婚約発表(1)
その後、夜会が始まるまで何故かわたしの部屋でお茶会が催された。
最初はリュミエラ様が来て、それからアルフリード様のお兄様のアーノルド様が来て、なんと最後には公爵様まで来て、わたしの通された客間はいつの間にか公爵家の方々が全員集合していた。
驚いたけど、とても楽しいお茶会だった。
おかげで緊張も解れて、夜会が始まる頃にはわたしはいつも通りでいられるようになっていた。
「主役は後から来るものだ」
という公爵様の言葉でわたしとアルフリード様だけが部屋に残り、他四人は先に夜会の会場となる舞踏の間へ行かれた。
……お屋敷に舞踏の間があるのが驚きだよね。
ああいうのがあるのはお城だけではないらしい。
「……本当に婚約したのですね」
どこかしみじみとアルフリード様が呟く。
「実感、ありませんでした?」
「ええ、まあ、ミスタリア嬢に気持ちを受け入れていただけてから、正直ずっと雲の上を歩いているような気分です」
「わたしもそうですよ! もう毎朝起きる度に『あれは夢?』って思って、でも、アルフリード様と会うと『夢じゃなかった!』ってふわふわした気持ちになって、時間があっという間に過ぎてしまうんです」
「ああ、分かります」
互いに顔を見合わせて、吹き出した。
どちらも同じような気持ちだったらしい。
そっとアルフリード様の手を握る。
「夢じゃないですよね?」
訊けば、頷き返される。
「ええ、夢ではありません」
アルフリード様の手が頬に触れ、少しだけ顔を上げさせられる。
そしてアルフリード様の顔がすぐそばまで近付いて、そこで止まった。
「……抵抗しなくて良いのですか?」
よく分からないが、青い瞳が揺れた。
そこから躊躇いが伝わってくる。
アルフリード様の手に自分の手を重ねる。
そうして、首を伸ばした。
ちゅ、とアルフリード様とわたしの唇が触れる。
「抵抗する理由がありません」
だってわたし達は恋人で婚約者なのだ。
キスするのは、きっと、自然なことだ。
アルフリード様にガバリと抱き寄せられた。
「わっ? あの、服にお化粧がついちゃいます!」
慌ててアルフリード様の背中を叩くけれど、アルフリード様は離してはくれなかった。
一分ほどそのままでいたが、ふっとアルフリード様がわたしから少し体を離した。
「……そうですね」
また、ちゅ、と唇が重なった。
「クセになりそうです」
顔を離したアルフリード様が目を細める。
その目尻が微かに赤くなっていた。
多分、わたしの顔も赤いだろう。
「えっと、好きなだけしていいですよ! だってわたし達、婚約者ですし、その、恋人ですし──……」
続く言葉はアルフリード様に呑まれてしまった。
「言質は取りましたよ」
囁くように言われて、ちょっと早まったかも、と思ったけれど、アルフリード様に求められるなら全然嫌ではなかった。
初めてのキスも、二回目のキスも、三回目も、四回目も、ずっとずっとアルフリード様とだけしたい。
好きな人とだけ、したいと思った。
* * * * *
それから、侍女さん達にお化粧を直してもらって──特に口紅はきっちり塗り直された──、アルフリード様にエスコートしてもらい、わたしも夜会へ参加することになった。
舞踏の間に入ると物凄く視線が突き刺さる。
視線が物理的なものだったら、わたしは沢山の視線に刺し貫かれてズタズタだろうなと想像してしまうくらい、多くの視線がわたし達に集中した。
だけどアルフリード様はいつも通りで、そのおかげで、わたしも笑顔を保てた。
不思議なことに、視線を感じるのに誰も話しかけて来ない。
……何でだろう? ラクだけど。
「視線はありますけど、誰も話しかけてきませんね?」
疑問に思っていると横にいるアルフリード様が少し屈み、わたしの耳元で理由を教えてくれた。
「私のせいかもしれません。仕事以外での人との付き合いを避けてきました。人々から『氷の貴公子』などと言われるくらい他人に冷たく接してきたので、自ら話しかけようとする者はまずいません」
「そうなんですね」
その『氷の貴公子』という呼び名、ちょっと格好良いと以前から思っていたし、何ならアルフリード様に似合うとも感じていたが、それについては言わない方が良さそうだ。
目を伏せたアルフリード様はその呼び方を少し恥じているようだったから。
わたし達は会場の端の方に移動する。
