兄 / 弟
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最近、弟がとても楽しそうである。
リュディガー公爵家の嫡男・アーノルド=リュディガーはそれに驚きと喜びが半々といった気分だった。
アルフリードは実の兄弟ではないが、彼が生まれてすぐに公爵家に引き取られた時、まだ赤ん坊の頃から家族として育ってきたので本当の弟のように思っている。
それに王家と公爵家は血筋が近い。
そのおかげで金髪に青い瞳という特徴が同じで、顔立ちも、多少方向性は違っても整っていた。
むしろ、幼い頃は兄弟姉妹が欲しいと思っていたアーノルドにとって、弟という存在は大きかった。
呪いがあってもアーノルドは気にならなかった。
子供の頃のアルフリードは今よりも感情豊かで、子供らしく活発で、よくアーノルドの後を追いかけたし、一緒に遊ぶことも多かった。
父も母もアーノルドも、そして使用人達もアルフリードを可愛がり、大切に慈しんだ。
しかし七歳の時にアルフリードは呪いについて知り、自分が普通とは違うのだと理解してしまった。
気が高ぶったり興奮したりすると呪いが現れてしまうため、アルフリードは呪いを表に出さないように訓練することになった。
子供相手に興奮するな、気を高ぶらせるなというのはかなり難しいことである。
訓練を受けていくうちにアルフリードは感情を制御するよりも、感情を放棄することを選んでしまった。
昔は笑顔の多かったアルフリードから、段々と笑顔が消えて、ついには表情すら消えた。
家族だからこそ無表情でもそれなりに弟の感情は読み取れるが、関わりの薄い者には分からない。
それでも婚約者が出来た時は良かった。
あの頃は、今よりももう少し表情があった。
婚約者の公爵令嬢とも上手くいっていた。
公爵令嬢はアルフリードを愛していて、アルフリードも公爵令嬢を大切にしており、二人はいずれ結婚する。
──……そう、思っていた。
けれども、そうはならなかった。
公爵令嬢が成人を迎えた後にアルフリードの呪いについて語られ、実際にアルフリードは呪いを見せた。
公爵令嬢は絶叫し、気絶し、そして無理だと、受け入れられないと拒絶した。
呪いを恐れ、婚約者が普通ではないことに怯えた公爵令嬢との結婚はどう考えても不可能であった。
結局、婚約は両家の事情ということで解消となり、アルフリードもその時期は酷く落ち込んで、入団していた紫水の仕事に没頭する時間が増えた。
時には泊りがけで帰って来ない日もあった。
アルフリードは時折社交界に出ることはあっても必要最低限で、どのご令嬢とも踊らず、いつも壁際にいた。
数多くのご令嬢がアルフリードに言い寄ったが、弟の心を揺さぶる者はいなかったようだ。
そうして一年が過ぎ、二年が経ち、三年を迎えても、アルフリードは恋愛に興味を示すことはなく、人付き合いですら仕事以外ではしなくなった。
父も母も、アーノルドも、弟の結婚について急かす気もなかったし、本人が望むなら結婚しなくても良いとすら考え始めていた。
そんな弟に好きな相手が出来た。
その相手は、王城で話題の人となっている子爵令嬢である。
アーノルドは記録した魔道具を見ていないが、それを見た者に話を訊くと、誰もが口を揃えて「騎士三人がまるで子供扱いだった」「あっという間に叩きのめしてしまった」と言う。
しかもどういうわけか、そのご令嬢は「ミスリル嬢」と呼ばれていた。
ミスタリア=リルファーデ子爵令嬢だから略してミスリル嬢なのだと思ったが、ご令嬢に鉱物の名前をつけるなんて失礼な話だと思った。
けれど、リルファーデ子爵令嬢について調べていくうちに彼女の人となりや特性を知った。
多くはないが、良質なミスリル鉱の産地であるリルファーデ子爵家の長女であり、魔力内向者で、どうやら身体強化魔法が最も得意であること。
年齢は十八歳。紫水の使用人となる前はイルンストン伯爵家の次男坊と婚約していたが、街中という公衆の面前で「女性としての魅力がない」という理由で婚約を破棄されている。
王城でこっそりリルファーデ子爵令嬢を見たが、小柄で、細身で、確かにミスリル鉱のような独特な髪色をした実年齢よりやや幼く見えるご令嬢であった。
女性と言うより少女という言葉がしっくりくる。
