、離婚したならば、最低でも半年以上は経たないと再婚出来ない。
それは法律上決まっている。
だが婚約の場合は違う。
婚約を解消または破棄した後に、すぐに別の人間と婚約しても何も法律上は問題ないのだ。
しかもわたしの場合は相手方の有責で破棄された。
後ろめたいことも一つもない。
「ですが、婚約を破棄してすぐに別の方と婚約されるなんて、貞淑さを問われるかもしれませんわ」
「それはわたしの元婚約者に問うてください」
思わず素で答えればご令嬢が視線を逸らす。
わたしの元婚約者が、婚約期間中に浮気をしたことで婚約が破棄されたことを知っているのだろう。
第一、どうして浮気されて婚約者でもなくなったのに、わたしが彼のために貞淑でいなければならないのだ。
「それにしても、公爵家の方と子爵家の方がご結婚だなんて、身分差があるときっと苦労いたしますでしょうね」
「そうでしょうか? アルフリード様は次男なので公爵家を継ぐことはございませんし、礼儀作法に関しても、ディアナ様とリュミエラ様がご指導してくださるとおっしゃっていただけましたし、好きな方と一緒にいるためならば苦労などありません」
と、終始こんな感じであったが、何を言ってもわたしが大きな反応を見せないことに気付いたのか、それとも諦めたのか、ご令嬢達はしばらく経つと離れていった。
それにホッとしていると声がかけられた。
「リルファーデ子爵令嬢」
振り向けば、見知らぬ若い男性が立っていた。
「はい、何でしょうか?」
どこか見覚えがあるような、ないような……。
柔らかな茶髪に赤みの強い焦げ茶色の瞳の男性だ。
「ご友人の方が庭園であなたを呼んでおられます」
「え、アリエラが?」
そういえば先ほどのご令嬢達の中にアリエラはいなかった。
「はい、どうやら足を痛めてしまったようで、さすがに男の私が見て差し上げることは出来ないので、ご友人であるあなたを呼んで欲しいと頼まれました」
足を怪我したなら、確かに男性ではダメだ。
貴族の女性は余程のことがない限り、家族や婚約者、もしくは夫以外の男性に足を見せてはいけない。
例外があるとしたらお医者様くらいのものだ。
「アリエラは庭園のどこにっ?」
「あちらから庭園に出て、すぐの噴水のそばです」
「ありがとうございます!」
お礼を言って急いでテラスに出る。
テラスから階段が続いており、そこから庭園に下りて、見回せば、少し離れた場所に噴水があった。
噴水の向こう側、水に揺れて見難いけれど、そこに人影が座っているのが見える。
足を痛めて座っているのだろう。
慌ててそちらへ向かった。
「アリエラ! だいじょう、ぶ……?」
だけど、そこにいたのはアリエラではなかった。
「ミスタリア」
いたのは、赤髪に緑の瞳の元婚約者だった。
「え、イルンストン様……?」
何故彼がここにいるのだろうか。
わたしの言葉にイルンストン伯爵子息が眉を寄せ、そして目を伏せた。
「もう、ハロルドとは呼んでくれないのか……」
噴水の縁に座ったまま悲しげに見上げられ、わたしは思わず「はい?」と目を瞬かせてしまった。
婚約を破棄したのだし、イルンストン伯爵子息にはあのドロテア様という女性がいるのだから、もう婚約者でなくなったわたしがいつまでも彼を名前で呼ぶ理由もない。
それに、名前で呼んでいたらわたしがイルンストン伯爵子息に未練を残しているように見えてしまう。
そうなればイルンストン伯爵子息と新しい婚約者となるであろう彼女も良く思わないだろう。
だから名前で呼ぶのはやめたのだ。
「ええっと、何でイルンストン様がこちらに? あの、アリエラを見かけませんでしたか?」
「ああ、それは嘘だ。ミスタリアを呼び出すためにそう言ってもらっただけだ」
それにホッとしつつも、何故そんな嘘を他人に吐かせてまで呼び出したのかと不信感も湧く。
いや、そもそもこの人に対しては婚約を破棄したあの一件以降、信用なんてものは消えてしまった。
「イルンストン様、わたしのことは名前で呼ばないでください。あなたとの婚約は破棄されました。わたし達はもう他人同士です」
幼馴染ではあるけれど、あの一件で、もうその付き合いも終わった。
それにわたしはアルフリード様と婚約したのだから、彼と親しくすれば、要らぬ噂が立つ。
しかしイルンストン伯爵子息が立ち上がった。
「そのことで話がある」
近付かれたので、その分下がる。
「何でしょうか、手短にお願いします」
「っ、」
一瞬、苛立ったような顔をしたイルンストン伯爵子息だったが、一度呼吸をしてから口を開いた。
「もう一度俺と婚約してくれ」
……………………は?