公爵様やディアナ様達は招待客への対応で忙しそうで、わたし達の話が出るまでは邪魔にならない方が良い。
そう思って隅でアルフリード様と話していると、ふとアルフリード様が顔を上げて振り向いた。
その方向を見れば、見覚えのある人達がいた。
「数日ぶりだな、アルフリード」
「やあ、アルフリード君〜」
そこには紅玉の士団長様であるアルドレッド様と、紫水の士団長様であるメルディエル様がいた。
お二人も今日はローブではなくて新鮮だ。
アルフリード様が頷いた。
「アルドレッド士団長、メルディエル士団長、ようこそお越しくださいました。来ていただけて光栄です」
メルディエル様が笑う。
「そうかしこまらないでよ〜。今日はアルフリード君達の良き日を祝いたくて来たんだから〜」
「そうだぜ、本当なら琥珀のも来たがってたんだけどな、アイツは今日は仕事で来られなくってよ。ああ、そうだ、祝いの花を使用人に預けておいた」
「それはご丁寧にありがとうございます。後ほどミスタリア嬢と確認させていただきます」
実は紫水の魔法士さん達と、紅玉と琥珀の士団長さんにはわたし達が婚約したことは先に伝えてあった。
「みんなも来たいって言ってたけど仕事もあるし〜、招待状もないし〜、大勢で押しかけたら迷惑だから僕が代表で来たんだ〜」
「そうなんですね、ありがとうございます!」
明日、仕事に行ったら皆さんにお礼を言おう。
メルディエル様がわたしを見て、うんうんと頷いた。
「さすが公爵家だね〜。ミスリルちゃん、元が良いからきちんと着飾れば凄く可愛いよ〜」
アルフリード様がメルディエル様を横目に見る。
「あっ、一般的に見てって話だよ〜? 僕は妻一筋だし、可愛い娘もいるからねっ?」
「分かっています」
「なら、そんな目で睨まないでよ〜」
胸の前で両手を交差させ、メルディエル様が少し身を引いた。
それにアルドレッド様が声を上げて笑った。
「ははは、少しは変わるかと思ったが相変わらずみたいだな。まあ、氷の貴公子はそう簡単には変わらないか?」
アルフリード様はそれに何も言わなかった。
ただ、少し、悲しそうに見えた。
「違います」
口を開けば全員がこちらを見る。
「アルフリード様は『氷の貴公子』ではありません。そんな冷たくないです。むしろ優しくて、真面目で、性格も穏やかで、でもちょっと不器用なだけですっ」
メルディエル様とアルドレッド様が顔を見合わせ、そして同時に破顔した。
その表情はとても穏やかなものだった。
そしてお二人がわたしを見る。
「なるほどな」
「うんうん、仲が良くて何よりだね〜」
それにわたしは首を傾げてしまう。
何が『なるほど』なのだろうか。
「ミスリル嬢はこいつの特別ってわけだ」
アルドレッド様がアルフリード様の肩に肘をかけ、それをアルフリード様がちょっと嫌そうな顔で見た。
「やめてください」と言うけれど、払わないところを見るに、そこまで嫌ではないのだろう。
それをアルドレッド様も理解しているらしく笑って、そのままアルフリード様に絡んで、やっぱり少し嫌そうな顔をされていた。
メルディエル様はニコニコ笑うが止めない。
「ようやく春が来て良かったな。ミスリル嬢に捨てられないように頑張れよ?」
「努力は惜しんでいません」
「そうそう、アルフリード君ってば最近は本当にず〜っとミスリルちゃんと一緒にいるし、好意も隠さないから見てて微笑ましくなっちゃう」
なんだかアルドレッド様もメルディエル様も、まるで親戚の子に構いたくて仕方がないおじさんみたい。
……良い人達だなあ。
「まあ、とにかく、ちょっと早いがおめでとう」
「おめでと〜」
アルフリード様と「ありがとうございます」と言葉が重なった。
互いに見合い、そして笑みがこぼれる。
……凄く幸せだ。
ふと、視界の端に見覚えのある色を見つけて、わたしはついそちらを見た。
「どうかしましたか?」
アルフリード様に言われて首を戻す。
「あ、その、友人がいたので……。挨拶をしてきてもいいでしょうか?」
「ご一緒しても? ミスタリア嬢のご友人なら、私も是非ご挨拶させていただきたいです」
「はい、きっと友人も喜んでくれると思います!」
アルドレッド様とメルディエル様もそれぞれ奥様の下に戻ると言うので、わたし達も挨拶へ向かうことにした。
だが、わたしは社交界デビューしていなかったから、今回の夜会で挨拶出来る人はほぼいない。
……イシルも来れたら良かったのに。