あの姿を見た時は「本当にあの少女が騎士を三名も叩きのめしたのか」と疑ったほどだ。
だが女性としての魅力がないとは思えない。
豊満な体つきではないが、ほっそりとして簡単に手折れてしまいそうな姿はどこか庇護欲を誘う。
装いのせいか地味に見えるが、いつ見かけても笑顔で、調査書でも明るく前向きで働き者だと書いてあり、追記であまり頭は良くないらしいということも知った。
家の経済的事情もあって働き始めた。イルンストン伯爵家との婚約を破棄したことで、少し余裕が出たが、それでも子爵家という身分にしては貧乏である。
両親を三年前の不作の年に、丁度流行った病で失い、その後は一時的に叔父が爵位と領地を預かり、残された姉弟は王都で慎ましく暮らしていた。
リルファーデ子爵令嬢は自分の弟を非常に可愛がっているそうだ。
亡くなった前リルファーデ子爵夫妻も、現在代わりに領地運営を行なっているリルファーデ子爵令嬢の叔父も、そしてご令嬢もその弟も悪事に手を染めたことがなく、堅実な者達だ。
領民からも人気がある。
調査書についてはアルフリードに伝えていないが、リルファーデ子爵令嬢は幼少期は今よりももっと活発だったようだ。
アルフリードの元婚約者であった公爵令嬢とは正反対のご令嬢だ。
でも、だからこそ、それが良かったのかもしれない。
リルファーデ子爵令嬢とのことで、アルフリードは以前よりもよく喋るようになった。
大半は今日、リルファーデ子爵令嬢とどう過ごしたのか、彼女をどう思ったのかを語っているが、雰囲気がずっと明るくなり、アルフリードの纏う空気も柔らかい。
その変化が父も母もアーノルドも嬉しかった。
リルファーデ子爵令嬢の話をしている時の弟は年相応に見えた。
「それで、リルファーデ子爵令嬢とはどうだ? 少しは仲が進展したのか?」
帰って来た弟に夕食の席で問う。
アルフリードが頷いた。
「ええ、色々と。そうでした、相談があるのですが、どこか腕の良い魔道具工房と服飾店を紹介していただきたいのです」
「それは構わないが、何故その二つなんだ?」
「理由については食後に説明します。ただ、私とミスタリア嬢の共同名義で作りたいものが二つありまして、そのために工房と服飾店が必要なのです」
父の問いにアルフリードが答える。
……何だって?
「お前、リルファーデ子爵令嬢に想いを伝えたと言っていたな?」
「はい、現在は彼女の返事待ち中です」
「どうして急に共同名義で物を作る話になる?」
そうしてアルフリードの話を聞くと、リルファーデ子爵令嬢がマスクという口の当て布と、掃除機という掃除用の魔道具を作りたいと思っているらしい。
アルフリードはそれを見て、これは売れると感じたそうだ。
……好きな女性の欲しいものを与えようとしているだけにも感じるが。
そこに関してはどことなく父を彷彿とさせる。
高位貴族にしては父も母も珍しく恋愛結婚で、父は母を深く愛しており、母の望みを叶えることを喜びにしている節がある。
アーノルドも妻がいるが、彼女のためならば多少の無理も悪くないと思ってしまうので、その辺りはやはり家族だなと思う。
「工房と服飾店を見つけたら、彼女と一緒に出向く予定なので、早めに紹介していただけたら嬉しいです」
ちゃっかり口実を作ってデートに誘ってあるらしい。
弟の抜け目のなさにアーノルドは笑ってしまった。
「だ、そうですが父上、母上、どういたしますか?」
父と母が苦笑した。
「紹介しないわけにはいかないようだ」
「服飾店は私の馴染みを教えましょう」
二人ともアルフリードには甘いのだ。
かく言うアーノルドもそうであるが。
リュディガー公爵家でアルフリードに甘くない者などいないだろう。
弟自身が自分に厳しいのだから、周りが多少甘やかすぐらいが丁度良い。
「ありがとうございます、父上、母上」
そう言って目を細めるアルフリードは嬉しそうだった。
* * * * *
最近、姉からの手紙が変わってきた。
少し前までは仕事も王城での暮らしも不満はなくて、毎日楽しくやっているから心配しないで欲しいという内容が多かったのだが、二週間ほど前の手紙で告白を受けたと報告をされてからは内容に変化が訪れた。
姉に告白したのはアルフリード=リュディガー公爵子息で、これまでの手紙にもよく見かけた名前である。
