プレゼント
婚約が正式に受理されて五日後。
今日はアルフリード様の実家であるリュディガー公爵家にご挨拶に行く予定だ。
でもその前に寄るところがあると、午前中からわたし達は出かけることになった。
公爵家の馬車に揺られるのも慣れてきた。
「これからどこに行くんですか?」
今日のわたしは以前着ていた藍色のドレスである。
正直、持っている中で一番華やかなのがこれだけなので、他に選ぶということがない。
「着いてからのお楽しみです」
と、口元に指を当ててアルフリード様が言う。
その仕草が凄く自然で、凄く似合う。
「それにしても今回は我が家の予定に合わせていただき、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそアルフリード様のご家族の皆様はお忙しいのに時間を作ってもらえて嬉しいです!」
本来は休日ではないのだけれど、婚約のご挨拶にリュディガー公爵家に行くのだと話したらメルディエル様が「それは行かないとね〜」と上手くお休みを調整してくれたのだ。
実はわたし達使用人の勤務割りもメルディエル様が決めていたそうで、今後はアルフリード様と休日を合わせてくれるとも言ってくれた。
思わず「メルディエル様、最高です!」と両手を上げて喜ぶわたしに、メルディエル様は「そうでしょ、そうでしょ」と自慢げに胸を張っていた。
「アルフリード君も僕を褒めてくれてもいいんだよ?」
そう言ったメルディエル様にアルフリード様は少し嫌そうに眉を寄せた。
「……ありがとうございます」
その言葉は何だか色々な感情がこもった声だった。
まあ、それはともかく、アルフリード様のご家族に会えるのはずっと楽しみにしていたので嬉しい。
ちょっと不安もあるけれど、きっと、リュディガー公爵家の方々は悪い人達ではないだろう。
「義理とは言え家族になりますから、時間を作るのは当然ですよ。それに皆もミスタリア嬢に会うのを楽しみにしておりましたから」
アルフリード様に頭を撫でられる。
「わたしも楽しみでした!」
「是非それを伝えてあげてください。父も母も見た目は少々近寄り難く見えますが性格は穏やかですし、兄も、兄の妻である義姉も妹が欲しいと以前言っていたので、きっとミスタリア嬢のことを気にいるでしょう」
「そうだといいなあ」
わたしは長子で姉だから、姉や兄という存在には少し憧れがある。
前世では一人っ子だったのもあって、今生では弟のイシルディンを目一杯可愛がっているが、兄や姉もいたらなと考えたことがあった。
ちなみにアルフリード様のお兄様は結婚している。
なので、今日会うのはアルフリード様のご両親とお兄様と、お兄様の奥様でアルフリード様の義理のお姉様のこの四人だ。
そんな話をしているうちに馬車が目的地に停まった。
先に降りたアルフリード様の手を借りて降りれば、そこには見覚えのあるお店があった。
マスクを作ってもらうことになった服飾店である。
あれから数日後、アルフリード様にお返事が届き、マスクを製造・販売することを了承してくれたお店だ。
アルフリード様が扉を開けてくれる。
中へ入ると、前回同様、ブラッドソンさんが出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ、アルフリード様、ミスタリア様。ようこそお越しくださいました」
「いらっしゃいませ」と複数の声が重なる。
今日はお針子さん達まで一緒のお出迎えだ。
「では、よろしく」
「かしこまりました」
サッとアルフリード様がわたしの手をブラッドソンさんに譲り、驚いている間に別室へと連れて行かれた。
「え、え?」
そこにも数名のお針子さん達がいた。
「失礼いたします」と言われて、着ていたドレスをスルッと脱がされて、全身の測定をされる。
お針子さん達はわたしの身長からスリーサイズから、それこそ腕の長さや足の長さ、大きさ、太さなど、わたし自身ですら知らない数値まで書き留めていく。
しかもわたしの腕を上げたり伸ばしたりするのだが、不思議なことに抵抗出来ないと言うか、自分の体なのにお針子さん達の手によって動かされるというか、ビックリするくらい自然なのだ。
しかも測る時間が凄く短い。
数人がかりでサササッと行われた。
それが終わるとまた元のドレスを着せられて、気付けばアルフリード様の下に戻っていた。
「はっ、今のは何だったんですか?!」
ソファーに腰掛けるアルフリード様の横に座って、ようやく我に返る。
「ミスタリア嬢にドレスを贈るための下準備です」
「初耳です!」
「今初めて言いましたから」
言いながら、アルフリード様がパタリと見ていた本を閉じて顔を上げる。
そうしてある方向を指差した。
「あのドレスの中ではどれが一番お好きですか?」
そこにはいくつかのドレスが並んでいた。
……うわ、どれも可愛い!
