魔法士団
面接に受かり、書類にサインをして、控えを渡されてタウンハウスへその日は戻った。
そして翌日、わたしは同じく子爵令嬢で親友でもあるアリエラの下に遊びに出かけた。
身の回りのものは纏めてあるので、明日、王城の割り当てられた部屋に引っ越す予定である。
せめて親友にはきちんと説明しておこうと思ったのだ。
「はあ、婚約破棄した?! あいつ馬鹿なの?!」
全く貴族のご令嬢らしくない反応に苦笑する。
「それでミスリルは頷いたの?!」
「うん、嫌だって言ってる人を無理に引き止めたってどうしようもないし。わたし達の間に恋愛感情はなかったから別にって感じ」
「……はあ、ミスリルって本当ミスリルよね」
ミスリルというのはわたしの愛称の一つだ。
リルファーデ子爵領は少ないながらに良質なミスリルという鉱物──とても強靭な鉱石で希少価値があり、魔法が付与しやすいという特性を持つ──が採掘出来る鉱山を有している。
そしてわたしも弟もそこから名前をつけられた。
わたしのミスタリアはミスリルの古い言葉、ミスタリレから取られているし、弟のイシルディンは太古の昔の人々だけがミスリルより生み出せたという特殊な鉱物イシルディンから名付けられている。
しかもわたしは身体強化魔法しか使えないが、それだけはとても強いと自負しているし、実際みんなからもわたしの身体強化はミスリル並みに頑丈だと言われ続けてきた。
それにわたしの髪は銀灰色で遠目に見ると鋼鉄のような輝きに見えるそうだ。
だから親しい人達はわたしを古い言葉で「灰色の輝き」と呼ぶ。
意外と響きが可愛く、そして格好良くて好きだ。
「そう? あ、そうだ、わたし明日引っ越すから」
「え、どこに?」
「王城だよ。魔法士団のところでお掃除係として働くの。ほら、イルンストン伯爵家と婚約をやめるなら支援もなくなっちゃうだろうから、生活資金を稼がなきゃだし」
アリエラの瞳が急に潤んだ。
「そんな、向こうが悪いんだし慰謝料貰えばいいじゃない!」
それに、うんと頷いた。
「それは払ってくれるって。でも結局それは借りてたお金の支払いに当てることになると思う」
「そうなのね……」
心配そうにアリエラの水色の瞳が見つめてくる。
「大丈夫、わたし動くのも働くのも大好きだから」
ニコッと笑えば、ホッとした様子でアリエラも笑った。
「そういえばそうね。初めて会った時も、ミスリルったらズボンを履いて木剣を持って、男の子かと思ったくらいだったわ」
思い出したのかアリエラがおかしそうに目を細める。
……ああ、そういえばそうだったっけ。
うっかりアリエラとその両親が来るというのに、わたしは自領の騎士達の元で遊んでいて、身支度を整える時間がなくなってしまってそのまま会ったのだ。
アリエラは男勝りなわたしを見て凄く驚いていた。
でもすぐに仲良くなれたのだ。
「でも魔法士団っていいわね。あそこは結婚するには良い人がいっぱいいるってご令嬢の中では有名よ」
「そうなの?」
「ええ、騎士団と同じくらい安定しているし、国に仕えているから名誉な職だし、貴族が多いから見目の良い人が多いもの」
それは知らなかった。
「じゃあ目の保養になるね」
わたしの言葉にアリエラが笑った。
「そうね、とっても目の保養になるわ。ところで、魔法士団って紅玉? それとも琥珀?」
……紅玉? 琥珀?