まじまじとイルンストン伯爵子息を見る。
冗談にしてはあまりにも笑えない。
「婚約破棄したが、それを取りやめて、また婚約しよう。そうすればミスタリアも婚約を破棄された令嬢だなんて言われなくて済むだろう?」
……この人は何を言ってるんだろう?
返事をしないわたしに何を勘違いしたのか、イルンストン伯爵子息が言葉を続ける。
「そうすれば伯爵家と子爵家の取り引きもまた以前のように戻るし、ミスタリアも婚約者を探さなくて済む。そもそも、お前が最初からそうやって着飾っていれば俺だって婚約を破棄することはなかったんだ」
まるでわたしが全て悪いとでも言うようだった。
「何を言ってるんですか? あなたはドロテア嬢と結婚するのでしょう? 彼女を愛してるって」
「確かに俺はドロテアを愛してる。だが、婚約は家同士の問題だ。このままじゃ伯爵家は落ちぶれる。それに俺も、このままだと父上にも兄上にも見限られてしまう」
「……だからわたしが必要だと?」
自分でも驚くくらい冷たい声が出た。
目の前のイルンストン伯爵子息の肩がビクッと跳ねて、驚いた顔で見つめられる。
「馬鹿も休み休み言ってください。浮気をして婚約を破棄したのもあなた、わたしに華やかな装いを許さなかったのもあなた、わたしを、リルファーデ子爵家との家の契約を破ったのもあなたでしょ?」
婚約を破棄したのはそっちなのに。
どうしてまた、彼の都合に振り回されなくちゃいけないのだろうか。
「ミスタリア……!」
「名前で呼ばないでください」
ぶわっと色々な感情があふれてくる。
「わたしを嫌っていたのはそっちでしょ。婚約者らしいことなんてほとんどしなかったくせに、いつもわたしを放置していたくせに、今更、今度は自分の立場が悪くなったからってわたしを利用する気?」
イルンストン伯爵子息はずっとわたしの存在を無視していた。
婚約者らしいことと言えば、他人行儀で義務で書いたことが分かる季節の手紙と、誰か他の人が選んだのだろう適当なプレゼント。
でもそのプレゼントだって年頃の女の子が好きそうなものをとりあえず贈ったみたいな感じで、一度だって、わたしに合ったものはなかったし、お礼の返事を書いてもそれについて触れられたこともなかった。
会ってもいつも不機嫌で挨拶一つない。
「忙しいから」と交流もあまりなかった。
父と母が亡くなった時だって、イルンストン伯爵子息は慰めの言葉をかけてくれるどころか、葬式に来てもわたしに近寄ることはなかった。
むしろイルンストン伯爵の方が優しかったくらい。
「俺を見捨てるのかっ?」
彼の言葉に自嘲が漏れた。
「あなたが先にわたしを捨てたんだよ」
そんなことすら、分かっていないなんて。
わたしになら何をしても許される。
彼のそういう考えが透けて見えて、多分、わたしは悔しかったのだ。
そういう風に思われていたことが悔しい。
……わたしはもう我慢しない!
「わたしに二度と近付かないで!!」
瞬間、ふわっと背後から抱き締められた。
顔は見えないけれど誰か分かる。
「お待たせしてすみません」
その声に心から安堵した。




