準備
正式に婚約してから二週間後。
ついにわたし達の婚約発表の日を迎えた。
元々リュディガー公爵家での夜会がその日に予定されており、婚約から最も近く、貴族達も大勢来るので丁度良いということで決まったのだ。
婚約発表と言っても、招待客の前で「婚約します」と説明があるだけだが、緊張する。
この日は仕事のお休みをもらい、朝からリュディガー公爵家を訪れた。
「さあ、我が家へ行きましょう」
しかもアルフリード様がわざわざ馬車で迎えに来てくれて、わたしはそれに乗ってリュディガー公爵家へ向かったのだ。
公爵邸に着くと、アルフリード様のお母様であるディアナ様と義理のお姉様であるリュミエラ様が待ち構えていて、アルフリード様はわたしをお二人に預けてしまった。
「また後ほど」
と、ディアナ様とリュミエラ様に連行されるわたしに小さく手を振っていた。
不覚にもその仕草がちょっと可愛かった。
わたしはその後、ディアナ様とリュミエラ様の侍女だという人達に囲まれて浴室に連れ込まれた。
さすがと言うべきなのか、侍女さん達は手慣れていて、わたしの着ていたものをパパパっと脱がせて体を洗われた。
正直、そんなに強く擦るのかと驚いたけれど、洗った後に肌がピカピカになったので、それでいいらしい。
その後に湯船に浸かっている間に髪も洗われて、いい香りのする香油を髪にしっかりと馴染ませてくれて、それが終わると今度はわたしの体まで髪とは別の香油ががっつり擦り込まれる。
ピカピカになった肌にいい匂いの香油が惜しげもなく使用されて、今までにないくらい、もっちりしっとり肌になった。
香油を擦り込む時はマッサージされたのだが、それがまた、かなり痛かった。
侍女さん曰く「これで浮腫みがなくなります」と言われたけれど、本当に容赦なく全身揉まれた。
だが、終わった後はまるで生まれ変わったみたいに体が軽くなり、肌も髪も今生で一番綺麗になっているだろう。
浴室から出ると体を締め付けないタイプのワンピースを着せられて部屋を移動する。
……入浴だけで午前中が終わった……。
部屋に戻ると軽食が用意してあった。
ただし沢山食べるなということなのか量はあまりなく、それをちまちまと食べつつ、一時間ほど休憩した。
そして戻ってきた侍女さん達によって、今度は手足の爪の形を整え、磨かれ、ついでに眉の形や髪もいくらか整えられたりもした。
髪について訊かれた時に「自分で適当に切っています」と答えたら速攻で整えられたのには少し申し訳なく思う。
それからやっとドレスの着付けに入る。
一番つらいのはコルセットだった。
「ミスタリア様、こちらの柱を掴んでください」
言われて、柱を掴む。
「長く息を吐いてくださいね。では、絞ります」
ふう、と息を吐き出した瞬間に容赦なくギュッとコルセットの紐を引っ張られた。
「ぅぐっ」と変な声が漏れた。
でも侍女さんは紐を緩めてはくれない。
「もう一度、もっと深く、全部息を吐いていただけますか?」
なんて言われた。
何故昼食が少量だったのか、そこで理解した。
これほど締めるのだから沢山食べたら、絶対にわたしは食べたものと再会してしまう。
ギュウギュウに腰を締め上げられる。
もう無理だというほど締めて、ようやく侍女さんがコルセットの紐を引っ張るのをやめて縛る。
「ミスタリア様は華奢なので、お腰が非常に細くて素晴らしいです。きっとドレスもよくお似合いになるでしょう」
と褒めてもらったけれど、あんまり反応出来なかった。
今までは自分で着られるドレスばかりだったので、コルセットも自分で軽く絞る程度にしていたが、本来のコルセットはこんなに絞るのかとちょっと絶望したし、同時に世の貴族のご令嬢やご夫人を尊敬する。
……これじゃあすぐに気絶もするよ。
貴族のご令嬢やご夫人が繊細なのではなく、コルセットはきつ過ぎて、息が出来なくて、ちょっとしたことで気絶したり具合が悪くなったりするのではないだろうか。
コルセットは革製なので簡単には壊れない。
……さすがにこれで走るとか無理そうだなあ。
あと、食事もあまり食べられない。
貴族の女性が華奢なのはコルセットのせいで食事量が少ないというのも理由の一つなのかもしれない。
柱にしがみついてゼェゼェ息を吐いているわたしを、侍女さん達は柱から引き剥がすと、どんどんドレスを着せていく。
「うう、苦しい……。ディアナ様やリュミエラ様もこんな風にコルセットを締めているんですか?」
「はい、お二人はここから更に締めます。しかしミスタリア様はお腰が細いのでそれほど締めなくても問題ありません」
……これ以上締めてるの?!
