最強の婚約者 / 婚約指輪
「公爵家の皆様が優しくて良かったです! それにアルフリード様のお兄様、凄く強くてビックリしました!」
帰りの馬車の中でミスタリア嬢が嬉しそうに話す声を、アルフリードは静かに聞いていた。
確かに今日のリュディガー公爵家の面々はいつにもまして穏やかであった。
元々優しい人達だけれど、誰にでもそうというわけではなく、事前に調査が行われてそれを確認した上で認められたからこそなのだ。
たとえアルフリードが好きになった相手でも、もし問題のある人物だったなら婚約は許されなかっただろう。
そういう意味ではミスタリア嬢のこれまでの行いの良さのおかげとも言える。
「あの兄と引き分けだったことには驚きました。兄は騎士の中でもかなり強い方なので、そんな兄と互角に戦えるミスタリア嬢は本当にお強いですね」
アルフリードの兄はいずれ公爵家を継ぐ予定だが、それまでは父の仕事を手伝い、覚えつつ、騎士として王城で働いている。
そして兄は騎士の中でもかなり腕が立つ。
次期公爵でありながら、その腕を買われて近衛騎士になるほどだ。
だが、強いことは良いことでもある。
……もしも僕が暴れた時、ミスタリア嬢くらい強ければ自衛が出来る。
アルフリードも人間だ。気を付けていても、いざという時に感情の揺れが大きくなったり動揺したりして、呪いが表に現れてしまうかもしれない。
望んでいなくとも傷付けてしまうかもしれない。
しかしミスタリア嬢ならば、もしもアルフリードが呪いで多少力を出し過ぎてしまっても怪我は負わないだろう。
それがアルフリードは一番安堵した。
「そうなんですか? アーノルド様、確かに子爵家の領地の騎士よりもずっとお強かったです!」
思い出したのか楽しそうに両手を合わせて話していたミスタリア嬢が、不意に「あ」と何かに気付いた様子で声を上げた。
「あの、アルフリード様は嫌ではありませんか? こんな男勝りな女が婚約者で……」
不安そうに問われてアルフリードは頷いた。
「いいえ、全く。むしろ誇らしいです。私の婚約者はただ可愛いだけではなく、強く、自分や誰かを守れる人なのですから」
銀灰色の頭を撫でれば、ミスタリア嬢の暗い紫の瞳がキラキラと見上げてくる。
その目が「本当に?」「嘘じゃない?」と問いかけてくるように感じられて、アルフリードは更に言葉を続けた。
「ミスタリア嬢は今のままでいいのですよ。無理に淑女らしくしなくても、強さを隠さずとも、そのままのあなたが好きです。それに私は魔法が得意ですが剣はあまり強くはないので、剣の強いミスタリア嬢がいてくださった方が釣り合いが取れると思いませんか?」
アルフリードの言葉に彼女が目を丸くする。
それから「ふふふっ」と笑った。
「なるほど、魔法の強いアルフリード様と剣の強いわたしが一緒にいたら、丁度良さそうですね!」
「でしょう?」
「きっとわたし達なら向かうところ敵なしですよ!」
ミスタリア嬢が両手の拳を握り締める。
アルフリードはそれにまた頷き返した。
……まあ、あれだけ強いと魔法なんて必要ないと思うけどね。
いくら強い魔法が扱えても、相手に当たらなければ意味がない。身体強化で動くミスタリア嬢に魔法を正確に当てるのはなかなかに難しいだろう。
アルフリードがミスタリア嬢と戦ったとしても、負けない自信はあるが、勝てる自信もない。
彼女が騎士にならなくて本当に良かったと思う。
あれだけ腕が立つならば騎士になった方が給金は高いだろうが、そうなれば剣を捧げなくてはならず、それがアルフリードは嫌だった。
ミスタリア嬢が命を投げうってでも王族を助けなければならない状況になった時、彼女は多分、躊躇いなく王族を守ろうとするだろうし、全力で戦うだろう。
命を落とすかもしれない職に就いて欲しくない。
彼女には、笑顔で働ける安全な場所にいて欲しい。
それが自分のそばだったら、もっと良い。
「そうですね、でも、私はそういった状況になって欲しくはないので、ミスタリア嬢には今の職のまま、穏やかに過ごしていただきたいです」
素直にそう伝えればミスタリア嬢も頷く。
「危ない状況は嫌ですね。私はただの使用人だから、そういう状況にはなりたくありません」
「まあ、もしそうなったとしても私がすぐにミスタリア嬢の元に駆けつけます」
ミスタリア嬢が嬉しそうに笑った。
「きっとその時のアルフリード様は凄く格好良いでしょうね!」
アルフリードは手を繋ぐと、それを優しく、けれど少しだけ強く握った。
ミスタリア嬢ならば危険な状況に陥っても恐らく自力で何とかなるのだろう。
それでも、そうだとしても、アルフリードは彼女を守りたいと思う。
……色んな意味で最強な婚約者だけど。
「あなたを守るのは婚約者である私の役目ですからね」
繋いだ手にそっと口付ければ、彼女の顔が赤くなる。
アルフリードにとっては可愛い婚約者である。
* * * * *
王城に戻る前に、アルフリード様に「寄るところがあります」と言われてちょっと身構えてしまった。
もしかしてまた服飾店ではと思ったのだ。
別にドレスを選ぶのも、試着も、大変だけど嫌いではない。
しかし限度というものがある。
……これ以上は本当に困る!
