わたしの気持ち
弟から届いた手紙に今度の休み、良ければアルフリード様を家に呼んでみてはどうかと書かれていた。
公爵家のアルフリード様を呼ぶには我が家は小さいが、イシルディンが会ってみたいらしい。
どういう人なのか気になるそうだ。
もしわたしがアルフリード様との婚約を受け入れれば、アルフリード様とイシルディンは未来の義理の兄弟ということにもなる。
……うーん。
アルフリード様とイシルディンの気が合うかも確認したいというのはわたしも思っていた。
ちなみにイルンストン伯爵子息とイシルディンは仲があまり良くなくて、顔を合わせることも少なかったのだ。
……もしアルフリード様とイシルが仲良くなれそうだったら、わたしはアルフリード様の告白を受け入れてもいいのかもしれない。
結婚するなら大事な弟を大切にしてくれる人がいい。
「あの、アルフリード様」
研究部屋の掃除の最中に声をかける。
「はい、何でしょう?」
「もしご予定がなければ、今度、家に遊びに来ませんか? その、弟がアルフリード様に会ってみたいと言ってるんです。カフスボタンのお礼も言いたいって」
アルフリード様が青い目を丸くさせた。
「ご招待していただけるのですか?」
どこか雰囲気が明るくなる。
「貧乏なので小さい家ですし、あまり豪勢なおもてなしは出来ませんが……」
「いえ、それについてはお気になさらず。私自身は爵位を持っているわけでもありません。むしろ普段通りにしていただけたら嬉しいです」
「普段通りに、ですか?」
アルフリード様が頷いた。
「ええ、あなたがどんな家で、どんな人達に囲まれてきたのか知ることが出来ますから」
そういうことで、次のわたしの休日に合わせてアルフリード様が我が家に来ることになった。
* * * * *
当日、わたし達はアルフリード様の研究部屋の前で待ち合わせて、王城の外へ出た。
歩いて行くと時間もかかるので辻馬車に乗って家へ向かったのだが、アルフリード様は初めて辻馬車に乗ったそうで興味深そうにしていた。
公爵家には専用の馬車があるから、だそうだ。
確かに公爵家の人が辻馬車を使う機会はあまりなさそうである。
そうして家に到着した。
前もって時間を伝えてあったため、玄関扉をノッカーで叩くとすぐに扉が開けられた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
アニーが扉を開けて迎え入れてくれる。
玄関にはイシルディンとヴァンスもいた。
「ようこそおいでくださいました、リュディガー様。僕はリルファーデ子爵家が嫡男・イシルディン=リルファーデと申します」
イシルディンが言い、礼を執る。
下がったアニーとヴァンスもそれぞれに頭を下げて、それをアルフリード様が手で制した。
「そう堅くなさらないでください。こちらこそ、本日はお招きいただきありがとうございます。リュディガー公爵家の次男・アルフリード=リュディガーです。どうぞアルフリードと呼んでください」
イシルディン達が礼をやめて背筋を伸ばす。
「では、お言葉に甘えましてアルフリード様、いつも姉がお世話になっております」
「いいえ、むしろお世話になっているのは私の方です。それにミスタリア嬢にはご迷惑をおかけしてばかりで、申し訳ございません」
頭を下げたアルフリード様に驚く。
それをイシルディンはジッと見て、微笑んだ。
「立ち話もなんですから、どうぞこちらへ」
そうしてわたし達は滅多に使わない応接室へ通された。
この日のためかいつも以上に綺麗に整えられていて、きっとアニーとヴァンスが頑張ったのだろう。
向かい側にイシルディンが座り、アルフリード様の横にわたしも腰掛ける。
イシルディンと目が合った。
…………?
どこか物言いたげな視線だったが、アニーが紅茶やお菓子などを持ってきたことでその視線はすぐに逸らされた。
「紫水での件につきましては姉や叔父からの手紙で伺っております。姉が嫌がらせを受けたり襲われそうになったことは、正直、弟としては許せませんし、そういった環境をすぐに改善していただけなかったことについても憤りを覚えています」
イシルディンがかなり強い語気で言う。
慌てるわたしの横でアルフリード様がまた頭を下げた。
「返す言葉もありません」
思わず二人を交互に見る。
公爵家のアルフリード様に頭を下げさせるなんて。
「イシル、あれはアルフリード様が悪いわけではないの。あの、わたしも嫌がらせを受けてたのにすぐに言わなかったし、アルフリード様達は凄くわたしのことを気にかけてくれてたの。だから──……」
「うん、それは姉上も悪いと僕は思ってるよ。自分が平気だからって何でも受け流すのはもうやめてね。姉上が何ともなくたって、それを見てる周りの人間だって、僕だって、嫌な気持ちになるんだから」
「……はい……」
イシルディンに怒られて頷く。
思った以上に弟が怒ってる。
「アルフリード様、顔を上げてください」
アルフリード様が頭を上げる。
「これに関しては厳正な処罰も下されましたし、相手方の家々も、本人も報いを受けています。……証拠がなければ罰することは出来ません。すぐに動けなかったのは証拠がなかったからですか?」
イシルディンの言葉にアルフリード様が頷いた。
「ええ、その通りです。確実な証拠を得るまでは罰せられません。ですから我々も動くことが出来ませんでした」
「やっぱり……」
「しかしミスタリア嬢を危険に晒してしまったのは我々の落ち度です。罵倒されても仕方がありません」
イシルディンがまたアルフリード様を見つめる。
そして、普段通りの笑顔を浮かべた。
「アルフリード様が真面目な方だというのはよく分かりました。……一応訊いておきますが、その責任を取るために姉と婚約しよう、というわけではないのですよね?」
アルフリード様がちょっと前のめりになる。
「違います。私は私の意思で、ミスタリア嬢を好きになり、婚約したいと考えております」
……うわ、直球で言った!