よくそれで動けるなと感心してしまう。
前にわたしがご挨拶に来た時もお二人はきちんとドレスを着ていて、それでお茶を飲んだり、歩いて訓練場に向かったりしていた。
それを考えると尊敬する。
ドレスを着せられて、その重さにも驚いた。
ご挨拶の時に着ていたドレスよりも重い。
肩周りが出ていて、腕も出ているが、腕には長い白のレースの手袋をつける。
ドレスは淡い青色で白いフリルやリボンがある。
肩やスカート部分の装飾が多くて、そのせいで重たいらしい。こっそり少しだけ身体強化をかければ重さはすぐに気にならなくなった。
そこにドレスに合った装飾品をつける。
わたしはピアスの穴を開けていないので、ピアスは着けられないなと思っていたら、なんとイヤリングだった。
「アルフリード様が、ミスタリア様は穴を開けていないようなのでピアスではなくイヤリングをお選びになられたそうです」
と、侍女さんがこっそり教えてくれた。
……耳を見られるようなこと、あったっけ?
首を傾げたものの、アルフリード様と一緒にいる時間は多かったので、どこかのタイミングで耳を確認していたのかもしれない。
でもイヤリングを選んでくれて良かった。
実は耳に穴を開けるのが怖くて、何となく、開けられずにいたのである。
ドレスを着て、装飾品を着けたら休憩する。
ドレスを汚さないように、装飾品を傷付けないように、なんて思うと身動きが出来ない。
ガチガチに固まるわたしに侍女さん達に、ドレスも装飾品もわたしのものだから、うっかり汚したり壊したりしても大丈夫だと言われたけれど、アルフリード様からいただいたものだから大事にしたい。
休憩が終わると今度はドレッサーの前に移動して、お化粧をしてもらう。
……こんなにしっかりお化粧するのは初めて。
侍女さん達があれこれと話しながら、わたしに合ったメイクを決めて、施されていく。
わたしはそこに座って目を閉じていればいい。
その間に侍女さん達の手によって、魔法みたいなお化粧がされた。
髪も何度もブラシで梳いて、絡まりを解し、艶が出るまでブラッシングしてくれているらしかった。
次に目を開けた時、わたしはとても可愛らしくて守ってあげたくなるような女の子になっていた。
「うわぁ……!」
思わずまじまじと鏡を見る。
「凄い、わたしじゃないみたい!」
地味で目立たない女の子だったはずなのに。
今のわたしはぱっちりした少し垂れた目に、小さな鼻、ぷるんとした綺麗な唇、色白の滑らかな肌で、ふんわりと緩く巻かれた髪は右側の一部の髪を三つ編みにして、前髪の生え際をぐるりと通して反対側の耳の後ろで留めてあり、流した他の髪のおかげで肩や首をより細く華奢に見せてくれている。
コルセットで絞ったからか腰もいつもより細い。
小柄で、細身で、可愛くて、か弱そうな貴族のご令嬢に見える。
……ちゃんと貴族のご令嬢になってる!
「ミスタリア様は華奢でお可愛らしいので、それを少しお化粧で整えさせていただきました」
わたしは思わず振り向いて侍女さんの一人の手を握った。
「ありがとうございます! こんなに可愛くしていただけるなんて嬉しいです! これなら自信を持ってアルフリード様の隣に並べます!!」
侍女さんは目を丸くした後、微笑んだ。
「いえ、私共は自分の仕事をしただけでございます」
きっと自分の仕事に誇りを持っているのだろう。
堂々としたその姿はとても格好良かった。
「最後の確認をお願いいたします」と言われて姿見の前で全身を確認した。
……可愛い!!
