婚約 / 紅玉と琥珀
婚約を受け入れて一ヶ月。
ようやくリュディガー公爵家とリルファーデ子爵家の間で話が纏まり、両家の当主の同意の下で婚約届を国に提出し、それが受理された。
イルンストン伯爵子息の時は口約束だったが、今回は正真正銘、正式な婚約である。
……わたしとアルフリード様は婚約者同士!
恋人から婚約者へ昇進だ。
嬉しいけれど同じくらい照れ臭い。
ちなみに受理された件についてはリュディガー公爵家とリルファーデ子爵家の両方に受理の連絡が届き、アルフリード様が翌日、朝早くに登城してくれた。
そうして朝食の席で教えてもらった。
「今日から私達は婚約者です。改めて、これからよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
朝食の席でお互い深々と頭を下げて、周りの人からちょっと変な目で見られてしまったけれど。
でも正式に婚約をしたので、今後は二人でいても何ら問題はないのだ。
……何せ婚約者だから!
言ってしまえば、人目のある場所でイチャイチャしたとしても婚約者だから問題ない。
もちろん、仕事中はそんなことしないけれど。
その後は二人で紫水の区画に出仕して、いつも通り別々に仕事をこなして、昼食の席で士団長様と副士団長様に報告した。
「無事、ミスタリア嬢と婚約しました」
「アルフリード様と婚約しました!」
お二人がパチパチと拍手を送ってくれる。
「おめでとう〜」
「おめでとうございます」
お二人の言葉にアルフリード様と「ありがとうございます」と言葉が重なって、思わず互いに顔を見合わせた。
それに士団長様が笑った。
「二人とも息ピッタリだね〜。いやあ、ミスリルちゃんを採用した僕って偉くない? 二人を引き合わせたんだよ〜」
副士団長様が呆れた顔をする。
「正確には紅玉と琥珀の士団長様方も採用には関わっておりますけどね」
「いいでしょ、僕もその一人なんだから〜」
言って、士団長様が「あ」とこちらを見る。
「そういえばミスリルちゃんって紅玉と琥珀の士団長のこと知ってる〜?」
わたしは正直に首を振った。
「いえ、宮廷魔法士団が三つに分かれていて、紫水とは別の士団が二つあって、紅玉と琥珀という名前なのは知っていますが、お名前や外見は存じません」
実際会ったこともないので知らないも同然である。
士団長様が「そっか〜」と頬杖をつく。
「会ってみない?」
士団長様の言葉に手が止まった。
「お会い出来るんですか!」
紫水の使用人に過ぎないわたしが、宮廷魔法士団の紅玉と琥珀の士団長様に会えるなんて凄く光栄なことだ。
……メルディエル様にこうして気安く接してもらえているだけでも驚きなのに。
大勢の優秀な魔法士達を束ねる人達だ。
面接の時に会ったけれど、あれは短時間だったし、受かることの方を気にしていたからあんまり覚えていない。
覚えているのは、一人は大柄で赤い髪をしていて、もう一人は細身の白髪の老人だったことくらいである。
「あの二人もさ〜、ミスリルちゃんとまた話したいって言ってるんだ〜」
「そうなんですか?」
「うん、僕の部屋を綺麗にしてくれたこと、褒めてたよ〜」
……士団長様達に褒められてた!
婚約の件もそうだけど、今日は良いことばかりで、一日ずっと幸せな気持ちで過ごせそうだ。
アルフリード様が少し眉を寄せた。
「お二方にミスタリア嬢を会わせるなら、私も同席します。……あの方々は少々癖がありますから」
「あはは、いいんじゃな〜い? 今日の午後にあの二人が紫水に来るから、話の後にでも呼ぶね〜」
士団長様の言葉に頷く。
「分かりました! それまでに出来るだけお仕事を終わらせておきます!」
……士団長様方に会うのが楽しみ!