しかし馬車を降りて見れば、到着したのは宝飾店だった。
アルフリード様にエスコートされながら店内に入ると、すぐに店員が近付いて来る。
「いらっしゃいませ、アルフリード様、お嬢様。お待ちしておりました。ささ、どうぞこちらへ」
そうして個室に通された。
ソファーに座ると、テーブルの上には既にいくつもの箱が並べられていた。
「本日は指輪をご所望だとお伺いいたしましたが……」
「ああ、先日彼女、ミスタリア=リルファーデ子爵令嬢と婚約したので、その記念品の指輪を選びに来た」
「そうでしたか! それはおめでとうございます!」
店員の男性がニコニコと笑顔で祝福してくれたので、わたしも嬉しくなって「ありがとうございます」と返した。
アルフリード様との婚約を祝福してもらえるのが一番嬉しい。
ニコニコしながらも店員の男性が箱を開けていく。
「お二人はどのような指輪がよろしいのでしょうか? お望みの色や材質などがございましたら、そちらもお持ちいたします」
差し出された手袋を受け取り、手にはめる。
アルフリード様も同様に手袋をつけている。
貴金属と宝石なので、直に触ってうっかり傷を付けたり、手の汚れなどで金属をくすませたりしないためだ。
箱の中には色々な指輪が並んでいる。
それを眺めてふと気付く。
……全部デザインや色がバラバラだ。
「あの、わたし、装飾品に詳しくないんですが、婚約指輪というのはデザインがバラバラなのですか?」
店員の男性が小首を傾げた。
「と、おっしゃられますと?」
「たとえば同じ意匠のものや、同じ宝石や材質を使ったものなど、一目で対になっていると分かるようなものが欲しいんです。……その、わたしとアルフリード様が婚約してるとすぐに分かるような……」
言っていて、少し気恥ずかしかったが、それでも同じデザインもしくは同じ宝石や材質のものが欲しかった。
「揃いですか……」
ふむ、と店員の男性が考える仕草をする。
「ほら、揃いのものを着けていた方が仲の良さも分かりますし、相手と同じものがそばにあったら寂しくないですし、特別感がありませんかっ?」
「それは良い考えです」
アルフリード様がわたしの左手を取る。
私よりも大きな手が薬指に触れた。
「ここに私と揃いの指輪をはめたあなたはきっと、とても素敵でしょう。指輪を通して私達は繋がれるということですね」
アルフリード様の言葉に店員さんが「なるほど」と頷いた。
前世のイメージで、恋人や夫婦の指輪と言うと同じデザインのものが主流だけれど、この世界にはそういうものはないらしい。
訊いたところによると、お互いが気に入ったものを贈り合ったり、選んだりして身につけるようだ。
「そういうことでしたら、似たものをお持ちいたします。少々お待ちいただけますか?」
店員さんの言葉にわたし達は頷いた。
そうして店員さんが部屋を出ていくと、アルフリード様に抱き寄せられた。
「わ、アルフリード様っ?」
長い腕に抱き締められる。
「同じものを着けていれば寂しくないということは、私と離れている時に寂しいと思ってくださっているのでしょうか? そうだとしたら、嬉しいです」
耳元で囁かれると、くすぐったくて、気恥ずかしくて、でも嫌じゃないから抵抗出来ない。
つい首を竦めてしまう。
「そ、そうです、でも、だって、好きな人と離れていたら寂しいですよね……?」
……アルフリード様は違うの?
違ったら悲しいなと思って見上げれば、アルフリード様が抱き締めたままわたしの頭を撫でた。
その手つきはとても優しいものだった。
「ええ、あなたと離れていたら寂しいです。離れている時はよくミスタリア嬢を思い出してしまいますよ」
「私も! 私もアルフリード様のことが気になってしまいます! やっぱりそうですよねっ?」
「もちろんです」
……わたしだけじゃないんだ!
アルフリード様に告白をされてから、ずっと、わたしの中にはアルフリード様がいる。
もしかしたらそのもっと前からそうだったのかもしれない。
何かをしていても、集中が途切れた時、ふっとアルフリード様のことを思い浮かべてしまう。
アルフリード様もそんな風にわたしのことを考えてくれたら、凄く幸せだなと思う。
「……嬉しい」
頬を撫でられた。
「私も嬉しいです」
そうして互いに笑い合っていると扉が叩かれた。
アルフリード様が少し残念そうにわたしを抱き締めていた手を解いて、わたしも少し残念な気持ちで体を離す。
ややあって扉が開かれた。
数名の店員さん達が入ってきて、持ってきた箱をテーブルに置き、元あったものを下げて出て行く。
最初にいた店員さんだけが残った。
「どうぞ、ご覧ください」
言われて、箱を覗き込む。
……あ、似てる、かも?