多分、今、人生で一番輝いている。
感動していると、部屋の扉が叩かれる。
扉の向こうから「入っても構いませんか」とアルフリード様の声がした。
わたしは思わず扉へ向かって駆け出した。
少し息苦しいけれど、それでも、とにかくアルフリード様に今の姿を一番に見てもらいたかった。
扉を開ければ目の前にアルフリード様がいた。
青い瞳が見開かれる。
そのまま、わたしはアルフリード様に飛びついた。
「アルフリード様っ」
アルフリード様は驚きながらもわたしを抱き留めてくれる。
見上げれば、青い瞳がふっと細められた。
「普段も可愛らしいですが、今日は一段と可憐ですね。どこかの国の姫様かと思いました。こんな素敵な女性を婚約者に出来るなんて私は幸せ者です」
わたしを抱き締めながらアルフリード様が言う。
「ありがとうございます! 侍女の皆さんのおかげで今までで一番輝いています!」
「そうなのですね」
そうしてアルフリード様から体を離し、改めてわたしもアルフリード様を見る。
わたしと同じ淡い青色の服に白いシャツ姿だ。
「アルフリード様も格好良いです!」
髪が後ろにある程度撫でつけられて、整った顔がよく見える。
背が高くて細身でスラッとしているので、体に合った服を着るとその手足の長さが際立つ。
首元のクラヴァットのフリルが華やかだ。
アルフリード様自身が凄く綺麗な顔立ちだから、そこまで派手なデザインでなくとも、凄くオシャレに見える。
普段の魔法士団のローブも似合うけれど、貴族らしい服装をすると上品さが増す。
「ありがとうございます。ミスタリア嬢にそう言っていただけるように、いつもより準備に気を遣いました」
そう言ったアルフリード様の肌や髪はツヤツヤで、なるほど、わたしと同じらしい。
アルフリード様の手がわたしの頭に伸び、そして、そっと前髪を撫でた。
髪型を崩さないようにしてくれたのだろう。
「あら、そんなところで何をしているの?」
かけられた声に首を動かせば、そこにはうんと綺麗に着飾ったディアナ様がいる。
華やかな淡いオレンジ色のドレスは子供っぽく見えてしまいそうな色なのに、ディアナ様が着ると華やかで明るく、全く子供っぽく見えないのが不思議だ。
所々に赤いバラの飾りがあって、肩周りがわたしよりも広く出ており、細い首や豊満な胸元が大きく見えているが下品ではない。
完全にアップにした髪は、うなじに少しだけ後れ毛がかかって色っぽい。
「ほら、二人とも部屋に入りなさい」
部屋に戻されると、ディアナ様も入ってきて、姿見の前に立たされる。
鏡を見て、わたしを見て、ディアナ様がわたしの全身を確認する。
しかも確認しながら「眉をもう少し長く描いてちょうだい」「リボンが曲がっているわ」と指示を出す。
「……そうね、これならいいかしら」
ディアナ様が満足そうに頷いた。
「それにしても、ミスタリア嬢は腰が細いわね。全体的に華奢で羨ましいわ」
「ディアナ様も十分細身だと思います」
「これはコルセットを死ぬほど絞って作っているのよ。肩幅もあるし、私は女にしては長身だから、華奢には見えないもの」
溜め息混じりに言われてディアナ様を見る。
ディアナ様はそういえば少し肩幅がある。
長身なので、確かに華奢とは言い難いかもしれない。
「ですが肩はそれなりに幅があった方が腰が細く見えます。ディアナ様は背が高いから手足も長くて、スタイルが良いから、どんなデザインのドレスでも着こなせそうですね」
わたしは華奢とか可愛いとか言えるかもしれないが、その代わりにあまり大人っぽいドレスや胸元の開いたものなんかは逆に似合わないだろう。
ディアナ様くらい胸もあって、女性らしい曲線のある体型の方がいい。
華やかなドレスも、上品なドレスも、きっと似合う。
「まあ」とディアナ様が微笑んだ。
「そうかしら?」
「そうです! わたしからしたら、ディアナ様の方が女性らしくて色っぽくて羨ましいです! 男性が放っておかないと思います!」
ディアナ様がほほほと笑った。
アルフリード様がこっそり「夜会に出ると、母上はいまだに多くの男性からダンスの誘いを受けるのですよ」と教えてくれた。
それに、だろうなあ、と思う。
わたしが男性だったら一目で心奪われたかも。
ディアナ様は実年齢よりも若々しくて、色っぽくて、それでいて、上品な貴婦人らしさがあった。
手を伸ばしても届かないと分かっているのに、手を伸ばさずにはいられない。それくらい美しい人だ。
そこにいるだけで目が引かれる華やかさもある。
「まだ時間があるから少しお茶でもしましょう? あなた達の出会いやこれまでについても聞きたいわ」
そう言われて、アルフリード様を見る。
アルフリード様もわたしを見下ろした。
互いに頷き「構いません」「是非!」と答える。
そして別の部屋に移動する。
そこには既にお茶の用意がされており、最初から、わたし達をお茶に誘うつもりだったのだと気付いた。
「さあ、それでは聞かせてちょうだい」
夜会までの間、わたしとアルフリード様は、ディアナ様にこれまでのことを話したのだった。