* * * * *
紅玉と琥珀の士団長様に会える。
こんな機会そうないから、とわたしは午後の仕事も精一杯早く終われるように頑張った。
最後に共同スペースの廊下や応接室などの掃除を終える。
……応接室、なかなか使ってくれないなあ。
てっきり応接室を使うと思っていたが、どうやら士団長様の部屋に来ているらしく、ティーセットを持った副士団長様と途中ですれ違って「仕事が終わったらメルディエル士団長の部屋に来てね」と言われた。
せっかく応接室があるのに誰も使わない。
いつ使ってもいいように掃除しているけれど。
とりあえず掃除道具を片付け、一度手を洗いに井戸に寄ってから士団長様の部屋に向かう。
……最近何もなくなったなあ。
水や蛇が降ってきて欲しいわけではないが、ここに入ってからしばらくは色々あったため、何もないと何だか気が抜けてしまう。
仕事で歩き回っているものの、やっぱり運動というか、もっとこう、体を動かしたい。
しかし、さすがに鍛錬場に行って騎士達に混ざるのは無理だろう。
……木剣でもいいから振りたいな。
そんなことを考えているうちに士団長様の部屋に着いた。
小さく息を吸って、少しの緊張を解す。
それから士団長様の部屋の扉を叩いた。
ややあって、中から扉が開かれた。
アルフリード様だった。
「どうぞ、ミスタリア嬢」
扉を押さえ、反対の手で招き入れられる。
「ありがとうございます」
「いえ、一秒でも早く会いたかったので」
そう言ったアルフリード様に頭を撫でられる。
わたしもアルフリード様と会えて嬉しいので「わたしもです」と頷き返せば、青い瞳が目尻を少し下げる。
アルフリード様が扉を閉めた。
室内へ顔を向ければ、士団長様と副士団長様は自分の机のところにいて、ソファーには紅玉と琥珀の士団長様だろう人達が座っていて、ちょっと目を丸くしてこっちを見ている。
「ミスリルちゃんお疲れ様〜、そこのソファーに座っていいよ〜」
士団長様の言葉に従ってソファーに座る。
……あ、アルフリード様も一緒なんだ?
でも紅玉と琥珀の士団長様お二人と向き合っているので、一人よりは、アルフリード様がいてくれた方が安心する。
「で、ガルフェウスもシェドアも知ってるだろうけど、この子がミスリルちゃんだよ〜。それで、ミスリルちゃん、こっちの二人が紅玉と琥珀の士団長〜」
士団長様の言葉に目の前の二人が口を開く。
「面接の時以来だな。俺はガルフェウス=アルドレッドだ。宮廷魔法士団・紅玉の士団長をやってる」
アルドレッド様は大柄で、真っ赤な髪が凄く綺麗で、金の瞳のなかなかに男前な顔立ちの中年かそれより少し若いくらいの男性だった。
ローブを着ているけれど、騎士なのではと思うほど、体ががっしりとしている。
それにかなり長身だ。
髪の色味はイルンストン伯爵子息に似ているが、アルドレッド様の方が、ずっと鮮やかな色をしている。
「私はシェドア=オルドレアと申します。宮廷魔法士団・琥珀の士団長を務めさせていただいております」
オルドレア様は細身で、綺麗な白髪の髪に柔らかな淡い緑の瞳の老齢な男性だった。恐らく六十代半ばほどだろうか。
アルドレッド様の横にいると小柄に見えるけれど、姿勢が良く、穏やかで好々爺然としている。
わたしも浅く頭を下げて挨拶を返す。
「改めまして、リルファーデ子爵家が長女ミスタリア=リルファーデと申します。あの時、わたしを採用してくださってありがとうございました」
おかげでここで働くことが出来る。
待遇の良い職場に、優しい人達に、婚約者もいて、毎日楽しく仕事している。
オルドレア様が緩く首を振った。
「いいえ、こちらこそ紫水をここまで綺麗にしてくださり、お礼申し上げます。魔窟とまで呼ばれて酷い有様でしたから」
前の様子を思い出したのか、オルドレア様が小さく息を吐いて苦笑した。
「あれは確かに酷かったな」
アルドレッド様も頷いている。
「ありがとうございます! でもわたしは担当の部屋を片付けただけで、他の使用人の方や魔法士さん達が頑張ってくれたから綺麗になったんです」
アルフリード様に頭を撫でられた。
見上げれば、青い瞳が優しく見下ろしてくる。
「ミスタリア嬢は謙虚ですね」
よしよしとわたしの頭を撫でるアルフリード様と、頭を撫でられているわたしを、アルドレッド様とオルドレア様がまじまじと見る。
「お前ら随分と仲良いな?」
アルドレッド様の言葉にアルフリード様が言う。
「婚約者同士なので当然です」
「婚約者?! いつからだよ?!」
「今日からです」
驚くアルドレッド様にアルフリード様がしれっと返して、アルドレッド様は「あのアルフリードが婚約……」と呟く。
……まあ、驚くのも無理ないよね。
わたしが紫水に来て半年も経っていないのに、まさかアルフリード様と婚約するなんて。
自分でも正直驚いている。
オルドレア様がほほほ、と笑った。
「それはおめでとうございます」
オルドレア様の言葉にアルフリード様と一緒に頷いた。
「ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます!」
アルドレッド様がソファーの肘置きに頬杖をつく。
「それにしてもどういう心境の変化だ? お前、これまで大勢のご令嬢に迫られても全く相手にしなかったのによ」
「やっぱりそうなんですか!」
思わず、ズイッと身を乗り出してしまう。
「そうですよね、アルフリード様、格好良いし優しいし、仕事も出来るし、性格も良いから、やっぱりモテモテだったんですね!」
……だと思った! 予想通り!!