並べられた箱の中にある指輪は、横に並べられた箱の中の指輪と似た意匠だったり、同じ宝石や材質の貴金属が使われていたり、わたしが説明した通りのものばかりだった。
アルフリード様が指輪を手に取って眺めている。
どれも高そうで、わたしは手に取らずに、見るだけに留めておいた。
うっかり落としたら大変なことになる。
「ミスタリア嬢、これはいかがですか?」
アルフリード様が差し出した指輪を見る。
「うーん、ちょっと宝石が大きすぎませんか? 普段使うことを考えたら宝石は小さめがいいかなって」
「ああ、そうでした」
納得した風にアルフリード様は頷き、あっさり指輪を箱へ戻した。
それから別の箱を見て、指輪を手に取る。
「では、こちらは?」
次に差し出されたのは細身の指輪だった。
銀色の蔦に紫の小さな宝石が連なって、中央は
大粒の同色の宝石がある。
華美さはないけれど、上品で、可愛くて、綺麗だ。
仕事中でも邪魔にならなさそうだし、宝石もあまり出っ張っていないから引っ掛ける心配もなさそうである。
それに良く見れば、この指輪、多分ミスリル鉱を使っている。
「これはお目が高い! そちらはリルファーデ子爵領で採れた貴重なミスリル鉱を使用した指輪でございます。軽く、頑丈なので、普段からお使いいただいても壊れませんし、美しい銀色はお嬢様の髪色に非常によく似ていらっしゃいます」
店員さんの言葉にアルフリード様が頷いた。
そしてわたしの手袋をはめた手に指輪を通す。
少々大きいのは、わたしが小柄なせいか。
そしてアルフリード様がもう一つ指輪を手に取り、今度は自分の手袋をつけた左手に通した。
そちらも金を使用しているが、同じ蔦のデザインに、紫の宝石が同様に配置されていた。
「宝石、青ではないんですね」
青だったらアルフリード様の髪と瞳の色なのに。
しかしアルフリード様が目尻を僅かに下げた。
「私にとって紫は特別な色です。私を受け入れてくれた紫水の色であり、あなたの瞳の色でもありますから、青より紫の方が良いのです」
「わたしは青も好きです。……でも、この紫も綺麗で好きです」
言いながら、指輪をはめた手を二人並べる。
同じデザインで土台はお互いの髪の色。
宝石は二人の出会った紫水の色と考えたら、かなりロマンチックで素敵だ。
「いいですね、この指輪」
アルフリード様の言葉に頷いた。
「わたしもいいと思います」
「ええ、これにしましょう」
二人で頷き合うと、店員さんが「お買い上げありがとうございます」と頭を下げた。
一度指輪を外して箱へ戻す。
本当はそのまま持って帰りたいくらいだけれど、わたしの指輪のサイズを調整してくれるそうだ。
アルフリード様の方は調整は必要ないらしい。
けれどもアルフリード様も持ち帰らなかった。
「調整が済んだら私のところへ届けてください。彼女には私から渡しますので」
「かしこまりました」
挨拶をして、お店を出て、馬車に乗る。
「アルフリード様、指輪を買ってくださり、ありがとうございます。今日はドレスや靴、装飾品まで買っていただいたのに……」
アルフリード様の指がわたしの唇の前でスッと止まる。
唇には触れなかったけれど、ギリギリの距離だ。
「以前も言ったでしょう?」
前にアルフリード様が言っていた言葉を思い出す。
贈り物は笑顔で受け取って欲しいという、あれだ。
わたしは続きかけた言葉を呑み込み、わたしに出来る精一杯の笑顔を浮かべた。
「贈り物、凄く嬉しいです! ずっと大事にしますね! ありがとうございます、アルフリード様!」
喜びを表現するために抱き着く。
淑女としては、はしたないかもしれないが、これがわたしなりの一番喜びを表現出来る方法だった。
「はい、喜んでいただけて嬉しいです」
青い瞳が嬉しそうに細められる。
「ところで、どうしてアルフリード様は指輪を持って帰らなかったんですか? 調整は要らないんですよね?」
わたしの質問にアルフリード様が言う。
「せっかくなのでミスタリア嬢の指輪の調整が済んでから、一緒に使いたいですから」
……わたし、きっとこの先もアルフリード様には勝てないんだろうなあ。
だって、こんな殺し文句を平然と言っちゃうのだ。
だけどそれを心から喜んでるわたしがいる。
アルフリード様はわたしを喜ばせる天才だ。
 