分からなくて小首を傾げた。
「えっとね、確かわたしが掃除するのは魔窟って呼ばれてるところなんだって」
アリエラが固まった。
「え……」
そして無言でティーカップとソーサーをテーブルへ置くと、身を乗り出した。
「ミスリル、あそこはやめた方がいいわ!」
ずずい、と近付いて来るアリエラにわたしは目を瞬かせてしまう。
「でも、もう面接受かっちゃったし。お給金も高くて、三食あって、ちゃんと個室も用意してもらえるんだよ?」
「ダメよ! あそこはあんまりにも汚過ぎて魔窟って呼ばれてるのよ? 危ないじゃない!」
……なるほど、汚過ぎて魔窟呼びなんだ。
昨日の言葉の意味が分かってスッキリした。
魔窟と呼ばれるくらい汚れているなら、きっと掃除のし甲斐があるだろう。
「大丈夫だよ、危ないものはさすがに触らせないと思うよ? と言うか、汚いからこそ掃除係が集められたんでしょ?」
「それは、そうかもしれないけど……」
「むしろどれだけ汚いのか逆に興味が湧くなあ」
そう言えばアリエラに呆れた顔をされた。
もしかして汚部屋を通り越してゴミ屋敷みたいな状態になっているのだろうか。
何にせよ、魔窟と呼ばれているくらい汚いのだと前もって分かって良かった。
昨日の人の言葉のように『覚悟』が出来る。
「あ、そういえばさっきの紅玉とか琥珀って何?」
訊けば、アリエラが目を丸くした。
「魔法士団のこと、知らないのに募集に応募したの?」
「給金が良かったから……」
えへ、と頬を掻けば、アリエラが溜め息をこぼす。
「せめて自分の働く場所のことくらい、事前に調べておかなきゃダメよ」
全くもってその通りだった。
それからアリエラは宮廷魔法士団について教えてくれた。
宮廷魔法士団という言葉は三つの魔法士団の総称だ。
三つにはそれぞれ特徴と名前がある。
まず、攻撃魔法など戦いに特化した魔法士が多く所属している魔法士団・紅玉。
宮廷魔法士のローブに赤が使われ、ルビーの特別なブローチをしており、中には剣の腕に優れた者もいるのだとか。
主に魔獣の討伐などの遠征によく出るらしい。
魔獣というのは魔法を使える獣の総称で、この世界にはそういう不思議な生き物が存在している。
魔獣は倒した後に、牙や角、皮などを素材にしたり、肉を食材にしたり、不思議だけど実は人間にとってはかなり有益な生き物だと思う。
ただ、魔力を持つ獣、魔獣は総じて凶暴なので小型でも大型でも人間を攻撃してくるし、他の野生動物を襲うこともある。
そのため、魔獣は駆除対象なのだ。
魔獣討伐を専門に行う冒険者もいて、彼らは魔獣を倒したり、薬草を採って来たり、誰かの護衛をしたり、色々な仕事を請け負って生活しているのだが、それに関しては魔法士団とは関係ないので割愛。
とにかく、紅玉は魔獣が国内で現れると派遣されるのである。
次に、防御魔法や回復魔法など守りに特化した魔法士の多く所属する魔法士団・琥珀。
宮廷魔法士のローブには黄色が使われ、琥珀のブローチをつけており、王族の身辺警護や魔獣討伐にも参加する。
魔法士団の中で最も忙しいと言われているそうだ。
先に述べた通り、王族の警護に魔獣討伐、王城の防御魔法の維持と管理、災害時には被災地への派遣など仕事は多岐に渡るようだ。
最後に、状態異常や毒魔法など特殊さに特化した魔法士が多く所属する魔法士団・紫水。
宮廷魔法士のローブは紫色が使われ、アメジストのブローチをつけている。
アリエラいわく「最も不人気な魔法士団」らしい。
仕事内容は状態異常や毒魔法の研究が主で、その解析や解除方法、特性などを調べているそうだ。
紫水で研究された魔法を紅玉で使用したり、琥珀が解除方法を利用して人を助けたりするのだが、何分、華やかさに欠ける。
誰もが状態異常や毒魔法に関する専門家なのだが、危険なものを扱うため、最も口の堅い者が多く、その仕事内容に関して詳細は不明である。
しかも研究者気質で気難しい者が多い。
「一番謎な魔法士団でもあるのよね」
ということらしい。
ちなみに魔窟と呼ばれているのはこの紫水である。
先ほどアリエラが言ったように、紫水が割り当てられている区画は他の二つの魔法士団に比べてかなり汚い。
それこそ、そこに配属された使用人達が「お願いだから他の場所にしてくれ」と異動を望むくらい酷いらしい。
「何でそんなに汚いのかしらね」
アリエラが言う。
……うーん?
「掃除とか整理整頓が出来ないからじゃない?」
アリエラが小首を傾げた。
「どういうこと?」
「たとえばさ、物を捨てられない、物を使った後に元の場所に戻せない、掃除の仕方を知らないって人だったらどう? だって魔法士団って貴族が多いんでしょ? 自分で掃除なんてしたことない人ばっかりじゃないのかなあ」
わたしみたいに自分で身支度どころか家事全般それなりに出来ますという貴族の方が珍しいだろう。
目の前にいるアリエラだって、身支度は自分で出来るけれど、掃除などの家事はしたことがないと聞いたことがある。
「いえ、でもそうなると紅玉や琥珀の方々のところだって酷くなるはずではないかしら?」
「魔法の研究してるのは主に紫水なんだよね?」
「……ああ、そういうことね」
そう、つまりは仕事内容の違いだ。
紅玉は攻撃などの戦いに特化しているならば、きっと仕事は魔法の技を磨いたり、体を鍛えたりして、騎士達に近いだろう。
琥珀は防御や治癒の魔法を磨き、やはりこちらも出払っていることが多いのではと思う。