弟のイシルディンはやっと十五歳になったばかりで、十六歳から社交界デビューとなるため、この夜会にはまだ参加出来ないのだ。
叔父様も領地から離れられない。
それもあって、わたし達の婚約発表があるけれど、わたしの親戚などはいないのだ。
探せば遠戚はいるかもしれないが、これまで関わり
なかったのだからもう他人同然である。
アルドレッド様とメルディエル様と別れて、わたしはアルフリード様と友人に近付いた。
「アリエラ!」
声をかければアリエラが振り向いた。
「ミスリル!」
わたしを見たアリエラが嬉しそうに笑い、そして、アルフリード様を見てサッと礼を執る。
アルフリード様も礼を執った。
「アルフリード様、こちらはわたしの友人のアリエラ=ボードウィン子爵令嬢です。アリエラ、こちらはわたしがとてもお世話になっているアルフリード=リュディガー公爵子息です」
実はアリエラにも手紙でアルフリード様との婚約について伝えており、今日の夜会で婚約発表することも彼女は知っている。
アリエラがニコリと微笑んだ。
「初めまして、ボードウィン子爵家の長女アリエラ=ボードウィンと申します。リュディガー様のお話はミスリルよりよく聞き及んでおります」
……何か強調された気がする。
アルフリード様も挨拶を返す。
「初めまして、リュディガー公爵家の次男アルフリード=リュディガーです。本日はミスタリア嬢のご友人であるボードウィン子爵令嬢にお会い出来て光栄に思います。ミスタリア嬢が私のことをご友人に話してくださっているとは嬉しい限りです」
「リュディガー公爵家からリルファーデ子爵家に打診したというのは本当でしょうか? 失礼ですがリュディガー様は女性をお嫌いだと小耳に挟んだことがありましたが……」
アリエラが頬に手を当てて眉を下げた。
「ええ、今回の話は家を通した正式なものです。どのような噂をお聞きになられたかは分かりませんが、私は人付き合いが苦手でこれまで人を避けてきましたが、ミスタリア嬢とのことは本気で考えています」
「では届出は?」
「もう済ませております」
一瞬、アルフリード様とアリエラが黙った。
何故かほぼ同時に二人が一つ頷いた。
「ミスリルをどうかよろしくお願いいたします」
アリエラが微笑んだ。
「はい、私も公爵家も、彼女やリルファーデ子爵家のためならばいくらでも尽力するつもりです」
……え、え? どういうこと?
アリエラが「うふふ」と笑った。
「ミスリル、おめでとう。会場に入って来た時からずっとあなたが幸せそうだったから、とっても安心したわ! ミスリルが素敵な人と出会えて良かった!」
アリエラに手を握られて、わたしも握り返す。
「ありがとう! でもね、わたしが出会った素敵な人の中にはアリエラもいるってこと、忘れないでね! わたしにとってはアリエラも大事な人だから!」
アリエラの細くて綺麗な手がわたしの手をしっかりと握り返してくれた。
笑い合っているとアルフリード様が目を細めて言う。
「少し妬けますね」
それにアリエラがわたしを引き寄せた。
「私達、親友ですもの」
「ね?」と訊かれて頷いた。
親友と言ってもらえることが嬉しい。
わたしも、ずっとそう思っていた。
貴族の令嬢らしくないわたしだけど、アリエラは呆れたり馬鹿にしたりせず、子供の頃から仲良くしてくれる大事な親友だ。
「そうなんです、わたし達親友ですから!」
アルフリード様が僅かに目尻を下げる。
「私が間に入る隙はなさそうですね」
「違いますよ、アルフリード様」
アリエラと繋いでいる手とは反対の手でアルフリード様の手を取った。
アリエラがいて、わたしがいて、アルフリード様がいる。
「間に入らなくても、私の隣にはアルフリード様の場所がこうしてちゃんとあります!」
アリエラは親友で、アルフリード様は婚約者で。
立場も関係も違うのだから、無理に割り込む必要なんてない。
青い瞳が嬉しそうに細められる。
「私の隣にも、ミスタリア嬢の場所があります」
「私の隣にもね」
二人の言葉にわたしも笑顔で頷いた。
好きの種類は違うけれど、どちらもわたしにとっては大切で、大好きな人達だ。
父も母も亡くなってしまったし、弟は成人前で、叔父様も領地のことで忙しくてここに来られないけれど、アリエラが来てくれて良かった。
それにメルディエル様やアルドレッド様もお祝いの言葉をかけてくれた。
寂しさなんて微塵もない。
わたしは今、凄く幸せだ。