色取り取りのドレスはどれもデザインが違う。
でも、わたしの目が留まったのは鮮やかな青色のドレスだった。
「あの青いのが一番好きです」
目の覚めるような鮮やかな青に、銀糸で可愛らしい小鳥と小花の刺繍がされていて、胸元から腰まで大きなリボンがつき、スカート部分にはフリルがたっぷりと使われている。
そう、凄く女の子らしくて可愛いドレスだった。
それに青はアルフリード様の瞳の色だ。
「他は?」
訊かれて、困ってしまう。
「うーん、どれも良くて迷ってしまいます。どのドレスも可愛くて、オシャレで、見てるだけで幸せな気持ちになります」
わたしだって女の子なので可愛いものが好きだし、綺麗なものも好きだし、着飾りたいと思うこともある。
オシャレな服は見てるだけでも癒されるのだ。
「そちらにあるドレスは全て購入します」
「え」
……今、なんて……?
ブラッドソンさんがいい笑顔で「お買い上げありがとうございます」と言った。
……買う。買う? これ全部を?!
「あ、あ、アルフリード様っ、ドレスですよ? こんな買うなんて! お金凄くかかるんですよ?!」
「ドレスの値段は知っています。大丈夫ですよ、こう見えてかなり稼いでおりますし、婚約者の品位保持金として公爵家からも出ます。婚約者にドレスや装飾品を贈るのは普通のことですよ」
アルフリード様が手に持っていた本をブラッドソンさんに返しながら「彼女に似合うデザインのものならば何着作っても構わない。普段着に、夜会と外出用のドレスも頼む」とサラリと言う。
「……いや、いやいや、限度がありますよね?!」
アルフリード様がわたしを見た。
「ミスタリア嬢、あなたは公爵家の私の婚約者になります。そしてそれに見合った装いというものがあります。失礼ながら、そのままでは公爵家の婚約者と言うには少々問題となるでしょう」
思わずわたしは自分のドレスを見下ろした。
……確かに。
公爵家の婚約者と言うにはみすぼらしい。
わたしの持つドレスの中では一番華やかだけれど、このお店のどのドレスよりも地味で、流行から少し外れていて、装飾品の類もない。
自分の格好を見て、これでは確かにアルフリード様には釣り合わないし、公爵家の方々と並んでもかなり見劣りするだろうことは簡単に予想がついた。
「……まあ、それは全て建前なのですが」
ついドレスの裾を握ってしまっていた手に、アルフリード様の手が重なった。
「以前も言いましたが、私がミスタリア嬢に贈りたいのです。ドレスも、装飾品も、私の贈った物だけを身につけて欲しい。良いものだけをあなたに与えたい。私の贈ったもので美しく着飾るあなたを見たい」
そっと頬に手を添えられて顔を上げさせられる。
「あなたを独占したいのです」
カァッと頬が熱くなる。
アルフリード様はいつも直球だ。
「だから、嫌でなければ拒まないでください」
ほう、とお針子さん達が感嘆の溜め息を漏らす。
僅かに眉を下げて悲しそうな顔でアルフリード様に請われてしまえば、断るなんて無理だった。
「わ、分かりましたっ、分かりましたから!」
その悲しげな表情は反則だ。
わたしが返事をするとアルフリード様の表情はいつもの無に戻った。
わたしの手を握ったまま、アルフリード様が首だけを動かして、ブラッドソンさんを見た。
「そういうことで、装飾品や靴も出してくれ」
「かしこまりました」
お針子さん達が慌しく動き出す。
「では、試着いたしましょう」
ニコニコ顔でブラッドソンさんが言う。
アルフリード様からも期待のこもった眼差しを向けられて、わたしはそれに頷いた。
……ここにわたしの味方はいない……。
でも、試着用のスペースで着たドレスは少し重いけれど、着心地も抜群で、華やかで、そしてとても可愛かった。
* * * * *
「うん、これも買おう」
「かしこまりました」
目の前で何度目になるか分からないやり取りが交わされる。
わたしはと言えば、少し疲れていた。
……世の貴族の女性って、ドレスを買う時にこんなに疲れることしてるの?