どんな人物なのか友人達に尋ねたところ、いつも無表情で女性だけでなく誰に対しても冷たく、淡々とした性格から『氷の貴公子』と称されている。
リュディガー公爵家の次男で現在は宮廷魔法士団・紫水の二人いる副団長の片翼を担う。
外見は非常に整っており、金髪に青い瞳。
どうやら人嫌いのようで滅多に社交の場に出ない。
……姉上と正反対の性格に感じる。
だが、姉からの手紙に書かれているアルフリード=リュディガー公爵子息は優しく穏やかそうな印象を受ける。
……噂はやっぱり噂に過ぎないのかな。
実際に接して、普段から話している姉の手紙の方が正しいのかもしれない。
それに、姉に告白はしたが、家を通じて婚約などの打診をして来ないところにも好感が持てる。
相手は姉の意思を尊重してくれているらしい。
姉の手紙によると、姉が返事を出来るまでは待つし、それまでは好きになってもらえるように努力するということだった。
もしも公爵家から一方的に婚約の打診があった場合、子爵家に過ぎないこちらは断るのは難しい。
よほどの理由がなければ断れないだろう。
それを相手も理解しているようだ。
「結婚相手としては理想だけど」
イルンストン伯爵家と婚約を破棄した以上、それより下の家の者と姉が結婚すれば社交界では更に笑い者にされるだろう。
だが伯爵家よりも爵位が高い公爵家となれば、少なくとも子爵家は笑い者にはされない。
まあ、その場合、イルンストン伯爵家が「公爵家に迎え入れられるほどの女性を捨てた」と後ろ指さされて笑われる可能性もあるが、それについてこちらが考慮する必要はない。
それに次男だから家を継ぐこともなく、多少身分差があっても問題はないと思う。
今日届いたばかりの手紙を見る。
なんでも、アルフリード=リュディガー公爵子息と共同名義で何かよく分からない物を作るらしい。
何故そうなったのかはともかく、相手の心情は予想がつく。
共同名義にすれば姉と関わる口実が出来る。
姉の欲しいものを作るそうなので、その点でも、相手は姉からより好意的に思われる。
アルフリード=リュディガー公爵子息は着実に姉に迫っている。
当の姉も、相手のことを嫌ってはないが、どうにも戸惑いや混乱の方が大きいらしく、手紙にはどうしたら良いかとも書かれていた。
アルフリード=リュディガー公爵子息が提示した婚約に関する条件は、姉にとっても子爵家にとってもかなり有益なものだ。
けれども、イシルディンは全ては姉の気持ち次第だと思っている。
恐らく自分と似た性格の叔父も、姉の気持ちがなければ婚約を許すことはないだろう。
「……まあ、姉上らしいよね」
手紙には「アルフリード様に可愛いと言われた」「アルフリード様が手を褒めてくれた」という内容も書かれており、イシルディンからしたら、惚気話かなと感じてしまう。
アルフリード=リュディガー公爵子息とは会ったことがないけれど、姉の手紙からは相手への好意があるように思えるのだ。
そもそも告白された時点で拒否感がなければ、それはつまり、そういうことである。
ただ今まで恋愛をしてこなかった姉が、自分の感情に気付かず、戸惑っているだけではないだろうか。
相手もそれを分かっているのか、姉に対してかなり積極的に押していっている。
姉は鈍いところがあるから、きちんと言葉や態度で表さないと伝わらない。
そこまで理解しているのかもしれない。
「とにかく一度会ってみないと」
イシルディンはそう呟くと新しい封筒と便箋を取り出し、ペン先をインクに浸して、姉宛ての便箋に文字を綴っていく。
誕生日プレゼントのカフスボタンについてもお礼が言いたい。
姉によると一緒に選びに出かけたそうだ。
……いつの間に。でも、最近の姉上からの手紙はずっと楽しそうだ。
イルンストン伯爵子息と婚約していた時はこんな風に、イシルディンに相談のような手紙や話を持ってくることもなかった。
その変化は嬉しくもあり、寂しくもある。
もしも姉がこの人と婚約したら、姉弟で過ごす時間は更に減ってしまうかもしれない。
でも姉には幸せになってもらいたい。
「……そろそろ姉離れする頃かな」
そう言いながらも、いつでも笑顔で抱き締めてくれる姉が少しだけ恋しかった。
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