むしろ今まで相手がいなかったのが不思議なのだ。
アルドレッド様が「あ、ああ」と頷いた。
「あー、だが、アルフリードは誰の相手もしなかったぞ? むしろ鬱陶しそうな感じだったな。あんまり冷たいせいで『氷の貴公子』って呼ばれてるしな」
「『氷の貴公子!!』」
……何それ格好良い!!
見上げればアルフリード様が顔を逸らした。
「……その呼ばれ方は好きではありません」
ちょっと拗ねたような声にキュンとする。
……わ、拗ねてる! 可愛い〜!!
思わず、にへらっと笑ってしまう。
それに気付いたアルフリード様がわたしの顔を両手で挟んだ。
「笑わないでください」
むに、と頬をつままれる。
「ごめんなさい」
素直に謝れば手が離れていった。
はあ、と感嘆の溜め息が聞こえてくる。
「本当に婚約したんだな」
アルフリード様が「婚約届も受理されました」と答え、アルドレッド様が苦笑する。
「そうか、あー、おめでとう。まさかお前達が婚約するとは思わなかったけど、まあ、良かったな」
それにアルフリード様と一緒に「ありがとうございます」と答える。
「失礼ですが、お二人が結婚したらリルファーデ嬢は仕事を辞めてしまわれるのでしょうか?」
オルドレア様の言葉に首を振る。
「いいえ、辞めません。ここで働くの好きですし、アルフリード様も結婚後も紫水で働いて欲しいと言ってくださったので、今後も働き続けます!」
「それを聞いて安心しました。リルファーデ嬢がいなくなれば、この部屋もあっという間に元の荒れ模様に戻ってしまうでしょうから、働き続けていただけるというのは非常にありがたいことなのです」
それに士団長様が「ええ〜」と声を上げる。
「さすがに僕だってもうあんなに汚したりはしないよ〜。………………多分」
それにわたしを除いた部屋にいた全員が呆れ顔で士団長様──……メルディエル様を見やった。
他のお二人も士団長様だから、ちょっとややこしい。
「信用なりません」
「だな」
「まあ、無理でしょうね」
「そうですね」
オルドレア様の言葉にアルドレッド様、副士団長のウェルツ様、アルフリード様が頷いた。
……うーん、確かに。
実は毎日掃除しているけれど、一番時間がかかるのはメルディエル様の部屋だったりする。
前日に綺麗にしても、翌日にはもう本が出しっ放しになっていたり、足元に紙が落ちていたり、たまにローブをソファーの上にくしゃくしゃに放ったままどこかに行ってしまっていたりする。
メルディエル様は基本的に自分のことが出来ない人なのだろう。
アルフリード様には「典型的な魔法士」と言われている。
魔法や研究が好きで、興味のあることにはかなりこだわりがあるけれど、逆に興味のないことにはとにかく無関心でやりたがらないらしい。
メルディエル様がぶーぶー言う。
「みんなして酷くない? 僕だってやれば出来るよ〜。ねえ、ミスリルちゃんだってそう思うよね〜?」
話を振られて考える。
「うーん、まあ、でも、結果的に出来ていないわけですから『やれるけどやらない』も『出来ない』も同じような気はします。結局はやってないので」
「うう、ミスリルちゃんが厳しい……」
がっくりとメルディエル様が肩を落とす。
それにアルドレッド様が笑った。
「ははは、いいな! もっと言ってやれ!」
メルディエル様が唇を尖らせた。
「やめてよ〜、僕立ち直れなくなっちゃう」
「なぁに言ってんだよ、お前ほど打たれ強い奴なんてそうそういないだろうが」
「いーや、いるじゃない、そこに」
メルディエル様に指差されて全員の視線がわたしに集中する。
「ミスリルちゃん、あの口上聞かせてくれる〜?」
メルディエル様の言葉に頷いて、すっくと立ち上がる。
大きく息を吸い、お腹に力を込め、腰に両手を当てて、声を出す。
「折れない欠けないヘコまない、打たれ強さは世界一! ミスリルこと、このミスタリア=リルファーデに何でもお任せください!!」
アルドレッド様とオルドレア様が目を丸くした。
それにわたしはニッコリ笑う。
「どうぞ今後はミスリルとお呼びください!」
その後、お二人からミスリル嬢と呼ばれるようになったのは言うまでもない。
後ろでアルフリード様が小さく息を吐いていた。
「その口上やめませんか?」
「やめません!」
だってこれ、結構楽しいのだ。