もう十着以上は試着しているが、アルフリード様はそのほとんどを「買う」と言った。
まさか流れ作業的に言ってるのではとも一瞬思ったけれど、中には「このドレスはもう少しフリルを足してくれ」「これは肩が出過ぎている。首元のレースを増やせ」と指示もしていたから、どうやら適当に全部流し見しているわけではないらしい。
ドレスの流行なんて知らないわたしは、ただドレスを着ては脱ぎ、着ては脱ぎを繰り返しているだけで、アルフリードさまとブラッドソンさんにお任せである。
ただ、着替えるのは疲れるが、どのドレスも着心地が好いだけでなく、動きやすくて、オシャレで、似たようなデザインが少ない。
……それにしても、これだと毎日着ても余っちゃう。
普段、王城内ではお仕着せで過ごしているので、休日にお出かけでもない限り、ドレスはあまり着ないので、この量のドレスはどうしたら良いのやら。
「あの、置き場がないのですが……」
と、言ってもアルフリード様は気にしなかった。
「一人で着られるドレスがあるので、そちらを何着かミスタリア嬢が持ち、残りは公爵家で保管しておきます。夜会や茶会などは我が家に寄って身支度をしていただくことになりますが、その方が化粧や髪型も整えられて都合が良いでしょう」
つまり、わたしは外出することがある度に公爵家に寄ることになるのだ。
……アルフリード様、凄い……。
そもそも下位貴族の子爵家と高位貴族の公爵家なので、色々と違う部分もあるだろうけれど、まさか自分の家を婚約者のドレスルーム扱いしてしまうなんて。
しかもドレスを試着する際には靴や装飾品なども合わせていて、アルフリード様はそれらも全て購入している。
合計金額が一体いくらになるのか怖くて訊けない。
……こんなの初めてで、どうしていいのか分からない……。
イルンストン伯爵子息はドレスや装飾品などを贈ってくれることすらなかったし、こんなに着飾ることもこれまでなかったので、お針子さんやブラッドソンさん、アルフリード様に褒められるとかなりむず痒い。
胸がドキドキして、そわそわして、落ち着かない。
こんな素敵なドレスをわたしが着る日がくるなんて、思ってもいなかったから。
……でも、試着はほどほどがいいなあ。
贅沢な願いかもしれないが、ドレスはコルセットから着替える必要があるので着替える度に大変なのだ。
これが昼食前で良かった。
食後だったら間違いなく、食べたものと再会していたと思う。
「とりあえず今日はこれくらいにしておこう」
アルフリード様のその言葉にホッとした。
だけど何故か元のドレスではなく、丈の合っていた別のドレスを着せられた。
しかも髪型も整えられて、薄くお化粧まで。
「これなら母や義姉もうるさく言わないだろう」
……あ、そういうことか!
公爵家にご挨拶に行くから、綺麗な装いで行こうということだろう。
色味はやや違うけれど、淡い青色と白のドレスはフリルとリボンがたっぷりあしらわれた可愛らしいデザインだ。
「そうですよね、元のドレスじゃあさすがに公爵家の皆様に失礼ですよね……」
アルフリード様が首を振った。
「いいえ、そういうわけではありません。……何と言いましょうか、母や義姉は少々口うるさいので『婚約したのにドレス一つ贈らないとは何事だ』と私が叱られるんです」
「……アルフリード様が叱られるんですか?」
「はい、だから私のためと思って着ていただけたら非常に助かります」
アルフリード様が軽く肩を竦ませた。
その表情はどこか困っている風で、わたしは小さく吹き出してしまった。
「分かりました。ドレスや装飾品をありがとうございます! きっと着る度にアルフリード様を思い出しますね!」
アルフリード様の青い目が和やかに細められる。
「そうであると嬉しいです」
わたしの元着ていたものは箱に仕舞い、持って帰ることにした。
買ったドレスは全てわたしに合わせて調整した後に、公爵家やわたしの元に届けられることになった。
アルフリード様が買ってくれたドレスに靴を履いて、装飾品を身につけて、今のわたしはほぼアルフリード様がくれたもので占められている。
……独占したい、かあ。
「アルフリード様、アルフリード様」
ブラッドソンさんとお針子さん達に挨拶をして、馬車に戻り、向かい側に座ったアルフリード様の腕を軽く引く。
「何ですか?」
「ちょっとこっちに来てください」
「はい」
動き出した馬車の中で横の座席を叩けば、アルフリード様はこっち側に移動してくれる。
口元に手を添えれば、内緒話と思ったのか耳を寄せてきた。
近付いた横顔にえいやとキスをする。
すぐに顔を離すとアルフリード様がバッとこちらを見た。
アルフリード様の白い肌が赤く染まった瞬間、ぶわっと抱き締められた。
「わわっ?」
そのままギュッと抱き込まれる。
「ミスタリア嬢、今のはずるいです……」
どうするべきか考えて、そっとアルフリード様の背中に手を回して抱き締め返す。
わたしよりも大きい体は少し体温が低くて、見た目より実は結構筋肉質で、肩幅もあって、力強い。
……当たり前だけどアルフリード様も男の人なんだよね。
そう思うと鼓動が早くなる。
「わたしもアルフリード様を独占したいです」
抱き締められているのでアルフリード様の顔は見えないけれど、はあ、と悩ましい溜め息が聞こえてきた。
「私はもう、あなたのものですよ」
少し掠れた声は物凄く色っぽかった。
「もっと自覚してください」と囁かれて何とか首を縦に振る。
……アルフリード様の色気がやばい!
わたしの心臓は壊れるのではと思うくらい早鐘を打っていて、それなのにアルフリード様はしばらく離してくれなくて、嬉しさと気恥ずかしさでグルグルする。
結局は嬉しいのだけれど。
わたしの婚約者は色んな意味で凄い人だ。