そして紫水は研究のためにこもっている。
もしかしたら研究のために使った物が片付けられないのかもしれない。
「そういえば魔窟の近くを通るとツーンとした変な臭いがするのよ。一度王城に行った時に通ったことがあるわ」
「特殊な魔法の臭いか実験中の何かの臭いなのかもね」
「それはそれで何だか嫌ね……」
わたしの中では完全に紫水のイメージが研究中毒者のそれなのだが。
「あ」
給金も高く、三食食べられて、住む場所もある。
だけど一つだけ欠点があった。
「臭い、大丈夫かな?」
わたしの魔法は身体強化のみに突出している。
そして身体強化魔法は五感も鋭くなる。
そのため、臭いも強く感じるのだ。
「臭い?」
「身体強化魔法は五感が鋭くなるの。だから臭いにも過敏になっちゃうんだよね」
「じゃあ臭いは少しつらいかもしれないわね」
…………。
「鼻栓して行けばいけるかな?」
「絶対にやめなさい」
……やっぱり鼻栓はダメかあ。
* * * * *
「あ、明日から清掃担当の使用人が来るから」
紫水の士団長・ナサニエル=メルディエルの言葉にアルフリードは「え?」と驚いた。
一瞬、理解するのに時間を要した。
随分と都合の良い言葉が聞こえた気がした。
「え、本当ですか? そんな勇者がまだいるなんて……」
同じく紫水の副士団長のジョエル=ウェルツが驚きの声をこぼした。
それに内心でアルフリードは頷いてしまった。
この魔窟と言われた紫水だが、これまで全くそういった者がいなかったわけではない。
仕事として掃除をしに来た者達はいた。
だが、誰もが数日と保たなかった。
その日のうちに配置換えを申し出る者ばかりだった。
……まあ、それもそうだろうね。
明らかな刺激臭が漂う室内は荒れ放題。
何に使ったのかも判然としない実験器具、埃の積もった薬品達、カビの生えた本、散らばった紙やこぼれたインク、中には汚れた衣類や何かの食べ物の残骸が放置されていることもある。
それらに触ることさえ嫌がる者もいる。
「その勇者はどれくらいいるんですか?」
ウェルツ副士団長の問いにメルディエル士団長が掌を開いて見せた。
「五人いたよ〜」
「五人も?!」
「そのうちの一人は女の子だった」
「しかも女性がいるんですか?!」
メルディエル士団長がおかしそうに笑った。
ウェルツ副士団長は正直な人なので、その反応が面白いのだろう。
「そう、その子がまた変わった子でね、小さくて細くて見た目は地味なんだけど凄く明るいご令嬢なんだ〜」
「小さくて細いって……。そんな子で大丈夫なんですか? うち、結構薬品とか重たい物とか扱いますけど」
「ああ、身体強化魔法が使えるんだって」
……なるほど。
身体強化が使えるなら、薬品に触れても多少は大丈夫だろうし、重たい物でもそれなりに運べるだろう。
しかし貴族のご令嬢で身体強化魔法が使えるのは珍しい。
あの魔法は基本的に魔力の扱いに長けている者か魔力が内向の者でないと使用出来ないのだ。
この世界には魔力がある者とない者がいる。
そして魔力がある者は殆どが外向者で、魔力が自然と体外に向かって出せる者のことをそう呼ぶ。
逆に魔力が体の内側を巡り、外には出せない者を内向者と呼ぶ。
内向者は数が少なく、魔力を体外に出せないため、魔法は身体強化か自己治癒くらいしか使えない。
魔法を使える者の中には内向者を見下す者もいるが、外向者は実は魔力を体内に巡らせるのが下手なので、よほど魔力操作に長けた者でないと身体強化や自己治癒魔法は使えない。
アルフリードは内向者は内向者の利点があると考えている。
何より、内向者のそれは体質的な問題であり、見下したり嘲笑ったりするものではない。
外向者には外向者の、内向者には内向者の良き部分がある。それだけだ。
「本当に面白い子だったよ。貴族だけど働くことに忌避感もなくて、どちらかと言うと仕事をするのが楽しみで仕方ないって感じでね〜」
それはまた変わった女性である。
貴族の女性が働くことはあまりない。
いや、家の管理や社交はするし、場合によっては領地の経営に携わったり女家庭教師になったり、王城で働く者だっている。
だが結婚後は家に入ることを良しとする風潮があるため、仕事は長続きしないのだ。
「それは結婚したらすぐに辞めてしまうのでは?」
思わずアルフリードの口からそんな言葉が出た。
どうせ長続きしないなら、そういう人材は雇うべきではないと思ったのだ。
しかしメルディエル士団長が首を振った。
「それはないって。なんでも『女性的な魅力がないから』って理由で婚約破棄されたらしい」
「え……」ウェルツ副士団長と声が重なった。
……それは、かなりショックなのでは?
貴族の女性が婚約を破棄されるのはつらいことだ。
たとえ女性に非がなかったとしても、魅力がないせいだと社交界で笑い者にされるし、解消ならばともかく、破棄となると経歴にも傷が残る。
「えっと、その子、大丈夫なんですか……?」
さすがのウェルツ副士団長でも、恐る恐るといった様子で訊き返す。
「うん、本人は『これで好きなことが出来る』って何か凄く嬉しそうに言ってた。全然気にしてない様子だったよ」
それはそれで、かなりの猛者である。
普通の貴族のご令嬢であればショックのあまり伏せってしまうくらい、婚約破棄とは本来大きなことなのだ。
……想像がつかないんだけど……。
一体どのようなご令嬢なのだろうか。
別の意味でアルフリードは不安を覚えたのだった。
* * * * *