「ちなみに、姉のどのようなところがお好きで?」
イシルディンも何で笑顔でそういうことを訊くのだ。
「明るく、前向きで、正直なところが好ましいと思っています。仕事も真面目で丁寧で良いですね。外見も小柄で細身なので可愛らしいです」
「姉は身体強化魔法でかなり強いですが」
「女性が自衛出来る力を持っているというのは良いことではないでしょうか」
イシルディンが続ける。
「姉は一度婚約を破棄されております」
「それはミスタリア嬢に非はありません。イルンストン伯爵子息に問題があったと私も、公爵家も考えております。……それに私も一度婚約を解消した身なので」
「アルフリード様が? 何故? ……いえ、失礼しました」
思わず問いかけたイシルディンがすぐに首を振る。
そういう繊細なことは無理に訊くものではない。
アルフリード様が目を伏せた。
「申し訳ありません、理由については公爵家に大きく関わることなのでお話出来ません」
「そうなのですね」
イシルディンはそれ以上は訊かなかった。
応接室の空気が重い。
わたしは空気を一新させるためにパチリと手を叩いて、笑顔を浮かべた。
「とりあえず、お菓子食べませんか?」
並んだお菓子の中からクッキーを手に取って食べる。
どれもアニーの手作りだろう、見慣れたお菓子達で、見た目はシンプルだけど美味しくてわたしの大好きなものばかりだった。
「これ、全部アニー……そこのメイドが作ってくれているんですけど、美味しいんですよ! オススメはこのナッツがたっぷり入ったクッキーです!」
皿ごとアルフリード様に差し出せば、青い瞳が目を瞬かせ、そしてふっと目尻が少し下がった。
「いただきます」
クッキーに手を伸ばして、一枚食べる。
サクサクと心地の好い音がする。
「どうですか?」
「美味しいです。香ばしくて、食感も楽しいですね。それに、何でしょう、どこか懐かしい気持ちになります」
「そう、そうなんです! アニーの作ってくれるお菓子って、こう胸があったかくなるんですよね」
アルフリード様も気に入ってくれたのか、二枚、三枚とクッキーを食べ進めていく。
実はアルフリード様が甘いものが好きだってことに最近わたしは気付いたのだ。
昼食の時にアルフリード様はいつもデザートだけは、普通の食事よりもゆっくり食べる。
特にケーキは味わって食べたい派らしい。
一口一口、じっくり食べているのだ。
だから今回も軽食よりも甘いお菓子を中心に出してもらえるようにお願いしておいたのである。
「確かに、なんだかホッとしますね」
壁際のアニーがニコニコしている。
イシルディンがこほんと小さく咳払いをした。
「アルフリード様と姉上は仲が良いようですね」
思わずアルフリード様と顔を見合わせた。
……うわ、思ったより距離近い!
無意識のうちに前のめりになってしまっていたようで、身を引いてお皿をテーブルへ戻す。
「そうであったら良いなと思っています」
アルフリード様がわたしを見る。
どこか期待するような青い瞳から視線を伏せる。
「……良い方、だと思います、多分……」
「嬉しいです」
チラと見上げればアルフリード様が目尻を下げていた。
口元は相変わらず真横に結ばれているけれど、目元を和ませるのはアルフリード様なりの笑みだ。
「そういえば、姉と婚約をした場合にいくつかの条件をご提示いただいたそうですが、あれでは公爵家に利益がないのではありませんか?」
アルフリード様がイシルディンを見る。
「そうでもありません。私が結婚するのであれば、それくらいしても構わないと言われております。むしろもっとリルファーデ子爵家にうまみのある条件を訊いて来いとのことでした」
「それほど姉と婚約したいと?」
「ええ、もちろん。あなた方の叔父上でいらっしゃる現リルファーデ子爵家当主代理にもお訊きするつもりではありますが、何か希望があれば出来うる限り叶えたいと考えています」
そうしてアルフリード様の視線がイシルディンとわたしを交互に見た。
わたしはあの条件でも十分だと思った。
……もし婚約するならの話だけれど。
イシルディンも両手を上げて降参する。
「いいえ、あれだけの条件を出されて更に何か欲しいとは思いません。……あとは姉の気持ち次第です」
そうして、イシルディンがわたしへ顔を向けた。
「姉上、結婚したくないの?」
「いや、したくないわけじゃないけど、今の仕事も凄く楽しいし……」
「結婚しても紫水で働けますよ」
わたしの言葉にアルフリード様が言う。
「じゃあアルフリード様は結婚相手として考えられないくらい、魅力がない?」
イシルディンの言葉にギョッとする。
……ほ、本人の前でなんてことを!
「そんなことないよ! アルフリード様は優しいし、格好良いし、頭も良くて凄い人だから!」
「だから?」
「……だから、わたしじゃ釣り合わないかなって……」
ガラスに映る、鏡に映るわたしはお世辞にも貴族の基準では美人とは言い難い。
地味なのでアルフリード様と並んでも釣り合わない。
友人付き合いならともかく、婚約者となると、わたしみたいな地味なのではアルフリード様の評判も落としてしまいそうなのだ。
スッと頬に何かが触れる。
それはアルフリード様の手だった。
「ミスタリア嬢、それは他人が勝手にするものです。大事なのは私達の気持ちであり、互いをどう思っているかでしょう。周りの意見など全て聞いていては切りがありません」
俯いた顔を上げられる。
「私はミスタリア嬢が私と釣り合わないとも感じませんし、どちらかと言えば、私がミスタリア嬢に釣り合わないのではないかと不安になるくらいです」
それにわたしは驚いた。
「え」
「ミスタリア嬢は、実は我が紫水では大人気なのですよ。可愛くて、いつも笑顔で明るくて、誰にでも分け隔てなく接して、それでいて逆境に負けない強さもある。私は紫水の魔法士の一人に過ぎないので、いつも誰かにあなたを奪われるのではないかと心配しているのですよ」
そんなこと考えもしなかった。
アルフリード様に釣り合わないとは思っていたけれど、わたしにアルフリード様が釣り合わないなんて、そんなことありえない。
大きな手の、細く筋張った指がわたしの目元を撫でる。
「難しいことは考えないでください。ミスタリア嬢が結婚するとして、その時、横にいるのがわたしではいけませんか?」
言われて、想像してみる。
どこかの教会で真っ白なドレスを着ているわたし。
静かな教会の中で、わたしの横には男性が立っている。
男性も白いタキシード姿で、その男性がわたしの視線に気付いてこちらを見る。
……それが、もし、アルフリード様だったら?
ぶわ、と一気に顔に熱が集中する。
ビックリするくらい簡単に想像出来てしまった。
ステンドグラスから差し込む光でキラキラ輝く金髪に、真っ青な綺麗な瞳がわたしを見て、和やかに細められる。
その姿はきっと、とても格好良いのだろう。
「…………いけなくは、ないです……」
それどころか、多分、物凄く推せる。
わたしは単純だから「わたしの旦那様格好良い!」「イケメンすぎてつらい!」となると思う。
イシルディンが呆れた様子で言う。
「姉上は考えすぎ。アルフリード様のおっしゃる通り、大事なのは二人がお互いを好きかどうかで、周りの目なんて気にしなくていいんだよ」
……そう、なのだろうか?
アルフリード様を見る。
いつ見ても無表情だけど、実は意外と感情が分かりやすくて正直な人だと思うし、目を細める微笑は向けられると胸が温かくなる。
アルフリード様を嫌う人なんていないのでは。
そう思うくらい、嫌いなところが見つからない。
……いいのかな。
「……本当にわたしでもいいんですか?」
アルフリード様が首を振った。
「違います、ミスタリア嬢がいいんです。他の誰でもない、あなただけがいい。他の人ではダメなんです。あなただから、これから先も一緒にいたいんです」
アルフリード様の声は真剣そのものだった。
……ああ、凄く、嬉しい。
胸が温かくなる。
わたしの顔は絶対に赤いだろう。
ドキドキと胸が高鳴って、少し苦しいような、でもその苦しさが全く嫌ではなくて。
頬に触れる手に自分の手を重ねる。
「わたしも、アルフリード様と、これからも一緒にいたいです」
青い瞳が嬉しそうに細められる。
「ありがとうございます。……その言葉をずっと待っていました」
囁くようなその声は少し掠れていた。
もしかしてアルフリード様も、わたしと同じく緊張しているのだろうか。
……そうだとしたら、少し可愛い。
笑い合うわたし達をイシルディン達がやれやれといった様子で眺めていることに気付いたのは、それから数秒後のことだった。
「では叔父に連絡しておきます。……姉上、本当にいいんだね?」
「うん、わたし、アルフリード様と婚約する」
「叔父さんにちゃんと手紙書いてあげてね。最近、姉上からの手紙がないって寂しがってたから」
「分かった」
わたしはアルフリード様が好きなのだ。
それが分かったら、スッキリした気分だ。
アルフリード様に告白されてからずっと胸の中にあったモヤモヤが晴れて、とっても体が軽い気がする。
「それでは公爵家から正式に婚約の打診をさせていただきます」
……そっか、婚約しちゃうんだ。
恋人どころか婚約者になると思うと、少し、落ち着かない気持ちになった。
でもそれが気恥ずかしさからくるものだと分かる。
……誰かを好きになるってこんな気持ちなんだね。
嬉しくて、恥ずかしくて、落ち着かなくて。
その人が横にいるだけで幸せになれる。




